倶樂部余話【七十九】アイルランドからの訃報(一九九六年一月一三日)


昨年暮れ、ちょうど前号の原稿を仕上げた直後でした。一通のファックスがアイルランドから入信しました。あの「アランセーターのおじいちゃん」パドレイグ・オシォコン翁の訃報、九十才の大往生でした。

今まで何度か当報で翁の紹介をしていますが、彼は私の人生を変えるほどの大恩人でした。彼との出会いがなければ私がここまでアランセーターに心血を注ぐこともなかったでしょう。

四十年程前までアランセーターは家族のためだけに編まれていたに過ぎないものでした。アラン諸島の経済は大変貧しく、またセーターの伝統の灯も消えかかっていたようです。これを憂いていた若い政府職員が翁に相談したのがきっかけで、彼はそれまでの弁護士の職を辞し、アラン諸島へ乗り込み、家々をおかみさんたちの説得に回りました。「私が注文を出すから、セーターを編んでくれないか」と。一九五七年のことです。

また、歴史家としてアランの風俗習慣を熱心に調査し、数冊の著作も残しています。島の貧困を救い、伝統工芸を守ってくれた彼の功績に島の年寄りたちは今でも彼に感謝しています。アイルランド国内ではアランセーターのための特殊な編み糸を確保するために奔走し、また出来たセーターを抱えて世界各地に売り込みにも行きました。

とても日本が好きで、この二十年来、年に一~三回のペースで来日していました。亡くなる二週間前にも東京と大阪に数日間、私と一緒に滞在し、私とのアランセーターの日本代理人契約に喜んでいた矢先の出来事でした。

アランセーターの復興と普及に自らの後半生を賭けた尊敬すべき頑固なアイリッシュの冥福を祈り、その遺志を日本で何としても守り続けていく私の決意を墓前に伝えるため、急遽ダブリンへ飛ぶことになりました。しばしの不在をお許し下さい。行って参ります。