倶樂部余話【429】 新しいウェルドレッサー (2024年7月1日)


 何気なくニュースを見ていると、訪英中の天皇皇后夫妻がオックスフォード大学を訪れている画像が目に入りました。



ん、このネクタイ、オックスフォード大のクレストじゃないかな、
新天皇なかなかやるじゃん、と、つぶやいたら、隣りにいた妻から、何を上から偉そうに、と注意されました。でもパッと見て一瞬でそれがわかる人間はあんまりいないんじゃないかな、と思いましてね、嬉しくてつい上からに。

 もう一度その姿をじっくり見ますと、なかなかいいんです。トラウザーズの裾口は幅も丈もとてもスッキリしている、袖丈も長すぎず袖口から覗くシャツの出方も理想的、首、胸、胴に余計な余り皺がなくてよくフィットしている、腕の前振りの仕立てもすごくうまい、着丈は今どきにやや短め、衿幅もボタン位置も同様にグッド、腕に出ている皺は自然な動きで出る皺なので問題なし、と、実に非の打ち所がないんです。
それでいてやり過ぎ感もない。スーツの着こなしの原則はアンダーステートメント、控えめな主張、ですから、100点を超えたらむしろマイナスなんです。つまり99点が最高。
正直、見直しました。どこまで上からなんだ、ってまた横から言われます。

 改めて他の画像も見てみることに。まずネクタイのことから言うと、これです。
ストライプの向きは英国式(右手側に下がる)と米国式(左手側に下がる)で逆になるのですが、当然ながらこちらは英国式。できたらディンプル(結び目のくぼみ)は入れて欲しいなぁとも思いますがそこは趣味の範疇です。
それはいいとして、このスーツは今ひとつ体に合っていないのがお分かりになりますか。どうも今回、2着の紺無地スーツを着回しているようなのですが、このラペルマウスが小さい方のスーツはきっとちょっと前に作ったものなんでしょうね、全身の写真を見ると着丈も裾もちょっと長めで肩から胸の周りに余計なシワが出ています。
面白いことに日程を調べてみると、この2着のスーツを交互に着ているわけではなくて、夫婦での行動のときには新しいスーツを、単独行動の日には第二のスーツを、というように使い分けているのです。二人のときと一人のときでスタイリストが違うのか、とも考えられますが、私の解釈はこうです。カギは新英国王チャールズ3世。この国王は、かなり若い頃から、新しいものを次々に買い替えるのではなく、古いものを直しながら長く使い続けることを美徳とするポリシーを持っています。革靴に空いた穴まで継ぎ当てで補修して履き続けるので、この継ぎ当てを称してチャールズ・パッチという言葉ができたぐらいです。
そんな新国王への敬意からあえて新旧の分かる2着のスーツを用意したのでは、という私の読みは穿ってないでしょうか。これも上から過ぎ?

 他の画像も見てみましょう。これはタラップを降りてきた最初の服装。この色、お二人ともお揃いでジャスパーブルーですね。珍しくシングルカフのシャツにカフリンクスを付けていますが、これはきっとネクタイの色とお揃いのウェッジウッドのカフスなんだろうと想像できます。ウェッジウッド、以前はアイルランドのウォーターフォードクリスタルに吸収合併されましたが、今はロイヤル・コペンハーゲンと同じ北欧の商社の傘下になっています。つまりとっくに英国の経営ではないのですが、もしかしたらなにか皇室に強いコネクションを持っているのかもしれません。そう思わせるほどにこの色の印象は強いですよね。

 これはV&A子供博物館での画像。薄紫ピンクのドレスとタイがお揃いです。メンズの白いシャツには難しい色ですが、うまく着れていますね。このおソロ法は婦人同伴のときのテッパンでしょう。

 そして無事ご帰国に。オックスフォードから直行だったようで、着替えてないですね。ここでもシングルのシャツにカフス、好きなのかな。見えないけど今度はあのクレストのカフリンクスなんでしょうね、きっと。

 五年前、平成から令和に変わるときに、どうかウェルドレッサーのお父上を見習ってね、と願いを込めて書きました(倶樂部余話【365】参照) 。
https://www.savilerowclub.com/yowa/archives/611

もう安心です。令和のウェルドレッサー、2こ下のナルちゃん、これからも期待してます。
って、どこまで上からなんだ、もう。(弥)

倶樂部余話【428】『明日を綴る写真館』 (2024年6月1日)


 去年の暮れ、年の瀬も押し迫った頃、岡崎市でウェディングパーティに参列しました。私の宝物、モーリンのアランセーターを着て。
きっかけは半年前の一本のメール。初めまして、スタイリストのKと申します。俳優・平泉成さん、80歳にして映画初主演の作品が制作されます。衣装協力をお願いしたいのですが、との要請。衣装提供はローカルのテレビ番組では何度もありますが、映画は初めてです。店の品揃えを極度に絞りきってしまった今、当店に期待されている衣装といえば当然アランセーターでしょう、雑誌媒体への貸出は過去に数え切れないほどやりましたが、映像は初体験。しかも主演の衣装です。当店でよければ是非に、とお答えして、急いで数枚のセーターを候補として制作会議に提出したところ、2枚のカーディガンが採用です、と、連絡。白と紺、いずれも非売品扱いでビンテージ級の秀作が選ばれました。どんな場面で着てもらえるのかな、実際に現場に見学なんてできるのかなぁ、作品の舞台は平泉さんの地元・岡崎らしい、ロケが岡崎なら行けるなぁ、なんて、ミーハーな気持ちを伝えたら、こんな返事。「アランセーターを着るシーンは岡崎じゃなくて都内某所で撮ります。見学は難しいです。岡崎ではクライマックスの結婚式のシーンを撮りますが、そのときに市民ボランティアでエキストラを集めます。一緒に加わってみませんか」。ま、出たがりの私ですから断る理由はないですね。わくわくして、私「じゃ白いアランセーターを着ていってもいいですか。もともと白いアランセーターは教会の儀式に着られたものなんです。だから結婚式にはふさわしい衣装でしょ」。
かくして私、クリスマスの翌々日にいそいそと岡崎へ。演劇の現場経験はありますが映画の撮影現場は初めて。こんなに何度も何度も同じ場面を様々な角度から撮るものなんですね。キャストもスタッフも待機の時間のほうが長いくらい、待つのも仕事のうち、です。カメラの後ろ側にあんなにもいろんな人たちがうごめいているなんて、いや、面白い体験をしました。これも長年アランセーターをやってた役得だね。
この話、解禁日までは箝口令でしたので、ようやくここでお話できました。映画『明日を綴る写真館』は間もなく公開です(6/7より)。2枚のアラン・カーディガンがどこにどう登場するのか、私はスクリーンの隅っこに一体どうやってどのくらい映っているのか、私も初日の上映を観るまで全くわかりません。ただ事前の情報ではほのぼのとした愛情に包まれる微笑ましい作品に仕上がっているようです。ご興味がありましたらご覧ください。(弥)

映画『明日を綴る写真館』公式サイト
https://ashita-shashinkan-movie.asmik-ace.co.jp/

(追記)
今、初日の初回を観てきました。全部カットされてなんにも映ってなかったら、と言うことだってあるかも、って心配で。
はい、ちゃんと、アランセーターも私自身も、しっかりと入ってました。とってもいいシーンに使われてます。
作品は大変素晴らしい仕上がりで、何度かうるうるしました。ぜひご覧ください。

倶樂部余話【427】セカンドライフ (2024年5月1日)


 手持ちのレコード約300枚を処分しました。理由はいろいろあります。5つ下のかわいがってた後輩が余命一年弱との宣告を受けて見事な終活の後に身罷ったことに啓発され、あるいは自分の聴力が衰えて慣れ親しんだ音楽を聞いても思い出の中にある音とは全く違うように聞こえてしまうことだったり、あるいはもし自分が今死んだら一番処分に困るのがレコードだろうと容易に想像できたこと、あるいは大きなスピーカーで大音量でレコードを聞く機会はもうないだろうとの諦観、あるいは古物商の仕事を始めるに当たりまず客として実際に古物の取引を体験してみたかったし、などなど。

 引き取った店が作ってくれた買取リストが別添のもの。ね、私、結構いいもの持ってたんですよ。値は伏せますが価格順に書いてあります。竹内まりや、山下達郎、は、やはり高値なんですね。ここに書いてない大半のものは値が付かなかった約200枚ということでして、特に1980年前後にアメリカ旅行や当時出来たばかりの渋谷のタワーレコードで貪るように買い漁っていた多くの輸入盤は残念ながらほとんどゼロ円、それと日本の歌手のものもほぼゼロ円でした。300枚で2万円ちょい、という戦果、現実はそんなもんなのかなぁ、と思った次第です。

 同じ頃に入った情報で、当社が世界一のダウンと自負するフィンランドのヨーツェンが自社の中古品を引取って直営店で再販売する事業を本格化させていました。そのプロジェクトの名がセカンドライフ。セカンドハンド(セコハン)と言わずにセカンドライフです。この単語、日本では余生と訳されたりしますが、自社製品に第二の人生を歩ませてやろう、という親心を感じます。さすがヨーツェン、さすがフィンランド、と思わせます。

 それを聞いて思い出したのが、アランセーターの我が恩師亡きパドレイグ・オシォコンPadraig O’Siochainの言葉。「アランセーターは一生モノですよね」との問いかけに彼は「ノー」と答えたのです。続けて発した言葉が忘れられません。「スリー・ジェネレーションズ」。一生じゃなくて3世代なんです。

 そんな矢先に、当社のアランセーターの供給先のひとつである、アイルランド・ゴールウェイのショップ「オモーリャO’Maille」が店を閉めるというニュースが入りました。アイルランドでは全国版のテレビニュースになるほどの大きな扱いです。私はすでに3年ほど前に店主アン・オモーリャAnne O’Mailleから事業の縮小計画を聞かされていたのでさほど驚くことはなくて、むしろハッピー・リタイアできたことに拍手を贈ります、と彼女にメッセージを送りました。しかし、現実問題として、アランセーターの大きな供給源をひとつなくすことになってしまったのは事実です。

 上記の事柄を頭の中で巡らせながら床についた私は、ある朝ひらめいて目覚めました。そうだよ、アランセーターのセカンドライフ、これが私の役目だろう。

 お手持ちの品でセカンドライフを与えてあげられるアランセーターをお持ちの方、行き先がないのでしたら是非お譲りください。有償で引き取ります。目安は販売当時の価格の一割程度です。私が目利きできないといけないので、当店で販売したアイルランド製のブランドに限ります。同時に我が家で眠っているデッドストックや父の遺品も供出します。夏の間に集めてデータ化し、秋に再販売を開始する予定です。これなら譲れるよ、との品は写真を添えてこちらまでメール等でご連絡ください。(弥)

倶樂部余話【426】アランセーターの黒歴史? (2024年4月1日)


English translation at bottom.


 昨夏地元の小さな書店で衝動買いした本が、こういう事になってくるとは。「羊の人類史」(サリー・クルサード著、森夏樹訳、青土社・2020年)。

 300ページの大作で、内容は面白いのですが、訳(やく)が私と相性が合わないのか、なんだかすんなりと進まなくて、つかえつかえ時間ができたときにゆっくりと読み進めていたのです。羊の起源、羊肉食、生贄、ウールの利用、紡績、産業革命、と、羊が人間社会とどう関わってきたか、が描かれていきます。

 何ヶ月か掛かりようやく三分の二を過ぎた頃、ガンジーセーターが登場します。おっこれはもしかしたら、と、わくわくして読み進むと、出ました、アランセーター。ほう、やっぱりセーターと言えば、その代表選手はアランですよね、嬉しいですね。あれ、この名前は何だ、パドレイグ・オシハーン?、これは我が師、パドレイグ・オシォコン、のことだね。Padraig O’Siochainで日本語検索すればすぐに私の著述が出てくるはずなのに、訳者の怠慢だね、シングの戯曲の邦題もちょっと違ってるし、これは出版社に訂正を求めないといけないなぁ。えっ、彼は抜け目のない起業家で、自分のセーターをアメリカに売り込むために、でたらめな伝説をでっち上げた?、って、はぁーっ、それじゃまるであのおじいちゃんが悪徳商人みたいじゃないか。彼は元来厳格な学者・研究者であって、アランの島民の貧困を救うために、アイルランドの素晴らしい伝統手芸品を世界に広げたい、という純粋な動機を持ち、むしろ武士の商法とも言える素人同然のやり方だったし、抜け目のない悪徳商人などとは全く持って正反対の男なんですよ。これは著者に厳重抗議だな。パドレイグの名誉は私が守らないで誰がやるんだ。しかし、英語か、こりゃ原著を取らないといけないなぁ。

 さらに読み進むと、私の知らない話が黒歴史のように書いてあります。かの悪名高きマグダレン修道院(註※)では収容する修道女たちにまるで強制労働か虐待のようにアランセーターを編ませてその利益を搾取していた、と。記述箇所の段落も少し離れているからそう思う人は少ないだろうけど、ふたつの記述から、あたかもパドレイグがマグダレン修道院にアランセーターを編ませていた、と、連想する人もいるでしょう。これは由々しきことです。

 今までたらたら読んでいたこの本ですが、そこからは急いで完読。次に「マグダレンの祈り」の翻訳本と映画化されたDVD、特典映像のドキュメンタリー番組を確認します。人権を無視した悲惨な場面はたくさん出てきますが、アランセーターを編ませる、というシーンはどこにも出てきません。

 と、今回の話はここまでです。なぜなら、これはもう片手間では済まないことになってきた、と、感じ始めてきたからです。アランセーターは私のライフワーク。日本におけるアランセーターの第一人者、と自認する私にとって、このことはしっかりと調べていかないといけない宿題になってしまいました。何年かかかることになるでしょう。
 結論が出るまで黙っておくこともできないので、ここらで中間報告代わりに余話で書き留めておくことにしました。いつになるやら、ですが、調査報告の続編をお楽しみに。(弥)


(註※)マクダレン修道院(マグダレン洗濯所)
 18世紀に、プロテスタントの教会の施設として「堕落した女」を保護・収容する目的で創設された「マグダレン洗濯所」は、19世紀初頭にはカトリック教会によっても設立・運営されるようになった。
そこに収容されたのは「堕落した女」だけではなかった。そうなる可能性があると(一方的に)みなされた女子、身寄りのない女児などがこの施設に閉じ込められ、過酷な環境でホテルや軍隊の施設などから出るベッドシーツなどの洗濯物を処理する作業を、無報酬で強要された。奴隷労働である。
 施設の存在はもちろん知られていたが、完全に閉鎖された施設であり、教会もことを明るみに出すことはなく、そこでの実態は1993年人手に渡った施設の敷地内から大勢の胎児乳幼児の遺体が発見されるまで、外部には一切知られていなかった。施設の最後の1軒が閉鎖されたのは、1996年である。
 1950年代のアイルランド・ダブリンで助産師としてこれらの施設のひとつに関わった女性の手記「マグダレンの祈り」は映画化もされている。


※著者にこのコラムを読んでもらうため、英訳を下記に載せます。

Club column [426] Black history of the Aran Sweater? (1 April 2024) 

I never thought this would happen to a book I bought on impulse at a small local bookshop last summer. The Human History of Sheep (Originally titled: A Short History of the World According to Sheep) (written by Sally Coulthard and translated by Natsuki Mori, Seidosha, 2020).

 It is a large work of 300 pages, and the content is interesting, but the translation does not suit me, or perhaps it did not go smoothly, so I read it slowly when I had time to catch up. The book describes the origins of sheep, mutton eating, sacrifice, the use of wool, spinning and the industrial revolution, and how sheep have interacted with human society.

 After several months and finally two-thirds of the way through, the Guernsey jumper appears. I was excited to read on, and there it was, the Aran jumper. I was delighted to see that, when it comes to jumpers, Aran is the most popular player. What is this name, Padraig Oshihaan? I’m sure if we do a Japanese search for Padraig O’Siochain we’ll find my writings right away, but it’s the translator’s negligence, the Japanese title of Sing’s play is also a bit different, which I have to ask the publishers to correct! Nah. What, he’s a shrewd entrepreneur who made up some bullshit legend to sell his jumpers to America? That makes the old man sound like a crook, doesn’t it? He was a rigorous scholar and researcher by nature, with a genuine motive to help the islanders of Arran out of poverty and to spread the wonderful traditional Irish handicrafts to the world, rather like an amateur in the business practices of a warrior, and the complete opposite of a shrewd and corrupt merchant. This is a strict protest against the author. If I don’t defend Padraig’s honour, who will? But English, I’ll have to get the original book.

 When I read further, there are stories I don’t know about, like black history. The infamous Magdalene convent (note*) exploited its profits by making the nuns it housed knit Aran jumpers as if they were forced labour or abused. Although few people would think so because the paragraphs are a bit far apart, some people might associate the two statements as if Padraig was having Aran jumpers knitted in the Magdalene convent. This is venerable.

 This book has been a lazy read so far, but from there it is a hasty and complete read. Next, check the translated book and the DVD of the film adaptation of The Magdalene Prayer, as well as the bonus documentary programme. There are many harrowing scenes of disregard for human rights, but nowhere do you see the scene where they make you knit an Aran jumper.

 And that’s the end of this story. Because I am beginning to feel that this is no longer a one-sided affair. Aran jumpers are my life’s work. As the leading authority on Aran jumpers in Japan, this has become a homework assignment that I have to look into thoroughly. It will take years. I can’t keep quiet until a conclusion is reached, so I’ve decided to write it down here as an afterthought instead of an interim report. I don’t know when that will be, but look forward to the sequel to the investigation report.
(Yaichiro)

(Note*) Magdalen Convent (Magdalen Laundries) Founded in the 18th century as a Protestant church institution to protect and house ‘fallen women’, the Magdalen Laundries were also established and operated by the Catholic Church in the early 19th century. It was not only ‘fallen women’ who were housed there. Girls who were (unilaterally) deemed to have the potential to become so, as well as girls without relatives, were confined to these facilities and forced to work in harsh conditions to dispose of bed sheets and other laundry from hotels, military installations, etc., without pay. It was slave labour. The existence of the facilities was known, of course, but they were completely closed and the Church did not bring it to light, and the reality of the situation there was not known to the outside world until 1993, when the bodies of many unborn babies were found on the premises of the facilities in human hands. The last of the institutions was closed in 1996. The Magdalene Prayer, the memoir of a woman who was involved with one of these facilities as a midwife in Dublin, Ireland in the 1950s, has been made into a film.


倶樂部余話【425】聞いてみるもんだ、2題。(2024年3月1日)


 聞かなきゃわかんない、聞いてみるもんだ、と、実感したことをふたつほど。

 復興支援を謳ったイベントを打ったのは初めてのことで石川県のK社のレインコートを特集しました。収益の一部を献金しようとして、一体どこに寄付したら一番有効なのだろうと、K社のSさんに相談しました。というのも、1月末に会ったときには「当社は金沢市の近くなので人も物も被害はほとんどなかったです」との言葉を聞いて安心していたので、石川県の繊維産業全体に寄与できる献金先はないかと模索していたのです。
 そうしたらSさんからこんな答えが。「確かに人も物も被害はほとんどなかったのですが、当社の織機は極細の合成繊維を高速高密度で織り上げていく精密機械なみの精度が必要でして、地盤が少しでも隆起すると、仕上がりに狂いが出てしまうのです。地盤の隆起が止まらなくて、いちいちその調整に生産を止めてるので、そういう損失はかなり出ているのです」。
 なるほど、一次被害は微小でも二次被害が甚大、目に見えるような被災じゃないので、これは聞いてみないとわかりませんでした。寄付先を悩んでるどころじゃない、ということで、早速K社宛に被災見舞いを送ることに決めました。

 英S社のメリノウールのニットの予約会に際して、Iさんから、明るい色のベストが欲しい、との要望が出てきました。私、半分諦め気味に「明るい色はメンズのベストにはなかなか出ないし、しかもS社の値上がりがひどくて、どれも4万円台。この値段なら、もう少し足すとカシミアのオーダーが頼めますし……(もぐもぐ)」。Iさん「あっ、ホントはカシミアならなお良しなんです。5万円でカシミアが頼めるんでしょ」。私「じゃあU社に行って頼んで来ますね。以前の山梨の工場の時代は当社と取引があったけど、岩手に工場を移転するのを機に、卸売をやめて直販体制に切り替えているようです。うちには儲けはないけど、Iさんの一枚ぐらいなら代行しますよ」。
 ということで、2月の初め10何年振りで青山のU社にお邪魔しました。私「卸売やめたらしいから、私の儲けはなしでいいので、一枚注文受けてくれませんか」。Uさん「いやいや野沢さんにも利益は差し上げますよ。野沢さんならわけのわかんないオーダーも入らないし、安心してるから。その代わり先払いね、カードでいいから」。つまり、一般に卸売業は小売業よりもお金の回り方がとっても遅い、しかもここはカシミアだから原料費にかなりの先行資金がかかる、なので卸売を諦めて直販体制にしたんだとのこと。うーん、それはよく分かる。Uさん「だから、野沢さん、うちのエージェントになったつもりで、いっぱい注文取ってくださいよ。レディスもメンズもサンプルを貸し出すし、25色の色見本も持っててください。夏のうちにオーダー会、やりましょう。超円安で日本生産は相対的に割安感があるから、今はチャンスです」。あれれ、儲けはいらないから、ってつもりできたのに、取引が再開しちゃったよ。オーダー会もできそうだし。聞いてみるもんだな。これ、瓢箪から駒、かな。夏が楽しみです。(弥)

倶樂部余話【424】バトンをパスする(2024年2月1日)


昨年の後半ぐらいから、思いつきやひらめきがどうも思惑どおりに進まない、ということが増えてきました。発信した題目に、乗ってくる人が少ない、賛同を得られない、遅々として進まない、のです。これは自分の楽観的な性格も起因しているのでしょうが、やはり、慢心、勉強不足、老化、そして相手のことを慮ることのできない思いやりのなさ、ではなかったか、と反省をしています。

 中でも一番思惑外れを実感したのが、4ヶ月前の当話でお話しした、リユース商品の扱いを始めよう、というひらめきでした。2つの意味で思いどおりに進みませんでした。
ひとつは、古物商の許可を得るのにとっても大変だったということです。正確に言いますと、古物商の許可申請自体は、もちろん簡単ではないですが、それでもそれほど難しいことではありません。それに至るまでのあれこれに思いの外の時間と手間とお金がかかりました。身内間の軋轢も伴い、それを回避するために古物商という当初の目的の範囲外のところまで登記や定款の変更をしなくてはならなくなり、この作業は心理的にもかなり憔悴しましたし、実のところアイルランドを往復できるくらいのお金も掛かりました。あ、今年のアイルランド行きを取りやめたのはそのせいではないですけど、だけど少し悔しい気持ちもあってそう例えてしまいました。結局、思い立ってから4ヶ月もかかって、先月ようやく警察署に申請書類を提出し、問題がなければ、今月中には古物商の許可が下りるところまで漕ぎ着けました。

 もう一つの意味での思惑外れ。これは、思ってたほどユーズド品が集まってこない、ということ。まだ正式な募集を掛けたわけではないので仕方ない部分はあるのですが、それにしても、こんなモノ出すよ、と言ってくれる方が少ない。教会のバザーのようには行かないんですね。これは自分の呼びかけ方に問題があったようです。4回前の当話をあらためて読み返してみると、浮かれて自分の都合しか書いてないんです。品物を出してくれる人の気持ち、欲しがっている人の気持ち、そしてその品物自身の動かされる気持、私はそれを「つなぐ」という役目。そのことへの思慮が全く足りてません。一言で言うと「バトンをパスする」という思い。これがリユース品を扱う何より大切な心掛けなんだと、あらためて気付いた次第です。

 扱い品の範疇をリユース品にまで広げよう、という方向性は間違いないと確信してます。今はもうショッピングセンターに当たり前のように古着が並んでます。そのうちあらゆる物販店はリユース品も扱うことになって、新品も中古品も区別なしに売られる時代が来ることでしょう。ここまで来るのに存外の手間がかかったことで、これゃ片手間にはやれないな、とも感じ始めてます。HP内にも専用のページを作らないといけないでしょうし、買い取り方や販売方法もちゃんとルール作りをしないといけないでしょう。認可はもうすぐ下りますが、遅れついでにもう少し時間を掛けることにします。まずは品集めです。取り急ぎ自分の私物と父の遺品から譲れるものを探すことから始めようとしています。こんなモノ出せるけど欲しい人いるかな、と思い当たる品をお持ちの方、是非こちらまでご連絡ください。(弥)

倶樂部余話【423】ビートルズとキャンディーズとAIと(2024年1月1日)


 知ってる人も多いと思いますが、私にとって、ビートルズとキャンディーズはほとんど同格な地位を持っています。(以下、敬称略)

 昨年(2023年)の秋、NHK-BSで「名盤ドキュメント~キャンディーズ “年下の男の子”」という番組がありました。アイドルを超えた高い音楽性や声の魅力を分析し、キャンディーズの本質は、三人のぴったりなユニゾンとしっかりとしたハーモニーに裏付けされたラン、スー、ミキのコーラストリオということにある、と、結論づけたのです。そうなんだよ、そのとおり、NHKさん、よくぞこのプログラムを作ってくれた、と、嬉し涙を流しながら何度も繰り返してみました。過去の数々のキャンディーズ特集の中ではダントツに秀逸な番組でした。と同時に、一昨年シンガーとして復帰したランが時々ソロで歌うキャンディーズナンバーに手放しで喜べない虚無感を感じる理由を自覚したのです。

 かたや、11月にはビートルズ最後の新曲「Now and Then」が発表されました。一度は断念したアイデアでしたが最新のAI技術を駆使して仕上がった新曲です。オリジナルからは程遠いツギハギだらけの曲で賛否両論ありますが、ジョンの歌声がベースですし、ジョージのギターも入ってるし、ポールもリンゴもOKならばもう何も言うことはありません。諸手を挙げて大歓迎です。ただ、同時に公開されたAI映像の方は、ちょっと悪ノリというかやりすぎの感があり、ポールもリンゴも嬉しがってないように見えました。

 さて、この2つのことから導き出される次なる私の期待は何だとお思いでしょうか。そうです、キャンディーズの復活です。ビートルズができたのなら、キャンディーズだってできないはずはないんです。それができるのはNHKだけだろうし、そうであれば舞台は大晦日の紅白以外にない。事前の発表によれば、伊藤蘭がキャンディーズメロディを歌うこと、娘の趣里は朝ドラのヒロインなのに紅白不参加という違和感否めない発表、これは私の期待を裏付けるものにほかなりません。実現の暁に、後出しジャンケンじゃん、と言われたくないので、わざわざ自分のSNSにも「趣里がスーを演じ、ミキがバーチャルなりオンラインなりで特別出演、ランスーミキのキャンディーズが復活」と予言まで書いて、大晦日を迎えました。

 そして昨晩、こんなに夢いっぱいな気分で紅白を見るのは初めてでした。午後10時過ぎ、笑顔で懸命に歌うランの姿に胸打たれながらも、でもやっぱりこれは違うよ、これじゃ市民文化会館の昭和アイドル懐かしの歌謡ショーと変わりないじゃないか、僕らのキャンディーズはこうじゃないんだよ、NHKだから期待してたのに、ランさんなんでこんな仕事引き受けたの、と、憤懣(ふんまん)やるかたない思いで、さっさと床に入ってしまいました。

 そんなことで、例年1月の倶樂部余話は年末に書き溜めておくのですが、今回は、元日の気持ちをそのまま書こうと思って、結果こうなりました。
 ご挨拶が遅れました。あけましておめでとうございます。本年も当店へのご愛顧お引き立ての程を何卒よろしくお願い申し上げます。(弥)

加筆。
この記述は、元日に書いてお昼すぎにすぐにアップロードしたものです。その直後に能登半島地震が発生しましたので、そのことには触れることができませんでした。
偶然のタイミングとはいえ、配慮の足りないこととなりましたこと、お詫びいたします。被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。