10月、岩手県花巻近郊にある小さなファクトリーを訪問しました。ここは、間違いなく現在の日本で最もいいスーツを作る工場のひとつと言えます。他と何が違うのかを一言で言うと、イタリアはミラノ、カラチェニ派の生み出したスーツ作りの遺伝子がそのままの姿で引き継がれている我が国唯一のファクトリーだということでしょう。
スーツの工場を見学するのは久しぶりのこと。過去に訪れたことのある何カ所かの工場は、皆、最新の米製機械を導入し、いかに効率よく機械化していくか、を競うような気風がありましたが、ここはそれとは正反対で、私でさえ、初めて見る縫製技術が数多くあって、工場というより、ハンドメイドを分業化し、必要最小限の部分を機械で代用しているだけの工房、といった方がふさわしいものでした。
名だたるブランドが並ぶこのラインにこれからは当店のオーダースーツも流れるのだと思うと、嬉しくて背筋がぞくっと震えました。
ここで、こう思う方もいることでしょう。英国セヴィルロウの名を冠する当店がミラノ直伝の技術と組むことは矛盾しないのか、と。まあ、組みますと言ったからには、当然に、結論としては、矛盾しない、ということなのですが、コレを難しく言うことは割と簡単で、簡単に言うのはとても難しいことなんです。以下、できるだけ平易に書いていくつもりですが、難しいと思ったら読み飛ばして下さい。
確かに、この店の開店当時(1987年)はアルマーニのソフトスーツが全盛の頃で、巷が伊の流行なのになぜ今英国なの、とよく言われたこともありましたし、正直、私もしばらくは、英vs伊、という構図で考えていた向きがありました。
しかし、この三年ほど、実際にこの目でロンドンとミラノを眺めてみると、その考えは完全に変化し、英→伊、の図式がはっきり見えてきたのです。ロンドンへ行くと、英を代表するような著名ブランドの多くは、海外資本家にのれん代を切り売りすることに躍起な反面で、そのスーツ自体はほとんどが伊製になっていますし、片や、ミラノへ行くと、伊のお店がどこも大変英国好きだということに驚かされます。英国のスーツ作りの遺伝子が伊へ移って息づいている、というのが実感でした。
とはいえ、いっとき「伊より英でしょ」と言っていた自説をかように翻すにいたるのは、やはりいくつかの「目からウロコ」が私に浴びせられたからでした。
例えば、「我々の仕事は、アメリカから始まって、英国をつぶさに見、そしていいモノを追い求めていった末に今イタリアにたどり着いている。太平洋と大西洋を渡り、いわば東回りでイタリアに来ているわけだ。いきなり日本から西に直行便でイタリアに降り立ったとしたら、今のイタリアの紳士服は理解できないだろう。」(常に私の指南役でもある赤峰幸生氏。信濃屋の白井俊夫氏との対談より)
また、同業の友人からは「パリにオールド・イングランドがあり、ナポリにロンドンハウスがあるように、シズオカにセヴィルロウがある、ってことなんだね。」と呟かれたり。(そりゃちょっとおこがましすぎる、月とスッポンだよ。)
また、「筆者は服飾評論家という職業を生業としているため、いろいろな人から『今はどこの国のスーツが良いのですか?』という質問を受けます。たしかにスーツのルーツは英国にあり、伝統的にみてもサヴィル・ロウは偉大な足跡を残しています。しかし現代にフィットしたスーツ、また未来に生き残るスーツを考えるとき、いまだに英国がスーツ界のトップに君臨しているとはどうしても思えないのです。現在、世界で最も優れたスーツを作っているのはイタリアです。」(遠山周平「背広のプライド」より)と、断言されては、少し悲しくもありますが、確かに事実だろうと感じざるを得ません。
思えば戦後の英米の紳士服職人の手練れの多くはイタリアからの移民でした。戦後復興なった1970年代には彼らはイタリアへ戻り自らの店を持つかたわら、その後も英米の名ファクトリーの指導を手掛けていました。中でも、ドメニコ・カラチェニ氏は、セヴィルロウのスーツスタイルを忠実に踏襲しつつ、自ら産み出したフラットテーラリングという画期的な手法によって、当時のセヴィルロウの鎧のような堅さを取り去り、より軽くナチュラルなスーツへと「進化」させることに成功したのです。彼は「クラシコ・イタリアーノの最大の貢献者」(落合正勝氏)とまで評されています。(ちょうど、日本のメンズ服飾業界がみんなどこかで必ずVANの影響を受けている、というのに似ている、と感じるのは私だけでしょうか。)現在のミラノの紳士服界は、カラチェニの弟子、孫弟子、ひ孫弟子たちによって形成され、隆盛を極めているわけです。
つまり当店がカラチェニ直伝の技術を導入するのは、英が伊に負けた、とか、今のトレンドがいわゆる「クラシコ・イタリア」(この言葉もかなり誤解が大きいようですね。私は、イタリア人が好む英国の味、と捉えると分かりやすいと思いますが…)だからそっちへ流れた、とか、という一時的なシフトではなく、セヴィルロウスタイルの進化の一過程、なのだと言えます。
言うまでもありませんが、当店は、決して19世紀英国紳士服の博物館ではありません。21世紀の日本人を顧客に持つショップですから、現代人により良い品を提供するためであれば、進化や革新を怠ってはならないのです。でも、店の軸はいつまでも変わることはないのです。変わらないために変える。その変わらない軸こそが、(パリやナポリのお店と同様に!)「英國氣質」ということなのです。