【倶樂部余話】 No.307 初恋の味の思い出は苦い(2014.4.21)


 新しいドラマが目白押しなのになぜだかこの春は観たいドラマがどうにもなかなか見当たりません。その心持ちは、例えば本屋へ入っても欲しい本が一冊も選べないとか、映画を観ようと新聞の一覧を見渡しても観たい演目が一つもない、というのと似ています。その道のプロたちが当たると読んで売り出しているモノばかりだろうに、それが自分に引っ掛からないのは、きっと自らの感性のアンテナが鈍くなっているからだろう、当たるモノ当たらないモノをかぎ分ける自らの嗅覚に自信がぐらつきます。そんなときに思い出すのです、あのカルピスの思い出を。
 それは1991年、私33歳のとき。発売されたのがカルピスウォーターでした。ちなみにカルピスソーダはそのずっと前の73年に発売されていてすでに市場に定着していました。私、このカルピスウォーター、こんなモノ絶対売れない、と周囲に断言したのです。炭酸水ならともかく、ただ水で薄めただけのモノに誰が100円も払うものか、と。ところが結果はその年の流行番付・東の横綱という空前の大ヒット、今でもロングセラーの定番品となっています。ただ薄めただけじゃなくて粒子レベルの大変な開発の努力があったことはかなり経ってから知りましたが、当時の私はこの大当たりが全く予見できなかったことがものすごいショックでした。俺には売れ筋を見分ける力がないのか、時代の流れも読めないのか、と。売れると思ったものが売れなかった、というのは割とよくあることですが、売れないとドロップしたモノの中に売れ筋が潜んでいた、それを知った時のバイヤーの悔しさと言ったらありません。
 初恋の味、甘いカルピスは、私を戒める苦い思い出なのです。(弥)

【倶樂部余話】 No.306 日欧消費税談義 (2014.3.19)


 アイルランドから古い友人が静岡へやってきた。おでんをつつきながらの話題は、なぜか消費税(欧州では付加価値税Value Added Tax、略してVAT)に。
 ―欧州のVATは大体20%台で、アイルランドではいっとき35%なんていう時期もあったんだ。税率はしょっちゅう少しずつ変わる。上がるばかりじゃなくて下がるときだってある。一年足らずで変わることも珍しくないから、時々今何%だったか忘れてしまうこともあるくらい。値札? もちろん税込表示。実際に払う額と2割以上も違ってたら値札の意味がないじゃないか。税率が変わったって普通はそのままだよ。適当なときに変えやすいものから都合よく好きなように変えてるんじゃないかな。日本は違うの?
 +日本は17年振りに5%から一時的に8%を経て一気に10%と倍になる。みんな徹夜で値札を変えるんだよ。しかも税抜き表示も例外的にアリときてる。
 ―17年も変えなかったのにいきなり倍とは、ずいぶん大胆だな。一晩で値札を全部書き換えるなんて信じられない。それはやらなきゃいけない義務なのか。
 +日本では定価(希望小売価格。recommended retail price、略してRRP)の決まっている商品が多いから、それに等しく税額を乗せて表示しないといけない、と考えているんだろうね。昔の物品税に近い感覚かな。欧州は20%以上もあると税というより経費の一部という感覚になっているんじゃないだろうか。
 ―なんだか日本人はクレイジーだよ。日本語で何て言うんだ?
 +んー、マジメ…ってことかな…。
 ―ところでコレうまいね、何だろ?
 +あ、それ、黒はんぺん。静岡名物ね。
(弥)    

【倶樂部余話】 No.305 毎度恒例の海外出張報告、飛んでイスタンブール (2014.02.22)


 いつも行く一月のダブリンというのは、寒い日ほどいい天気で、むしろ雨の日の方が暖かい、というのが常なのですが、今年は晴れてて暖かい、という珍しい数日間でした。嵐や雪など、荒れた天候だった今冬の欧州にしては幸運でした。
 年に一度、一月の四日間だけ、ダブリンの大きな展示会場には、芸術的なクラフトやハイレベルなファッションから始まって、それこそまったく陳腐な土産物グッズに至るまで、アイルランド内外の数百社が一同に集まります。目の回るようなモノの洪水ですが、こちらも毎年のように二十回以上も通っていますから、だいたいの顔ぶれは分かっていて、首尾良く三日間で十五社ほどと打ち合わせを済ませました。陶器、ケープ、スカーフ、ツイード、コート、など多岐に渡りますが、今回の大きな収穫は、セーターの充実です。看板商品のアランセーターはもちろん、シェットランドのトラッド物、ドネガル毛糸を使ったデザイン物やカシミアやメリノ、ラムの無地物の久々の復活、と、男女とも、今度の冬はセーターの品揃えの幅がグンと拡げられるはずです。
 今回初めて乗ったのがトルコ航空。出張を決めたのが遅くてここしか空いてなかったのですが、ダブリン往復がたったの二万円(燃料サーチャージが約6万円別途加算されます)というのには驚きました。狭い機内の通路でいきなり数人がお祈りを始めたのにはさすがに面食らいましたが、機内食も良くて充分に快適でした。帰路は乗り継ぎ時間が長かったので、イスタンブールの夜の中心街を三時間だけ「世界ふれあい街歩き」をして楽しみました。東欧と地中海と中央アジアと中東が混沌としたとても魅力的な街だということは短い時間でも充分に感じ取れ、今回は東京には負けたけど、いつかこの街でオリンピック、というのはとても楽しくなりそうと思います。
 今年は、昨年の様に雪で機内に閉じこめられることもなく、また、財布を落とすこともなく、無事に旅を終えることができました。(弥)

【倶樂部余話】 No.304 新しいお客様を増やそう (2014.01.16)


 新年を迎え、今年の店のテーマに掲げたのが「新しいお客様を増やそう」です。これには二種類あって、初めての方はもちろんですが、履歴があるのに縁遠くなってしまった方の復帰も含んでいます。
 当店は固定客比率のとても高い店だろうと思います。そして固定客はその年月が長くなればなるほど購買額は徐々に減ってくるのが普通です。そんな店がわざわざ取り立ててこんなテーマを打ち出せば、従来の顧客の方々には「この店は我々を見放すのか」と怒られそうですが、いや、そうじゃないんです。逆なんです。
 固定客に頼りすぎて、顧客にしがみついて、新陳代謝を忘れたために消えていった店を、私はいくつも知っています。そうならないために、今の顧客が将来もずっと楽しくご来店いただける店であり続けるためには、常に新しいお客様を増やしていかなければなりません。そしてその最も有効な方法は、顧客から新しい方を紹介していただくことです。
 だからといって、紹介料を出すとか、割引するとかオマケを付ける、などという手段は取りません。それは必ず人間関係を悪くします。友人との自然な会話のなかで「洋服、キミどこでどうしてんの?」「シャツとか靴とか作ってみたくない?」と話題に出していただければありがたいです。(セヴィルロウが新しい客を増やしたい、って言ってたよな)と心の片隅に覚えていて欲しいのです。その小さな積み重ねが大切なんです。
 今年もどうぞご贔屓に。よろしくお願いいたします。(弥)

【倶樂部余話】 No.303 北海油田とフォアグラ  (2013.12.24)


 英国北方シェットランド島のニット、ジェイミーソンとフィンランドのダウン、ヨーツェンが相次いで来日。東京で商談に臨みいろんな話を聞きました。
 シェットランド島では、作れるセーターの数が激減しています。以前から北海海底油田の基地だったこの島では、近年周辺海域の掘削数が急に増えて、労働者が増加、港にはホテル代わりに古い客船が三艘停泊したままです。今までセーターの編み立てをしていた熟練の島のおばちゃんたちもこの浮かぶホテルで働くので、セーターの現場が人手不足に陥ってしまいました。特に増えたのが日本の石油会社の掘削で、震災原発事故以来、過多な中東依存からの脱却が急務なようです。日本の石油のせいで自分の店にセーターが入ってこないのか、と思うと複雑な心境です。
 ヨーツェンでの話はもっと深刻で、ダウン(羽毛)の原料価格が昨年の三倍になったというのです。加えてユーロが30%上がりましたから円換算ではなんと四倍です。理由は複合的でして、鳥インフルエンザのまん延、中国の自国内需要の急増、そして、鴨、雁、ガチョウ、アヒルの食用肉としての不振が挙げられます。高価でパサパサの北京ダックは安くて滋味溢れるチキンに人気を奪われたのです。欧州ではフォアグラが以前ほど売れなくて雁の飼育数が減り、副産物としてのダウンも大幅な生産減です。需要は急増なのに供給は激減ですから、そりゃ相場は急騰するはずです。原材料が四倍になってもウェアの売価はそんなに上げられませんから、来年の商売はかなり厳しいものになりそうです。
 静岡の小さな店も北海油田やフォアグラの影響を受ける。世界は意外と小さく繋がっているのですね。(弥)

注:上記の話題はダウンの市場価格が高騰した理由を述べたものです。ヨーツェンでは、シベリア産の最高級マザーグースダウンを完璧な洗浄と選別の上で使用しており、その雁(ガチョウ)は食用に供されることはありますが、中国の北京ダックとも欧州のフォアグラとも無関係です。
 また、シェットランド島の人手不足の件も同業他社の事情を聞いた話であって、ジェイミーソンのファクトリーは幸い町なかから離れているため、次冬向けの生産に充分な人手の確保はできているとのことです。

【倶樂部余話】 No.302 隣の芝生は消えモノの世界  (2013.11.28)


 食品や洗剤のように、食べたり使ったりしてじきに消えてなくなるモノを消えモノといいます。我々のような消えないモノの店から見ると消えモノの世界は隣の芝生のように思えることがあります。
 近ごろかまびすしいのが食材の虚偽表示の問題。あまりに悪質な誤魔化しや開き直りは糾弾されるべきですが、中には、何もそこまで、と思える過剰反応もあるように感じます。イセエビが外国産でも構わないし、今時ひとつでも手作業があればてづくりシールが貼られてもいいんじゃないかと。そもそも消えモノの世界はあいまいな表現が得意技で、認識違いを誘引しがちです。鯛じゃないのに金目鯛や甘鯛、日本生まれでない国産鰻や国産牛、ビールと違う第三のビール、ケチを付けたらキリがない。でもこれが日本の食文化の良き伝統なんじゃないかと思うのです。でなけりゃがんもどきやカニ蒲鉾なんか生まれなかったでしょう。ある程度仕方ないよ、と大らかなのはこれが消えモノだからだろうと思います。
 さて、消えモノを羨ましく思うもうひとつのことが今じわじわと進行しています。それは、量を減らして価格を押さえる、という、消えモノならではの値上げの手法。四月の消費増税へ向けての対策であることは言うまでもありません。こちとら、服のサイズを3%小さくするとか、できっこないですから、増税分は価格に転嫁するしかないわけです。今のうちから量減らしをしておいたうえで、増税後も価格を据え置きます、という宣伝をするところがきっと現れるだろうな。ああ、羨ましい、って、やっぱり隣の芝生は青く見えるんでしょうかね。(弥)

【倶樂部余話】 No.301 JFKとアランセーター  (2013.10.28)


 駐日アメリカ大使にJFK(ジョン・F・ケネディ元米大統領)の愛娘キャロライン・ケネディ女史が着任することが話題です。で、私もひとつJFK小話を。

3011_2 一枚の写真があります。アランセーターを米国や日本に輸出し広めた最大の功労者として招かれたパドレイグ・オシォコン氏がJFKと言葉を交わすこのシーンは、1963年6月アイルランドの首都ダブリンでの一枚。61年にアイルランド系カトリックとして初の米大統領に就任したJFKが、曾祖父の故郷の地へ凱旋を果たしたときのショットで、オシォコン氏の自宅の居間にひときわ大きく誇らしげに飾ってありました。

 このJFKが活躍した同じ頃、全米のアイドル的存在だったのがクランシー・ブラザースです。3012

アイルランドのフォークソングをアメリカに伝えた4人の兄弟グループですが、彼らの揃いの衣装が白いアランセーターだったことからアランセーターの普及に大きな後押しとなったのでした。アイルランド・ウェルカムのこの時代、JFKとクランシーズとアランセーター、この3つは同時進行的に人気を上げていったといえます。
 クランシーズがJFK夫妻の眼前で演奏したときの映像を今はYouTubeで観ることができます。もちろん全員白いアランセーターなのですが、なぜか裏返しで着ているメンバーがいます。御前演奏に慌てたのでしょうか、それとも当時のはやりだったのか。
 
 残念ながらJFKがアランセーターを着ている写真は残っていません。これがあれば何よりの販促物になったはずでした。きっと訪愛を果たした年の冬には絶対に着るつもりだったに違いないのですが、訪愛のわずか5ヶ月後、冬を待つことなくその11月に彼はダラスで凶弾に倒れてしまうのでした。(弥)    

【倶樂部余話】 No.300 祝・三百話  (2013.09.28)


 ついに迎えました、第三百話です。足かけ26年ですから、まあよく書いたもんです。毎月のハガキ通信に六百字ほどのエッセイ、内容はどうあれ、こうして続けてこられたこと自体はちょっと自慢してもいいかな、と感じています。
 八年前に第二百話を書いて以降、実は一番きつかったのが、二〇〇六年に禁煙をしたときで、二一一話からしばらくはとにかく筆が進まないし話がまとまらない、苦労しました。それ以来禁煙はちゃんと成功したのですが、いまだに百円菓子をつまみながらでないと書けないというおかしな癖が付いてしまいました。今もポリポリとビスケットを…。
 その二百話のときに皆様にお約束したのが、ネットにまだ載せていない第一話から百三十話までを公開して、全話通しで読めるようにします、ということでした。これを始めた頃はまだワープロ専用機でしたので、百三十の話題をもう一度キーボードで打ち直して、となると、古い写真を整理するのと同じで、懐かしくて遅々として進まず、で結局八年も掛かってしまいました。しかし二百話の当時にはなかったブログという便利なツールができていたのが幸いで、ようやくウェブ上での公開にこぎ着けました。20年も前に書いたモノですと、店の様子も時代背景も全く違うのですが、それなりに懐かしく楽しんでもらえると思います。どうぞご笑覧下さい。
 次の目標は四百話、いえいえそれは考えないことに。まずは第三百一話のネタを探さないと。(弥)  

【倶樂部余話】 No.299 だけどなフラノ  (2013.09.01)


 夏になると楽しみなラジオ番組が「夏休み子ども科学電話相談」です。子供たちの無邪気な反応も笑えますが、私はむしろ回答者の巧拙を面白がっています。その道の第一人者である科学者の面々がいかに平易な言葉で子供たちに分かるように話すか。本当に難しい。その中ですごい人だと感じさせるのが昆虫の矢島稔さん。番組発足から30年来の名物回答者ですが、その回答は、わかりやすさを超越して、哲学的な感動すら覚えます。科学が好きになってしまいます。
 難しく言うのはむしろたやすく、分かりやすく言うのは大変難しい。私の分野ですとその最たる例がスーツです。難しく語るならいくらでも言えますが、どう平易に訴えるかに腐心します。そして考えついた「プロ棋士たちの背広」と「奈津井さんのスーツ」、これがありがたいことに連続ヒットとなりました。さあ今シーズンはどうしよう、ネーミングのプレッシャーにちょっと困りました。やりたい生地自体はもうとっくに決まってるんです。「葛利毛織のsuper140’s梳毛フラノで杢の新色。経緯(たてよこ)64番手双糸をションヘルで織った逸品」、ってこれじゃ何のことだか、ですよね。
 このフラノ、葛利では長年定評のロングセラー生地ですが、実は英国製にもイタリア製にも引けを取らない、世界でも類を見ないフラノらしからぬフラノなのです。何と呼ぼうか、長考しましたが、結局ベタに「だけどなフラノ」と名付けました。ちょっと面白味がないかな。何が「だけど」なのかは別項でお話ししましょう。
 ともかく、さぁ9月。27回目の秋が始まります。(弥)

【倶樂部余話】 No.298 うなぎの気持ち (2013.07.22)


 きっかけは近所のうなぎ屋の貼り紙でした。「品薄のため土用丑の日は休業します」 えっ土用丑の日って、そもそも夏に客足の落ちるうなぎ屋の販売促進のために平賀源内が考えた江戸時代のアイデアじゃないの?大晦日のそば屋のごとく、そこはうなぎ屋の晴れ舞台の日のはず。なのに休業って、本末転倒じゃないか。なんだか気の毒というか皮肉なものだと思えてきたのです。
 気になって検索したら、丑の日に休むうなぎ屋は結構あって、それぞれいろんな理由を宣っていますが、要は、まっとうな商売にならないからということのようです。周知の通り、うなぎの不漁は深刻です。何しろ絶滅危惧種ですよ。実はそのすべての元凶が「土用丑の日」作戦が成功しすぎたことにあります。スーパーから牛丼チェーン、回転寿司までも参入して、七月下旬に照準を向け、世界中のうなぎをかき集めて廉価販売の競い合い、飽くことなき商業主義のなれの果て、がこの結果なのです。さて、私たちは一体どうしたらいいのでしょうか。
 平賀源内によって作為的に仕掛けられた需要のピークなのだから、再度作為的に変えてしまえばいい。どんなに宣伝されても夏に安いうなぎを食べないようにします。うなぎはハレの日の特別な食べ物として再認識し、本来の旬である秋冬の季節に、ちゃんとうなぎ専門店で小一時間待って何千円払って食するようにしましょう。誰かが平成の源内になって、セブンアイとイオンと吉野家に夏のうなぎの安売りを止めさせる。そうすりゃ日本中右へ倣えします。そして先駆けたところほど消費者の支持を得られるはずです。暴論でしょうか。でも流通業が引き起こした事態なのだから、流通業はその解決の一助にならなければいけないと思うのです。(弥)

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