【倶樂部余話】 No.206(2006.3.4) ないモノ売り


仕入れて売る、というのが普通の商店ですが、当店では、売ってから仕入れる、つまり「ないモノ売り」の比率が年間売上の四分の一を占めます。
 スーツ、ジャケット、シャツ、シューズ、の「誂えモノ」には、日々何かしらのご注文が入りますし、セーターやコートなどの次冬物の長期予約、限定受注の陶器、と、当店の「ないモノ売り」はかなり日常的です。
 目の前にモノがないので、その接客風景は、物販というよりもむしろ、医院の診察室か旅行業者のカウンターあたりに近いものがあります。「ないモノ売り」は売り逃しがないのだから「あるモノ売り」よりも楽なんじゃないの、と言う方もいますが、決してそんなことはありません。まず受注の材料を揃える下準備と受注したあとの事後処理には相当の時間と手間が掛かりますし、ないモノをわざわざ買おうと決断してくれるお客様の購買意思決定のハードルは「あるモノ買い」よりも数段高いので、「この店なら、ないモノを頼んでも大丈夫に違いない」と思っていただけるだけの信頼を勝ち得ていなければお話になりません。何より、仕上がって届いたモノに間違いがあっては許されませんから、発注と検品には慎重にも慎重を要します。私は、「あるモノ売り」だけの方がよっぽど楽な商売だと思います。
 でも「ないモノ売り」には楽しさもたくさんあります。眼前のモノを「コレください」「はいどうぞ」とはいかない売り方ですから、お客様との対話は否応なく存分に楽しめますし、その人だけのためのモノが待ちに待った末に仕上がったときのお客様の喜ぶ笑顔は格別のものがあるんですね。「ないモノ売り」は間違いなく当店のウリなんだと思います。(弥)