倶樂部余話【六】大方の予想どおり倫敦探訪記です (一九八九年三月十日)


 

この二月四日、ロンドンはセヴィル・ロウを訪れた。「背広」の語源と言われ、もちろん当店名の由来ともなっている、二百メートル程の通りだ。目指すはその一番地、二百年の歴史を誇る紳士服店「ギーブス&ホークス」。マネージャーとのアポを取って訪ねたのだが、目の前に現れたのは何とギーブ家の血を継ぐ五代目会長ロバート・ギーブ氏。濃紺ストライプのスリーピースに身を包んだ凛とした姿は、正に「ジェントルマン」という言葉を浮かばせる。

 

見事な吹き抜けと内装のその建物は、かつて王立地理学会館として使われてきたもの。その二階の一角に彼が「我が社の博物館」と呼ぶ部屋がある。そこには古くから英陸海軍の儀礼服仕立ての指定を受けてきた同社の数々の軍礼服や装飾品、過去からの顧客台帳などが展示されていて、彼がひとつひとつを丁寧に説明してくれた。現在の背広が儀礼服の延長線上にあることがうかがえる。

 

更に、オーダーメイドスーツの縫製室を特別に見学させてもらう。職人の数は意外に少なく五人程度で、皆思い思いの姿勢でハサミや針を動かしている。ハンドメイドへのこだわりを象徴するかのように、ミシンは簡素なものがたった一台だけ。部屋の中心には、仮縫い中のスーツはもちろん様々な儀礼服がぎっしりと並び、さながらディズニーランドの衣装部屋の様だ。

 

「服の仕立てだけでなく」とギーブ氏が言う。「当社は百年ほど前から、靴もステッキもシャツも、それこそ男性のおしゃれ用品を統一された趣味で揃えてきました。ハロッズやダンヒルはその真似をしたのです。」と自慢した。

 

まさに、二百年の伝統をこれでもかと見せ付けられた感じがする。二百年前と言えば、日本では老中・田沼意次の時代、その頃からの歴史を語れる店が日本にどれだけあるだろうか。

 

最後に「ギーブス&ホークス」の顧客リストより。古くはウェリントン公やネルソン提督、そしてロイヤルウェディングのチャールズ皇太子の婚礼衣装等、新しくはゴルバチョフ書記長にブッシュ大統領。米ソの両首脳が英国の同じ店のスーツを着て討論しているとはなんとも面白い話ではないか。「彼ら二人は我が社の最も優秀なセールスマンだ。」とギーブ氏は結んだ。

 

 

※当時の当店は、このブランドのライセンス品をパターンオーダースーツのひとつとして取り扱っていました。仕入先のアパレルから手を回してもらい、このような格段の応接を受けることができたのです。

余談ですが、ゴルバチョフ氏にここのスーツを紹介したのは当時の英国首相サッチャー女史だったらしいです。

 

このセヴィル・ロウの老舗も、一時経営難に陥り、現在は香港系企業の傘下に入り再建中とのこと。我々に格別の配慮をしてくれた日本のアパレルもその後倒産したため、日本国内では消えたブランドになってましたが、近々某アパレルが中国のハンドメイド工場を使って、このブランドの日本再上陸を予定していると聞いています。

 

記事には「まもなく消費税が導入になります。お買い物はぜひ三月までに」とあります。