【倶樂部余話】 No.263  セヴィルロウは背広の語源?(2010.10.23)


背広の語源はロンドンのセヴィルロウという地名に由来する、と、そう信じて私は約20年前にこの店名を付けたのですが、この説について、文明開化当時からの資料を紐解き、検証を試みた一冊があります。「福沢諭吉 背広のすすめ」(出石尚三著・文春文庫・2008年12月)。
150年前の服装では、きちんとした格好というのはフロックコートであって、今でいうスーツはそれよりも格下のカジュアルな服でした。フロックコートというのはモーニングや燕尾服と同じく、胴回りを細く絞るために、肩の後ろから背の両脇にダーツを入れて作られたので、こういう服を「細腹(さいばら)」な服と呼びました。(今でも仕立ての世界では、前身頃と後身頃の間の脇下のパーツを細腹と呼びます) それに対して、細腹ではない服すなわち背の広い服、ということで「背広」な服という言葉が職人仲間の符丁として生まれたのではないか、というのが筆者の推論です。
それを記録に留めた最初の人物こそがどうも福沢諭吉らしいというのです。福沢は「経済」や「演説」などの訳語を創った造語の達人、きっと「背広」の語感はその感性にマッチしたのでしょう。
さらに福沢は自ら「西洋衣食住」というイラストブックを著し西洋服のコーディネートを指南、そればかりか慶應義塾内に「衣服仕立局」なる洋服屋まで開いていたのです。この店が丸善の服飾部門の前身となります。
セヴィルロウと背広は発音が似ていて何か関係があるのか、と言われ始めるのはそれから60年も経った昭和初期のことで、これは全くの偶然のようです。なーんだ、そうだったのか。(弥)