倶樂部余話【335】スーツ生誕350周年(2016年9月1日)


スーツにも誕生日があるらしい。服飾史家の中野香織さんによるとそれは1666年10月7日。つまり今年は350周年です。400年には生きてないので、ここは盛大にお祝いしましょうよ、と中野さんは呼び掛けています(註1)。中野さんにはかつてそのエッセイの中でアランセーターの話題で拙著をご紹介いただいた(註2)という恩義がありますので、ここは微力ながら一役買いたいと思う所存。

時の英国王はチャールズ2世。クロムウェルの独裁の後に王位に就き、数多くの愛人を持つ艶福家として知られた国王ですが、紳士服の歴史では大きな役割を果たしてくれていたのです。ペストやロンドン大火などの災いを一新し、また倹約のために、とこの日に男性宮廷服の改革宣言を発したのです。それまでは男性も女性のようにリボンやレースのフリフリを多用したダボついた格好をしていたのですが、ここから、上着(コート)+ベスト+下衣+シャツ+タイ、という五つの組み合わせの服装が誕生したのです。
スーツ生誕350周年charles-II
と言っても、当時の絵図を見ると、上着の丈はうんと長く、下半身は半ズボン。長髪のカツラにハイヒール、と、現代のビジネススーツとは全く異なっているのですが、これが原型となり次第に洗練されて、現代のスーツのスタイルに進化していくわけです。

特にこの時に新登場したアイテムがベストでした。ところが現代この五つの組み合わせで一番省略されるのもまたベストなのです。だからスーツ生誕350年を祝うにはどうしようか、と考えたとき、こりゃスリーピース、三つ揃えの復活、を訴えることが最適だろう、と考えたわけです。
はい、ですので、当店のこの秋、スーツ生誕350周年記念キャンペーン、三つ揃えを作ろう、の始まりです。(弥)
スーツ生誕350周年

註1…中野香織「祝:スーツ生誕350周年」BLOG/FITSGERALD BY FAIRFAX/Apr.08.2016
註2…中野香織「愛されるモード」(中央公論新社・2009年) P.169

 

倶樂部余話【334】英EU離脱(2016年8月1日)


 「英EU離脱」。まさかの事態に、これほどに英国が話題になることもかつてなく、こうなると私もここに何らかの感想を書かないといかんかな、と感じています。
 偉そうなことは言えませんが、恐らく外交では、お得意ののらりくらり作戦で、今後も独や仏を翻弄し、時にはお家芸の二枚舌戦略も繰り出して、結局のところカタチは離脱するもその実はなるべく現状維持の「いいとこ取り」を目論むことになるのでしょう。
 英政府の交渉相手はEU諸国という外向きだけではありません。ご存じのように、英国は、支配するアングロサクソンのイングランドと、支配されるケルト系のスコットランド、ウェールズ、北アイルランド、この四つの連合王国ですが、今回のイングランドの失態からこの連合のたががガタガタに緩んでいて、内政的交渉も大変です。先日(7/22)も、ウェールズにスコットランド、北アイルランド、そしてアイルランドの首脳が集まり、団結して英政府に働きかけようという方針で一致しました。私には外交よりもこちらの方が興味があります。
 当の英国自身を含めて喜んでいる人が誰もいないのではないかとも思える英EU離脱。その中で、ひょっとしたらこりゃチャンスかも、とちょっと微笑んでいるのが八十年前の世界恐慌のさ中に英国から独立を果たしたアイルランドです。これでEU諸国の中でただ一つの英語の国になり、しかも通貨はすでにユーロ、島国にして英国との国境を持つ(だからシェンゲン協定には非加盟)、というのは、英国の避難港として捉えるには確かに好条件です。実際、移動の自由を求めてアイルランドのパスポートを二重申請するアイルランド系英国人は後を絶たないようですし、何しろ、悲願である北アイルランド併合の好機が思いがけずやってきたのです。あわよくばスコットランドとも連合する可能性もなくはない。英独仏の困惑を尻目に、一番利益を享受するのはアイルランドかもしれません。 (弥)

倶樂部余話【333】英式ナマケモノの靴(2016年6月26日)


「履きやすい靴」というのは、二つの意味があります。ひとつは履くときや脱ぐときに足入れの楽な靴ということ。もうひとつは文字通り、履いていて快適な靴、です。この二つの意味の「履きやすい靴」、時として矛盾することがあります。例えばレースアップのロングブーツ、何より快適ですが、脱ぎ履きの面倒さと言ったら…。

その反対の典型例がローファーではないでしょうか。アメリカントラッドの代表選手であるモカシン縫いのローファーは、脱ぎ履きは大変に楽チンですが履き心地の快適さを求めると皆さんかなり苦労してます。そもそもローファーというのが「怠け者」という意味の言葉ですので、靴ヒモも靴べらも面倒くさい人たちにつっかけやすいという理由で主に大学生から愛用された靴だったのだと思います。とはいえ、ローファーはそのデザインからもとても魅力のある靴でして、私の中でも長年履きたくても履けない靴の王座を占めています。

片や、この二つの「履きやすい」を矛盾なく両立できる靴というとなんでしょうか。これにはもちろん人それぞれに意見があるとは思いますが、私はまずグッドイヤー式のサイドゴアブーツを挙げます。両サイドに伸縮するゴア(ゴム)を配したブーツで、実は坂本竜馬の靴も福澤諭吉の靴もこれでした。しかしブーツというだけで現代人には抵抗感もありますから、そうなるとそれを短靴にアレンジした、サイドエラスティックシューズ、これが第一です。ご記憶の方も多いと思いますが、当店の開店20周年記念モデルとして皆様にお勧めしたデザインでして、当時も今も大変好評です。が、これはロンドンのジョージ・クレバリーをリスペクトとした、つまりいかにも英国的な靴だったとも言えます。
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あれから10年たち、今度は30周年記念モデルとして何を提案しようかと考えたとき、頭に浮かんだのは、長年の懸案だったローファー的なモノでした。ローファーのイメージを持ちながらも、二つの意味の「履きやすさ」を妥協なく両立させる、という命題から、↑このような靴を作りました。英国にも怠け者はいるんだよ、と語る靴の言葉が聞こえてくるような気がしませんか。私のサイズの最初の一足が予定よりちょっと遅れて届きました。思った通りにうまく仕上がったので、賛同者を強く募ります。ぜひあなたも。(弥)

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倶樂部余話【330】待機児童って違和感ないですか(2016年4月1日)


何かしっくりこないな、という言葉が時々あります。一つ挙げると、認知症。これ、痴呆症の言い換えだとしたら、非認知症とか認知失調症、など、認知の否定形でないと病名にならないんじゃないでしょうか。
近頃気になるのは、待機児童、という四文字。多分元々はお役所言葉なんでしょうが、待機と言っても、保育園の空きを待っているのは子供じゃなくてお母さんの方ですよね。その赤ちゃんが一番望んでいるのは保育園に預けられることではなくてお母さんとずっと一緒にいたいという願いだと思うのです。それに児童って言うと普通は小学生ぐらいのことなんですが、今の問題は就学前の乳幼児、特に二歳までの子供をどう預けるかが関心事ですから、例えば、未預園乳幼児、みたいな表現はできないものなんでしょうか。
待機児童はきっと今年の流行語大賞の有力候補になるでしょう、何しろニュースで耳にしない日はありません。昨今も緊急対策なんて発表があり、何か待機児童ゼロだけに躍起になって、緊急「選挙」対策をしているみたいですが、この問題のそもそもの根本は少子化対策です。古くからの鍵っ子問題やアグネス論争も含めて、子育て女性が働ける社会環境づくりを検討しないといけません。保育所を増やしたり保育士の給料を上乗せするくらいでは何にも解決しないと思うのです。
あ、もう一つ、気に障る言葉、それはね「日本死ね」。これは絶対にダメ、許せません。 (弥)

【倶樂部余話】 No.325  フタマタもヌケガケもしてませんが、豊漁です、セーターが。(2015.11.1)


 二股を掛ける、とか、抜け駆けをする、というのは恋愛では決して褒められたことではないはずですが、なぜかこと就活に関しては、学生が二股を掛けまくっても企業が抜け駆けを迫っても、全くお咎めなしの当然のこととして考えられています。予定の倍の内定を出したのに辞退者ばかりで挙句半分しか採れなかった、など、採用担当者の嘆きは絶えませんが、それほどに需要と供給の合致する着地ポイントを見出すのは大変なことなのだろうと同情します。さながらその姿は適正仕入れを目指すバイヤーの苦悩に重なります。
 さて当店の現状。昨年一昨年と壊滅的だったセーターの品揃えを構築し直そうと一月の海外出張で精力的に駆け回ったことは余話【三一六】でもお話ししましたが、これが奏功し、発注したセーターが次々に入荷しました。ダメモトで不安だったところまで順調に届いて、いわば内定を出したところがほとんど辞退者なく入社してきた、という、ちょっと飽和気味になってしまったのです。嬉しい悲鳴だろと思われがちですが、店としてはこの子たちがちゃんと働いてくれてようやく嬉しいと言えるわけです。
 ただ、サンマは豊漁だと値崩れしますが、セーターは簡単には腐らないので大漁でも相場はそれほど下がりません。ましてうちのセーターはよそよりも流行耐性がうんと強くて長持ちします。なのでお願いです、この冬は新しいセーターを着てみよう、であります。(弥)  
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【倶樂部余話】 No.291 ホストが礼を尽くすようにゲストにも礼儀があるはず(2013.01.17)


 注意書きとかお触れ書きの類いというのは、読まなくても済む人は読んでくれるのに、読んで欲しい人には伝わらないものです。
 当店の入口に「ご来店のお客様へお願い」という小さな掲示をして十年近くになります。お読みいただいた方もいらっしゃるでしょう。同じ文章はHPにも掲載していて、そこにはその理由も述べていますから、HPで読んだという人の方が多いかもしれません。(こちら(ずっと下の方)です。)
 そこには、挨拶をしようよ、とか、両手ポケットはやめようね、とか、商品引っ張るな、とか書き並べていて、要は、余話【165】(2002年10月)で述べているように、自分の店は自宅と同じ、客だから何しても勝手というわけではなく、ホスト(=店)がホストとしての礼を尽くすように、ゲスト(=客)にもゲストとしての礼儀があってしかるべきだろう、ということなのです。
 別に宣伝することでもないし、お客様が自然に覚えていってくれればいいわけでして、今までこれをことさらに取り上げることはなかったのですが、十年経ち、思えば昨今うちのようなタイプの店がこうも減ってしまってはお客様が経験する場もなくなってしまうだろう、ということで、啓蒙というと偉そうですが、今後は少しこんなことにも触れていこうと考えを改めることにしました。これからはちょっと強めに言いますので、どうかご理解の程をお願いいたします。(弥)  

【倶樂部余話】 No.287 俄(にわか)や擬(もどき)を本物に (2012.10.01)


 ブリティッシュがトレンドらしいのです。五輪の余波なのか、景気後退の閉塞感からの原点帰りなのか、イタリアよりも知性派向きだからなのか、理由はいろいろ挙げることはできるでしょう。
 加えて、アランセーターにも追い風が吹いています。糸井重里氏が気仙沼で仕掛けているプロジェクトの影響もあるのかもしれませんが、近頃の取材申込の状況からも、今年は「来てる」気がします。
 それなら万々歳じゃないですかと言われそうですが、今までの経験では実はそれ程喜んでばかりもいられないのです。
 俄(にわか)ブリティッシュやアランセーター擬(もどき)の人たちには、当店のように流行関係なく主義を貫いた店は敷居が高いのでしょうか、やはりトレンドとして俄や擬を扱う店に走りがちです。それだけならまだいいのですが、以前からの俄や擬ではない本物の方までもが、流行りモノと一緒にされるのはイヤだからしばらく遠慮しとこう、と、へそ曲がりな気を起こしてしまうのです。
 なので、ハヤリとカブるときは要注意、が今までの教訓なのですが、ネットの時代、小さな情報でも確かな情報なら伝わりやすいという世の中になって、ちょっと変わるかなと思っています。俄や擬から本物に転向する比率は従来よりも格段に高くなるのでは。そんな期待を持って迎えた今年の秋冬なのであります。(弥)  

【倶樂部余話】 No.263  セヴィルロウは背広の語源?(2010.10.23)


背広の語源はロンドンのセヴィルロウという地名に由来する、と、そう信じて私は約20年前にこの店名を付けたのですが、この説について、文明開化当時からの資料を紐解き、検証を試みた一冊があります。「福沢諭吉 背広のすすめ」(出石尚三著・文春文庫・2008年12月)。
150年前の服装では、きちんとした格好というのはフロックコートであって、今でいうスーツはそれよりも格下のカジュアルな服でした。フロックコートというのはモーニングや燕尾服と同じく、胴回りを細く絞るために、肩の後ろから背の両脇にダーツを入れて作られたので、こういう服を「細腹(さいばら)」な服と呼びました。(今でも仕立ての世界では、前身頃と後身頃の間の脇下のパーツを細腹と呼びます) それに対して、細腹ではない服すなわち背の広い服、ということで「背広」な服という言葉が職人仲間の符丁として生まれたのではないか、というのが筆者の推論です。
それを記録に留めた最初の人物こそがどうも福沢諭吉らしいというのです。福沢は「経済」や「演説」などの訳語を創った造語の達人、きっと「背広」の語感はその感性にマッチしたのでしょう。
さらに福沢は自ら「西洋衣食住」というイラストブックを著し西洋服のコーディネートを指南、そればかりか慶應義塾内に「衣服仕立局」なる洋服屋まで開いていたのです。この店が丸善の服飾部門の前身となります。
セヴィルロウと背広は発音が似ていて何か関係があるのか、と言われ始めるのはそれから60年も経った昭和初期のことで、これは全くの偶然のようです。なーんだ、そうだったのか。(弥)

【倶樂部余話】 No.260  再び「スーツは年収の1%」説を… (2010.7.18)


 「スーツは年収の1%」(余話【194】05年3月)は紛れもなく私が言い出しっぺの持論ですが、そう自らが唱える当店のスーツの裾値は約八万円です。しからば当店のお客様はすべからく年収八百万円以上なのかというともちろん決してそんなはずはなく、年収五百万円から七百万円のお客様には1%以上の負担を強いざるを得なかったわけです。仕立て代の安い某工場を知ってはいましたが、そのクオリティは合格点を付けるにはいささか疑問が多く、結局のところ、五~七万円台のスーツ提案の必要性を感じてはいながらも、私はそれを怠っていたのです。
 しかしようやくそれが実現することになりました。第三のファクトリーとしてM社との取引を約十年振りに再開することにしたのです。このM社のことは事情があり詳しく書けないのですが、現在当店でメインのA社のレベルには及ばないものの、私は一応の合格点を与えました。81点といったところでしょうか。かつては百貨店向けのお堅い高級ブランドスーツを中心に縫っていましたが、近年は関連企業で首都圏を中心に全国で約三十店舗を展開するオーダースーツのチェーンストア(ここで名前を明かせないのがツラい…)からの注文をほぼ一手に引き受け、技術力に加え「感性」度が飛躍的に上がってきているのです。当店ではこのM社の縫製を「バジェット・ライン」として導入を決めました。
 年収一千万円以上の方にはお勧めしません。しかしバジェット(予算)の限られた方には五~七万円台のスーツもご用意できるようになり、ようやく「年収1%」の持論に現実味を付与することができたということであります。(弥)

【倶樂部余話】 No.224  パクられてもパクることなかれ (2007.9.5)


 宮沢喜一元総理の死去の際、静岡新聞の「大自在」(朝日新聞で言うところの天声人語の欄)が、ウィキペディア(ネット上の百科事典)の記述を裏も取らずに無断引用し、大恥をかいた、という事件がありました。
 このホームページの私の文章も実に方々で参照されているようです。最も多いのは、やはりアランセーターについての記述で、くだんのウィキペディアにまで紹介は及んでいます。またマッキントッシュに関する考察なども業界内では少なからぬ影響を与えているようなのです。
 ネット以前の時代ですと、田舎の一商店主がDMのハガキにワープロで書くようなモノと大新聞に書かれた記事とでは、その信頼度には明らかな差があったものでした。ところが、面白いことに、ネット出現以降は、同じような内容の記述に出くわしたとしても、どれが初出の本家モノで、どれが他人の文章のパクリかは、つぶさに記述を読むと比較的容易に判断ができるようになったのです。
 このことは、たとえ無名で小規模だろうと、マス媒体以上に説得力のある発信ができる時代がやって来たという朗報であり、また、決して安易に他人の記述をパクったりせず、いつも内容を咀嚼して自分の言葉で書くことを心掛けるべき、という教訓でもあります。
 もうひとつ、私が言い出しっぺなのが「スーツは年収の1%」説なのですが、これが過日業界紙に某百貨店の男性バイヤーのコメントとして載っていたのにはいささか驚いてしまいました。
 ついでに今回はこんな持論も披露しておきましょう。「スーツは食卓で決まる」。スーツをどの店でどう買うのか、の裁定は、実は店内ではなく、夕食の団らんの家族の会話ですでに決まっているのではないか、というのが私の勝手な推測なのですが、いかが感じられるでしょうか。(弥)