【倶樂部余話】 No.278 いわゆる福袋に関する若干の考察 (2011.12.25)


 三十年ほど前、まだ私が新入社員だった頃、福袋の企画会議で「いっそ透明な袋で中身を見せちゃえば…」と提案したところ、一笑に付せられ即却下されました。あまりに時代が早すぎましたね。今じゃ、中身が見えるは当たり前、年内にネットで予約して正月に配達というのも珍しくありません。でも、これじゃ、鮨屋でにぎりの出前を頼むのと何ら変わらず、あるいは大吉ばかりのおみくじを引くようで、こんな運試しにもならないハズレなしのものを果たして福袋と呼んでいいものやら、と感じます。
 先日ある会合で「この正月、福袋は売れるか」が話題になりました。福袋を買う習慣のない私は「大震災の以降、不要なモノや余計なモノはただでもいらない、という風潮が強くなっている。さらに今の消費者はハズレを引くことをすごく怖がるだろ。だからこの正月の福袋は売れないに違いない」との意見です。しかし福袋の好きな友人は「福袋っていうのは、例えば五万円相当を1万円で買った、ということだけで幸せなんだよ。震災の落胆から復興へ向かうこんなときだからこそ、得をした、運がいいぞ、という気持ちをより味わいたいものだ。だから今年の福袋は売れるはず」と反論します。さて、どちらに軍配が挙がるか、あと二週間もすれば分かるはずです。それを私は年頭の運試しにすることにしましょう。
 メリー・クリスマス。今年一年のご愛顧に感謝します。皆様よいお年をお迎え下さい。(弥)

【倶樂部余話】 No.277 レビュ男くんレビュ子さん (2011.12.1)


 ネットでよくある「レビュー」というやつ。実際に使った(読んだ、観た)人の評価とか感想などと訳せばいいのでしょうか。私も、宿探しや書籍選びには割と参考にします。映画だけは事前に調べすぎると期待が膨らみすぎて落胆することが多いので、事後にだけ読むことにしました。しかし、利用しながらその反面で思うのです、レビューばかり当てにしてると自分で判断する能力をなくしてしまうぞ、と。
 私は仕入れのときに「一番注文が付いてるのはどれ?」と売り手に尋ねることがあります。それは自分の店で誰に何をどう勧めたいかを判断する材料として知っておきたいからですが、よその店で客として自分のモノを買うときには「一番売れてるのはどれ?」とは聞きません。自分が買うモノには自分なりの理由があるからです。ところが近ごろ若い方から「これとこれ、どっちがよく売れてるんですか?」「お勧めはどれですか?」といった類の問い合わせが増えたなぁと感じているのです。そのくせ、どの服に合わせたいか、どう使いたいか、など、自分のことは一切話さず、ひたすら最大公約数のレビューを求めてくる、レビュ男くんレビュ子さんたちなのです。
 失敗することをものすごく恐れているのが今の若い人たちなのかな、と少し気の毒にもなります。失敗は成功のもと、とか、三度目の正直、とか、七転び八起き、とか、急がば回れ、とか、紆余曲折、とか、彼らにはそういう言葉が通じなくなるのでしょうか。
 将来アマゾンが婚活ビジネスを始めて、こんなモノを買っているあなたにはこんな人がお薦めです、などと言われると、その通りに結婚相手を決めてしまう、なんていう社会になってしまったら…。ああ、恐ろしや恐ろしや。(弥)

【倶樂部余話】 No.276 父を天に送りました (2011.11.1)


 父、野沢武良男を天に送りました。享年八十歳。「変わらずいつもお洒落だね、ダンディだね」と言われるのが嬉しくて、帽子とステッキで呉服町通りを闊歩して店へ往来する父の姿はお客様にもお馴染みだったことと思います。
 「銀座をつまらなくしたのは、ボールペン、ビニール傘、百円ライター、この三つだそうです。でも故人にはこれらは全く無縁でした。彼は、万年筆にこうもり傘にデュポン、の粋な人でした」交遊の深かったエッセイストの山川静夫さんからはそんな弔辞もいただきました。
 三年前にちっちゃな膵臓がんが見つかり、切らずに抗がん剤治療を続けていました。いよいよ痛みとの戦いになるのか、という矢先、パタンとあっけなく逝ってしまい、本人が望んでいたピンピンコロリにかなり近いものでした。
 振り返れば呉服町通りの野澤屋ビルにVANを扱うジャックを開店したのが四十年前。以来、静岡にトラッドなメンズファッションを根付かせる、という創業の精神が今のこの店へとつながっています。その流れを絶やさぬよう、後継者の私は努めなければなりません。
 まだまだ事後のあれこれがいろいろとあって落ち着きませんが、取り急ぎご報告まで。今後ともよろしくお願いいたします。(弥)

【倶樂部余話】 No.275 ボストンみやげで経済学 (2011.10.1)


 大学生の長女が夏休みにボストンに行くというので、「ハーバード大学の生協でコレ買ってきて」とメールを送りました。40年前に初めてアメリカ旅行に行った父から土産でもらった69㌣のノートです。別段珍しいモノではなかったと思うのですが、私にとっては、これこそアイビーの本物だぞ、と、割と大切に使ったものでありました。現地からメールが届き「表紙が少し違うけどほぼ同じモノありました。でも値段は 40年前の8倍です」と。ということは10年ごとに倍々かぁ。米国の物価って随分と上がったんだなあと実感します。娘へ返信。「ドルでは8倍でも円換算だと、驚くなかれたったの2倍なんです。40年前は1㌦=300円の時代、今はその1/4だからね。」
 そう言いながらも、えっホントかなぁ、と思って、今度はこの40年間の日本の物価指数を調べてみました。すると、前半の20年で3倍に上がったきり、それ以降の後半20年間というもの我が国の物価はほとんど上がってないのです。いわゆる「失われた20年」にあたるところです。その間米国や欧州の物価は上がり続け同時に円高も進みました。そしてちょっと計算してみたら面白いことが分かりました。このノートの値段は円にするとこの20年間ずっと変わらないのです。経済学者が「物価の変化を加味すると今の為替水準は異常な円高ではない」と言っているのがようやく理解できました。
 同じ様なことが、先日アイルランドから3年振りに仕入れた商品でも起こりました。3年前と全く同じジャケットを頼んだところ、現地の価格は4割も上がっていて「こりゃ困ったなあ」と頭を抱えていたのですが、入荷してみたらユーロが4割安くなっていて、結果として仕入れ値は変わらなかったというオチになったのです。
 一冊のノートのおかげで、為替と物価の勉強ができました。さて当時の69㌣は今の貨幣価値に直すと1,600円。私は随分と贅沢なノートを父からもらったのですね。(弥)

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【倶樂部余話】 No.274 ぜんぶお任せで (2011.8.25)


 「ぜんぶお任せしますので」というお客様。実はこれが一番難しい注文でして、どちらかというと苦手なほうでした。
 スーツにせよ、シャツや靴にせよ、オーダーの場合には寸法を採ること以外に、決めなければいけないことが山ほどあります。着用頻度、素材決め、季節は、価格は、裏地やボタンは、オプションはどうする、と数々の選択肢のうちから、ああしよう、こうしようと、悩みながら話し合いながら決めていく、これがオーダーすることの醍醐味で楽しみだと思うので、できるだけお客様には時間を取ってもらい、一緒に決めていく方がいいのだ、と考えていました。ですから「面倒くさいよ」という方にもお付き合いいただいてバカ正直にひとつひとつ確認をしながら進めました。まあ、要望を完全に汲み取れる自信もありませんし、後から「こんなこと頼んでないよ」と怒られるのも怖いものですし。
 しかし、近頃、思い直しました。それは、自分への逃げであり、言い訳であり、本物のプロではない、と。どんな理由だろうと「任せる」と頼まれた以上は、瞬時にしてその人の嗜好と目的を見抜き、なるべく時間と手間を煩わすことなく、限りなく「お任せ」いただいてしかもベストな満足感も味わっていただく。これこそが真のプロではないだろうか、と。
 正直、怖いです、自信ないです、ビビります。でも今後は「ぜんぶお任せで」と言われても引くことなく、にっこり笑顔で「はい、安心してお任せ下さい」とお受けできるように努めます。(弥)

【倶樂部余話】 No.273 アランセーターの新局面 (2011.8.1)


 四半世紀ずっと変わらずに売り続けている当店のアランセーターですが、今年から新しい局面を迎えます。簡単に言うと、仲介者が変わるのです。
 私は2002年に「アイルランド/アランセーターの伝説」を著しましたが、それはアランセーターを世に広めた一人のアイルランド人オシォコン翁が1995年に逝去したことが執筆を始めた動機でした。その恩人の死は、私に本を書くきっかけを与えてくれたのですが、同時に、皮肉にも今まで彼が築いてきたアランセーターの供給システムの支柱を失ってしまったことをも意味していました。実は、拙著の出版が決まったのと同じ頃、彼がアイルランドで備蓄していた数百枚の古いアランセーターの在庫を私がすべて引き取ることにして、日本に送らせたのでした。それを十年掛けて選り分けながら少しずつ販売してきたのですが、しかしそれもそろそろ底が見え始めていたのでした。
  この十年、アイルランドは空前のバブル景気から一転してどん底へ、その割にアラン諸島への観光客は減ることもなく、つまり、セーターを編んでもいいという人もそのセーターを欲しいという人もいなくならなくて、もうきっと消滅するに違いないと思っていた本物のアランセーターは、意外にもしっかり生き延びてある店に集まっていました。そのキーパーソンはアン・オモーリャ夫人。彼女に会うためにこの一月、私はアイルランド西岸の街ゴルウェイに飛びました。
 彼女はニューヨークでのニットフェアに参加中でしたが帰国を急遽一日早めてくれて、私の方もフライトを無理矢理一日遅らせて、ようやく実現した数時間だけのランデブー。12年振りの再会でしたが、そのミーティングは、それはそれはディープなアランセーター談義となり、彼女は快く私の願いを聞き入れてくれたのです。
 そして、何年振りかで新しいアランセーターが入ってきます。到着は九月半ばの予定。早く来い来い秋の風。(弥)

【倶樂部余話】 No.272 年表に載る年 (2011.7.1)


 子供の頃、うちのトイレには歴史年表が貼ってありました。その年と出来事を眺めながら「実際に当時に暮らしている市井の人々は、自分の今生きてるこの年が将来の年表に載るなんて、きっと思ってもみなかっただろうなぁ」と漠然と感じたものです。その感想は、645年でも1192年でもいいのですが、例えば1945年ならば、朝ドラの「おひさま」を視ているとやはり同じ思いを抱くのです。
 しかし、はっきりと分かってしまったことがあります。2011。この数字は間違いなく将来の歴史年表に載ることになるでしょう。しかもそれは日本史だけではなく、世界中の世界史年表にフクシマの文字とともに残るのです。今、私たちの生きているこのときが、です。私たちは年表に載るような瞬間に立ち会うことになってしまった。そんなふうに思うのは私だけでしょうか。
 そして、2011年の夏は、今までとは全く違う未経験の夏、となることでしょう。電力以外にも過去の実績がまるで役に立たないようなさまざまな事態がまだいろいろと起きるのだろうと思います。
 でも、でもですね、それでも私たちはその中で仕事をするのです。「どこもセールセールって、洋服屋は値下げしか能がないのか」と言われそうですが、この夏については悔しくもそれは否めない部分があります。なんのかんの言っても、やることちゃんとやらないと。
 かくして、夏物処分、です。8月から7月に決算を変えたというこちら側の事情もあって、今年は時期早めかつ値下げ幅大きめ、です。どうかご協力を、とお願いする次第であります。(弥)

【倶樂部余話】 No.271 靴もベルトも服のうち? (2011.6.15)


 店で扱う品を素材の順にすると、毛、綿、の次は、麻でも絹でもなくて、「革」なのです。レザーは思いのほか重要なウェイトを占めているのです。
 靴を「履く」、ベルトを「締める」、手袋を「填(は)める」。日本語の表現は実に豊かですが、英語ではすべて動詞はwearです。あと、帽子を「被(かぶ)る」、もやはりwearです。ですから、靴もベルトも手袋も帽子も、西洋風には広義にみなwear(=衣類)と総称してもよいのでしょう。洋服屋がこれらを一緒に扱うことに違和感がないのは、そんな理由からかもしれませんね。
 洋服も革靴も、日本ではともに明治の文明開化からその歴史が始まりました。洋服は誂え(オーダー)から大正昭和と経て徐々に既製服への流れを歩みましたが、靴の方は比較的早くから既製品化が進み、そのため足に靴を合わせるのではなくて、逆に靴に足を合わせる、ということが普通の感覚に思えるようになってしまったのでしょう。これは、江戸時代からもともと和服も誂えることが珍しくなかったのに対して、下駄・草履・足袋などの履物はとっくに既製品として存在していたことも関係しているのではないかと思われます。
 だからでしょうか、スーツを作ろう!シャツを作ろう!という呼び掛けに抵抗を示す方は少ないのですが、靴を作ろう!との誘いには「何もわざわざ誂えなくっても…」と、かなり珍しいことのように躊躇される方が多いのも仕方ないことなのかもしれません。服では当たり前の「一点流しのパターンオーダー」を革靴の世界で実現した宮城興業の仕組みは世界でも類を見ない「コロンブスの卵」的な快挙であって(ついに特許申請をするらしいですね)、思ったよりも簡単に自分に合った靴ができるのに、悔しいかな、靴を作るのはどうも服を作るよりも気持ちのハードルが高いようなのです。
 なので、服の売上が一段落する夏のこの時期は、毎年誂え靴のキャンペーンを張ることにしています。特に「はじめの一足」の方を大優遇します。「とにかくまず一足作っていただければ」の思いが強いので。実際それほど面倒なことではありません。ぜひお気軽にお出掛けいただければと願っています。(弥)

【倶樂部余話】 No.270 スーパークールビズって何じゃらほい? (2011.5.22)


 近所の学生服店の看板には「服装の乱れは心の赤信号」とあります。また、人は見掛けによらない、ともよく言われます。そう、見掛けってとても大切です。沖縄の人がかりゆしを仕事着にできるのは、その見掛けが伝統文化のアピールになるから、であって、単に涼しいから着ているわけではないのですよね。
 何を言いたいか、もうお分かりでしょう。クールビズです。前後一カ月ずつの期間延長で五月から十月までの半年間ですって。十月なんてもう冬物商戦真っ盛りだというのにまだ残暑気分を引っ張れというのでしょうか。まあ、今年の特殊事情を考えればそれもある程度は仕方ないとしても、呆れ果てたのは環境省が言い出した「スーパー・クールビズ」であります。アロハもTシャツもジーンズもサンダルも「何でもあり」なんて、これはもう話題作りだけの愚挙としか思えません。「装う」という文化を一体何だとお考えなのか。
 こう言うと、じゃ君は節電に協力しないのか、とお叱りを受けそうですが、そうじゃないんです。例えば勤務の曜日や時間帯をずらす施策は直接に電力需要を左右するのに対して、ネクタイを外しても短パンを履いても、そのこと自体は何も電力のセーブにはつながらないのですよ。クールビズとは「微弱冷房下でも快適に過ごせるように職場のルールを甘くしましょう」という間接的な啓蒙なんですが、悲しいかなそこがニッポン、一度決めたら「右へ倣え」なんですね。で、本来はネクタイを「してもしなくてもいい」なのが、あっけなく「ネクタイはダメ」になってしまうのですね。
 かつて自由と解放の象徴だったTシャツにジーンズがクールビズでOKになり、逆に管理社会のシンボルのようなネクタイはご法度とは。この夏はネクタイを締めることのできる人こそが自由な精神の持ち主のように見えてしまうのかもしれませんね。 (弥)

【倶樂部余話】 No.269 ロイヤルウェディング (2011.4.25)


 今年のオスカーを獲った映画「英国王のスピーチ」を観ました。ジョージ6世の吃音を巡る実話で、リーダーに必要な資質とは何なのか、を考えさせられました。もうひとつの私の関心は、主役の兄で、人妻との恋のために王位を捨てた、エドワード8世(ウインザー公)の方にもあり、今もメンズファッションに大きな影響を残している彼の服装をじっくりと観察することでした。グレンチェックの柄がプリンス・オブ・ウェールズ(=皇太子)の別名で呼ばれているのもなるほどと納得。紳士服飾界では、稀代の大先生として、数え切れないほど多くのお手本を示してくれた彼ですが、国王という立場ではちょっと困ったお方だったんですね。
 さて、この映画の主人公のひ孫にあたるのがウイリアム王子。彼とケイト嬢の挙式が目前に迫りました。彼の両親、チャールズとダイアナのあの時から三十年振りのロイヤルウェディングに、国内外から注目が集まっています。時節を得たように礼装の知識についての特集も多く目にするようになりました。仕事柄、近刊の本や雑誌には大体目を通しましたが、私が皆様に長年アドバイスし続けているフォーマルの知識にほぼ間違いはなく、ひと安心しています。皆様が完璧に覚えておく必要はありませんので、困ったらどうぞ私に聞いて下さい。
 婚礼の映像に、きっと世界中の視聴者の目は花嫁衣装にばかり注がれるのでしょうが、私は新郎始め男たちの服装を目を皿のようにしてチェックすることになるでしょう。楽しみです。(弥)