倶樂部余話【372】百敗しても不敗の民(2019年10月1日)


アイルランドの最大の魅力の一つとして間違いなく挙げられるのが人柄の良さです。しかしいくらなんでもあまりにも人が良すぎる、何も主催国が相手だからって負けてやることはないでしょ、人の良さにもほどがありますよ。
駿府城公園のパブリックビューイングに集まった2万人の歓喜の渦の中、緑色に身をまとった私は、思いも寄らない結果を目の前にして、自分は一体どんな表情をしたらいいんだろう、とわからないままに茫然と周りのハイタッチに手を合わせるしかありませんでした。

アイルランドへ25回も往復している静岡県人としては、静岡とアイルランドを結ぶ架け橋になにか役に立ちたい、と思いながら、具体的なことはほとんど何もできず内心ちょっと残念な思いも抱いていたのですが、もうそんな私の出番など必要ないほどに静岡とアイルランドは大きくつながりを持ちました。アイルランドがどういう国なのか、人の良さはもちろんですが、例えばなぜ北と南の統一チームが実現できているのか、なんていう政治的な事柄も静岡、いやもちろん日本中にですが、かなり知ってもらえるようになったと思います。
そして、アイルランドの人たちにとっては、SHIZUOKAは忘れたくても忘れられない地名として脳裏に刻み込まれたことでしょう。今までは「東京と名古屋の中間で、富士山のふもとの海辺」といちいち説明しなけりゃいけなかったのが、これからは、お前「あのSHIZUOKA」に住んでるのか、あれはいいゲームだったな、とアイリッシュのみんなから称賛されることは間違いありません。

日本のアイルランド通の人たちがしばしば引用することでよく知られた文章があります。司馬遼太郎「街道をゆく〈31〉愛蘭土紀行 2」からの一節で「アイルランド人は、客観的には百敗の民である。が、主観的には不敗だと思っている。教科書がかれらにそう教えるのではなく、ごく自然に、しかも個々にそう思っている。たれが何といおうとも、自分あるいは自民族の敗北を認めることがない。ともかくも、この民族の過去はつねについていなくて、いつも負けつづけでありながら、その幻想の中で百戦百勝しているのである。」

はい、試合には勝てなかったけど、そのおかげで日本人の心に強い印象を残すという点では他の18チームのどこよりも負けてはいない、と思っていることでしょう。さあ、かくなる上は、日本もアイルランドも決勝まで進んでもう一度接戦を演じてもらうしかないですね。それでこそ百敗の民の面目躍如でありましょう。(弥)