【倶樂部余話】 No.207(2006.4.12) 真実の瞬間


 サービスや顧客満足などに関する用語に「真実の瞬間」(Moments of Truth)という有名な言葉があります。二十年も前に北欧のある航空会社の社長が唱えた言葉で、大変粗っぽく要約すると「顧客は接遇を受ける最初の十五秒でその企業の善し悪しを判断する。それこそが真実の瞬間であり、だからその短い十五秒で最大の顧客満足を与えられるように努めなさい。」という意味で、今では略してMOTと呼ばれるほど古典的なマーケティング用語となっています。
 最初のたった十五秒で店のいい悪いが決められてしまうのですから、ちゃんとした教育を受けた店員であれば(おこがましくも、私たちもその中に入れさせていただきますが)、何気なさそうに「いらっしゃいませ」とお客様を出迎えている最初の十五秒の間に、(このお客様にはどういう接客をすれば最も喜んでもらえるのだろうか。)を考え、そのため同時に(お馴染みさんか一見客か、年齢層は、服装の好みはどうか、急いでいるのかゆっくりしたいのか、目的はあるのか冷やかしなのか、愛想はいいか無愛想か、店員と目を合わせるかそらしたままか、気取り屋さんカッコつけ屋さんか否か)などなど、実は思考回路をフル回転させて入店客を観察しているものなのです。だから、目深に帽子をかぶって濃いサングラスおまけにマスク、といった表情が全く読みとれないお客様だと、私たちは大変苦慮するのです。
 時としてこの十五秒がうまくいかないことがあります。例えば、目の合う寸前に電話が鳴ってしまう、見送り客と入店客がかぶってしまう、十五秒経たぬうちに次の入店客が続いてしまう、どうしても手が離せない作業の真っ最中でおかしな姿勢でお迎えしてしまう、など、俗に言う「間が悪い」という事態です。こういうときは間が悪かったことが真実の瞬間なのですから、信頼の修復はかなり困難で、接客は失敗に終わることが多くなります。
 言えることは、たった十五秒で店が判断されてしまうのと同じくらいに、店も十五秒で客を判断しがちだということです。「真実の瞬間」はいいサービスをするためのキーワードですから店の側はかなり意識をしていますが、逆にお客様がこれを積極的に意識してみたらどうなるでしょう。今度はこれがいいサービスを受ける極意になると思うのです。他の人と接遇がダブりそうになったら少し待って間を空ける、とか、どんなときでも穏やかな表情で目を合わせる、とか、一瞬でも帽子やサングラスは外す、とか、始めぐらいはちゃんと敬語を使う、とか、ちょっとだけ同伴者とのおしゃべりを中断する、とか、最初の十五秒だけでいいんです、それだけであなたはいいサービスを受けやすくなるのですから、意識して決して損なことではないと思うのです。当店でも(この人、うまい客だなぁ)と思わせるお客様は、概して「真実の瞬間」が自然のこととして身についていらっしゃる方のように感じます。
 さて、近頃私たちを悩ますのが、花粉用の大きな立体マスク。鼻と口を大きく隠し、しかもあのカラス天狗のような形状はどんな人の顔もむっつりと無表情にしてしまいがちです。花粉防止の効果は抜群なんでしょうが、私たちには花粉以上に大敵なんですね。まさか「ちょっとはずして下さい」とも頼めないし……。(弥)

【倶樂部余話】 No.206(2006.3.4) ないモノ売り


仕入れて売る、というのが普通の商店ですが、当店では、売ってから仕入れる、つまり「ないモノ売り」の比率が年間売上の四分の一を占めます。
 スーツ、ジャケット、シャツ、シューズ、の「誂えモノ」には、日々何かしらのご注文が入りますし、セーターやコートなどの次冬物の長期予約、限定受注の陶器、と、当店の「ないモノ売り」はかなり日常的です。
 目の前にモノがないので、その接客風景は、物販というよりもむしろ、医院の診察室か旅行業者のカウンターあたりに近いものがあります。「ないモノ売り」は売り逃しがないのだから「あるモノ売り」よりも楽なんじゃないの、と言う方もいますが、決してそんなことはありません。まず受注の材料を揃える下準備と受注したあとの事後処理には相当の時間と手間が掛かりますし、ないモノをわざわざ買おうと決断してくれるお客様の購買意思決定のハードルは「あるモノ買い」よりも数段高いので、「この店なら、ないモノを頼んでも大丈夫に違いない」と思っていただけるだけの信頼を勝ち得ていなければお話になりません。何より、仕上がって届いたモノに間違いがあっては許されませんから、発注と検品には慎重にも慎重を要します。私は、「あるモノ売り」だけの方がよっぽど楽な商売だと思います。
 でも「ないモノ売り」には楽しさもたくさんあります。眼前のモノを「コレください」「はいどうぞ」とはいかない売り方ですから、お客様との対話は否応なく存分に楽しめますし、その人だけのためのモノが待ちに待った末に仕上がったときのお客様の喜ぶ笑顔は格別のものがあるんですね。「ないモノ売り」は間違いなく当店のウリなんだと思います。(弥)

【倶樂部余話】 No.205 海外出張報告 (2006.2.2)


恒例一月の海外出張の帰国報告を簡単に。

●十一回目のダブリン(アイルランド)は毎年同じ時期に同じ場所へ行くので、定点観測の如しです。土地の価格は相変わらず上昇の一途のようで、今まさにバブルの絶頂期という感じがします。日本よりもずっと長い期間を堪え忍んできたアイリッシュたちは、ここぞとばかりに好景気を謳歌していますが、一足早くバブル崩壊後の怖さを知る我々には、少々危ういものも感じざるを得ません。
 仕事としては、ヘンリー・ホワイト、ジミー・ホリハン、フィッシャーマン、マッキントッシュ・オブ・アイルランド、オニール、ニコラス・モス、クレオ、そしてアランセーター、と常連のアイルランドのサプライヤーの他、スコットランドからやって来ていたエベレストやジェイミソン、また新たにイングランドの帽子メーカー・オルネイ、と二日半の間に多くの商談をこなしました。
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ニコラス・モス30周年限定モデル。5月に予約を受け付けます。

●わずか1ユーロという激安航空券(空港利用料などの付帯費用を含めても三千円以下!)でエジンバラ(スコットランド)へ渡り、さらにバスに揺られること南へ二時間、田舎町ホーウィックへ。イングランドとスコットランドの国境に位置することからボーダーズ地方と呼ばれるこの一帯は、
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わずか1ユーロのフライトはシートは自由席で、タラップまでケチる?

小川と丘陵に羊が群れるのどかなところで、ゴルフが羊飼いの暇つぶしから生まれたということを実感できる風景がバスの車窓に延々と拡がります。
 英国のカシミアセーターの約九割はこのホーウィックで作られていて、この町はまさにニットの町。二十以上のニット工場が町中に点在していますが、近年は中国製に押され衰退気味で、有名ブランドの工場の閉鎖が相次いでいます。グレンマック、マックジョージ、ブレイモアの三つは同じ経営グループのバリーの工場に統合されましたし、プリングルは大幅に規模を縮小、N・ピールも閉鎖、そして昨年秋にはジョン・レインとダグラスのふたつが操業を停止しました。
 しかし、創業百三十年のウィリアム・ロッキーの小さな工場(従業員百十人)を訪れ、話を聞くうちに、どっこいこの町の彼らは生き延びる術をちゃんと分かっているな、と少し嬉しく思いました。どこかがどこかを出し抜くという発想はなく、資源や人材を互いに融通しあいながらこの小さな町全体を共存共栄させていこうというコミュニティ意識の強さが感じられます。
 工場もつぶさに見学させてもらいました。同じ糸と同じ機械を使えば世界中どこで作っても同じセーターができる、と思ったら大間違いなんですね。もちろんこの工場にもコンピューター制御の日本製最新鋭の編み機が何台も導入されていますが、サンプルづくりは未だに昔ながらの古い編み機で行ってました。
  この古い編み機でのサンプルを新しい機械での本生産に置き換える作業に、長年の経験値が役立っているのです。また、どんなに機械化が進んでも最後にセーターのカタチに形成するリンキング(縫合)作業は人の手によるものですが、この段階でこの町の女性たちに代々引き継がれている熟練技がモノを言うのです。
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リンキングは熟練技の見せどころ

なかんずく、何よりの違いは、水でしょう。すぐ近くを流れるテビオット川は極度の軟水で、私も手を洗ったときにほんの少しの石鹸を付けただけで凄い泡立ちをしたのには驚きました。この水が「ツボミの状態で出荷される(着込んだときに花開く)セーター」を生むんですね。風土、歴史、伝統、経験、これらがホーウィックのセーターの宝なのだと、この目で確かめることができたのは、大変有意義でした。
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町の中心を流れるテビオット川 

●旅の最後はグラスゴーへ移動。産業革命に繁栄した街は、今また芸術創作の都市として魅力に溢れていました。昼は、この街が産んだ偉大な芸術家チャールズ・レニー・マッキントッシュの足跡をたどり、彼の建築やデザインを堪能。夜はと言えば、「ケルティック・コネクション」というグラスゴー名物の音楽祭がちょうどこの時期に開催されていて、方々でケルト音楽のライブをハシゴして回りました。本場モノのギリー・シューズ(スコットランドの伝統的民族靴でウィングチップの原型になったもの)も手に入れることができましたし、短くも楽しいホリディでした。
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古い教会跡を使ってのアコースティック・ライブ

●今回の缶詰ですか。スコットランドのシチューやスープの缶詰をまたまた買い込んで帰りました。(弥)

【倶樂部余話】 No.204(2006.1.1) 追い風に注意


 謹んで新年のお慶びを申し上げます。
 「追い風は早く進むが舵がふらつき不安定になる。むしろ向かい風の方が歩みは遅くとも安定した舵が取れるものだ」と、向かい風の時代に自らを鼓舞するつもりで当報に書いたのは八年前のことでした。
 そして、ようやく昨年あたりから風向きは確実に変わって、どうやらメンズ服飾業界には追い風が吹き始めたようです。その風を享受できるこのときまで淘汰を受けることなく生き残れたことはとても嬉しく感じていますが、そう手放しに喜んでばかりもいられないことでしょう。
 まず、追い風市場には参入者が群がりますから、競争は激しくなるはずです。が、うちの店、他と競い合うようなスタイルの商売は決して得手とは言えないのです。「うちはうち、人の店のことには口を挟まないから、その代わり、うちの店のこともとやかく言わないで」という姿勢をどこまで貫くことができるでしょうか。それから、追い風になると客層が拡大し、店に対する期待度がより高くなってくるので、その期待を失望させないだけの多様な品揃えが必要になりますが、ここで軸がぶれないようにしっかりと舵取りをしなければなりません。
 何よりも、追い風の時に留意すべきは、慢心でしょう。風のおかげを自分の力量と勘違いしてしまう過信です。そして「これでいいんだ」と納得してしまうと、常に新しい商品を探し続ける姿勢も怠慢になりがちとなるので、これにも要注意です。
 おごらず謙虚に、しかし攻めることを忘れずに、この追い風を自らの帆いっぱいに受け入れて進みたいと思います。
 本年もどうぞごひいきにお願いいたします。(弥)