倶樂部余話【九十六】「いらっしゃいませ」が言えなくて…(一九九七年六月四日)


新刊「現代人の作法」(中野孝次・岩波新書)にこんな話がある。

「いらっしゃいませ」は英語で”May I help you?”だと言われるが、これは疑問文だから、言われた客も”Hello!”とか”Just looking, thank you.”などと笑顔で答えないと間が持たない。ところが日本語の「いらっしゃいませ」だと返事を求められないので、日本人はこれを無視してむっつりと無表情のままだ。だから海外の店で日本人客は不気味に思われるのだ、と。

さて、十五年以上も前の話だが、私には寝言で「いらっしゃいませ!」とうなされて叫んだ経験がある。

某紳士服大手へ新卒で就職したばかりの私は、毎週末ある地方百貨店の紳士服売場に立っていた。そこには信じがたいルールがあって、一番最初に「いらっしゃいませ」と声を掛けた販売員だけがその客を接客できる、というのだ。一日中目を凝らして、通路のはるか遠くから来る客を狙うわけだが、百戦錬磨のオバサン販売員の中、なかなかチャンスは得られない。誰よりも早く「いらっしゃいませ」が言えなければ仕事にならないのだから、何しろ焦る。口に出せないその一言が頭の中でぐるぐると渦を巻き、喫茶店で休んでいても入口のドアがカランコロンと鳴っただけで条件反射のように「いらっ…」と思わず口に出てしまう。寝言で叫んだとしても無理はない。深夜にあまりの大声で母親が心配して私を揺すり起こしたのだった。

つまり百貨店の「いらっしゃいませ」は、実は客のことなど全くお構いなしで、店員同士で客を奪い合う合図に過ぎなかったのだ。

きっと日本人はそんな大型店の対応に慣れてしまい、「いらっしゃいませ」はBGMのようにしか聞こえないのかもしれない。しかし、呼び込みの「ェラッシャィ」は無視しても、知人宅の「いらっしゃい」の出迎えを無視する人はいない。

私はその基準がドアではないかと思う。店でも家でも、ドアの内側は私的な空間として相手を尊重し、多少とも緊張感を持って挨拶を交わしたいと思うのだが…。

ドアが開く、ゲストを迎える。「(ようこそ私の店へ)いらっしゃいませ!」。これがまるっきり無視された瞬間の、私の落胆ぶり、「あなたのために役に立ちたい」という意欲が瞬時にどれほど減退してしまったか。ああ、きっとこの人は分かってはくれないんだな…。