倶樂部余話【354】ふたつの動揺(2018年3月22日)


正直に言います。この一ヶ月あまり、ちょっと仕事をサボった感じになっていました。言い訳になりますが、ふたつの動揺に苛まれていたのです。

ひとつは、ダブルワークの確定に思いのほか時間がかかってしまったことでした。一部の方にはお話しましたが、今回の店舗移転を契機に、自身のダブルワークをもくろんでいたところ、これが当初の思惑通りに進まず、条件等が合わなくてかなりもたつきました。そのことが主な原因で定休日や営業時間がなかなか決められず、一度は一旦決めたもののまたすぐに変更したり、と、この動揺は明らかにお客様にも感づかれたことと想像します。野沢は一体何をしているのか、と不安を感じられた方もいたことでしょう。結局は、毎週の火曜水曜とそれに加えて第一第三の日曜という店休日、と、従来とほぼ変わらない営業体制に戻せることが出来ました。こう決めるのに、実に五週間を要してしまいましたが、もう当分はこれで変えませんのでご安心を。

さてもう一つの動揺、これは全く私的なことなのですが、二月の初めに娘からある人に会ってほしいとの話があり、にわかに花嫁の父という役どころが舞い込んできたことでした。例の、お嬢さんを下さい、の「親父の一番長い日」から始まり、両家の顔合わせ、教会での婚約式、と、怒涛の一ヶ月が、実に慌ただしく、また今までに経験したことのないおかしな感情がおろおろと次々に湧き上がる中であっという間に過ぎていったのです。これで秋の挙式までは一段落というところなんですが、そんな中で変わらずに仕事が進められるほど私は図太い人間ではなかったようでした。

でみんな聞くのです、「一発殴らせろ」ぐらい言えたの、と。んな、とんでもない。じゃ腕相撲で勝負だ、と寸前までそんなジョークも考えましたが、結局は、ふつつかな……、としか答えられませんでした。あー、私は小物だ、情けない。(弥)
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倶樂部余話【353】シンパって死語なのかな(2018年3月1日)


はじめは女子カーリングぐらいしか興味のなかった平昌冬季五輪でしたが、思いのほか熱くなって各競技に見入ってしまいました。そこで浮かんできたのがシンパという一語でした。

異国間のライバルだとか、兄弟や姉妹、恩師と弟子の関係や、先達と後進、歳の近い先輩後輩、など、その間柄は様々ですが、両者は、時には反発し合い、また時には励まし合い、また慰め合いながら、苦しみや悩みを共通体験としつつ、そのうえで、相手の喜怒哀楽を自分のことのように分かち合える、その相手同士にしか理解できないだろう共鳴する感情。友情とか愛情というような簡単な言葉では言い表せない、この濃い感情をなんと呼ぼう、シンパシーsympathyと称していいのではないでしょうか。

このシンパシーを感じ合える同志(シンパサイザーsympathizer)を、日本流に略してかつてはシンパと言ったようです。私よりもふた世代ほど前、学生運動華やかかりし頃に生まれた、主に左翼系思想家たちに好まれた言葉じゃなかったかと記憶しています。ときには親派と漢字の当て字を付けられたりしてます。どうも今ではほとんど死語になっているようで、奴は彼のシンパだからな、というような表現は今ではあまり聞くことはありません。だけど、「彼にはなんとも言えない深いシンパシーを感じるんだよ」ということは時々あります。そうそうテレパシーとかエンパシーというのも同じ語源になりますね。

国家間の政治的思惑が強い五輪として始まったがゆえに、かえってことさらに個人間の関わりが強調されたのかもしれません。そしてメダルを取れなかった競技者(当然そちらのほうが大多数なのです)にも人に知られることのなかった様々なシンパシーな関係があったろうことに思い巡らせてあげたいと思うのです。そして自分のことを振り返ってみます。すると、自分にもシンパと呼びたい人が何人か浮かんできます。さてその彼らは私をシンパだと思っていてくれるのだろうか。自信ないなぁ。あなたはどうですか、シンパと呼べる人はいますか、そしてその人はあなたをシンパと思っていてくれていますか。

こんな思いを起こさせてくれた多くのアスリートに感謝。次は東京です。大丈夫なのかな、すごく心配ですけど。(弥)