倶樂部余話【三十五】「いち抜けた」で「ブリティッシュ」(一九九一年十月十六日)


「イタリアンソフトからブリティッシュトラッドへ」が最近のファッション雑誌の見出しにしばしば踊っています。「いま英国がトレンディ」の扱いについてどう思います、とも問われることが増えてきました。

私は、たとえどんな薄っぺらな内容だろうと、扱われないよりは扱われる方がはるかにいいことだろうと思います。事実、「セヴィルロウ」という地名もかなり一般に知られるようになりましたし、当店扱いの各ブランドの周知も広がりました。基本的に当方にとって何も悪いことではありません。

「なんだ、もっと君らしい毒のある批判が聞けるかと期待していたのに。」と拍子抜けされたかもしれませんが、私がいちいち目くじらを立てないのは、うわべだけの表面的な変化しか捉えられない雑誌なんかよりも、うちのお客様の方がよっぽどこの流れの本質を見抜いているはず、という自信と信頼が根底にあるからなのです。

今でこそ「このブリティッシュへの流れをよくぞ先読みしたものですね。」と、何か当店を流行の最先端ショップのように誉めて(?)くれる方もいますが、思い起こせば五年前、ソフトスーツの台頭著しいときに「今はみんなイタリアなのに、なぜ今さら(!)ブリティッシュの店なんかを…」と社内外からかなりの批判を浴びたものです。もちろん私に仙人のような先読みの力があったわけではなく、むしろその逆で、目まぐるしく変化しすぎる流行ばかりについていきたくない、人の正常な歩みの早さでゆっくりと進んでいきたい、流行の振り子のできるだけ中心の方に位置していたい、いわばトレンドゲームから「いち抜けた」の心境からスタートしたのです。(もちろん服飾業のプロとして業界全体のファッションの流れは知識として把握していなければならないのは当然のことですが)

 今のブリティッシュへの流れも、ブームやトレンドという表面的な変化では決してありません。一つの証拠に、アメリカやイタリアがブームの時には必ずその国の経済も強かったものですが、今の英国経済はかなりの不景気です。

ことの本質は、業界の押し付けるトレンドの無理強いに気付き、追っかけることを発展的に積極的に放棄した人たちが多数を占めてきたということ、「いち抜けた」派が無視できないほどに増えてきただけのことだと考えたいと思います。つまりファッションの変化などではなく、ファッションへの関わり方が進化しただけで、まさにこれが「英国気質」への再評価につながっているのです。

「個性化」が横並びして「画一化」と同義語になってしまうこの国では、これから「にわかブリティッシュ」の店も客も増えることでしょう。といって、たかだか五年ぐらいでうちが元祖だと威張るつもりもありません。にわかの店か本物か、店の評価は店事態が決め込むものではなく、お客様が自然に決めてくれるものだと思っています。

倶樂部余話【三十四】アラン島は斑鳩(いかるが)の里(一九九一年九月十七日)


九月、いよいよ第四回「アランセーターの世界」の開幕です。

普段は英国英国と言っているのに、なぜこのときだけアイルランドに肩入れするの、と、たまに質問されますので、簡単にご説明をしておかねばならないでしょう。

例えばあなたが京都がたまらなく好きだったとしましょう。当然、京都への憧れを受け継いで合理的にアレンジされていった鎌倉にも興味を持つでしょうし、また京都のルーツを探してより素朴な奈良にも関心を抱くことと思います。

この奈良と京都と鎌倉の関係がアイルランドと英国とアメリカの関係にちょうど良く似ています。文化や歴史の流れ方もそうですし、地理的にも英国の西隣りがアイルランドで、アメリカとは箱根の山ならぬ大西洋の隔たりがあります。

一口に英国(United Kingdom=UK)と言っても、イングランド、スコットランド、ウェールズに分かれていることはよくご存じのことと思いますが、アイルランドも一九二二年の独立まではUKの一部でした。支配しているイングランドはゲルマン系のアングロサクソン人、追いやられた他の三国はケルト系です。今でこそどこでも英語が通じますが、各々に固有の言語を持っていて、アイルランドの第一公用語は未だにゲール語とされています。

英国に憧れ英国らしい事柄をたどっていくと、意外にもそれが実はイングランドにはないことが多いのに気が付きます。ウィスキーはスコットランド、すなわちスコッチが有名で、しかもその発祥はアイルランドです。タータンチェック、ハリスツイード、シェットランド・フェアアイル・アーガイルなどのセーター、などもみんなスコットランドですが、そもそもスコット人はアイルランドから渡った人々ですので、家柄を図柄で現したりセーターに柄を入れ込むといった発想はもともとアイルランドで生まれたものです。

イングランドと地続きのスコットランドやウェールズに比べ、海一つ隔てたアイルランドには、かえって英国が失ってしまった素朴で懐かしい英国らしさが未だに残っているような気がします。

アラン島はアイルランドの西のはずれの孤島。イングランドからは最も遠く、その影響を一番受けにくいところに位置しており、今も日常生活の中に古代ケルトの文化が残り伝統や習慣がそのまま息づいているといいます。言うならば、アラン島はさしずめ「斑鳩の里」ということになりましょうか。

「学者と聖人の島」「妖精の住む島」アイルランドに、私たちの先人はこういう漢字を当てました。「愛蘭土」。何と心暖まる響きではないでしょうか。

 

※静岡新聞の文化面に取材記事が載り、問い合わせや来場者多く、大盛況。
 

※守安さん夫妻による店内コンサート「アイルランド・ナイト」実施。アランセーターを着てくるとギネスが一杯無料になった。
 

※今回の購入特典として、購入者にはアイルランドのオシォコン氏からユニセフのクリスマスカードが贈られた。

倶樂部余話【三十三】こま切れ話を手短かに(一九九一年八月十九日)


★夏は「日本人だな」という思いにどっぷりつかる季節です。梅雨、七夕、ゆかた、御輿、花火、祭り、盆踊り、甲子園、終戦記念日…。文明開化以来西洋文化を貪欲に取り入れてきたにもかかわらず、夏に「和」の風習が多く残っているということは、つまり「夏」が「summer」ではなく、欧米にはない日本だけの独特の季節だということの現われではないでしょうか。何を着ても暑いし、本当は何も着たくないのに仕方なく服を着ているようで、人々は暑さしのぎに躍起です。なのに、業界は欧米のトレンドを真似るばかりで、暑苦しいやせ我慢を押し付けるような服ばかりを作ります。この夏婦人服では半袖スーツがバカ売れだとか。紳士服メーカーも「日本の夏」にもっと真剣に対応した涼しいビジネスウェアを考えてもらいたいと思うのですが…。

★私の好きな「言葉遊び」です。クラシックとスタンダード、似ているようで違います。クラシックは、幾度かの陳腐視された時期を耐えて残った化石的価値のあるもの。対して、スタンダードは、その時代その時々に標準的なもので、不変のものとは違います。神田藪蕎麦のかえしは江戸時代のままと言いますからクラシック、銀座木村屋のあんパンは昔はもっと甘かったそうでこちらはスタンダードでしょうか。繁盛している老舗の多くは、どちらにも片寄りすぎず、この二つのバランスをうまく取りながら歴史を重ねているように思います。

★「この商売、見栄も大事、カッコイイも大事、しかし分かりやすいことはもっと大事。」最近物故された小売業界大物の言葉。

★同じ人の言。「プランはマクロに、チェックはミクロに。」けだし名言。

★コンビニエンスって何でしょう。「あいててよかった」は確かにコンビニ(便利)、でも当店だって一種のコンビニを目指しているのです。当店のファン客にとって「装い」という部分ではすべてが一ヶ所でまかなえるだけの質ある(量ではなく)品揃え、これは一つのコンビニだとは思うのですが…。

★このごろ学び多きこと。旧約聖書、ギリシャ神話、マザーグース。いつかは何かの役に立つのか? …以上、思いつくままに。

 

※東急百貨店副社長だった山本宗二氏

 

 

 

 

 

※フォーマルフェア、特別販売



倶樂部余話【三十二】たまには失敗談も聞いて下さい(一九九一年七月二十三日)


 久々に失敗しました、この夏の「リダクション(割引)」。もちろん商品内容にも原因はあるのでしょうが、どうもそればかりとは言えないような気がしてます。

 後学のためにどんな店でも住所を記してくるように、と私からの指令を受けている我が妻の元には、六月末あたりから多い日で五枚以上もの「セール」のDMハガキが、毎日のように郵送されてきます。内容はどこも似たような「○月×日より何十%off!」。中には三年前に一度だけ利用した店から「お馴染みの上得意客に限り特別ご招待!」などと書いてあるものまであります。届いた数十枚のハガキを前に、妻曰く「ちっともワクワクしない。むしろだんだん冷めてくる。」と、のたまいます。

 セールだバーゲンだと一大決戦のように盛り上がっているのは店の方だけで、店側が大袈裟な謳い文句でノセよう煽ろうとすればするほど、客の方はシラけていくものなのかもしれません。いわばセールのDMは年賀状程度の重みしかなくて、ことさらにもったいつけなくとも、七月になれば安くなるのは当たり前でしょ、と見透かされているところがあるのじゃないでしょうか。

 当店のリダクションのご案内が他店より見劣りするものとは思えませんが、どう言い方を変えたところで「安くしたから買って下さい」という内容は結局同じです。値段を下げれば客は来るものと思い込んだ我々の「業界慣れ」の慢心がどこかにあったことは否定できません。過去二回のリダクションが好売上だったことからの自惚れもあったかもしれません。

 実際、リダクションせずとも買って下さるお客様が増えてきているのは事実ですし、いくら安くともサービスが低下するくらいなら買いたくない、という人が今後も増えてきても不思議ではありません。

 一方、リダクションの効能として、新規客のご来店という重要な側面もあります。その方たちは三割引で当倶樂部へ入会できるのだと考えればこれはメリットでしょう。

 誰のためのリダクションなのか、お得意様にとって当店に求められる「コンビニエンス」とは何なのか、今一度考えてみなければならないでしょう。

 それにしても、一番重要なのに一番難しいことは「お客様の立場に立つ」ということ、とつくづく思い知らされます。今回はいい勉強をさせてもらいました。

 

※納涼ハンカチまつり

倶樂部余話【三十一】靴は健康的に歩くための道具です(一九九一年六月五日)


日本人の足はよく甲高幅広と言われますが、実はそれ以外にも、図のように、足型自体が欧米人ほど「く」の字でなく、指先と足の平の開き方・大きさが違うので、当然歩くときに曲がる箇所も違います。さらにかかとのカーブにも著しい違いがあり、つまり欧米で靴を買ってきても、まずあなたの足に合うはずはないということです。
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が、モノのレベルから言えば、欧米の革靴は、足袋と畳の歴史が長い日本とは完成度に格段の差があります。革靴を半分に縦割りしてみると分かりますが(当店にもひとつあります)、鋼鉄の背骨や天然コルクの中詰めなど、見えない部分にかなりの手間とコストが掛かっていて、ここに手を抜くと、見てくれだけのハリボテの靴になってしまいます。神田・平和堂靴店のご主人曰く「他の商品だったら絶対に買ってもらえない低レベルのものでも、靴の場合はデザインが気に入りさえすれば、足が入るだけで、履き心地がどうであろうとへっちゃらで買っているのが日本人なのです。」と。

では、経済力豊かな日本のために足型を合わせて欧米で作らせて輸入すればいいか、というと、ここで三つの障壁にぶつかります。 まず、輸入革靴には最低でも二十七%高いもので六十%もの保護貿易的な関税が課せられています。現在のガット/ウルグアイ・ラウンドで若干の自由化も期待されていますが、それにしても本来の価値より三割も高いものを何も無理して買うこともないでしょう。

次に、靴のかかとや底は必ず摩耗し交換が必要になります。履き心地のためには、修理屋ではなく、やはり作った工場へ戻して、純正の木型を入れ直して純正のパーツで新品同様に交換してもらいたいものですが、海外製品では面倒なことのひとつです。

また、靴には五ミリ単位の多くのサイズがあるので、「取り寄せ可能」は販売上不可欠な条件ですが、海外とのクイックデリバリーにはコスト・期間ともに問題があります。

と考えますと、これらの問題をすべて解決できる結論は、革やコルクから紐一本に至るまでを欧米からパーツとして低関税で輸入して、欧米と全く同じ製法技術とデザインで、日本人の足型に合わせて、国内で組み立てるという以外にありません。当店で扱う「ジョンストン&マーフィー(J&M)」がまさにこれに当たります。

先日、週二回のペースで二年ほど履き続けた私のJ&Mの靴が修理を終えて戻ってきましたが、すでに甲革は私なりに馴染んでますので、新品以上の驚くべき履き心地の良さで、この靴を買ってよかったと思う最大の一瞬でありました。

現在当店では靴が一日一足のペースで売れていますが、この半数以上がリピーター需要です。この事実が製品の確かさを物語る何よりの証拠ではないでしょうか。

ご自身の健康のためはもちろんですが、他人から「足元を見られる」ようなことのないように心掛けたいものです。

倶樂部余話【三十】パワードレッシング(一九九一年五月十七日)


昨今の流行に「パワーランチ」という言葉があります。ビジネス戦略の演出方法としての昼食という意で、夜の接待よりもスマートでスピーディな商談ができるということの様です。しからば「パワードレッシング」とは? パワーランチにかけるマムシ入りサラダドレッシングのことでしょうか。

ある商工会議所で今年一月から男性のポケットチーフが義務付けられた、という話を聞きました。オジサン達の、外見にも少し気配りをしていくという積極性が、仕事にもいい影響を及ぼしてくれれば、という効果を狙ったものでしょう。また、オジサン達のためのスタイリストやセンスアップ講座なるものもちらほら出始めているらしく、うちの父がその手の話をしに出掛けていく機会も出ています。

ビジネスの演出方法として「装い(ドレッシング)」は重要な手段のひとつだと思うのですが、それを感じているオジサン達はあまり多くないようです。(あるいは気付いていても臆病になられているのでしょうか。)ただ、別に流行の最先端のモノや高価なモノを、ということではありません。また、ファッションは個性的に、としばしば言われますが、こと背広に関しては、個性的であることはかえって逆効果となることがあります。やはり基本的には、背広は戦闘服です。だから、背広自体はスタンダードなダークスーツでいいのですが、その同じ一着の背広でも、シャツとタイを変えていくことで、ビジネスシーン別の演出効果を狙うことができます。例えば、自社製品の説明のときなら冷静で落ち着いた人間ぶりを、取引条件の交渉なら融通の利く暖かな人柄を、部下の悩みを聞いてやるときは話のわかる上司ぶりを、それぞれに演出していくわけです。

このように「装いの持つエネルギーを自分のパワーとして吸収し自分をより魅力的に見せてくれるスタイルを演出すること」、これが「パワードレッシング」ということです。

石原裕次郎や加山雄三をお手本に「青春」した五十代の皆さん、平凡パンチやメンズクラブを読みふけった四十代の皆さん、ポパイに憧れた三十代の皆さん、そして氾濫するファッション雑誌の軽薄で無責任な底の浅さに気付き始めた二十代の皆さん、一着の背広を買うとき、考えてみて下さい。自分のパワーとなってくれるエネルギーを持った一着は何なのかを。

その答えのかなりの部分は当店に用意されているはずです。

 

※「うらないイベント」実施

倶樂部余話【二十九】「休日のためのネクタイ」という提案(一九九一年四月十日)


普段何気なく使っている「カジュアル」という言葉、改めて辞書を紐解くと、意外にもあまり良い意味でないということに気が付きます。Casual-lookでは「浮浪者然とした格好」ともなりますし、セーターの着こなしがうまい人を褒めるつもりで、うっかり”You are very casual.”などと言おうものなら、侮辱も甚だしいと怒られても仕方ありません。本来の意味のカジュアルウェアとは、まあ近所のコンビニへ立ち寄る程度の普段着だということでしょう。リゾートカジュアルとかハイグレードカジュアルといった表現は意味不明といえます。

この「当てにならない」言葉を避けて、このところ私たちは、オンタイム(オンビジネス)とオフタイム(オフビジネス)という分類で商品を区別しています。

考えてみれば、オフタイムであってもカジュアルではいけない場面というのはいくらでもあり、例えば、ちょっとした店へ買い物や食事に出掛ける、美術館や知人の家を訪れる、仕事上も付き合いのある人たちとの集い(接待ゴルフなど)、あるいは里帰りやデートなんかもそうでしょうか。いわば「ちょっとよそ行き」の場面で、当店で扱うオフタイムの商品のほとんどはこんなシーンを想定したものといえます。

オンタイムの服装がドレスアップ(着整える)を目指すのに対し、オフの時のポイントはドレスダウン(着崩す)にありますが、実はこれが口で言うほどやさしいものではないのです。ドレスダウンしたつもりが単なる「ダサイおじさん」になってしまうことが往々にしてあるのです。

そこでひとつの提案。オフタイムジャケットにオフタイム専用のネクタイを締める。ビジネスマンにとってタイを結ぶのは得意技、中にはタイがないと落ち着かないという方がいるほどです。ただ、オフの時のタイはオンの時とは違えて、麻使いの軽いものやニットタイ、マドラスのコットンタイ、あるいはゴルフやマリンなど自分の嗜好を伝える柄のタイなど、オフに着るジャケット専用のネクタイにすることがポイントです。

何も工夫しないとだらしなく開いてしまうシャツの襟元に、くつろぎとゆとりを感じさせるニットタイを合わせる。これで欧米のリゾート地のタイ着用パーティも概ねOKです。

 

 

倶樂部余話【二十八】当店は安売りの店です…(一九九一年三月十四日)


…と言うと、誤解を招くかもしれませんが、例えば、4LDKの新築マンションが三千万円、ベンツの新車が三百万円、これは安いか高いかということです。

私には「どんな人も、それを安いと感じなければ物を買うはずがない」という信念があります。(意外に思われるでしょうか。)安く仕入れ安く提供するという商売の原点は量販店のそれと変わるものではありません。ただ、違うと言えば、安いと感じさせる観点が、量販店が手間を省くという引き算の発想であるのに対し、我々の方はできるだけ手間暇をかけて付加価値を高めるという足し算の発想であるということでしょうか。

ともかくも、コスト感覚を無視してまでいいモノに拘泥し、結果高い価格になって、買える人だけついて来い、といった高飛車な態度の商売はどこか違うと思いますし、店は博物館ではありませんから、私たちの用意する品々を本当に身に付けて欲しい人たちに充分に手の届く価格で提供できなければいけないと思います。

安い、と感じていただく判断材料として、当店で欠かせないことの一つに、そのスタンダード性が挙げられます。今や紳士服業界の御意見番といった感のある御大・石津謙介翁は、その近著で、九〇年代は再び「倹約」とか「質素」とか「節約」とかがお洒落な言葉になるだろう、といった、注目に値する発言をしています。トレンドやらを追いかけて散財のあげくに疲れ果ててしまうよりも、スタンダードなモノを最初は少々投資してでも末長く愛用することのほうが、はるかに倹約になり、無駄のない賢い買い方で、これこそが当店の謳う英国気質に他なりません。つまり、安いということは単に価格の問題ではなく、投資に値するかどうかの判断価値で決まると言えます。

昔の大阪商人は、生き銭と死に銭の判断に大変厳しかったと聞きます。投資すべき生き銭はなんぼでも使うが、無駄な死に銭は一円でもケチる。皆様の当店でのご利用がすべて生き銭になっていただけること、それが私たちの使命だと思っています。

倶樂部余話【二十七】トラディショナル=先人の例を是として踏む態度(一九九一年二月十日)


トラディショナル(トラッド)。辞書では「伝統」と訳されるこの言葉、小売りもメーカーもマスコミも実に安易にこの言葉を使いますが、これほどに分かっているようでいて曖昧に使われている言葉もないように思います。「いつの時代にも不変なもの」とか「アイビーと違うの?」とか「あのアメリカかぶれの堅物スタイルのことだろ?」程度の解釈も多いようです。

しからば私が定義している「トラディショナル」とは何ぞや、と申しますと、いささか哲学的ですが「先人の例を是として踏む態度」だと訳しています。例えば、ことわざを拠り所にすること、年賀状や盆暮れの挨拶をとても大切に考えること、松下幸之助を学ぶ経営者、これらは皆トラディショナルな態度だと言えます。先例を紐解いたり、成功者の話を聞き、いったんそれを良しとして取り入れ自分の糧に結びつけようとしていく姿勢を指します。これは、私にとってはもう生活信条とでも呼べるほどの強い意味を持っています。

さて、そもそも紳士服のルーツは英国の民族衣装と言っても良く、従って、我々紳士服飾の分野では「先人の例を踏む」とは突き詰めれば「英国を範とする」ということに行き着きます。そしてこの態度をとる紳士服のプロは、小は私を含めて、どこの国にもいて、例えば今をときめくイタリアのデザイナー、ジョルジォ・アルマーニは「私のアイデアソースはいつもロンドンにある」と語っているごとく、英国を範としつつイタリア人に最も似合う服を目指し、かのブルックス・ブラザースはアメリカの特殊性(他人種ゆえ様々な体型をカバーできる服が必要で、しかも縫製レベルの問題から直線縫いを多用)を加味した独特の型を作ってきました。これを「英国を範としアメリカ流にアレンジした服」として「アメリカン・トラディショナル」と呼んだ訳ですが、日本では悲劇的な誤訳で「アメリカの伝統」と思われて七十年代に流行したことが、トラッド=アメリカという誤った解釈の元凶とも言えます。そもそもわずか二百年の歴史にさほどの伝統などあるはずもなく、多くは母国英国のものを継承してきたものです。何しろ最初はニューイングランドと呼ばれていたのがアメリカなのですから。

例外的にアメリカがルーツとなるものがジーンズでしょう。アメリカ人ラルフ・ローレンは、英国のルーツとアメリカのルーツを融合させて、アメリカ人の心を見事なまでにくすぐった、類い希なデザイナーだと言えましょう。

当店が、誤解を避けてあえてトラッドショップと名乗らずにいる理由が少しはお分かりいただけたでしょうか。話し始めるとそれこそ一晩かかる話題ですので、ひとまずこのへんで…。

 

 

※記事より。

 

アンティーク・ロレックスの販売開始。まだ今ほど知られていない時期にそんなこともやりました。今思い起こすと、仕掛けがちょっと早すぎたのかもしれません。

 

ホワイトディ・パッケージ、受付開始。前年の大好評に2匹目のドジョウを狙いましたが、結果は芳しいものではありませんでした。そう、後々、この年が「バブル崩壊」だったと言われていますね。

倶樂部余話【二十六】♪You may say I‘m a dreamer♪(一九九〇年十二月七日)


この十二月八日(日本時間九日)、かのビートルズの一員、ジョン・レノンが凶弾に倒れてから、早ちょうど十年になります。そして彼が生きていたら今年で満五十才でした。

前々から、この十二月の「倶樂部余話」では、十年間の彼への思いのたけをどう千余文字の中に凝縮させようかと思っていました。

毎年の命日に店内で彼の曲ばかりを流しながら哀悼し続けてきたこと、中学生の時に深夜放送で「イマジン」に出会いビートルマニアにのめり込んでいったこと、昨年ロンドン大英博物館であのマグナカルタの右隣にさりげなく展示されていた、ノートの切れ端に書き殴られた数々の名曲の作詞メモの直筆に感涙したこと、などなど、言い尽くせぬほどの私の思いを語るつもりでした。

ところが、その気持ちに水を差されてしまいました。「記念日は商売になる」という日本の悪しき商業主義でしょうか、先日池袋で開催された「ジョン・レノン展」で展示された彼の遺品約三十点がオークションにかけられる予定で、何とその落札予定価格は、愛用の丸メガネで三百七十五万円、ギターが二千五百万円とか。日本の金持ち一人にしか彼のギターの鑑賞が許されないのでしょうか。聞けば未亡人ヨーコ・オノの企画とか。ならばなおさらに「なぜ」と思えてしまいます。

彼が私たちに「イマジン」させたかった世界は、人種の別も貧富の差も国境さえもない世界であったはず。仮に地球環境保護の基金設立のために十億円が必要なら、日本の金持ち十数人からではなく、世界中の一億人から十円ずつ集めるやり方はなかったのでしょうか。しかも、いくら彼が平和運動に大きな影響を与えた活動家であったとしても、あくまでミュージシャンとしての彼の音楽に魅力があったからこそ多くのファンをつかんだのですから、メッセージの訴えも歌で伝えてこそ意味があるのではないでしょうか。それとも、愛とか平和とかを歌うことにはさほど効果がないと、冷ややかに悟ってしまったとでも言うのでしょうか。

さらに、息子ショーンを日本人のプロデュースでレコードデビューさせるといいます。「似てる似てない」でしか評価されかねない道化を演じさせられる彼の姿に、哀れを感じてしまうのは私だけでしょうか。

日本で商業を営む私が日本の商業主義を批判するのも変かもしれませんが、稼げるネタは何であれ貪欲に稼ぐ、という姿勢があるから、いつまでたっても商人の言うことが信用されないのではないでしょうか。

十年を経て、思わずも複雑な気持ちを抱かされてしまいましたが、私自身は、今年も以前と変わらぬ思いのままで、八日九日の両日、彼を哀悼し、彼の曲を流し続けたいと思います。「夢想家と言われるかもしれないけれど…」

 

※カクテル「還暦」パーティ