【倶樂部余話】 No.270 スーパークールビズって何じゃらほい? (2011.5.22)


 近所の学生服店の看板には「服装の乱れは心の赤信号」とあります。また、人は見掛けによらない、ともよく言われます。そう、見掛けってとても大切です。沖縄の人がかりゆしを仕事着にできるのは、その見掛けが伝統文化のアピールになるから、であって、単に涼しいから着ているわけではないのですよね。
 何を言いたいか、もうお分かりでしょう。クールビズです。前後一カ月ずつの期間延長で五月から十月までの半年間ですって。十月なんてもう冬物商戦真っ盛りだというのにまだ残暑気分を引っ張れというのでしょうか。まあ、今年の特殊事情を考えればそれもある程度は仕方ないとしても、呆れ果てたのは環境省が言い出した「スーパー・クールビズ」であります。アロハもTシャツもジーンズもサンダルも「何でもあり」なんて、これはもう話題作りだけの愚挙としか思えません。「装う」という文化を一体何だとお考えなのか。
 こう言うと、じゃ君は節電に協力しないのか、とお叱りを受けそうですが、そうじゃないんです。例えば勤務の曜日や時間帯をずらす施策は直接に電力需要を左右するのに対して、ネクタイを外しても短パンを履いても、そのこと自体は何も電力のセーブにはつながらないのですよ。クールビズとは「微弱冷房下でも快適に過ごせるように職場のルールを甘くしましょう」という間接的な啓蒙なんですが、悲しいかなそこがニッポン、一度決めたら「右へ倣え」なんですね。で、本来はネクタイを「してもしなくてもいい」なのが、あっけなく「ネクタイはダメ」になってしまうのですね。
 かつて自由と解放の象徴だったTシャツにジーンズがクールビズでOKになり、逆に管理社会のシンボルのようなネクタイはご法度とは。この夏はネクタイを締めることのできる人こそが自由な精神の持ち主のように見えてしまうのかもしれませんね。 (弥)