倶樂部余話【三十九】暑くない背広「静岡仕様」の登場です(一九九二年三月十四日)


冬と夏では、背広を買うという同じ行為でも、その動機はずいぶんと違うようです。極端に言うと、冬は「着たい」という「夢」を追えるのに対して、夏は「できれば着たくない」という「現実」が厳然と横たわっているように感じます。それほどにビジネスマンにとって、真夏にも背広を着なければ行けないということは「大いなる苦痛」だということでしょう。

当店では、二年ほど前から、業界に対して「真夏のビジネスマンにこれ以上暑さのやせ我慢を押し付けるのはやめようじゃないか」と提案し続けてきましたが、ようやくこの夏もので、皆様にひとつの答えをお見せできることになりました。それが主力取引先Mが開発した温暖地特別仕様で、裏地に特殊なメッシュ素材を使い、他の副素材にも工夫を凝らし、通気性と軽量性を格段に良くしました。袖の裏地も同様ですから、半袖シャツの上から着ても腕がべと付くことがありません。もちろん外見は一般仕様のものと何ら変わりはなく、料金のアップもありません。着ているものだけが味わえる「大いなる快感」なのです。

背広というのは、元来、裏地や芯地が表地と互いに支え合うことで美しい形を作っているものですので、縫製グレードを落とすことなく仕立てを簡略化させるということは、かえって手間の掛かる高度の技術レベルが必要な仕様なのです。

まさに亜熱帯とも言える静岡の夏に待ち望んでいた仕様で、当店では親しみを込めてこれを「静岡仕様」と名付け、広く皆様にお薦めしていくことといたしました。

 (中略)

これでお客様から夏に出される二つの大難題のうちのひとつ「暑くない背広を下さい」については何とか解決しました。あとのひとつは「汚れない白色を下さい」なのですが…。

 

※まだ「クールビズ」なんて言葉ができる前の懐かしい時代の話です。