倶樂部余話【一七八】大人の服という意味(二〇〇三年一〇月一〇日)


大人の服と若者の服をどう分ければいいでしょうか。スーツが大人でジーンズが若者、という話ではないのです。若者しか着れないスーツもあれば、老人が着てもカッコいいジーンズもありますから。

ここで触れなければいけないのは、日本の特殊事情でしょう。若者がファッションリーダーだなんていう国は日本ぐらいだからです。本来は、欧州のように、ファッションは大人になればなるほどに楽しめる分野であるべきなのですが、日本では大人が着た方がはるかに似合うような洗練された上質の服までもを、若者がわれ先にとこぞって買い求めてしまうので、ほんとは大人の服なのに若者向けと勘違いされてしまう現象がしばしば起きるのです。

当店も時々同様な思い違いを受けているようです。ふらりとご来店されて店内をサラッと一回りしたご年配の方に、帰り際に「ここは若者向けだね…、僕のモノはないみたいだ…。」などと呟かれたりします。確かに当店には、一般に知名度の高い、百貨店対応型欧米ブランドマーク入り有名ライセンス国産品の類は置いてませんが、それゆえだけで若者向け、とはいささか早計なご判断のように感じます。

大人の服とは、ご自分がさらに歳を重ねたときに今よりもっと似合うようになってくる服、のことだと思って、そんな品々を選び店に集めているつもりです。もちろん、それを若者が少々背伸びして買い求めることを否定はしませんが…。

だからといって化石のように変化しない服を売っているわけではありません。「変わらないからいいのだ」という標語は80年代にトラッドブランドという一ジャンルを売り込むために作られた宣伝文句に過ぎなかったのです。もし、未だにそう思い続けている人がいるとしたら、そんな妄想は早く改めるべきです。なぜなら、ファッションである以上、それは変化するのが宿命なのですから。変化というのに抵抗があるなら、進化と言い換えてもいいでしょう。確かに百年変わらず同じモノを作り続けている、という商品があることも知っています。でもその料理の仕方は百年ずっと同じではないはずです。よくファッションは螺旋階段だと言われます。同じ場所に戻っているようでいて実はひとつ高い位置に進んでいるものなのです。

ついでに言うと、「一生モノ」の服という表現も、大げさすぎてあまり好みません。丈夫で長持ちだけが取り柄の服、のようにも聞こえます。強いて言うならば、生涯その価値を失わない服、という意味と捉えればいいのでしょうが、実際に一生どころか十年着続けられる服ですらそうはないはずです。極論すると、一生着続けられるなんていうのは、ファッションを超越してしまったアランセーターぐらいのものでしょう。

さてそれでは、そもそも何歳が若者と大人の境界なんでしょうか。いえ、それは決して年齢ではないはずです。S・ウルマンの「青春」のように、「心の様相」なのだと思います。そろそろ大人の服が着たいな、という気持ちを持った人が大人だということではないでしょうか。そんな大人の方々と出会えた数々の喜びに支えられて、17年目の秋を迎えたセヴィルロウ倶樂部です。この秋冬もどうぞよしなに。