【倶樂部余話】 No.320  Tシャツ考 (2015.5.22)


 大瀧詠一の追悼特集だったか、ラジオから「Tシャツに口紅」(唄ラッツ&スター・1983年)が…。改めて聴くと「あれ、このタイトル、作詞の松本隆はコニ―・フランシスの「カラーに口紅」(1959年)を意識したのかな」と気になってきました。このカラーはcollar、つまりシャツの衿のことです。
 衿があるのがポロシャツ、ないのがTシャツ。違いはそれだけのはずですが、服としての出自は随分と異なります。英国紳士のスポーツ、例えばゴルフ、テニス、クリケット、ポロ、ホッケー、ラグビー、これらに着用されるのがポロシャツです。対してTシャツには、アメリカ、下着、労働者、メッセージ、などといったキーワードが挙がります。価格のイメージとしても、1万円のポロシャツは売れるが1万円のTシャツは売りにくいのではないか。
 と、こんな話を妻にしたら「それは男の偏見じゃないの。私は衿のあるのが大の苦手だからTシャツが好み。価格感覚にも違いは全くなし。ただ、衿があるかないか、それだけよ」とあっさり否定されました。そうか歴史からくる先入観に固まっていたのかもしれないな。
 思えば、無地のTシャツほど工夫の施し甲斐があるアイテムもありません。Vネック、ヘンリーネック、ボートネックなどの首元の変化、フットボールTのような切り替えの妙や吊り編みの丸胴、ポケットの有無や形状、ステッチワーク、綿百以外にも麻やレーヨンやポリを混ぜたり、さらにプリントや柄物など、これほどバリエーションを楽しめるのは、ポロシャツではなくてTシャツの方でした。
 そんな反省も込めて今年は例年よりもTシャツを増やしてみました。今まで一段低く見ていて、ごめんねTシャツ。(弥)

【倶樂部余話】 No.319  家康と英国と静岡 (2015.4.24)


 今年は静岡市内のあちこちで「徳川家康公顕彰四百年祭」ののぼりやポスター、看板を目にします。家康公が亡くなって四百年、この四月一七日がまさにその四百回忌の命日でしたので、たまにはこんな小話などを。
 日本を最初に訪れた英国人はウイリアム・アダムス(日本名を三浦按針)だと言われています。秀吉の家臣として大坂にいた家康は初めてこの英国人と会い、彼のことをいたく気に入って、その後江戸幕府の外交顧問として重用しました。当時の英国は通商でオランダに後れを取っていたので、アダムスは英国に早く使節団をよこして欲しいと依頼、遂に一六一三年、東インド会社のジョン・セーリスが英国王ジェームス一世の親書を携えて平戸に着いたのでした。
 セーリスは家康に会いに行きます。家康が将軍を退き大御所として政を執っていた当時の駿府は人口12万人と江戸、大坂と並ぶ世界有数の大都市で、事実上まさに日本の首都としての機能を果たしていました。セーリスは駿府城で家康と謁見、仲を取り持つ通訳はアダムスです。互いに貢ぎ物(鎧兜と望遠鏡)を交換、詔書をかわし、家康は英国に通商を許可する朱印状を与えて、ここに日英通商が始まることになったのです。この御朱印状、今も東京の英国大使館に複製が掲げられているんだそうです。
 何の因果か静岡のしかも徳川の屋敷跡を臨む場所で英国気質を標榜する店をやっている者としては、四百年前にこの地で繰り広げられたこの小さな史実に何とはなく思いを馳せてしまうのであります。(弥)  

【倶樂部余話】 No.318  ラジコと砂ワカメ (2015.4.1)


 ラジコ・プレミアム。これはものすごい快挙だと思います。首都圏の人には信じてもらえないかもしれませんが、静岡県は民放ラジオがAMとFM各一局のたった2局しかないというラジオ最貧県で、ずいぶんさみしい思いをしてきました。音楽番組もスポーツ中継もニュースも深夜放送も、聞きたいものが選べない。それが、ラジコのおかげで全国のほとんどのラジオが聞けるようになったので、選択肢が無限大のごとくに拡がりました。ラジオでの首都圏と地方との情報格差はテレビ以上に大きな開きがあったのですが、ラジコはその格差を一気に解消した便利ツールなのです。
 対して砂ワカメ。先日知人からもらったのですが、これが驚くほどうまい。御前崎あたりで三月に採れた新鮮なワカメを滋味を閉じ込めるために大量の砂をまぶして保存するもので、春の風物詩のひとつらしいのですが、静岡の人でも知らない人が多いかなりマイナーな特産品です。地元のスーパーでもほとんど見かけないのは、安すぎる価格と砂まみれという厄介さのせいなんでしょう、つまり売るにはあまりにも不便なわけです。売ってないのだからいくらお金があっても買えない、まさに真の地域限定品ということになります。
 格差をなくす便利さもありがたいし、不便さゆえの格差を楽しめるのもまたうれしい。春の始まりにそんなことを考えました。(弥)

【倶樂部余話】 No.317  覆面レスラーに仮面舞踏会 (2015.3.1)


 「覆面」とグーグルに入れるとパトカー、調査…と予測します。「仮面」と打つとライダー、女子…と続きます。覆面も仮面も自分には無関係と思っているでしょうが、これ、どちらも英語では「マスク」なんです。
 「日本人はみんなマスクして歩いてるんだよな」という英国人との会話を聞いていた外国のご婦人は、もしかしたらデストロイヤーやオペラ座の怪人のような顔で街を歩いている群衆を想像してしまうのかもしれません。
 それにしてもマスクをしている人が増えました。伊達マスクの人も相当数いるようです。マスク自体も年々大きくなったり立体的になっていて、ますます誰が誰だかわからない、匿名性が強くなってきている気がします。

 マナーとかルールとかについて言うのはとても難しいことで、そして携帯電話のように新種の事項に関しては普及するにつれてそのマナーも変わっていきます。マスクもまさにそうでしょう。でも、少なくとも、覆面的要素という観点からは、帽子やサングラスと同じぐらいのマナーがあってもいいんじゃないか、と思うのです。人の家や会社を訪れる時、帽子やサングラスをどう扱うのか、そこにはあなたなりのマナーやルールがあるはずです。ややこしいのは、マスクは医療用具、だから誰のためにしているか、ということが曖昧です。自分の風邪を拡げないようにこれはあなたのためにしているんですよ、と言われたら、何も言えなくなってしまいます。

 実は私も花粉症持ちですので、外出時にはマスクは必需品です。自店内では外していますが、誰もいないときには症状はおさまっていても、お客様が見えたとたんに、お客様の衣服に付いた花粉が持ち込まれるので、急に目と鼻が反応し始めてしまうという皮肉な事態が起きます。そんなことですので、マスクの持つ効能については充分に承知しているつもりです。

 マスクをしている方には、少し意識してくれたらいいなぁと思うのです。マスクは覆面、仮面、と同じなんだと。あなたは誰なの、どんな表情をしているの、と読み取ろうとしている店の者にとって、マスクは大きすぎる壁なんです。(弥)  

【倶樂部余話】 No.316 戦場の上を飛ぶという経験 (2015.2.1)


 毎年この時期の余話は、店を五日間留守にしてのダブリン出張の話。行ってきます。
 日本とアイルランドには直行便がないので、どこかで乗り継ぐ必要がある。過去20数回、欧州のいろんな都市を経由したが、昨年からのお気に入りがイスタンブール。アジア大陸横断の12時間とヨーロッパ大陸東西の両端4時間のフライトをつなぐダイナミックな乗継だが、ここは、ウクライナ、ギリシャ、そしてIS(アイシル)、と、紛糾地域の三角形の中心に位置しているのだ。
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 実は、往路、私は戦場の真上を飛行していたらしい。座席前の飛行マップの画面にはウクライナ東部を南下する当機の姿。紛争地帯だから当然ここは避けて通るものと思っていたので少々驚く。深夜ゆえ下界の様子は見えなかったが、まさか今まさに当機にミサイルの照準が当てられているのでは、と思ったら、瞬間背筋が震えた。
 ダブリン空港での入国審査でも異様な光景が見られる。当機の乗客の大半がアラブ人だからだろう、やたらに時間の掛かること。四人の小児を連れた出稼ぎ移民と思しき黒装束の年配女性や自爆テロ要員にも疑われそうな孤独な少年が、泣きそうな表情で別室へ連れられるのを目撃した。
 到着後はまず急いで市内の名店クレオを訪問。昨秋天に召されたアランセーターの恩人の一人キティ・ジョイスに弔意を届ける。
 さあそこからがメインの仕事。大展示会を二日半掛けて十数社との商談に駆け回る。特に昨年度に壊滅的な欠品を招いたセーター類の再構築が今回の最大の課題だったが、狙いを付けた数社に熱意を伝えてどうにか直談判に成功。まだ詳しく言えないのだが、うまくいけば世界のどこにもない当店独自のユニークな品揃えがこの秋は実現できるだろう。もちろんアランセーターの打ち合わせもしっかりと。その他ケープやツイード、陶器などの既定路線もおおむね順調、さらに新たなコートの仕入先も発掘できた。
 途中でISが日本人二人を人質に取ったとのニュースが会場に伝わり、アイルランドのみんなが心配してくれる。何人かとの議論では、そういう場合は身代金要求は無視し捕虜交換には応じる、というのがどうも欧州の見解らしい。IRAの記憶が残るアイルランド人の意見には説得力がある。
 帰路、長すぎる乗り継ぎ時間の合間にイスタンブール一の繁華街を急ぎ足で散策。路地裏に拡がる食堂街やバザール、猥雑な雰囲気に街の活気を感じ、一瞬だけ旅人の気分になれた。
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 帰国便、今度はウクライナ上空を飛ばず。この一週間で紛争が激化したからだろうか、それとも単に風向きなのか。おかげで安心して眠れ、無事帰国しました。ただいま。(弥)

【倶樂部余話】 No.315  天野浩名大教授のウエストポーチに関する若干の考察(2014.12.24)


 ノーベル物理学賞受賞式のニュース、天野浩名大教授の姿を見て驚きました。
 スーツスタイルに橙色のウェストポーチ。初めて見た時は怒りを覚えました。これは装いに対する冒とくだよ、これが日本人の服装感覚なのかと国際的に疑われてしまうじゃないか、と感じたのです。ところが三日ほど経って、彼が長年これを自分のスタイルとして貫き続けていてすでにその姿が周囲にも定着していると聞くに及び、彼に限ってはそれもアリなのかな、と思えるように気持ちが緩やかに変化してきたのです。
 かつて英国のプリンス、ウインザー公は、泥道でトラウザーズが汚れるのがいやでその裾口を折り返してしまいました。これが裾ダブルの始まりだと言われています。そのほか、紺のスーツに茶色の靴を合わせることも、フェアアイルのセーターをツイードのジャケットの中に着ることも、みんなウインザー公がアリにしてしまったものです。このように、ファッションのおきて破りは、それを犯す人によって○か×かが分かれます。だから、もしスーツにウェストポーチを例えばラルフ・ローレンやポール・スミスがやったら、即OKが出るでしょう。天野教授も今回のノーベル賞で著名人の仲間入りを果たしたわけですから、これはアリでもいいのだろうかと思い至ったのです。
 いやいやとんでもない、そうではなかった。帰国後の教授の記者会見を見てまた驚きました。シャツの袖から白い下着が5㎝もはみ出しているではありませんか。なーんだこの人何の頓着もないだけの人だったのか。見方が甘かったな。(弥)

【倶樂部余話】 No.314  それ、自分で言っちゃダメでしょ (2014.12.1)


 かつて「紳士服の名門・○○屋」と宣伝に謳っていた地元の同業者がいました。とうの昔にすでに廃業しましたが、当時から私はこの表現に違和感を覚えていました。自分で自分のことを名門と名乗ることに恥ずかしさを感じないのだろうか、「名門」かどうかはまわりが評価するものだろう、と。
 「うちは創業百余年の老舗で…」という表現も変ですよね。確かに百年続いたのは事実としても、だからって自分のほうから老舗だとのたまうもんじゃない。老舗というのは他人から敬意を込めて呼ばれる尊称だと思うのです。
 「当家は鎌倉時代から続く名家でして」。同じくこれもおかしいです。名家を自称するような鼻高々なお家の方を私は名家とは呼びたくないです。
 こういう文言は人から言われて謙遜しているのが美徳であって、自分から言ったらとたんに不遜な発言に映ります。何でこんなことを思い出したかというと「アベノミクス」です。安倍首相は今回の衆議院解散を自ら「アベノミクス解散」と命名しました。これ自画自賛じゃないでしょうか。語源となったレーガノミクスはもともと記者がジョークで付けたものでレーガン大統領が自ら言いふらしたものではなかったはずです。他に解散理由の言いようがない苦し紛れとはいうものの、我こそは名宰相なり、の過剰な自意識が垣間見えてしまうのは私だけでしょうか。
 それにしても困ったのは、この急激な円安。コツコツ貯めてきた利益の元があっという間に吹っ飛んでしまいました。円安は景気を良くしない、円安を止めよう、と言ってくれるところに一票を投じるぞ、と思っています。(弥)

【倶樂部余話】 No.313 北海油田に屈しました(2014.11.1)


 朝ドラ「マッサン」が目標にするスコッチウィスキー。それは、原料、製法、風土、どれもが代わりのきかないスコットランド独特のモノです。我々の世界で代わりのきかないスコットランド物といえばその一つにシェットランド島で編まれるエベレストのセーターが挙げられます。ピュアシェットランドシープの柔らかな産毛、縫い目のない独特な細身の丸胴編み、1953年のエベレスト初登頂に用いられたことからその名が付いて以来70年、ずっと変わらずに作り続けられていた無地のセーターです。
 そのエベレストからもう生産ができないとの連絡が入りました。昨冬に第303話で触れたとおり、原因は北海油田。編み立てのできる熟練のおばちゃんたちを油田関係の仕事に取られてしまいました。現オーナーのノーマンとイブリンのリースク夫妻には私はダブリンで何度か会ったことがあり「そりゃ売れる時もありゃ売れない時もあったさ。同じものを70年も続けられたのは、小さな島ゆえに競争や淘汰から免れてこれたからだろう。幸運だよ」と語っていましたが、今回の事態は皮肉にも小さい島ゆえに起こった不幸です。日本からの多くの注文も宙に浮いたままでの休業で、決して売り上げ不振で閉めるわけではない、それが残念でなりません。
 今までも、そしてこれからも、世界のあちこちで様々な伝統的ロングセラーがこうして消えていくのでしょう。それにいちいち感傷的になっていてはやってはいけない、それはよく分かります。しかし今回はあまりに身近であったためちょっとショックなのでした。(弥)
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【倶樂部余話】 No.312 スコットランド独立の住民投票に思う(2014.10.1)


 セーターの産地として名高いスコットランドのホーウィック。あるファクトリーの販売担当をしているアーサーにアイルランド・ダブリンの展示会で出会ったのはこの一月。タータンキルトの伝統衣装に身を包んだバリバリ生粋のスコッツマンに映りました。私とは初めての取引となった商談も無事に進み、雑談になりました。

私「ホーウィックは僕も訪れたことがある。ハギスのうまい美しい田舎町だよね。かつてはたくさんあったセーターのファクトリーも今は廃業したり買収されたりで、いろいろと大変らしいね」
アーサー「今のうちのファクトリーのオーナーはインド系の人なんだが、そういった外資のおかげでスコットランドのセーターが続けられるんだから、ありがたいことなんだよ」
私「そうなんだ。おや、君のところのラベルはMade in Great Britainかい…。スコットランド人なら誇らしげにMade in Scotlandって謳いたいもんじゃないのか?」
ア「だって分りやすいほうがいいだろ」
私「しかしスコットランドは独立したいって言ってるんだろ。確か秋には住民投票があるって聞いてるけど…」
ア「ああ、だけど誰も本気で独立できるなんて思っちゃいないよ」
私「でもそのいでたちの君だから、当然君は独立にyesなんだよね?」
ア「いや僕はnoだ。今更独立したってメリットはないよ」
私「へぇ、ちょっと意外だな」
ア「(自分の胸と頭を交互に指して)此の地アイルランドの人は心が熱いと頭まで熱くなっちまうだろ。でも、同じケルト人でもスコットランドの人間は心は熱くても頭は冷静なんだよ。300年前からずっとそうなんだ」

 さて、投票の様子は知ってのとおり。僅差でnoが上回ったという結果は、恐らくスコットランドにとって、この上ない最高の大勝利をもたらしました。UK(連合王国=英国政府)も、かなりの譲歩を余儀なくされましたが、何とか顔をつぶされずに済みました。仮にもしyesが勝ってしまっていたら、今度は逆にスコットランドがUKにペコペコ頭を下げなければいけない事態になっていたでしょう。それから今回の結果は将来必ずやってくる北アイルランドがUKから離脱するのか帰属するのかの決断への道のりを確実に一歩進めました。
 さすがブレーブハートなスコットランド、あっぱれです。今度アーサーに会ったら極上のスコッチで祝杯を挙げてやりましょう。(弥)  
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【倶樂部余話】 No.311 フィナンシャル・ストライプ (2014.8.28)


 作ってしまいました「フィナンシャル・ストライプ」のスーツ生地です。
 「ロンドンの金融街シティを闊歩するビジネスマンたち。彼らがこぞって小脇に抱えているサーモンピンクの新聞、それがフィナンシャル・タイムズ(FT)である。中には、あたかもFTとコーディネートをするかのごとく、サーモンピンクを差し色にしたストライプのスーツを着ている者までいるという。そんなスーツの柄を人はいつしかフィナンシャル・ストライプと呼ぶようになった」
 面白い話なのでずっと気になっていたのですが、誰から聞いたのかも思い出せず、調べてみてもこれという確証がありません。もしかしたら、ロンドンの地下鉄の入り口には傘巻き屋がいるらしい、というのと同じ類の都市伝説なのかもしれません。
 英国人は意外に紺のスーツを着ません。ましてやシティの人々ですからまずベースは黒に近いチャコールグレーでしょう。そこにサーモンピンクのストライプ。これを数多くの英国生地の見本帳から探してみましたが、あるのは紺地にパープル系ピンクの差し色ばかりなのです。
 あり物で見つからないなら、作るしかない。こんな無理を聞いてくれるのは葛利毛織だけで、早速四月に一宮へ駆け込みました。スーパー120のふわりとした霜降りチャコールにFTを再現したサーモンピンク、葛利ならではのスローなションヘル織機によるビンテージな味わい。理想的なフィナンシャル・ストライプが織り上がり、いよいよ販売開始となります。(弥)

※Financial Times は、英国ではファイナンシャル・タイムズと発音しますが、日本では、同紙と提携している日本経済新聞をはじめとして、もっぱらフィナンシャル・タイムズと呼ばれているのが常ですので、ここでは日本の慣例に倣いました。

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