倶樂部余話【四十一】洋服屋を継いだ若大将(?)(一九九二年五月二十日)


私のことです。昭和三十二年生まれO型。

小学校までは東京都杉並区に在し、その卒業文集には「将来は新聞記者」と書いています。

十二歳の時、急な事情で三男の父が静岡で家業を手伝うことになりましたが、折しもその時神奈川県藤沢市に新居が完成間近であったため、父は単身静岡へ、私たちは湘南の地へ転居しました。

以来二十四歳まで十二年間過ごしたこの江ノ島を臨む海辺の地は、私にとって数々の青春の思い出の染み込んだ特別な土地となりました。

中学の頃は左かぶれの生徒会長で政治家になることを考えていました。運良く入った県立S高は当時全国屈指の進学校で、秀才たちに囲まれるうちに弁護士になりたいとの夢も持ちましたが、K大に進み、司法試験受験の人間離れしたハードさにとてもついていけず、たった三ヶ月で諦めました。

漠然とマスコミか旅行代理店に行きたいなと思っていた二十歳の時、現社長・父の巧妙なる(?)説得に遭い、ついうっかり(!)家業を継ぐ決意をしました。しかしそれまでの私は、ジーパンが三本あれば一年が過ごせるほど、オシャレにはおよそ無頓着でしたし、しかも商売をする親父の背中を見て育ったわけでもありません。そんな私が見知らぬ土地で洋服屋を継ぐということに当時の私はかなりのハンディとコンプレックスを感じ、そこから「衣」学の勉強を猛然と始めます。今でも保存してあるその頃の雑誌「ポパイ」には隅々まで書き込みやラインマーカーがびっしりとしてあります。

大学卒業後、紳士服専業としては当時業界一のD社へ就職。新ブランドの新米営業マンとして恵比寿の下宿から東日本の地方百貨店を駆け回る日々が続きました。

二年強勤めて暇をもらい、手元の有り金を一ヶ月のアメリカ放浪の旅で使い果たし、一九八二年八月、ようやく静岡に居します。八五年に結婚、八七年九月に当店を開店、静岡に住んで今年で丸十年になります。

お客様の立場に立つ、ということが商売で一番大切なことだと思いますが、業界の中にどっぷりと漬かり切っていると知らず知らずのうちにそれを見失うことも多いようです。そういう意味では、典型的な地元の二代目でもなく、洋服が大好きでもなかった私は、かえってよりお客様に近い目で物が見られるのではないか、と近頃感じています。

経営者の人となりが見えることが専門店の魅力のひとつだとすれば、私の経歴も当店をご理解いただく一助になろうと思い、恥ずかしながらご披露した次第です。