倶樂部余話【448】エベレスト、12年ぶりの復活 (2026年2月1日) 


 今回は業界紙へのプレスリリースのように書いてみます。

 静岡市のメンズショップ「ジャックノザワヤ」(代表・野沢弥一郎)は、英国「アンダーソン」社が手掛けるシェットランドセーターの名品「エベレスト」を2026年秋より12年ぶりに輸入販売することを発表します。

 今から150年前の1873年(和暦では明治6年)に英国シェトランド島ラーウィックに創業したアンダーソンAnderson&Coはシェトランドウールを使ったセーターやレースショール、靴下、下着などのハンドメイドの商品を数多く扱い、1890年代にはいち早くメールオーダーのカタログを作って広く英国本土からの注文も集めていた繁盛店でした。中でもオリジナルブレンドの毛糸を使いハンドフレームで縫い目なく編み上げた同社のセーターが1953年のエベレスト初登頂に成功した英国ヒラリー遠征隊に着用されたことから、このセーターはエベレストEverestと呼ばれるようになりました。エベレストのセーターは今世紀になって広く海外でも販売されるようになり、我が国でも人気を博し、ジャックノザワヤ(当時の店名はセヴィルロウ倶樂部)も輸入卸を通じて2005年から2014年まで相当な数量を販売し、その間オーナーのリースク夫妻とはダブリンの展示会で何度も会って交友を深めていました。
 ところが2014年エベレストは突然生産が休止になります。古い手横の編機の維持管理が難しく人の確保もできなくなった、というのが表向きの理由でしたが、後で聞いたところ、リースク氏の健康上の問題であったらしく、つまりは終活の事業縮小であって、その後すぐにリースク夫妻は亡くなり、残った小売の店舗を、長年の従業員であったケイラとジョンのロバートソン夫妻が引き継ぎましたが、それ以来エベレストのセーターはマーケットから忽然と姿を消したのでした。
 それから10年の歳月が流れ昨年の11月、一通のメールが野沢のもとに入りました。「こちらはアンダーソンです。エベレストを復活しました」という知らせ。個人顧客向けの拙いDMメールで半信半疑のところ、ちょうど来日していた同じシェトランド島のニットメイカー、ジェイミーソンJamiesonsの社長ピーターに相談したところ「Jack、よく掴んだなその情報。うちの店とアンダーソンの店は斜向かい、10メートルも離れてないんだ。うちの娘とケイラは小学校からの同級生だよ」
 その言葉に背中を押され、この1月、野沢は意を決してシェトランド島を訪れ、商談に臨みました。今回のエベレストの再開は店売りだけのつもりで、卸売もましては日本への輸出なども考えいなかったアンダーソンでしたが、年間の取引量は30枚程度、こちらも卸売はせず小売だけで販売する、価格はできるだけ現地価格に近づける、などなどを話し合いました。
 商品の内容や価格については、ジャックノザワヤのwebサイトに詳細の紹介をゆずりますが、12年ぶりのエベレストの復活は業界の話題なることは間違いないでしょう。

 こんな感じかな。自慢話も大概にしろって、か。(弥)

倶樂部余話【447】ファイト、フォルティウス (2026年1月2日)


 あけましておめでとうございます。
 昨年で一番嬉しかったこと(仕事や家庭のことを除くと)、それが女子カーリング・フォルティウスの五輪出場決定です。数々の崖っぷちのピンチを乗り越えてようやく掴んだミラノ行きの切符です。
 ロコ・ソラーレが文字通り太陽ならば、フォルティウスは月。判官贔屓といいますか、私は弱い方に味方して応援するのが自らの達というのか、実はかなり以前からこのチームを応援してきました。
 出産を経て5度目の挑戦に臨んだスキップ吉村、ソチ代表となりながらインフルエンザで出場できず、常に病気と怪我に力を阻まれてきたセカンド小野寺、
コーチ陣の船山、小笠原も実績を残しながらもやり残した思いを持ちながら、
その間チームはあと一歩のところをさまよい、スポンサーを失って財政的にも苦しい日々を続けました。
 中でも私がとりわけずっと動向を見ていたのがリードの近江谷杏菜なんです。
地元常呂の中学の先輩、本橋に引き上げられて弱冠20歳の最年少で出場したバンクーバーでの彼女の生意気ではっちゃけた姿勢に私はとっても好感を抱いたのですが、本番では途中で極度の不振となり、メンバーを外され不本意なままで五輪を終えます。
 この大会はカー娘、もぐもぐタイムなどの流行語を生み、カーリング人気の発端となります。先輩のマリリン本橋はその後地元でロコ・ソラーレを立ち上げ栄光の道を進んでいきますが、後輩の近江谷は、本橋と袂を分かち、故郷北海道を離れ青森に移りくすぶり続けていたところで札幌のフォルティウスに加入、とうとう苦節16年、今度は最年長のまとめ役として、2度目の五輪出場をその手に掴んだのです。
 稚内での決定戦、崖っぷちにありながらの、吉村の最後の一投。前回は短すぎて苦杯を舐めましたが、今度はオーバー気味、ヒヤヒヤドキドキ、またもや万事休すか、、、ストーンがギリのところで止まってくれて、、、いやはやこれには泣けました。ここで日本代表の座を得たのにまだ終わりじゃないんです。肝心の枠がない。その枠を取りにカナダへ。ここで負けたら今までの努力が水の泡。近江谷にとっては因縁のカナダでしたが、ノルウェーの自滅ミスもあって、見事な勝利。ついにイタリア行きの切符を手に入れました。バンザイ、おめでとう、良かったね。
 でもこれがゴールじゃない、スタートラインに立てたところです。ゴールは金メダル。
これだけの道程を歩んできたんだ、君たちなら出せる結果がある。もう来月です、ファイト、フォルティウス。(弥) (文中敬称略)