倶樂部余話【432】 杵柄は使おう (2024年10月1日)


 月の始まりはいつも区切りの感はあるのですが、今日10月はとりわけ区切り感を強く感じています。

 区切り、その一。ドラマファンとして。朝ドラ「寅に翼」が終わりました。ほんのひと時でも法曹を目指したことのある私としては、女性法曹の強気な出世自慢だったら嫌だなと危惧していたらさにあらずの超秀逸作。多くの課題を私達の前に出してきました。ジェンダー問題、原爆裁判、朝鮮人差別、夫婦別姓、尊属殺、性的マイノリティ、障碍者、ブルーパージ、サイコパス、少年法改正、などなど、よく半年の間にこれだけのことを弱者の視線で盛り込み、そして最大の集団単位である国家と最小単位の家族、このふたつを全く対等なバランスで扱いました。これは見事な昭和史ドラマでまるで大河ドラマのような朝ドラではなかったか。逆に紫式部を描いた今季の大河、平安の架空なドロドロ恋愛ドラマに全く共感できず私にしては珍しく視聴を途中退場したので、私の頭の中では朝ドラと大河が逆転したような感覚があります。で、野沢の朝ドラランキング(倶樂部余話【415】参照)では何位に入るの、というと、これも今のところ、いまだかつてない別格扱いで、順位未定の特別賞、としておきましょう。

 区切り、その二。静岡県民として。その朝ドラ最終回の放映日の朝刊は袴田事件再審無罪判決の記事で埋まっていました。私があえて語ることはあまりないのですが、袴田さんにお詫び、と、いう謝罪記事を載せた東京新聞の姿勢には拍手したいと思いました。毎日も謝罪、朝日は反省、他の大新聞や地元紙は特になし、らしいです。冤罪の世論形成に加担したことは謝ろうよ、昔のこととはいえ、そう思います。司法を舞台にした朝ドラの最終日という絶好のタイミングに初の女性検事総長が即座に控訴せずの会見をしていたら、検察の株は大いに上がっていただろうに。残念です。

 区切り、その三。同窓生として。次の総理大臣が石破茂氏に決まりました。同い年だが彼は早生まれなので、大学は一期上、しかも同じ法学部法律学科。きっとどっかで何度かすれ違っているはずですが、それ以上でも以下でもない、同窓として恥ずかしくない言動をしてもらいたいものです。まずはその寸法の合ってないスーツをなんとかしよう、しわだらけの二の腕は実に見苦しい、シャツもネクタイもメガネもいただけない。今のその格好のままで欧米の首脳に会うのは恥ずかしいと感じてほしい。今からでもちゃんとしたスタイリストを付けよう。目立つようなことは要らない、もちろん控えめでちょっとダサくて、君のキャラならそれでいいんだけどね。服装に無頓着(なフリ)を売り物にして通用する政治家はトランプだけです。

 区切り、その四 。洋服屋として。季節の区切りは10月になった。つまり、9月までは夏だ。そう考えざるを得ません。近ごろ四季が二季になったとよく言われます。とばっちりを受けているのが春と秋、どんどん短くなる。服装は春と秋の先取りが一番楽しいのですが、もはやこのときの考え方も変えないといけません。痩せ我慢な先取りは笑われるだけでなく健康にも悪い。まず色だけを先行させよう。夏から秋に例えて言うと、素材やアイテムは夏のままで、色合いだけを秋色に変える。冬から春も同じで、冬物のままで春色のコーディネートを楽しむ。つまり長くなる夏と冬は前半と後半で色合いを変えてみる。その変える目安は盆暮れ正月。素材を変えるのはお彼岸まで待ってていい。洋服屋には不利なようだがそうでもないだろう、何しろセールが不要になってくるはずだ。立ち上がりも遅くていい。四季の二季化。この新しい常識に対応できないと洋服屋は生きていけないだろう。

 おまけ。やっばり洋服屋として。新しい常識と言えば、もう一つ。昔はいいモノがあった、とはよく言われますが、ひとつ進んで、今のモノより昔のモノの方が品質が良かった、というのが当たり前になった。古着屋が流行る所以ですが、今のモノを売る洋服屋としては痛し痒しのところもあります。ただ、私には当時得てきたコトやモノに関しては近頃の雑誌などには負けないだけの、昔取った杵柄があります。モノの知識だけでなくブランドの歴史や裏事情なども相当に覚えてます。これはこれから今まで以上に出していこうと思います。そう思うくらいに雑誌やネットには誤った記載が目につくようになってきました。それなりに歳を取ってひと回りふた回りしてきたということでしょうが、ただ口うるさいご意見番になるつもりもなく、また公にできない話もいろいろありまして、原則的には、聞かれたら答える、必要なことだけ答える、という姿勢は持ちたいなと考えています。ま、杵柄は使おう、ということであります。(弥)