倶樂部余話【四十四】ウルトラマン世代(一九九二年十月十五日)


私が小学六年生だった一九六九年(昭和四四年)、全共闘・東大安田講堂の攻防がありました。テレビの生中継を見ながら「学生運動ってかっこいいな。僕も大学生になったら全学連になって大人たちに石を投げつけるんだ。」と思っていました。

その年、ウッドストックの開催。翌七〇年にビートルズ解散。中一の私は大阪の万博で月の石を見てました。

団塊世代の弟たちともいうべき、激動の六〇年代に乗り遅れてしまった私たち昭和三十年代生まれの世代が、最近になって初めて「ウルトラマン世代」という名を頂戴しました。

命名は「ウルトラマン研究序説」という本が由来のようです。呼ばれてようやくやって来て、たった三分間働くだけなのに、ヒーロー然としている、などと、好ましからざる傾向も指摘されますが、最大の特徴はその次男坊的性格でしょう。性格形成の上では偉大なる兄貴たちの強い影響を受け、兄のご機嫌を伺いうまく立ち回る弟。兄が好き放題に荒らした(耕した?)土地をきれいな畑に整えていく弟。昭和ヒトケタの親父たちとは喧嘩ができても、兄貴たちにはまるで頭が上がらない。ビートルズの来日公演(六六年)に行ったことがあるなどという人に会うと思わず無条件降伏してしまいます。

ウルトラマン世代は、だから、時代の変化の兆しを敏感にしかも割と冷静で客観的に嗅ぎ取ってしまう、という能力が無意識のうちに磨かれていて、世代人口も少ないので競争心より協調性を重んじ、創造力よりもむしろ編集力に長けている、と言われます。

九〇年代に入り社会は「静熟」。生き残りのためには競争より共生が説かれ、モノ余りの中で創造性の強い「差をつけ過ぎたもの」は売れずに「差のないもの」を編集しソフト的な知恵を生かした「差のある売り方」が売れています。はい、ウルトラマン世代の出番が回ってきたようです。

今やかつての学生戦士たちも管理職になり、私たち弟は「課長・島耕作」のように現場の決定権を持つようになっています。そろそろ世話になってきた大好きな兄貴たちに恩返しをするときが来たのかな、と感じるこの頃です。