倶樂部裏話 [11] どら焼き (2006.5.12)


私が、死ぬ前にどうしても食べたいものに挙げるほど、大好きなのが、宮ヶ崎・浅間通り「かWちや」のどらやき。今回はこのどらやき屋さんの話。
と言っても、私はこの店と個人的に親しいわけでもなく、ゆっくりとお話をしたこともないので、以下はすべて私の推測だということをまずお断りして、話を進めます。
Kawachiya

初めて食べたときにまだよちよち歩きだった上の娘の手を引いていましたから、今から15年ほど前でしょうか。私と同世代ぐらいのご夫婦二人でやられているので、それほどに古いお店ではなさそうで、もしかしたら脱サラでどらやき屋を始めたのかな、などと勝手に想像を巡らせていました。目の前で皮が焼けるのを待っていたら、無愛想なご主人が
「はい、これ、おまけ」と余った生地で作った焼きたてのミニミニどらやきを娘に渡してくれて、いたく嬉しく感じました。味は、というと、もう絶品、ほっぺたが落ちそうな美味で、こんだけうまくてでっかくてたったの100円、は感激の体験でした。

私の自転車通勤の通り道でもあり、閉店後の夜も遅くまで、また開店前の朝早くから、お店の前を通ると、シャッターはいつも半開きで、恐らくずっと餡や生地の仕込みをしているのでしょう。この店が評判にならないはずはなく、お客さんは増え続け、時にはかなりの行列ができるほどになって、私は長年のファンの一人として嬉しく眺めていたのです。
ところが、ある時、店先にこんなコメントが。
「ひとり五個までです」そうだよね、一日に作れる数が限られてるんだもん、一人で買い占められたら欲しい人が困るもんね、当然だよ。
それがです、そのうち、それに「並び直してもダメです」さらに「子供連れでもひとりです」と書き加えられていったのです。そしてなんと「車の中からは注文できません」とまで書かれるようになってきました。
「書いてあるってことは、こんなお客さんが実際にいるということなの?」私が驚いて奥さんに尋ねると「ええ、たまになんですけど、分かってもらえなくて…」と悲しそうな表情を浮かべました。
きっといくつかのいさかいが店先であったことが想像できます。自分だけ良ければと並び直す人、子供がいるから二人分いいわよねとゴネる人、車の中からお構いなしに叫ぶ人…、そのたびにこのご夫婦は、心ない客から「客が欲しいと言ってんだから、つべこべ言わずに売れよ。」と批判や罵声を浴びるのを覚悟の上で、これらを書かざるを得なかったに違いありません。

コンサルタントや学者さんだったらこう言うでしょう。値段を倍にすれば客数が半減しても売上は取れますよ。人を雇って設備も大きくして生産量を増やしてデパ地下にも進出しなさい。成長を目指す企業だったら当然そうしたでしょう。でもこのお店は、一個100円で焼きたての温かいどらやきを地元のお年寄りや子供たちにもひとつから気軽に食べてもらいたい、人も増やさずお金も掛けず、家族が暮らせるだけの売上で充分、という道を進むことを選択したのです。成長するだけが商売じゃない、細く長く続けるのもまた商売のひとつの姿です。こう言うと簡単ですが、繁盛を維持し続けながらそして奢ることなくその姿勢を守り続けるというのはなかなかできることではありません。それをこの店は実践しているのです。
先日はこんな光景にも当たりました。行列を前にして休みなく皮を焼いているご主人「ダメだ、失敗。やりなおし!」、焼き方に不満があったのでしょう、せっかく焼けた皮をサッとよけてしまいました。先頭に並んでいた人が「それ、いらないんだったら頂戴よ!」と言っても「ダメ」と言ったきり、ひたすらに作り直す。ようやく出来上がってまずその先頭のうるさい人が買っていなくなるやいなや、奥さんに「さっきのアレ、出してやって」と声を掛ける。奥さん、失敗した皮にバターをちょっと塗って行列の人に配り始める。ご主人「ずいぶんお待たせしてすいませんでした。おまけです。」とはにかむ。じっと待ってた人たち大喜び。あっぱれでした。

近頃は、お店で手作りと言いながらレンジで暖めているだけだったり、わざと席数を減らしたり入り口で待たせたりして意図的に行列ができるように仕向けていたり、個店のように見せかけておいて実は全国チェーンだったり、と、ウソっぽい仕掛けが見え見えのところが増えていて辟易するほどですが、このどらやき屋は正真正銘リアルなんです。子供が運動会だから、と、半日休みにしちゃうところなんか、大好きです。

なぜ裏話に書いたのか、というと、ここを開けられるのは当店のわずかなメンバーズだけで、不特定多数の人たちには読まれることがないから。リンク貼ったりしない下さいね、私もこれ以上行列を長くすることに加担するつもりはないのですから。
ぜひご賞味あれ。なんなら差し入れも歓迎します。(弥)

(追記)河内屋さんは2026年2月28日に店を閉めました。元気なうちに辞めたいというご主人の強い決意でした。閉店が新聞やテレビで報道されたため、最後の一ヶ月は長蛇の列でした。最終日は、今までのお礼です、と、行列のお客さんに、ひとりひとつづつ、無料で差し上げるという、彼らしい振る舞いですべての材料を使い果たしてシャッターを降ろしました。私が、最後の晩餐、にとしていたものがひとつ姿を消しました。(2026.3.27.記)