倶樂部余話【379】 世界史の年表に残ること(2020年5月1日)


ずっと前から、ゴールデンウィークなんて必要ない、と言い続けてました。
一斉に長い休みを取るのは、盆暮れ正月があれば十分、だと。
それが何と言うことでしょう、まさかこんなカタチでGWそのものがその存在意義を変えてしまうなんて、思ってもいませんでした。
ステイホームウィーク。今はなんの感想も持ちたくありません。
怒ったり呆れたりしたところでそれは何の意味を持たない、
時が流れるのをじっと感じていよう、とだけ思うことにしたいです。

新聞からコロナの文字のない紙面を探せと言われたら、全面広告ぐらいしか残らないでしょう。
いや広告にさえ営業自粛に触れてコロナの文字が見つかるかもしれません。
コロナ一色の世界。何か他のことを書かなきゃと思っても、今は何も書けません。

大震災のときに思ったことが、ああこれは確実に日本史の年表に載るなぁ、ということでした。
人間の歴史が数千年あるとして、自分たちが生きているのはその数千年の中のたったの何十年だけです。
そのわずか何十年のあいだに年表に残る事実に私は立ち会った。
そして、今度はコロナ。これは日本史じゃなくて世界史の年表にまで残ることでしょう。
親の世代には間違いなく戦争というものが一番大きな年表事項でした。
自分の世代で一番大きな年表事項は一体何になるんだろう。
何百年か先の日本人が年表を眺めたとき、果たしてコロナはどんな意味を持って語られているんだろう。
今想像できるのは、あれは確かコロナがきっかけで変わったことだったんだよね、
という事柄がたくさん出てくるだろう、ということ。
この「静かな有事」が実は歴史の大きな転換点になっているんじゃないか、
その真っ只中に今自分たちは置かれて、そして漂っているんだろう、と、

そんなふうに思う、今年の、今までで一番静かなゴールデンウィークです。(弥)