倶樂部余話【一一四】九八年の語録(一九九八年一二月一日)


永六輔的「語録」で今年の余話を締めくくってみます。

◎商品試験や作業場見学など、お世話になっているクリーニング業のオヤジさんI氏。
 
「いいかい、クリーニング屋の仕事ってのは、服の汚れを完璧に落としてキレイにするのが第一なんだ。それを新品同様に戻してくれる仕事だと勘違いしてる客が多すぎるよ。誰もそんな魔法は持っちゃいないよ」(これは、目からウロコでした)

◎大磯在住の文筆業S氏は乗物愛好家で全国の都市を駆け回るシティウォッチャー。雑誌の取材が縁で、以来しばしば家族で当店を訪れてくれる。
 
「静岡の街はとっても楽しい。少し横道に入ると、古い店新しい店、ユニークな小さい個店がたくさん発見できる。こんなエキサイティングな街はちょっとないね」(この街、もっと自慢してもいいのかも)
 
◎私が第三の父と慕う、福岡でハンドニット会社を営むE氏。今年、阿蘇の山中に自作のセーターを制作販売する、念願のニット工房を開設した。
 
「今の世の中、作り手の思いが伝わる商品が少なすぎます。お客さんはもっとそれを知りたがっているはずなのに。でも、あなたのハガキの小さな文字からはそれが伝わるんです」(ありがとうございます)
 
◎これも九州・福岡のメンズ専門店バイヤーT氏。商品選択の卓越した目利きは業界屈指との評判。私の仲介で、幻と思われていた本物のアランセーターを取り扱うことになったとき、ぼそっと囁いた。
 
「願いって、願い続けると叶うものなんですね」(嬉しかった。彼のモノへの執念がそれを可能にしたのです)
 
◎先日のしし座流星群を百八十個観測した小三の我が長女。算数と国語の二科目同時満点という快挙?を成し遂げ、教壇に向かって思わず、
 
「先生、これって夢ですか?」(流れ星への祈りが通じたのか。親バカでした)

メリー・クリスマス!



倶樂部余話【一一三】季節性とトレンド性(一九九八年一一月一日)


九月にお話しした世紀末的な予測に、景気と天気の要因が加わり、顕著になってきたのが、売れているものは季節性の弱いモノとトレンド性の弱いモノ、という傾向です。この傾向が今後も増してくると次のようなことが想像できます。

まず、セールが変化します。店がセールをするのは、季節性とトレンド性の強いモノを利益を削っても早く処分したいという思惑からですが、買う側からすると、そういうモノはいくら値が下がっても魅力がない。むしろセール除外品の方に注目が集まり、セールになるようなモノは買わない。となると、店も客もセールに頼ることができなくなり、いずれはセール不要ということも考えられます。当然、店が今以上に適時適価に努めなければならないのは言うまでもありません。

次に、トレンドのない良質なモノは長く使えますから、買い替えるというよりも買い足すという発想となり、一人当たりの購買額は減少します。理論上、新しいお客様が増えないと売上げの維持ができなくなります。これにはもう、顧客からの口コミが最善策なのです。お陰様でメンバーズの皆様には、今でもこの期待に充分に応えていただいていますので、感謝に堪えませんが、しかし更に更に「当店を会話のネタに」をお願いする次第です。

倶樂部余話【一一二】横浜ベイスターズ優勝セール(一九九八年一〇月一日)


一九七八年、二十歳のとき。その年の正月に私は静岡の洋服屋の跡継ぎになることを決めました。そのことは同時に住み続けた湘南の地をいずれは去らねばならないということを意味していました。四月キャンディーズ解散、六月に郷土の新星サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」で鮮烈デビュー、八月には初めて三週間のアメリカ横断の旅に出ました。

その春、遊び慣れた横浜の平和公園に三角形の照明灯を配した青々としたスタジアムが完成、大洋ホエールズ(現・横浜ベイスターズ)が川崎から移ってきて、横浜大洋ホエールズが誕生しました。いずれは後にする青春の思い出の地との繋がりを探っていた私の思いはこの目にも鮮やかなマリンブルーのユニフォームに注がれました。

以来二十年、監督は十一人を数え、最下位も四回。万年Bクラスで横浜大洋銀行などと嘲笑されても、私はハマのクジラたちに一喜一憂し続けてきました。

そして、いよいよ今月、悲願の三十八年振りの優勝に手が掛かりました。私の二十年来の夢がまもなく叶います。もう嬉しくて嬉しくて、公私混同は承知なのにどうしようもなくて、この熱い思いを本号で伝えてしまうことにしました。

YOKOHAMA、バンザ~イ!

 

※ということで、オーナー独裁で、リーグ優勝の翌日一〇月九日に一日限りで全品15%オフの優勝セールをやりました。大賑わいでした。

 

倶樂部余話【一一一】ドゥーリンのパブにて(一九九八年九月一日)


アイルランド西岸クレア。アラン諸島を対岸間近に臨むこの一帯は、今でも古いケルトの風習が残る、ハート・オブ・アイルランドともいえる地域だ。

去る一月、夏になればアラン諸島イニシイアへの渡し船も出るドゥーリンという田舎町のパブを訪れたときの忘れられない出来事である。

土地の人たちが奏でる伝統音楽の名演にドップリと浸かっていると、一人の青年が声を掛けてきた。地元の観光局に勤める彼は、当然アラン諸島のこと、もちろんアランセーターのことにもやたら詳しい。亡くなったオシォコン翁の思い出話や名編み手モーリン・ニ・ドゥンネルの逸話など、アラン・マニアならではの会話が弾み、私はしばし有頂天の気分だった。

突然、彼は私の着ている自慢のアランセーターを指差し、「あんたの着ているのは本物じゃないな」と言い放った。何をヌかすか、と一瞬ムッとしたが、彼曰く「もともとアランセーターは二種類の柄を編み込むものだ。君のには三種類入っている」

さらに彼は続ける。「アランセーターもあと五年ぐらいでスタれるだろうね」この野郎、もう許せネー!しかし彼の言い分には一理あった。「まず、編める婆さんがどんどん減ってるだろ。それに何より、地元で着ている者すら少ないじゃないか。この音楽のように地元の生活に根付いて生き残っていかなきゃ伝統なんかまもれやしないのさ!

私は猛然と反駁した。島を去った娘を呼び戻してまで編み手を確保していること、コンスタントな生産体制を維持するため毎年一定量の注文を出し続けていること、などなど。多分滅茶苦茶な英語だったと思う。

 

ここまで私が食い下がってくるとは、彼も予想外だったに違いない。しかし、はるか極東の片隅で、アランの伝統を守るために奮闘している奴がいる、ということは、彼にもいささかの驚きと感動を与えたようだった。「楽しかったよ。また来いよ」さわやかな笑顔だった。

ロマンだけでは語れぬ厳しい現実を彼は言いたかったのだろう。満天の星空、海を渡る冷たい風にギネスの酔いは格別心地好かった。



倶樂部余話【一一〇】手提げ袋の一考察(一九九八年七月二〇日)


お店から持ち帰る様々な紙袋、どこのお宅でも溜まる一方ではないでしょうか。何かのためにと取っておいても、例えば、伊勢丹に行くのに松坂屋の袋は持てないとか、食べ物を靴屋の袋には入れたくないとか、結構その使い道には気を遣います。

一般的には、手提げ袋は宣伝物として考えられていて、売る側はお客様に「歩く広告塔」の工作員を演じてもらうことを期待しているわけですが、かえってそれが紙袋の再利用を阻害しているとも言えます。

ならばいっそ、ということで、当店では、新たに追加する手提げ袋から、大きな店マークの印刷を外してしまうことにしました。店名は目立たない箇所に小さく印刷するにとどめてます。丈夫な素材を使った原価二百円以上するしっかりした作りの袋ですので、どうか気遣いすることなくいろいろな用途にどんどん再利用していただきたいと願っています。

近ごろ目にする「この○○には再生紙を使用しています」という文言、これに私は企業の偽善者的姿勢を感じてしまって、実はあまり好きになれません。わざわざ書く必要がどこにあるのか分かりません。商人にとって一番身近なエコロジーは、無駄になるようなものをお客様に提供しない、ということではないでしょうか。商品にせよ、手提げ袋にせよ。

倶樂部余話【一〇八】アイリッシュ・ドレスデンを売るということ(一九九八年六月一日)


紳士服店で婦人服を併売することに違和感を覚えることは少ないでしょう。しかし、その逆はかなり難しいことです。さらに、ブラシ屋で紅茶は売れませんし、傘屋に石鹸は置いてません。ギネスビールの飲める下着屋があるでしょうか。このように当店は様々なものを飲み込んできました。

しかしその中でも今回の企画はかなり異色です。実用品でない美術宝飾品を扱うのは初めてですし、概ね女性しか関心を示さないという点でも異例です。

私自身、この精緻なる芸術品の魅力を完全に把握しているという自信はありませんが、私も一緒になってここ数年日本の各地で開催する「アイルランド・フェア」で、アイルランドを代表する工芸品として、アランセーターと並び称されるアイリッシュ・ドレスデンのレース磁器人形を、いつかは当店の皆様にご紹介したいと、ずっと願っていた企画なのです。

「ひとつも売れないかもしれませんよ」との念押しにもかかわらず、アイリッシュ・ドレスデン・ジャパン社の宮城央江社長は快く開催を引き受けてくれました。だから見に来ていただけるだけで結構です。一万円から二〇〇万円まで多種を一堂に展示します。世の中にこういう美術品があるのだと体感して下さい。

倶樂部余話【一〇七】ミレニアム(一九九八年五月四日)


世紀末である。辞書で「世紀末(decadant)」を引くと、退廃的、病的、との意味もあるが、これは一九世紀末に欧州、特にフランスで起きた「世も末だね」といった風潮を表現したもので、今二十世紀末に関しては少しニュアンスが違うようだ。

何しろ半端な世紀末ではない。千年祭(ミレニアム)なのだ。英国はロンドン・グリニッヂ近郊に巨大なミレニアムドームを建設中だし、西暦二千年には欧米の各地で記念イベントの計画がある。(面白いことに、二十一世紀の幕開けとなる二〇〇一年には何のプランもないらしい。) 千年前といえば、我が国では平安の世、源氏物語が出来た頃。史上二回目の千年祭という貴重な瞬間に巡り会えるとは、私たちは運がいい。

「二〇世紀/百の人・こと・発見」といった特集をよく目にするように、とにかく二〇世紀の総決算、いや源氏以来千年の一大総決算という流れが近頃はっきりと見えてきた。時代のキーワードは、リバイバル・懐古・焼き直し・復刻・パクリ・歴史・メモリーなどで、逆に今は、最先端・最新鋭・独創的などが隅に追いやられている。

時代傾向はファッションにも当然強く現れる。私はこの二〇世紀総決算ブームのピークこそが今年の秋冬だと予想している。しからば具体的には、というお話はまた秋口に触れることにしたい。



倶樂部余話【一〇六】北アイルランド(一九九八年四月八日)


プロ野球開幕です。我が横浜ベイスターズも今年こそ三十八年振りの悲願の優勝をと、幸先の良い三連勝のスタートを切りました。

さて、野球もさることながら、目下の関心事は、北アイルランド和平です。アメリカを仲裁役にしての英愛両国による円卓会議の和平合意期限が四月九日と目前に迫っており、この日までに合意案がまとまらないと、一二日のイースター(復活祭)のパレードで暴動が起きる危険も予想されています。自己破滅的に直進するアイルランド、二枚舌的外交術に長けた英国、四千万人のアイルランド系住民(クリントン家も)を抱えるアメリカ、この三者のせめぎ合いが連日続いています。長年の紛争に平和的解決の糸口が見いだせるよう、祈るばかりです。

そんな思いの中、映画「タイタニック」を観ました。単純な展開だけに、特撮モノとみるか恋愛モノとみるか、いろんな見方があると思います。私としては、一九一二年当時を忠実に考証した英国の紳士淑女の衣装は大変興味深いものでしたし、ケルトの調べやアイリッシュパブミュージックを効果的に使った音楽にも心震えました。支配するイングランドと支配される側のアイルランドという視点からも充分楽しめました。そう、この悲劇の豪華客船が造られた場所こそが、北アイルランド・ベルファストでありました。



倶樂部余話【一〇五】季節麻痺(一九九八年三月一〇日)


花粉症で、目薬とアイリッシュリネンのハンカチが欠かせない毎日です。変なことを言うようですが、実は私、この花粉症なるもの、結構好きなのです。

私の仕事上、秋の頃にはもう翌年の冬の仕掛けを考え始めるわけですから、常に一年先の四季が頭の中で混在しています。ときどき一体今が何月なのか一瞬忘れてしまうようなこともあります。そんな「季節麻痺」している私なのに、私の身体は春の訪れという微妙な季節の変化に明快な反応を示してくれます。自分も草木と同じひとつの生物なんだ、と言う感慨とでも言いましょうか。これほどに顕著に季節の変わり目を味わわせてくれる花粉症、私は嫌いになれないのです。

こんな気持ちにさせるもうひとつの要因として、冬の商いが終わり、ひと山超えたという安堵感があります。お陰様で秋冬の商いは二ケタ増の売上を記録し、あまり良い話の聞かれない今の時世で、この伸びは少しばかり誇れるのではないかと思います。しかも客数の伸びが著しく、この半年で約百名の新しいメンバーズのご登録をいただきました。もちろん数々の反省点はあるにせよ、ほぼ満足のいく半年だったと言えます。支えていただいた多くの方々に感謝いたします。

数字の小さくなる春夏期は、逆に遊ぶことのできる時期でもあります。スイスの下着、尾鷲の傘から、ニコラス・モスの陶器、アイリッシュドレスデン人形まで、春夏期ならではのゆとりある売場を楽しんでいただけると思います。もちろん、大好評でした「十周年企画」は春バージョンも提案いたします。

売上のバランスから言えば、確かに当店は冬の店でしょう。でも春夏のセヴィルロウ倶樂部もひと癖違ったいい味が出せるんですよ。

 

※開店十周年記念特別号・春の巻



倶樂部余話【一〇四】初めての東京展示会(一九九八年二月五日)


アイルランド出張から、今年は足止めもなく、無事帰国しました。

五回目の訪愛となった今回は、郊外の工場廻りに時間を割き、美しい緑の大地の中をレンタカーで走り回ってきました。最新のコンピュータ編み機を導入しているところもあれば、時代に取り残されたような田舎町で昔ながらの小さな紡績織物工場を六世代も守り続けているオヤジもいました。陶器の工房にも行きましたし、六年振りにアラン諸島を眺めることもできました。夜ともなれば地元のパブで夜な夜な名演奏に浸っておりました。

アイリッシュは生まれ育った土地への愛着がとても強く、故郷の自慢話を聞く度に,果たして日本人はこんなに気高く自分の故郷を誇れるものだろうか、と思うと、とても羨ましい気持ちがしました。

五十キロを超える持ち帰りの荷物の、半分は皆様への特別提供品(トランク・セール)、残りの半分が今月東京で催す展示会用のサンプルで、現在その準備に追われています。

この初の試みは、私が現地アイルランドで発掘や開発をしてきた日本未紹介の品々に興味を示してくれる同業者のために、アイルランド政府商務庁の支援を受けて実施するものです。

ただでさえ忙しそうなのに、東京の一流ホテルで展示会なんて、そんなでっかい事を始めて大丈夫なの、という危惧の声も正直あります。しかし、扱う品物はこの一年間当店でご紹介したものばかりですし、もちろん売り言葉も同じです。同じものを違う時期に違う相手に販売する、いわば二期作商法で、常に当店の方が1シーズン先行して動いていますから、何も全てに新しい事業を始めるわけではなく、「いいモノを発見してきて、それを紹介し、喜んでもらおう」という基本姿勢はまったく同じです。

つまり店をないがしろにして違うステップへ進もうとしているのではなく、あくまでも、始めに店ありき、の延長線上の仕事だと考えています。そして、必ず当店のお客様にいい効果がフィードバックされると確信しています。

とは言え、二月の入れ替え時期に三日間もスタッフごと店を空けるのは少し心苦しいものがあります。どうかご理解下さい。お江戸で一旗揚げてまいります。