倶樂部余話【八十】アイルランドからの訃報partⅡ(一九九六年三月一一日)


二月号が出せなかったので、今回は合併号で二本立てです。まず其ノ一。

前号で、九十才で急逝したアイルランドのおじいちゃんの墓参りに「行ってきます」と飛んだ、帰国報告から。

ダブリン郊外の丘陵中腹の墓地にある翁の墓は、ほかの墓と違って、古代のストーンヘンジさながらに、自然の石を積み重ねて墓石にしたユニークなものでした。大戦で長男を亡くしたときに翁自身のアイデアで作ったとのこと。土葬のため、真新しい土が掛けられ、花に埋もれたその下に、大恩人のお爺ちゃんが横たわっているかと思うと、止めどなく溢れ出る涙を押さえることができませんでした。

翁の後継者として従来から実務全般を担当してきたご子息ルーリィ氏とは、今後の対策などを徹底的に議論しましたが、彼は、翁の父が大英帝国議会のアイルランド代表の議員だったこと、そして若かりし日の翁がアイルランド独立運動の論客戦士だったことなど、初めて話してくれました。

また、たまたまダブリンのパブで隣になった青年は、アラン島から出稼ぎに来ている漁師で、「島の者で彼の死を知らない人間は一人もいないよ。彼が島の人々の生活を支えた功績は誰もが知ってる有名な話だからね。」と教えてくれました。

更に、先日お会いした文京女子短大のマッケルウェイン教授は「彼はケルト文化の研究者としてもとても名の知れた男だったんですよ」と語ってました。

死して初めてその故人の本当の偉業を知る、ということは往々にしてあることですが、これほどの功績のある翁が最後まで息子に譲らなかった日本でのビジネス。私はそのパートナーとして死の一ヶ月前に権限を任命されました。私には、運命的としか思えない、その意義と重責を心に命じ、翁の遺志を守る決意を固め、帰国したのです。