【倶樂部余話】 No.205 海外出張報告 (2006.2.2)


恒例一月の海外出張の帰国報告を簡単に。

●十一回目のダブリン(アイルランド)は毎年同じ時期に同じ場所へ行くので、定点観測の如しです。土地の価格は相変わらず上昇の一途のようで、今まさにバブルの絶頂期という感じがします。日本よりもずっと長い期間を堪え忍んできたアイリッシュたちは、ここぞとばかりに好景気を謳歌していますが、一足早くバブル崩壊後の怖さを知る我々には、少々危ういものも感じざるを得ません。
 仕事としては、ヘンリー・ホワイト、ジミー・ホリハン、フィッシャーマン、マッキントッシュ・オブ・アイルランド、オニール、ニコラス・モス、クレオ、そしてアランセーター、と常連のアイルランドのサプライヤーの他、スコットランドからやって来ていたエベレストやジェイミソン、また新たにイングランドの帽子メーカー・オルネイ、と二日半の間に多くの商談をこなしました。
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ニコラス・モス30周年限定モデル。5月に予約を受け付けます。

●わずか1ユーロという激安航空券(空港利用料などの付帯費用を含めても三千円以下!)でエジンバラ(スコットランド)へ渡り、さらにバスに揺られること南へ二時間、田舎町ホーウィックへ。イングランドとスコットランドの国境に位置することからボーダーズ地方と呼ばれるこの一帯は、
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わずか1ユーロのフライトはシートは自由席で、タラップまでケチる?

小川と丘陵に羊が群れるのどかなところで、ゴルフが羊飼いの暇つぶしから生まれたということを実感できる風景がバスの車窓に延々と拡がります。
 英国のカシミアセーターの約九割はこのホーウィックで作られていて、この町はまさにニットの町。二十以上のニット工場が町中に点在していますが、近年は中国製に押され衰退気味で、有名ブランドの工場の閉鎖が相次いでいます。グレンマック、マックジョージ、ブレイモアの三つは同じ経営グループのバリーの工場に統合されましたし、プリングルは大幅に規模を縮小、N・ピールも閉鎖、そして昨年秋にはジョン・レインとダグラスのふたつが操業を停止しました。
 しかし、創業百三十年のウィリアム・ロッキーの小さな工場(従業員百十人)を訪れ、話を聞くうちに、どっこいこの町の彼らは生き延びる術をちゃんと分かっているな、と少し嬉しく思いました。どこかがどこかを出し抜くという発想はなく、資源や人材を互いに融通しあいながらこの小さな町全体を共存共栄させていこうというコミュニティ意識の強さが感じられます。
 工場もつぶさに見学させてもらいました。同じ糸と同じ機械を使えば世界中どこで作っても同じセーターができる、と思ったら大間違いなんですね。もちろんこの工場にもコンピューター制御の日本製最新鋭の編み機が何台も導入されていますが、サンプルづくりは未だに昔ながらの古い編み機で行ってました。
  この古い編み機でのサンプルを新しい機械での本生産に置き換える作業に、長年の経験値が役立っているのです。また、どんなに機械化が進んでも最後にセーターのカタチに形成するリンキング(縫合)作業は人の手によるものですが、この段階でこの町の女性たちに代々引き継がれている熟練技がモノを言うのです。
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リンキングは熟練技の見せどころ

なかんずく、何よりの違いは、水でしょう。すぐ近くを流れるテビオット川は極度の軟水で、私も手を洗ったときにほんの少しの石鹸を付けただけで凄い泡立ちをしたのには驚きました。この水が「ツボミの状態で出荷される(着込んだときに花開く)セーター」を生むんですね。風土、歴史、伝統、経験、これらがホーウィックのセーターの宝なのだと、この目で確かめることができたのは、大変有意義でした。
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町の中心を流れるテビオット川 

●旅の最後はグラスゴーへ移動。産業革命に繁栄した街は、今また芸術創作の都市として魅力に溢れていました。昼は、この街が産んだ偉大な芸術家チャールズ・レニー・マッキントッシュの足跡をたどり、彼の建築やデザインを堪能。夜はと言えば、「ケルティック・コネクション」というグラスゴー名物の音楽祭がちょうどこの時期に開催されていて、方々でケルト音楽のライブをハシゴして回りました。本場モノのギリー・シューズ(スコットランドの伝統的民族靴でウィングチップの原型になったもの)も手に入れることができましたし、短くも楽しいホリディでした。
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古い教会跡を使ってのアコースティック・ライブ

●今回の缶詰ですか。スコットランドのシチューやスープの缶詰をまたまた買い込んで帰りました。(弥)