倶樂部余話【二〇】学びたいこと、学べないこと(一九九〇年五月八日)


学びたいこと。革製品の出来。

鞄や靴などの革職人は、欧州では非常に地位の高い職業です。ヴィトンもエルメスもグッチも、かつては貴族のお抱え職人であったわけで、貴族の生活スタイルに応えられるだけの優れたものを作り続けてきたことで、今の地位を築いてきたのです。

片や日本では不幸なことに、ちょんまげの時代には、革職人の社会的地位がなかなか認められませんでした。草履に風呂敷の生活には革製品の出番はあまりなかったようで、日本で初めて鞄と靴の専門店が東京京橋に開店したのが文明開化の明治二年、三越に革靴が置かれたのは明治四二年、今からわずか八十年前のことです。その後も軍需産業としての色合いが濃く、欧州の優雅な貴族生活とは大きな隔たりがあります。

この天と地ほどの歴史の差が製品の出来に影響しないはずはなく、別に有名ブランドに限らずとも、欧州には優れたレベルの革製品が数多くあります。日本のものを一概に否定するつもりはありませんが、使い勝手の良さや使い込んだときの味わいなどは、やはり学ぶべき点が多いように感じます。

学べないこと。夏の服装。

静岡の八月の平均気温は二十六.五度。対してロンドンは十度以上低い十五.九度。英国紳士が夏でも三つ揃いのダークスーツを乱れなく着ていられるのは、せいぜい暑くても日本の四月ぐらいの気温しかないからで、詩人バイロンは「英国の冬は七月に終わり八月に始まる」とまで言っています。

言うまでもなく当店は英国の伝統的生活気質を範としていますが、英国に日本の「夏物」に相当するものがない以上、これをお手本にすることはナンセンスです。素材を選ぶにしても、いくら上質の服地でも通気性が悪く汗ですぐに変色してしまうようではいけませんし、例えばサマーニットなどは、確かに英国製で素晴らしい素材の高価なものもありますが、発汗性が弱くしかも洗濯が不便で、日本には不適と考え、当店ではあえて輸入をしていません。

かの服飾評論家・石津謙介氏は「日本の夏は浴衣(ゆかた)が一番」と、さすがは「TPO」の創語者らしい余裕の一言を述べています。

英国気質を謳うことは、別に堅物を気取ることではありません。学びたきことは学び、学べなきことは学ばず。

 

 

※記事より。バッグ、ベルト、財布など革小物を集めた「レザー・ギア・ギャラリー」を実施しています。