倶樂部余話【357】私の大発見?(2018年6月28日)


この色をあなたは何色といいますか。ここに私の大発見?があるのです。
橙・レンガ
オレンジ色ですか。みかん色とか橙(だいだい)色とも言いますね。とすれば白などの鮮やかな色との組み合わせで夏のスポーティな装いなどに使えます。
同じ果物でも柿の色と捉えると秋の始まりのウォーム感のあるコーティネートを考えられます。
テラコッタやレンガなど焼き物の色と見ると一転してシックな雰囲気になります。
また赤茶色と茶系の範疇として考えるとこれはあらゆる中茶色使いに置き換えが可能です。
かように同じ色なのに解釈次第で汎用性が広がる、まあそれほどポピュラーな色ではないですが、これは使えるテクとして覚えておいて損はないでしょう、と。
このことは誰からも読んだり聞いたりしたことがないのでもしかしてこれは私の大発見じゃないか、と、思ったりするのです。そんなわけないか。

このことは最初からその汎用性を狙っていたのではなくて、使っているうちにあとから気が付いたことです。
きっと誰にでもそういう発見があるでしょうから、あなたの発見もぜひ教えてもらいたいものです。顧客みんなで共有しましょう。

最近、コレ意外にいろいろ使えるんだ、と実感したのが三年前に作ったこの靴。
アデレード
スーツ着用のドレススタイル(ただしフォーマルには不適)からチノパンやデニムはてはショーツまでのカジュアルなシーンまで、
そして晴れの日も雨の日も、夏でも冬でも、これ一足ですべてを賄ってくれます。
気取りのないエッグトゥのラスト、英国伝統のクラシカルなデザインのアデレード型内羽根セミブローグ(ストレートチップ=一文字型)、これもフルブローグ(ウィングチップ=オカメ型)ほど目立たないのが奏功しています。
ネイビーの革は、黒ほどキリリとしてなくてまた茶色ほど柔らかすぎず、そんなにピカピカに磨かなくても味わいがあります。
できれば体のどこかにブルー系の色を使うことで色のはしごを掛けてあげればネイビーは思いの外使いやすい色だと知りました。
更に特筆すべきはこのソール。宮城興業が開発したオリジナルのタフスタッズというラバーソールですが、これがとても快適です。
今まで所詮ゴム底は革底の代用品に過ぎないという一歩見下した認識しか持っていなかった私ですが、その考えを改めました、これはいいです。
底の返りも履き心地も革底と比して全く遜色ないし、雨を気にする必要もなく、そして大変丈夫。週二回ほどのペースで履き続けて三年経ちましたが、何しろ底がほとんど減ってないのがお分かりでしょう。

靴でこれほど「使える」と実感した発見はこれが初めてです。もしも、次の靴何にしようか、と思案中の方がいるのなら、私はこれを強力に推奨します。ただし私とお揃いでも構わない、という方に限りますが。(弥)

倶樂部余話【356】ごめんね…ジロー(2018年5月30日)


今週末から始める靴のイベントのオマケにラーメンを付けることを思い付きました。なので、少しラーメンの話を。

時々自分のフェイスブックに写真を載せたりするので、私が結構なラーメン好きであることは知る人ぞ知るところであろうかと思いますが、私の場合その嗜好にかなりの偏りがありまして、生粋の二郎系、いわゆるジロリアンであります。
二郎旧店舗
生粋の、と言うには理由があります。何しろ学生時代に週二回ほどのペースで食し続けたラーメン二郎。当時は三田二丁目のT字路の角に貼り付いていた、慶大生のための極めて特殊な食べ物で、大豚ダブルをぺろりと平らげていたのだから若かったんでしょうが、今のように多店舗化されさらにその亜流も全国に続々と広がるなんて、思いもよらないことでした。勝手に思っていることなんですが、私がビートルズの武道館公演に行った人を無条件に尊敬してしまうように、二郎の旧店に通い詰めてた当時の慶大生は二郎系ファンから圧倒的なリスペクトを受けてもいいと、そのくらい思い入れは強いんです。未だに月に一度ぐらい、無性に食べたくなる、決して身体にいいとは思わないのですが、心の中にまで染み込んでしまった味なんですね。
二郎
ただ、ラーメンほど個人の好みの違いが様々なジャンルはないでしょう。十人いたら十人が異なるお気に入りを持っているはずです。なので、私は決して自分のラーメンの趣味を人に押し付けたり勧めたりすることはしません。そう思っている私ですが、昨年山形で食した赤湯ラーメン、このスープは、ぜひ一度味わってみて欲しい、と人に勧めたい気になったのです。その原料は30種類とも40種類とも言われる複雑な配合のスープ、これは称賛に値します。
赤湯ラーメン
ところで、なんで靴にラーメンなの、という点です。もうおわかりの方もいるでしょう、当店のオーダーシューズを担ってくれる素晴らしいファクトリー、宮城興業。そのスタッフに連れて行ってもらったのが赤湯ラーメン、ということで、靴もラーメンも赤湯(山形県南陽市)の特産、どちらも「こんなことできるのは世界でここだけ」、という唯一無二の赤湯つながりです。
CS-107 ES_37カタログ
靴を作ってラーメンを貰おう、というキャンペーン。オマケの方を取り上げてしまったのでなんだか本末転倒のように聞こえるかもしれませんが、決してそんなことはありません。ただ、赤湯つながりなので、今回のオマケは二郎系ではありません。ごめんね…ジロー by 奥村チヨ。(弥)

倶樂部余話【355】セクハラ王はリーゼントだった(2018年4月26日)


さて次は何を書こうか。スーツの注文も欲しいところだから、「No More映画泥棒」みたいなスーツでは信用をなくすよね、なんていう話題にしようか。いやいやそれじゃあまりに小賢しいから、たまには政治ネタで、北朝鮮、シリア、TPP,憲法改正と議論すべき題材は山積みなのになぜ国会はいつまでも森友問題ばかりやってるんだ、とぼやこうか。と、つらつら原稿を書き始めたところに、なんだかテレビに見覚えのある顔が現れてきた。あれ、福田くんじゃないか。財務省事務次官だったのか。

母校・神奈川県立湘南高校の体育祭。これは単なる運動会ではなくて、仮装、バックボードなどの数々のパートで構成され、一年生から三年生までの縦割りで9つの色に分かれて競い合う一大行事なのだが、私が三年のとき同じセクシヨンにやってきた一年生の中に彼がいた。リーゼントヘアの面白い男で、ふてぶてしくも人懐っこい笑顔をみせる、俗にいう「いい奴」で、わずか何ヶ月間の交流にもかかわらず私には強烈な印象が残っている。ちびっ子ギャングこと麻生財務相にとても可愛がられたというのも頷ける。

世の中寄ってたかってセクハラ批判の嵐の中で、以下のような発言は、周囲から総スカンを食らうのかもしれないが、私にとってはいい思い出のある可愛い後輩である、一方的に責められるばかりじゃかわいそうだよ、という思いが首をもたげてきて、あえて彼を少し擁護したくなってきた。

つまり「セクハラがバレたら辞職しなくちゃいけないの?」である。もしそうなら世間のかなりの男性社会人は今すぐ辞表を出さねばならなくなる。痴漢したとか汚職だとか公文書偽装とかではないのだ。そもそもセクハラというのは、下ネタやわい談や口説き文句との境目がかなり曖昧、時と場所と相手によって、同じ言葉でも持つ意味が変化してくる。なのにパワハラやいじめに比べてセクハラに対してだけどうして正論まかりとおる、という風潮になってしまうのだろう。ついでに言うなら、新潟の県知事が女性問題で辞めたがあれも辞める必要はないと思う。もちろんセクハラも買春も褒められたことでないのは当然だが、せっかく原発反対という民意を反映した知事を選んだのに、勝手に辞められてしまっては、新潟県民にとっては損失になったのではないだろうか。

フランスの女優カトリーヌ・ドヌーブは二年ほど前にハリウッドでの行き過ぎたセクハラ批判に違和感を表明して物議をかもした。ところが今これだけ我が国でセクハラの話題が沸騰している時なのに、日本のカトリーヌ、第二のドヌーブのような存在が誰も現れない。日本のマスコミ報道に正論一辺倒の偏りを感じるのは私だけなのだろうか。

週刊誌にはセクハラの王とまで書かれて、もう福田くんは日本中の女性の敵。自分の知り合いが日本で一番の時の人になる、などという機会はなかなかないもの。もうこの先も多分ないだろう、珍しい体感をしたものだと思っている。(弥)

倶樂部余話【354】ふたつの動揺(2018年3月22日)


正直に言います。この一ヶ月あまり、ちょっと仕事をサボった感じになっていました。言い訳になりますが、ふたつの動揺に苛まれていたのです。

ひとつは、ダブルワークの確定に思いのほか時間がかかってしまったことでした。一部の方にはお話しましたが、今回の店舗移転を契機に、自身のダブルワークをもくろんでいたところ、これが当初の思惑通りに進まず、条件等が合わなくてかなりもたつきました。そのことが主な原因で定休日や営業時間がなかなか決められず、一度は一旦決めたもののまたすぐに変更したり、と、この動揺は明らかにお客様にも感づかれたことと想像します。野沢は一体何をしているのか、と不安を感じられた方もいたことでしょう。結局は、毎週の火曜水曜とそれに加えて第一第三の日曜という店休日、と、従来とほぼ変わらない営業体制に戻せることが出来ました。こう決めるのに、実に五週間を要してしまいましたが、もう当分はこれで変えませんのでご安心を。

さてもう一つの動揺、これは全く私的なことなのですが、二月の初めに娘からある人に会ってほしいとの話があり、にわかに花嫁の父という役どころが舞い込んできたことでした。例の、お嬢さんを下さい、の「親父の一番長い日」から始まり、両家の顔合わせ、教会での婚約式、と、怒涛の一ヶ月が、実に慌ただしく、また今までに経験したことのないおかしな感情がおろおろと次々に湧き上がる中であっという間に過ぎていったのです。これで秋の挙式までは一段落というところなんですが、そんな中で変わらずに仕事が進められるほど私は図太い人間ではなかったようでした。

でみんな聞くのです、「一発殴らせろ」ぐらい言えたの、と。んな、とんでもない。じゃ腕相撲で勝負だ、と寸前までそんなジョークも考えましたが、結局は、ふつつかな……、としか答えられませんでした。あー、私は小物だ、情けない。(弥)
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倶樂部余話【353】シンパって死語なのかな(2018年3月1日)


はじめは女子カーリングぐらいしか興味のなかった平昌冬季五輪でしたが、思いのほか熱くなって各競技に見入ってしまいました。そこで浮かんできたのがシンパという一語でした。

異国間のライバルだとか、兄弟や姉妹、恩師と弟子の関係や、先達と後進、歳の近い先輩後輩、など、その間柄は様々ですが、両者は、時には反発し合い、また時には励まし合い、また慰め合いながら、苦しみや悩みを共通体験としつつ、そのうえで、相手の喜怒哀楽を自分のことのように分かち合える、その相手同士にしか理解できないだろう共鳴する感情。友情とか愛情というような簡単な言葉では言い表せない、この濃い感情をなんと呼ぼう、シンパシーsympathyと称していいのではないでしょうか。

このシンパシーを感じ合える同志(シンパサイザーsympathizer)を、日本流に略してかつてはシンパと言ったようです。私よりもふた世代ほど前、学生運動華やかかりし頃に生まれた、主に左翼系思想家たちに好まれた言葉じゃなかったかと記憶しています。ときには親派と漢字の当て字を付けられたりしてます。どうも今ではほとんど死語になっているようで、奴は彼のシンパだからな、というような表現は今ではあまり聞くことはありません。だけど、「彼にはなんとも言えない深いシンパシーを感じるんだよ」ということは時々あります。そうそうテレパシーとかエンパシーというのも同じ語源になりますね。

国家間の政治的思惑が強い五輪として始まったがゆえに、かえってことさらに個人間の関わりが強調されたのかもしれません。そしてメダルを取れなかった競技者(当然そちらのほうが大多数なのです)にも人に知られることのなかった様々なシンパシーな関係があったろうことに思い巡らせてあげたいと思うのです。そして自分のことを振り返ってみます。すると、自分にもシンパと呼びたい人が何人か浮かんできます。さてその彼らは私をシンパだと思っていてくれるのだろうか。自信ないなぁ。あなたはどうですか、シンパと呼べる人はいますか、そしてその人はあなたをシンパと思っていてくれていますか。

こんな思いを起こさせてくれた多くのアスリートに感謝。次は東京です。大丈夫なのかな、すごく心配ですけど。(弥)

倶樂部余話【352】店じゃない店(2018年2月7日)


新拠点での新体制を始めて一週間が経ちました。新しいお店はどこなの、と聞かれるたびに、いや今度は店じゃないんです、と答えていたのですが、何人かの方が不安そうに見えまして、そういうことか、と意を得たようでした。

25坪の店舗を一坪の事務所に凝縮する作業は時間も労力もお金も掛かる大仕事で、恐らく私以外には誰にもできない芸当だったでしょう。もちろん自分で決断したことですし、必要に迫られての作業でしたが、まさに必要は発明の母、マザー・オブ・インベンションですね、いろんな新しいアイデアも次々に湧きました。

でもウインドゥもボディも陳列棚もない、つまり「みせ」ることができない場所ですから、これを私は店とは呼びたくなかったのです。じゃあなんて言ったらいいの、無店舗とは違うんだし、とお客様はさらに困惑した顔をします。うーん、店は英語でshopか、shopには店舗という意味以外にも(職人やアーティストなどの)仕事場という意味(workshop)もあるし、ここは不本意だけど、目くじら立てず、便宜上やっぱり店と呼ぶことは避けられないことだろうなぁ、ということで、観念して、ショップという意味で店と呼ぶことにいたしましょう。はい。

ただこのショップ、実はまだ完成してはいないのです。まず営業日、店休日がまだ未確定なので、不定休という宙ぶらりん状態であります。これは、2月中には固められる予定です。そしてもう一つ、いわゆるリアルショップの方はなんとか恰好がつきましたが、ウェブショップのほうがまだ全く手付かずで今は依然アランセーターしかカタチになっていない状態です。リアルとウェブの2つのエンジンが揃ってのショップであるはずなんですが、片肺飛行でのスタートとなっています。おいおいウェブの方に掲載商品を増やして、チャントしたカタチに持っていかないといけません。

まあ、ともかくもお客様をお受けできる体裁は整いました。どんな感じなの、と様子を見に来ていただくだけでも、新しいショップに一度お越しください。(弥)
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倶樂部余話【351】最後のハガキ(2017年12月28日)


どうにも筆が進まずクリスマスを迎えてしまいました。現店舗からの撤退という大仕事にとても忙しいというのももちろんあるのですが、大きな理由は今話が最後のハガキ通信になるからです。

今はこの文章をWEB上で読んでくれる方も多いのでしょうが、元々は毎月発行するハガキ通信の冒頭雑話として書き始めたもので、開店2年目の年から29年間350回続けてきました。次号からはメールマガジンに切り替えるため、今号がハガキで送る最後となります。ただ届ける手段が変わるだけだよ、と簡単には片付けられないひとしおの思いが私の筆を遅らせるのでした。

ハガキ通信を始めたのは当時最も安価で効果的な販促手段だったからですが、最初のうちは低機能のワープロを駆使し文字数を数えてから段組みをしたりと、フリーペーパー的な体裁を整えることに随分と苦労しました。洋服屋のDMなのにこんなに文字ばかりびっしりのハガキに皆さん面食らったことでしょう。しかし結果的にはモノクロ印刷のハガキというのがよかったのでしょう、これがカラー刷りの封書だったらきっと長続きしなかったはずです。ハガキの持つ効能をだれよりも身に染みて知っているのは私自身に他なりません。

ですがノスタルジーだけで進化を拒むことはできません。商品紹介もWEBに頼っていこうとしている今後ですから、メールマガジンへの切り替えは必然です。思ったんです、ハガキ通信という言葉を英語にしたらメールマガジンじゃないですか。なんだ、私は29年前からメルマガをやってたんですよ。時代の先駆者です。

この数か月ハガキで呼び掛けてきました、ハガキをやめますからメールアドレスを送って下さい、と。それでも今日現在176名のアドレスが不明のままです。きっとその中には、ハガキを続けてくれ、という無言の抵抗を示している方もいるのではないでしょうか。だからあえてここで176名に最後のお願いです、メールを下さい。(弥)

以下、WEB版だけの続きです。

ハガキという手段は、静岡のこの店舗に頻度よくご来店いただける方へ、ということが暗黙の前提で、そうなると当然に、主に静岡県にお住まいの方ということを原則としてお出ししていました。メルマガに切り替える、ということは、その前提も取り払われることになります。世界中の(と言っても日本語のわかる方だけになりますが)方々に配信可能ですので、この機に広くメルマガ購読のご希望を受け付けることにいたします。
メルマガ配信希望の方はHPのフォームから件名に「メルマガ希望」と書いて、ご連絡ください。折り返しこちらから住所氏名などの個人情報の提供を求めるメールを差し上げますのでそれにご同意いただけた方を配信リストに加えます。(弥)

メルマガ希望はこちらから。

倶樂部余話【350】大きな決断(2017年12月1日)


前号に述べた還暦にあたっての大きな決断のひとつは、店を閉めるということでした。この一月で現店舗から撤退することを決めました。

理由は一つではなく複合的にいろいろです。自らの体のこと、仕入や売上やお金のこと、家族の将来のこと……。が、一番大きいのは、春夏の売り場に納得がいかない、ということでした。12か月通しての売場づくりができないというのは自分に腹が立って我慢なりませんでした。
加えてWEBの浸透があります。ほとんどの顧客はご来店の前にすでに買うものを決めている、が当たり前になりました。店はその最終段階にあり、私とあなたが会える場所があればそこが店になる、店の持っている意味合いはWEBのおかげで近年大きく変化しました。

今後は、近場に接客できる拠点を持って、WEBをさらに充実させ、秋冬のインポート品(アランセーターやフィンランドのダウンなど)とオーダー品(スーツ、シャツ、靴など)に扱い品目を絞って、営業を継続していきます。

とはいえ店の撤去は一大事です。商品、什器、備品、装飾品、すべてを持ち帰れるほど我が家は広くないので、人に譲れるものはお譲りして極力身軽にしないといけません。さらに言うと撤退にはお金もかかるので売上も必要です。まだまだ皆さんの協力をお願いしないとならないのです。(弥)

倶樂部余話【349】 還暦に思うこと (2017年11月1日)


ご記憶の顧客も少なくなっているかもしれませんが、開店当初は時々カクテルパーティというのを企画していました。27年前の12月に開催した第4回カクテルパーティはちょっと趣が変わっていて、その最後の20分を父の還暦祝いに充てました。そしてその時は誰にも言えなかったのですが、父より三つ若い母は当時すでに余命の限られた身体でしたので、3年早いけど母の還暦祝いも一緒にしてやろう、という隠れた思いも込めました。映画カサブランカを模したカフェでタキシード姿の顧客たちに囲まれて微笑む父母の姿は今も忘れられません。

そして、母の歳を超え、父を見送り、私、まもなく還暦。なんですが、なんだか予感していたのとは感覚が違うのですね。つまり、27年前の両親にしても、12年前の恩師にしても、5年前の先輩たちにしても、老齢者という柵の向こう側へ送り渡したような気でいたのですが、いざ自分がそうなってみると、老、という文字に釈然としないのです。まだまた若いぞというありきたりの意味ではなくて、こんな未熟な人間のままで老齢者の仲間入りをするとは、なんて恥ずかしいんだろう、という感覚です。柵の向こうでやっていけるだけの自信がありません。

しかし還暦という言い方はうまいもんだと思います。十干十二支(干支)60年という長いトラックをようやく一周走り終えます。だから走り方を変えるなら二周目に入る今なんだろうな、そういう決断をする頃合いなのかもしれない、という思いに苛まれているこの頃です。(弥)
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倶樂部余話【348】日本アイルランド外交樹立60周年(2017年10月1日)


日愛外交樹立60周年
当店にはいろんな顔がありますが、その一つがアイルランドのアランセーターであることは自他ともに認めるところでしょう。この国と関わる最初のきっかけはこの店の開店を秋に控えていた年の正月でしたからちょうど30年ということになります。そして今年は日本とアイルランドの外交樹立60周年だというのです。つまり1957年、偶然ですが私の生まれた年でして、はい、還暦です。

アイルランドが英国から分離独立をしたのは1922年ですから国交自体はそれ以前からあったようですが、それまでは英国大使館内で兼務していたものを互いの地に大使館を置くことになってから60年ということで、今年一年間は東京のアイルランド大使館とダブリンの日本大使館が一緒になって日愛両国で様々な記念行事が企画されています。急遽参加を決めた今月開催の浅草・ケルト市もその一つです。

さらにもう一つの偶然がありまして、今の駐愛日本大使が私の高校の隣のクラスの女性であったのです。我が母校は神奈川県でも屈指の進学校なので東大からキャリア官僚になる者も決して珍しくはないのですが、世界約200か国の中でよりによって私と一番近しい国の大使が同期生とは驚きました。高校生当時の面識はなくともそこは同窓、共通の友人を介してメールのやり取りが始まりました。

ということで私もなにか60周年記念を、と思うのですが、今からでは事業申請も間に合いませんので、勝手に考えてアランセーターの紹介強化をすることにいたしました。まずはアランセーターをご所望の方にはご希望に応じて、拙著(CD本)またはアランの古い映像のDVDを付録に付けましょう。リアクションの予想がつかないのでとりあえず10月限りとします。日愛外交樹立60周年未公認事業、題して、ファースト・アラン・コンタクト、始めます。(弥)

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