倶樂部余話【五十一】しっかりしてよ、百貨店。(一九九三年五月十八日)


巷では「紳士服価格論争」なるものが話題です。

先日もそれに関連してある地元テレビ局の報道部から私に「いい背広を簡単に見分ける方法を教えて下さい。」という電話が入りました。以下はその時の返答です。

それが簡単に見分けられないから、お客様は私たちを必要としているのです。また「いい背広」と言うのには、単に出来が良いということ以外に、お客様個人個人の職業や地位、趣味嗜好などの価値観に相応しいかどうかという要素がかなり含まれているのですから、ことさらに、素材や縫製などの製造面だけを見て、背広をワープロやカメラと同じような工業製品として扱うことは、あまり意味をなさないことではないでしょうか。

極端な例かもしれませんが、街角の自動販売機で買う百十円のコーラと一流ホテルのラウンジで頼む千五百円のコーラ、中身はどちらも同じなのに、私たちは両方ともを使い分けて利用しますし、その値段の差を当然のものとして大した疑問も感じません。

一流ホテルを引き合いに出すのは大変おこがましいことですが、それでも、私たちは洋服に工業製品以上の高い価値を付随させて販売をしています。つまり物販業でありながらサービス業的な要素を強く見るか、逆に全く無視するかで、一着の背広の意味は大きく変わってくるはずです。

ただ、今言えるのは、今はバブル時代の反動もあって「安く上げる」ということがひとつのトレンド(はやり)になっているのは確かなことです。「洋服の青山」は今一番のトレンディ・ショップです。「この背広、青山で五千円だけど、なかなかイイでしょ。」と堂々と会話ができるのもそれがトレンドだからです。

この「安く上げる」姿勢が一般的に根付くこと自体は大変良いことだと思います。そして「安価廉売で買う」だけが「安く上げる」ことのすべてではないということにもお客様は早晩気が付くはずです。一例を挙げさせていただければ、私たちの謳う「英国気質」こそ「安く上げる」思想の何よりのお手本ではないかとも思うのです。

 

※このとき、九月に横浜そごうでのアイルランド展に参加することが決まった。それは当店にとってその後の大きな転機となる。