倶樂部余話【一六〇】大直し(二〇〇二年五月一日)


いわゆる「お直し」にも二通りあって、ひとつは、販売時に、お客様の寸法に合わせるための補正で、これに関しては、当店で無料で承っています。着る人にちゃんと合った服を提供するのが私どもの義務だと考えるからです。(詳細は余話【131】を参照下さい)

もうひとつは、お客様の都合で、有料で受けるものです。太った、痩せた、傷めた、といった理由がほとんどですが、近ごろ増えてきたのが、シルエットごと直してくれ、という大補正です。

特に、メンズのスーツは、より体にフィットした着方に急速に変化しているので、一昔前のスーツを着ていると、素人目にもすぐにバれてしまいます。さりとて、スーツをすべて新調し直す、という訳にもいかず、手持ち在庫を少しでも今風に直せたら、という切なる願望が発生することになります。

具体的には、上着の胴廻り詰め、パンツは2タックを1タックにして裾幅と丈詰め、という作業で、費用は一万円ほど。もちろん新品同様とまではいきませんが、気恥ずかしさは随分と解消できるはずで、実は、私もかなりのものをこうして直して着ています。

モノを売るだけでなく、売ったモノは長持ちさせてあげたい、と考える当店、これも英国気質でしょうか。

倶樂部余話【六十二】試験に絶対出ない常識問題(紳士服編)(一九九四年六月七日)


Q1:上着の打ち合わせ、シングルよりもダブルの方が格上である?

Q2:トラウザーズ(スラックス)の裾は、折り返しを付けるダブル仕上げの方が格上である?

Q3:トラウザーズは、ツータックよりもノータックの方が正統である?

A…答えはすべて×です。

 

このように間違った常識のひとつが「肩幅が広いほど動きやすい」です。試しに、右腕で電車の吊り革を持つ動作をしてみます。肩幅が合っている上着を着ている場合には、ちゃんと右腕だけが上がって、右前裾がやや持ち上がり、首の後ろから左半分はほとんど変化しないはずです。ところが肩の大きすぎる上着でやると、腕だけで動いてくれず、服全体が持ち上がり、衿は逃げ、左半身までつられて動いてしまいます。正姿勢でいても衿が首から逃げて浮くような極端な上着ならば、上着全体が身体から抜けて、左側にズレていってしまいます。

つまり、動きやすいかどうかは、肩幅だけではなくて、肩の作りと袖の付け方にあります。上着を試着したら、前ボタンを留め、片腕ずつグルリと一回りさせてみて、服全体が動いていないかをチェックして下さい。そこで販売員が何と言うかで、店のレベルもチエックできるはずですから…

倶樂部余話【八】ハンカチーフの気概(一九八九年五月十日)


背広にある左胸の小さなポケット。勿論これはペンや眼鏡を入れるためではなく、ハンカチーフを入れるために付けられている。では、なぜこの胸元の一番目立つところにハンカチを入れるのだろうか。諸説の中で最もロマンティックな説をご紹介したい。

その昔、舞踏会において、淑女は紳士と踊る際、手が汗ばまぬ様、リネンの白いハンカチを添えて紳士と手を合わせた。踊りの最中、それを落とすことが往々だったが、曲の途中でダンスを中断して床から拾うのではサマにならず、紳士は予備のハンカチをサッと取り出せる胸元に用意するようになったという。これがいわゆるポケットチーフの由来とされている一説。

従って、実用性もあるリネン地が本来であるが、次第に装飾性が強くなり、シルク地のペイズリープリントなどが使われるようになったようだ。ただ、現在でもフォーマルの際は、ピコヘム(端の小さな縫い目)の白いアイリッシュリネンが正式とされている。

ちなみに、ポケットチーフと呼ばずに、ポケットカチーフというべきだろう。カチーフとは元来は頭に巻く布のことで、首に巻くのでネック・カチーフ、手に使うのがハンド・カチーフ、なのだから。

さて、それでは飾りのない実用のハンカチーフはどこに納めるべきなのか。ギーブス&ホークス社のロバート・ギーブ会長によれば、背広の美しいシルエットを保つためにはポケットに何も入れないのが最良であり、ハンカチは左袖の中にクシャクシャに丸めて入れておくのが正しいやり方だとか。実際彼はそうしているのを見せてくれた。そのため、左袖だけ一回り大きくオーダーする紳士もいたという。最も、ティッシュペーパーなどのなかった時代、それこそ鼻をかんだり汚れた手や物を拭いたり、かなりハードな使い方をしたのであろうから、さもありなんと思えなくもない話だ。

これから汗ばむ季節、ハンカチの出番は多い。ゴルフの参加賞だけがハンカチではありませんぞ。そして左胸にもご配慮を。

 

 

※この頃、岩国の藤田雄之助氏から大阪のハンカチ問屋の紹介を受けました。そこの親父さんはリネン博士と呼んでもいいほどの人で、実に素晴らしいリネンのハンカチを扱っておりました。私が紹介を受けた直後に急逝され、残念ながら私は直接にお会いできなかったのですが、昔からいる番頭さんからいろんなリネン話を伺い、勉強させてもらいながら、ハンカチの仕入れをしてました。今はこの問屋さんもリネン製品の扱いをやめ、ブランド物のありきたりのハンカチが中心となってしまったので、もう取引はありません。