倶樂部余話【十五】いいワインは小さな樽から(一九八九年十二月七日)


今年の世の中の傾向として、消費の高級化指向と空前の人材難ということが挙げられます。この二つが一緒になると、どんなことになってくるか。モノはだんだん高級化し、高度な知識やアドバイスが必要とされてくるのに、それができるヒトはますます少なくなってしまい、「モノは高レベルなのに、ヒトは低レベル」というアンバランスが生じてきています。

近ごろ、どうも大型店の高級衣料路線にかげりが見えてきた、といった話を聞きます。さもありなん、何十万もの決して安価とは思われないスーツを、朝刊のトップニュースも知らないような販売員から買いたいとは思わないでしょうから。昨今、大型店は例外なく「視覚に訴える売り場づくり(ビジュアル・マーチャンダイジング)」に力を入れ、確かにディスプレーや設備・レイアウトにお金を掛けていますが、そのことまでもが「知覚に訴える」ことのできない販売員のレベル低下を補うためではないか、と思いたくもなります。友人のある百貨店関係者は、「最近は、取り扱い注意から商品説明、コーディネートのアドバイスから、果てはクレームの連絡先まで、商品にぶら下げるタグをやたらに増やして、販売員の勉強不足をカバーしている。」と言っています。これでは通信販売と大して変わらないのではないか、と感じてしまうのです。

思うに、店というのは、モノを売っているように見えて、実は、モノを買うコト、モノを買う場面(シーン)、モノを買う空間、モノを買う気分を販売しているのだと言えるのではないでしょうか。物不足の時代と違って、単なる所有欲だけでモノを買う人は減っています。「いいモノを、いい店で、いいヒトから、いい気分で」買えなければ満足できない世の中になってきています。

欧州の小さな専門店がおしなべて魅力的であるのは、その店格にふさわしいだけのヒトが配されているからではないでしょうか。この道ひと筋といったような年配の販売員の顔は、プロであることの誇りに満ち、大型店ではできないパーソナルできめ細かく高度な接客サービスは本当に心地よいものです。時には、もっと商品を丁寧に使え、と客に注意したりもします。そして「いいワイン(商品)は、小さな樽(店)から生まれる。」と、彼らは胸を張って言います。

そういった、ふさわしいヒトに近づけるよう、更に自己を磨き、小さいながらも、皆様の「かかりつけの洋服屋」としていただけるよう、一層の努力を重ねたいと思っております。

「商売は総合芸術である。」と松下幸之助氏は言いました。全くその通りだと感じています。決して奇を衒うことなく、先人の例を踏みながら、一歩ずつ総合芸術を創っていきたいのです。

末筆になりましたが、今年一年の皆様のご愛顧に厚く感謝申し上げますとともに、明年も変わらぬお引立てを賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

 皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さい。

 

  

※この回から「ですます」文調が基本になってきています。気負いがだいぶ取れてきたんですね。

 

 記事より。「カクテル・パーティへのお礼」「クリスマスギフトはお早めに」「ジョン・レノンの九回目の命日」「二月のカシミアフェアの予告」など。