【倶樂部余話】 No.209 夜行バス朝湯付きの工場訪問 (2006.6.1)


 五月、明け方の山形・赤湯温泉のバス停。夜行バスが一時停車しそして立ち去る。そこには、ジャケットを着たチビで丸メガネの40代男性・野沢。そして、胸と背中と両手に大きなバッグを抱えたひげ面で長身のフランス人青年・ジロー。二人がぼんやりとたたずみ、顔を見合わす……
 まるでアマチュア・ロードムービーのファーストシーンのような光景。聞けば、彼は靴のゴム底材の営業で台湾、日本、韓国、とセールス行脚中、これから、この地の靴工場へ商談に向かうと言う。なんだ、私も同じ。じゃ一緒に行こう。でもまだ朝早いし…、と共同浴場で共に朝風呂を浸かり、コンビニのベンチに二人並んで朝食を取る。そこへ、気のいい果樹園の親父登場。乗せてってやるよー、の一声。ワゴンにちゃっかり同乗して、三人で田舎道をドライブ…… 何だかまだ映画のシーンみたいだった。

 二年振りの宮城興業へ。工場では地元の熟練者に混じって、若い人たちの姿が目立つ。全国からの研修生が十人近くに増え、昼は皆と一緒に仕事をし、夜は遅くまで思い思いに靴の勉強をしている。さながら、全寮制の職業訓練校といった雰囲気だ。地方の町村がどこも過疎と高齢化に悩む中で、この東北の小さな町は若年層の人口流入をかなえているわけで、彼らは地域にも新しい活気を吹き込んでくれることだろう。
 当店がいち早く取り扱いの名乗りを挙げたここの誂え靴のシステムはこの二年でさらに進化を果たし、この秋には遂にニューヨークの名店での扱いも決まった。日本だけでなく世界でもどこも真似のできない独自の境地を開拓しつつあり、ますますの勢いを感じる。
 ここと縁を持つことができ、当店が微力ながらも彼らの繁栄と成長の一助となっていることに自信と誇りを高めた。

 土地の手打ち蕎麦を堪能し、午後は福島市へ移動。七年前から当店のオーダースーツをお願いしている小さな工場を訪問。ここは生産のほとんどがオーダースーツの上着の縫製で、九州のデパートからの年配向け重厚なフラノのスーツの次に代官山のセレクトショップが受けたコットン一枚仕立てのペラペラ・ジャケットが続く、といったように、テーストも型紙も素材も仕様もすべて一着一着異なるオーダースーツを流れ作業の中で一日二百着、正確かつ短納期で製造する。これを可能にしているのが独自に開発したプログラム・ソフトで、逆説的な言い方だが、「人間は必ず間違いをする動物である」という前提から、何重にもチェックを掛けて完璧を期している。
 昨年訪れた岩手のスーツ工場では人間の感や熟練という職人的な秘技をラインの中に当たり前に組み入れていることに驚きを感じたが、ここにはまたもうひとつ別の感動があった。どちらに優劣があるというのではなく、同じスーツ工場でもいろんな特色があるものだと思い知る。
 注文通りの間違いない仕上がり、というのは客にすれば当然のことのように考えてしまうが、実はそれは高い技術を要する人間の知恵の賜物なのだ。

 今回の出張で知ったのは、この靴とスーツの二つの工場が知り合いだったということと、双方とも取引先や親会社の倒産から一度は閉鎖の危機を迎えながらもそれを乗り越えてきた、という事実。生産の海外移転が進み、国内製造業の空洞化が深刻化する中で、生き残ってきた工場というのは、やはりそれだけの価値と意味があるものだ。
 我々商店の最大の弱点は、自分ではものを作ることができない、ということ。いいものを売りたかったら誰かに作ってもらうしかない。その製造拠点は、どこでもできる、代わりはいくらでもある、というものでは決してないのである。
 たった一日だけの強行日程であったが、とても有意義な二工場への訪問だった。(弥)


注)上記後半部に記しました福島の縫製工場との契約は2007年12月にて休止しました。