倶樂部余話【450】完全攻略。アイリッシュ・ブレックファスト。complete full Irish Breakfast (2026年3月2日)


 22年前に一度簡単に書いていますが (倶樂部余話【198】2004年10月6日)、今度は画像も交えてもちょっと詳しく。

 英国やアイルランドの豪華な朝食はよく知られています。地方の小さなゲストハウスなどでは昔ながらに順番にサーブされるところもあるようですが、近頃はほとんどビュッフェ形式になっているので、好きなものを好きな順番で好きなだけ食す、ということで何も問題はないのです。問題はないのですが、本来はこうやって食べるんだよ、ってことを誰かが伝えないと、と思うのです。なので身を挺して、というか自らの胃袋を持って、お節介なお話をいたします。ただ、これは何も厳格なものではないので、こうじゃないといけない、というわけではありません。誰もとがめたりしませんし、基本的には好きなように楽しめばいいのです。

 それでは始めましょう。場所はアイルランド・ダブリン。アメリカ大使館近くの4つ星ホテルHerbert Park hotel。朝食会場のレストランは、セルフビュッフェになってます。

 着席すると、ウェイターがやってきます。Tea or coffee?
「Tea please. それとポリッジがあればハーフサイズで。(水かミルクか、と聞かれたら)ミルクで」。
 そしてまず一皿目を取りに席を立ちます。

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 果物とヨーグルト。アイルランドの美味しいミルクとベリーのスムージーも。
ここではカットフルーツですが、昔イギリスのホテルに泊まったときに、恰幅の良い英国紳士が、バナナをナイフとフォークで上手に食べていたのを思い出します。お見事でした。

 二皿目のコールドプレートを取って戻ってきたら、ポリッジがちゃんとハーフサイズで届いていた。
 順番で言うと次はシリアルです。コーンフレークや雑穀も備えてあるのだけど、前述のように頼むとポリッジを出してくれる。ポリッジはオートミールのおかゆのことで水かミルクで煮ます。アランセーターの恩師パドレイグ・オシオコン氏が好んでいたやり方を真似して私はこれに蜂蜜を足します。このホテルには蜂の巣がそのまま立てかけてあるので天然のハニーが取り放題。これは嬉しい。写真の黄色い塊がそれです。一口すすると胃袋がじわっと暖かくなってくるのがわかります。

 このホテルにはコールドプレートがあるのです。スモークサーモンとサバの燻製、嬉しくて二切れずつ取りました。生野菜は貴重で、きゅうりの食感だけでも味わえるのは嬉しいものです。燻製といえば、以前にスコットランド、グラスゴーのクラシックなゲストハウスの朝食で初めて食べたキッパー(kipper=ニシンの燻製)、これは美味しかった。ホテルの客の中にはフルではなくコンチネンタルで簡単に済ます客もいるのでしょう、コールドミールのコーナーには、ほかに、ハム、サラミ、チーズ、プチトマト、も備えてありますが、後が控えているのでこれらはパスします。

 いよいよメインのホットプレートです。
 0時から時計回りに。ハッシュドポテト、マッシュルーム、焼きトマト、スクランブルエッグ(バーベキューソース添え)、ブラックプディング(穀物入りの腸詰め、血合い入り)、ホワイトプディング(同じくでこちらは血合いが入っていない)、ソーセージ、カリカリのベーコン。
 卵料理は好みで目玉焼きやゆで卵に変更可能。バイオーダーたと、半熟か完熟かの希望や、ポーチドエッグ(トーストが座布団になっている卵料理)のリクエストも通じる。ブラックプディングはアイルランドでは欠かせない一品。これが、スコットランドだとハギスに置き換わったり、イングランドではホワイトだけだったりします。かなり濃い味で食べすぎるとやたらと喉が渇きます。このホテルでは半分に割ってくれているので助かります。
パンは、アイルランドならソーダブレット(イースト菌で膨らませないで重曹を用いた簡素なパン)なんでしょうが、私はそれはお昼にパブでスープに浸して食べるのが好きなので遠慮して、ここではオーソドックスに薄いトーストを取ります。ブラウンとホワイト、バターも低脂肪やマーガリンもありますし、ジャム、マーガリン、蜂蜜、お好みで。もちろん、ここにはクロワッサンやフランスパンなども置いてあります。

  デザートにチーズを少々。普段はコーヒー党の私ですが、アイルランドでは断然紅茶です。
 国民一人あたりの紅茶の消費量、第三位がUK(イギリス)、第二位がアイルランド、世界一はトルコなんだそうです。確かにトルコは水代わりに砂糖たっぷりのチャイばっかり飲んでます。イギリスの紅茶がインド、スリランカ系なのに対して、アイルランドの紅茶はアフリカ、ケニア産がメインです。このアイリッシュティーの特徴は、ミルクをたっぷり入れても色が薄くならない、ということ。ね、色がしっかりと濃いでしょ。
 いくら早食いの私でも、これで小一時間はかかります。冬の朝は遅く暗かった空もすっかり明るくなってます。

小腹が空いたときのためにカップケーキ(ブルーベリーとチョコ)を持ち帰ります。展示会周りで忙しいとお昼はこれだけで済ますこともあります。
さ、仕事するぞ。

私は、ワリカン負けするのが大嫌いなとても卑しい性格なので、こうやって目一杯朝食を楽しみますが、こんなに食ってるヤツはホテルの食堂で多分私一人ぐらいなもの。だから、決してこれを人に勧めるものではありません。順番と内容を説明するために身を挺して書いたものですからね、と、言い訳です。(弥)

倶樂部余話【449】旅日記を書いてみます (2026年2月17日)


※第1日目1/16(金)。朝静岡駅から成田空港へ向かう。品川で横須賀総武快速に乗り換え。なにやら駅が大騒ぎ。山手線が停電で止まっているらしい。日暮里ルートを選んでいたら足止めを食らうところだった。この旅はトラブルを吉に変える旅なのかも。R社のゴールドカードを持つとプライオリティパスという特典があり、世界中の空港ラウンジが年4回無料で使える。今回はこれをフル活用。成田のラウンジは食事も酒も充実していてありがたい。今回はダブリン降機でアバディーン搭乗というオープンジョーチケットのため仏蘭の航空会社を利用。このところずっと中東系だったので久々の欧州系。しかしサービスも機内食も映画も中東系のほうがずっと充実していると実感。機内ではちょっとしたトラブル発生。私の手荷物がいつも重たいのはCPAPという機械を持参しているためで、SAS(無呼吸症候群)の患者はこのマスクを装着しないと熟睡できない。中東系では椅子の下などにコンセントがあったのだが、どこにも見当たらないので、CAを呼んで、コンセントはどこか、と尋ねるも、電源なら眼の前にUSBがあるだろ、というばかりでまったく話が通じない。成田便なのに日本語のわかるCAがひとりもいないとは驚きだ。しばらくして乗客の中に非番の日本人航空職員がいたらしく、来てくれたが、当機にはトイレのひげそり用以外にはコンセントはない、との答え。トイレで寝ろってか。事前に言ってくれればバッテリーを用意します、って、そんな事どこに書いてあるの。
夜アムステルダム・スキポール空港到着。乗継便まで11時間待ち。無料のシャワー、セミフラットの安眠チェア、コンセントもあって、wifiも速い、ヨーツェンにくるまれば、スキポールの待合室は機内よりもずっと快適かも。

※第2日目1/17(土)。朝6時にラウンジが開いて、充実の朝食。乗継便でダブリン着。最初にやることはLeepCardにtop-up(これSuicaにチャージ、と同義)。空港バスは高いので公共の市バスで市街へ。CLEOでアランセーターを何枚か物色したら、しばしの自由時間。毎年1月はナショナル・ギャラリーで所蔵のターナーの絵画数十枚を無料で公開している。これは観ない手はない。

大好きなJack・B・Yeatsのコレクションもじっくり鑑賞。グラフトン界隈の古いパブでチャウダーとギネスでランチ。うまい。ダブリンに帰ってきたぞ、つて実感。マークス&スペンサーでパンツも買って(倶樂部余話【444】参照)ダブリン市内観光はこれでおしまい。また市バスでホテルに入り、荷を解く。夜のレセプションパーティのため、着替えないと。今回展示会を後援するアイルランドの政府機関から若干のサポートをもらっているので、こういう催しには顔を出さないと義理が立たない。食事代を浮かせるのはありがたいが、このパーティのために一日早く出て11時間も待機して、と考えるとどうなんだろ、とも思う。パーティの後パブでギネスを1パイント引っ掛けて、就寝。

※第3日目1/18(日)。このホテルのウリは豪華な朝食。Full Irish breakfast。これだけで話ひとつにはなるから、これは後日改めて書くことにする。この日は終日展示会場。この会場、古くから競走馬のオークションなんかをやっている由緒あるところ。そう、サラブレッドはアイルランドの特産品だ。この会場にアイルランドの物産品、約300社が出展している。私はこの展示会に20数回通っていて、今ではもはや日本人バイヤーとしては最古参になってしまった。挨拶代わりのバラマキ土産を鞄いっぱいに詰めて会場を回る。今回のバラマキは、ブルボンの抹茶ラングドシャーで、今回は20個用意した。こういうジャンクなもののほうが面白がってくれる。マッチャはみんな知ってた、流行ってるんだね。ランチは向かいのパブでまたスープとギネス。同席は公式ツアーガイドのナオコさんとクレオに勤めているミワさん、この二人の日本人女性のおかげで私の仕事はどれだけ助けられているか、感謝です。それにしてもこの3人ランチ、実によく笑った。夜はまた出展者とバイヤーとの交流パーティ。ギネスとフィシュアンドチップスとハンバーガー。歌と踊り、お疲れさん。さすがに疲れた。

第4日目1/19(月)。またもや豪華な朝食の後、8時にアランレジェンドのハンドニットを依頼しているA社と3時間強のミーティング。2年前に亡くなった社長ショーンの跡を継いだ三男ミホールとは初対面。父親譲りのコーク訛りのズーズー弁だったらどうしよう、と、助っ人通訳にナオコさんにも来てもらう。おかげで綿密な打ち合わせができて、今回のダブリン訪問の最大の目的が果たせた。展示会場をもう一度一廻りしてから、市バスでクレオに向かう。ミワさんが待っててくれて、目星をつけておいたセーターを精査。おっと、もう空港に行く時間だ。急いでまた市バスに乗る。雨も強くなってきた。お腹も空いた。ダブリン空港のラウンジは改装中の仮設で会議室みたいな殺風景な部屋。料理も少ないけど文句は言うまい。何やらとりあえずお腹に詰め込んで、格安航空世界一のライアンエアーでスコットランド・エジンバラEdinburghへひとっ飛び。空港近くの格安ホテルに着いたら、もう11時。スコットランドの地ビールを一杯飲んでバタンキュー。

※第5日目1/20(火)。この日は移動の一日。持参の朝食(豚汁、おかゆ、ミックスフルーツ、魚肉ソーセージ、6Pチーズ)を部屋で摂り、エジンバラ空港からダンディーDundee行きの高速バスに乗る。右手にフォース鉄道橋Forth bridgeを臨む。鋼の恐竜とも言われる世界遺産。圧巻だった。その後も湾曲が美しいテイ鉄道橋Tay Bridgeも見られて、バスの中で一人はしゃいでいた。

ダンディーの街でぶら散歩。観光の目玉は2018年に出来たV&A美術館(ロンドン)初の別館でこれが隈研吾の設計。世界初の南極観測船ディスカバリー号(乗船できる)と並んで海に向かった光景、背後には美しく湾曲するテイ橋、お見事。ダンディーで食べたかった2つのもの。ひとつはハギス。バーンズナイト(スコットランドの詩人バーンズをたたえて誕生日の1/25に伝統料理ハギスを食して祝う習慣)が近いのでここで食べておきたかった。古いパブで頼むと、ハギスをスライスしてフリッターにしてあり、スコッチウィスキーソースが添えられている。ブラックプディングに近いかな。満足。もう一つはこの街の名物お菓子ダンディーケーキ。特産のマーマレードを使い白ブドウ(sultana)を入れたフルーツケーキでアーモンドがトッピングしてある。老舗の菓子舗で入手。家族への土産に。ダンディーからアバディーンまでは鉄道。北海の海べりを北上する。右手には北海の波しぶきがかかってきそうなビーチ。左手は荒涼としたスコットランドの草原。えっ、旗が立ってるぞ、ここゴルフコースだ。そうだ、ゴルフ発祥の地セント・アンドリュースはダンディーのすぐ南だし、まさに本場のリンクスの海の間際を線路が走ってる。ゴルフは羊飼いの暇つぶし、バンカーは羊の風よけ場、というのがよく分かる。そして列車はスコットランド第3の都市アバディーンAberdeenに到着。午後4時なのにもう真っ暗。駅ビル内のタイ料理屋でパッタイをテイクアウトしてから、フェリーのターミナルまで歩く。どうせまた戻ってくるんだからどこかで重たい荷物を預けたかったが場所がわからずそのまま乗船。これが吉と出るのは後述。さあ、12時間の夜行フェリーの旅。事前に2つのメールが入ってる。ひとつはナオコさんから「すごいオーロラが見られるみたいですよ」。キャビンクルーに聞いたら「おお、昨日の夜はすごかったよ。ほら写真見て。夜9時ぐらいかな。あの奥のドアから外に出られるからお楽しみにね」。もう一つはジェイミーソンズのピーターから。「今夜の海は荒れるからあらかじめ酔い止め買って飲んでおくように。船内には売ってないよ。朝8時に迎えに行く」どっちが正しいんだろう。

※第6日目1/21(水)。揺れる揺れる、オーロラどころじゃない。ピーターが正解。唸りを上げて進んでいたが、途中で急に減速モードに。もう着いたのか、まだ2時間あるのに、と、携帯を見ると、うわ、まさにフェア島を過ぎたところじゃないか。そうか、きっと南風なんだろう、波に乗って早く進んだんだ、ここからゆっくり時間調整だな。ふらふらの体で定刻に下船。体がずっと揺れたままだ。一日中揺れたままだった。ここはシェトランド島Shetland Isle.の首都ラーウィックLerwick。ピーターの車でジェイミーソンズのファクトリーがあるサンドネスSandnessまで小一時間のドライプ。夜が明けてくると、シェトランドの荒涼とした風景が見えてくる。氷河に削られた痩せた土地、voeと呼ばれる谷間に海が奥まで入り込んで陸地を狭めていく。あ、羊が海藻を喰んでる、ホントにそうなんだ。サンドネスはジェイミーソンファミリー発祥の地。祖業は八百屋だったんだって。電話ポックスのある小さな建物が今も残っていて、そこで物々交換でウールが溜まったんで今の商売に進んだんだと。ファクトリーは八割が毛糸屋さん、セーターやさんは二割だけ、という感じ。原毛から製品までをそれなりの規模で一貫して自社内で完了できるファクトリーはシェトランド島はもちろんだが、英国内でもなかなかないだろう。これもまた別の機会に詳しく述べることにしよう。

そうこうするうちに、今夜のフェリーが荒天のため欠航になったとの知らせ。あれ、帰れないよ。まあ一日ぐらい遅れてもいいか、とも思ったが、ピーターが言うには「この欠航は三日は続く。今夜のフライトで戻れ。今予約取るから。空港から一番近くて安いホテルも取っとく」と迅速。きっと慣れっこなんだろう、こういう事態。助かった、帰れる。でも8万円が一瞬で飛んだ。また小一時間掛けてラーウィックへ戻る。いよいよアンダーソンとエベレストの商談。これは前話で書いたので省略。倶樂部余話【448】参照。残るは博物館で資料収集だ。この博物館Shetland Museum & Archives は想像以上の施設で、街のコミュニティセンターとしての役割を担っているように感じた。結婚式までやってる。この島の一番大きな産業は最近では北海油田関連なのだが、ウール産業がこの島の維持発展に欠かせないものだという認識と愛情、それがひしひしと感じられて感動した。わずか9時間の島での滞在だったが、来てよかった、また来なくちゃ、と、思わせるとても意義のある滞在だった。ほんとは美味と言われるシェトランド・シープを食べたかったが、食事の時間がないので、小さなテイクアウト専門の中華屋で焼きそばを包んでもらい、タクシー飛ばして、2万円、島の南端にあるサンボロー空港まで。午後3時、薄暗くなって、外は暴風雨、景色を楽しみたいが、すべての業務が終わって安心したのか睡魔に襲われ気がつくと小さな飛行場。重たい手荷物を預けると重量オーバーで超過料金だと言う。仕方ないな、でもフェリーターミナルで預けとかなくてよかったよ。しかし、この焼きそばは世界一まずくて高い焼きそばだな。小さい機体は揺れながらもアバディーン空港へ無事到着。実はずっと寝ていてほとんど覚えてない。至近のホテルまで歩く。風がものすごくてなかなかきつい。ようやくチェックインでバタンキュー。あのまま夜行フェリーで予定通り帰っていたとしたら、こんなに休めなかっただろう。欠航で飛行機に変更したことで10万円くらい余計にかかったけど、最初からこういう予定にすればよかったんだと思おう。熟睡。
※第7日目1/22(木)。午前、アバディーン空港のラウンジは思いの外充実していて、大満足。これで4回分使い果たした。ゴールドカード年会費一万円の元は取ったぞ。スキポールでの乗り継ぎはわずか55分。行きは11時間、帰りは55分、随分極端だ。成田便に滑り込みセーフ。博物館で買ったシェトランドウールの本を読み始めると、不思議なことにどんどん読める。言語中枢が英語になってたんだな。今読み返しても全然読めないのに。
※第8日目1/23(金)。昼に成田着。品川駅横須賀線ホームで駅そば。これ、実は恒例。夜、静岡駅より帰宅。
書き始めたらやっぱり長くなりました。半日で書くはずが2日間も掛かりました。

何しろ実感したのは、JPY(Japanese Yen)が弱すぎる。覚悟はしてましたが、倍の感覚ではまだ安すぎます。2.5倍かな。コンピニで買うようなサンドウィッチが2,000円ですから。
今回は、食費を徹底的にケチりました。ラウンジやパーティのタダメシは利用しまくって、朝食は3日分を持参、それでも総費用は10年前の倍以上となりました。
お疲れさまでした。(弥)

 

倶樂部余話【448】エベレスト、12年ぶりの復活 (2026年2月1日) 


 今回は業界紙へのプレスリリースのように書いてみます。

 静岡市のメンズショップ「ジャックノザワヤ」(代表・野沢弥一郎)は、英国「アンダーソン」社が手掛けるシェットランドセーターの名品「エベレスト」を2026年秋より12年ぶりに輸入販売することを発表します。

 今から150年前の1873年(和暦では明治6年)に英国シェトランド島ラーウィックに創業したアンダーソンAnderson&Coはシェトランドウールを使ったセーターやレースショール、靴下、下着などのハンドメイドの商品を数多く扱い、1890年代にはいち早くメールオーダーのカタログを作って広く英国本土からの注文も集めていた繁盛店でした。中でもオリジナルブレンドの毛糸を使いハンドフレームで縫い目なく編み上げた同社のセーターが1953年のエベレスト初登頂に成功した英国ヒラリー遠征隊に着用されたことから、このセーターはエベレストEverestと呼ばれるようになりました。エベレストのセーターは今世紀になって広く海外でも販売されるようになり、我が国でも人気を博し、ジャックノザワヤ(当時の店名はセヴィルロウ倶樂部)も輸入卸を通じて2005年から2014年まで相当な数量を販売し、その間オーナーのリースク夫妻とはダブリンの展示会で何度も会って交友を深めていました。
 ところが2014年エベレストは突然生産が休止になります。古い手横の編機の維持管理が難しく人の確保もできなくなった、というのが表向きの理由でしたが、後で聞いたところ、リースク氏の健康上の問題であったらしく、つまりは終活の事業縮小であって、その後すぐにリースク夫妻は亡くなり、残った小売の店舗を、長年の従業員であったケイラとジョンのロバートソン夫妻が引き継ぎましたが、それ以来エベレストのセーターはマーケットから忽然と姿を消したのでした。
 それから10年の歳月が流れ昨年の11月、一通のメールが野沢のもとに入りました。「こちらはアンダーソンです。エベレストを復活しました」という知らせ。個人顧客向けの拙いDMメールで半信半疑のところ、ちょうど来日していた同じシェトランド島のニットメイカー、ジェイミーソンJamiesonsの社長ピーターに相談したところ「Jack、よく掴んだなその情報。うちの店とアンダーソンの店は斜向かい、10メートルも離れてないんだ。うちの娘とケイラは小学校からの同級生だよ」
 その言葉に背中を押され、この1月、野沢は意を決してシェトランド島を訪れ、商談に臨みました。今回のエベレストの再開は店売りだけのつもりで、卸売もましては日本への輸出なども考えいなかったアンダーソンでしたが、年間の取引量は30枚程度、こちらも卸売はせず小売だけで販売する、価格はできるだけ現地価格に近づける、などなどを話し合いました。
 商品の内容や価格については、ジャックノザワヤのwebサイトに詳細の紹介をゆずりますが、12年ぶりのエベレストの復活は業界の話題なることは間違いないでしょう。

 こんな感じかな。自慢話も大概にしろって、か。(弥)

倶樂部余話【447】ファイト、フォルティウス (2026年1月2日)


 あけましておめでとうございます。
 昨年で一番嬉しかったこと(仕事や家庭のことを除くと)、それが女子カーリング・フォルティウスの五輪出場決定です。数々の崖っぷちのピンチを乗り越えてようやく掴んだミラノ行きの切符です。
 ロコ・ソラーレが文字通り太陽ならば、フォルティウスは月。判官贔屓といいますか、私は弱い方に味方して応援するのが自らの達というのか、実はかなり以前からこのチームを応援してきました。
 出産を経て5度目の挑戦に臨んだスキップ吉村、ソチ代表となりながらインフルエンザで出場できず、常に病気と怪我に力を阻まれてきたセカンド小野寺、
コーチ陣の船山、小笠原も実績を残しながらもやり残した思いを持ちながら、
その間チームはあと一歩のところをさまよい、スポンサーを失って財政的にも苦しい日々を続けました。
 中でも私がとりわけずっと動向を見ていたのがリードの近江谷杏菜なんです。
地元常呂の中学の先輩、本橋に引き上げられて弱冠20歳の最年少で出場したバンクーバーでの彼女の生意気ではっちゃけた姿勢に私はとっても好感を抱いたのですが、本番では途中で極度の不振となり、メンバーを外され不本意なままで五輪を終えます。
 この大会はカー娘、もぐもぐタイムなどの流行語を生み、カーリング人気の発端となります。先輩のマリリン本橋はその後地元でロコ・ソラーレを立ち上げ栄光の道を進んでいきますが、後輩の近江谷は、本橋と袂を分かち、故郷北海道を離れ青森に移りくすぶり続けていたところで札幌のフォルティウスに加入、とうとう苦節16年、今度は最年長のまとめ役として、2度目の五輪出場をその手に掴んだのです。
 稚内での決定戦、崖っぷちにありながらの、吉村の最後の一投。前回は短すぎて苦杯を舐めましたが、今度はオーバー気味、ヒヤヒヤドキドキ、またもや万事休すか、、、ストーンがギリのところで止まってくれて、、、いやはやこれには泣けました。ここで日本代表の座を得たのにまだ終わりじゃないんです。肝心の枠がない。その枠を取りにカナダへ。ここで負けたら今までの努力が水の泡。近江谷にとっては因縁のカナダでしたが、ノルウェーの自滅ミスもあって、見事な勝利。ついにイタリア行きの切符を手に入れました。バンザイ、おめでとう、良かったね。
 でもこれがゴールじゃない、スタートラインに立てたところです。ゴールは金メダル。
これだけの道程を歩んできたんだ、君たちなら出せる結果がある。もう来月です、ファイト、フォルティウス。(弥) (文中敬称略)