【倶樂部余話】 No.225  地方の店 (2007.10.10)


 丸の内に青山のようなビルが建ち、六本木に新宿のような空間が生まれ、銀座に渋谷のような施設ができる。東京では毎月のように新しい商業施設が生まれ、視察に行くたびに「これだけ次々に目新しいハコが出来続けると、人も移り気にならざるを得ないだろうなあ。私の店は、静岡の『地方の店』で良かったかもしれない。」と改めて感じるのです。
 そう、当店の類いは昔も今も「地方の店」と言われます。それは単に地方都市にある店という以上の意味があって、その規模や品揃え方針、固定客重視の接客や店主のわがままな好き嫌いの度合、など、いろんな要素がひっくるめられている呼び方なのです。ですから、この「地方の店」の反対語は何か、と考えると、恐らく「中央の店々」ということになります。しかもその「中央の店々」は中央だけでなくそこそこの規模の地方都市にも進出してきますので、地方には「地方の店」と「中央の店々」が混在しているのです。
 そして、地方では「地方の店」が減り、代わりに「中央の店々」が増え続けています。さらに中央では次々に新しい店が湧き上がります。それなのに、です、中央には「地方の店」がない、のです。
 さて、地方の客が中央の店へ、という流れはよく言われていることですが、しかし、実は中央の人たちの中にも地方の店(のような店)が好きな人がいる、ということが忘れられてはいないでしょうか。売れ筋に偏って同質化してしまっている店や、富裕層向けと称していたずらに虚栄心をくすぐる店ばかりが増え続けて、目まぐるしいほどの栄枯盛衰の中でパイの取り合いをしているのが中央ですから、そんなあわただしい様子に嫌気をさし「私は『地方の店』の感覚の方が好みだ」と感じる方々が中央にいたとしても何も不思議ではありません。そういう方々は中央で買える立地にいるにもかかわらず地方の店へ目を向けるのではないかと想像ができます。つまり、中央の客が地方の店で買う、という構図だって充分にあり得るのだと思います。マイナーな流れでしょうが、ネット時代になり口コミがマス媒体以上の影響力を持ち始めるようになっているので、この傾向が今後小さくなることはないように感じます。
 当店の売り上げはもちろん静岡県の皆様によって支えられていますが、最近は県外の方からのご用命も無視できない比率を占めるようになってきました。それもこれも当店が「地方の店」であるからなのでしょう。昔は何だか見下されているようで快く思わなかった「地方の店」という呼ばれ方ですが、近頃はそう言われることに密かに喜びを感じるようになってきているのです。(弥)

【倶樂部余話】 No.224  パクられてもパクることなかれ (2007.9.5)


 宮沢喜一元総理の死去の際、静岡新聞の「大自在」(朝日新聞で言うところの天声人語の欄)が、ウィキペディア(ネット上の百科事典)の記述を裏も取らずに無断引用し、大恥をかいた、という事件がありました。
 このホームページの私の文章も実に方々で参照されているようです。最も多いのは、やはりアランセーターについての記述で、くだんのウィキペディアにまで紹介は及んでいます。またマッキントッシュに関する考察なども業界内では少なからぬ影響を与えているようなのです。
 ネット以前の時代ですと、田舎の一商店主がDMのハガキにワープロで書くようなモノと大新聞に書かれた記事とでは、その信頼度には明らかな差があったものでした。ところが、面白いことに、ネット出現以降は、同じような内容の記述に出くわしたとしても、どれが初出の本家モノで、どれが他人の文章のパクリかは、つぶさに記述を読むと比較的容易に判断ができるようになったのです。
 このことは、たとえ無名で小規模だろうと、マス媒体以上に説得力のある発信ができる時代がやって来たという朗報であり、また、決して安易に他人の記述をパクったりせず、いつも内容を咀嚼して自分の言葉で書くことを心掛けるべき、という教訓でもあります。
 もうひとつ、私が言い出しっぺなのが「スーツは年収の1%」説なのですが、これが過日業界紙に某百貨店の男性バイヤーのコメントとして載っていたのにはいささか驚いてしまいました。
 ついでに今回はこんな持論も披露しておきましょう。「スーツは食卓で決まる」。スーツをどの店でどう買うのか、の裁定は、実は店内ではなく、夕食の団らんの家族の会話ですでに決まっているのではないか、というのが私の勝手な推測なのですが、いかが感じられるでしょうか。(弥)

【倶樂部余話】 No.223 バイヤーの憂鬱 (2007.8.3)


最初から売れないと分かってるモノを仕入れるバイヤーなんていません。「コレは売れる!」、バイヤーはいつもそう信じて数を出すのですが、すべてが思惑どおりに行くはずもなく、どうしても売れ残りという困ったモノが出てしまいます。
普段は売場全体に紛れ込んでいるそういった残りモノが浮き彫りになって現れてしまうのが夏のこの時期でして、今月の店内はさながら一年分の残りモノ品評会のようで、無能ぶりをさらけ出しているバイヤーは悲しくなるやら情けないやら、いささか憂鬱になる八月です。
「在庫は宝なんだよ」と私はかつてある名物バイヤーから教わりましたが、今多くの経営者は「在庫は罪だ」と説きます。宝なのか罪なのか、私はどちらも正しいと思います。中身と量と時期の問題ですし、バイヤーと経営者という立場の違いもあるでしょう。そして、宝だと強気に言うバイヤーの私と、罪だと堅気に言う経営者の私が、いつも自身の中で葛藤しているのですが、この時期は明らかに後者の私の方に軍配が上がってしまうわけです。
つまり、かつての宝も八月には罪。なので涙を飲んで、恥ずかしながらの価格を付けても、思い切った罪減らしをやらないといけません。それにはお客様皆さんのご協力が必要であります。暑い中ですが、ご来店いただければ嬉しいです。(弥)

【倶樂部余話】 No.222 宝の持ち腐れ (2007.7.1)


 世に言う、宝の持ち腐れ、つまり、買ったはいいけど(または、持ってはいるけど)もったいなくてなかなか使わないモノです。高価でも、クルマ、腕時計、スーツ、バッグなんかは、ちゃんと使って持ち腐れにならないことが多いのに対して、持ち腐れになりやすい代表選手は恐らくシャツと靴ではないでしょうか。高くなればなるほど使わなくなってしまう、という反比例の法則が働いているような気がします。
 なぜなのか、その理由も何となく分かります。まずその価格です。何十万円のスーツはハナから手が出ないとしても、例えば五万円のイタリア製シャツや十万円の英国製の靴ならば少し張り込んで(自分にご褒美!として)買えない金額ではありません。でもこの二つ、使った後がそのままにしておけない、という悩ましい共通点が…。使えば必ずメンテナンス(洗濯&アイロンや靴磨き)を要しますし、また使えばすぐに摩耗やキズも進行する。なので使うのについ躊躇してしまうんでしょうね。
 もうひとつ、この二者には共通の特徴があるのですが、お分かりでしょうか。それは、既製品と注文品との違いが歴然としている、ということです。先ほどの五万円のイタリア製シャツや十万円の英国製の靴ももし自分の体とちゃんと合わなければ我慢してなければならないわけで、この既製品と注文品とのサイズフィット感の満足度の差は、シャツや靴の方がもしかしたらスーツ以上かもしれません。もちろん既製品と注文品との違いは、サイズのことだけではなく、自分の趣味嗜好をどれだけパーソナルに取り込めるかというディテールや仕様の許容度という面もありますし、何より将来リペアができる(シャツなら衿や袖の交換、靴では踵や底の張り替え)ということがそもそもの購買の前提となっている点も重要な違いです。
 そして、実はここに当店でシャツと靴のオーダーが好評という、そのカギがあると思うのです。くどくど申し上げませんが、決して買い物を持ち腐れにさせないだけのセールスポイントがあるのです。
 しかし、シャツやスーツのオーダーに比べると靴のオーダーというのは馴染みが浅く、さらに慣れないうちは完成姿が見えにくいので、よしっ頼んでみよっ、という気持ちになるまでのハードルがまだ少し高いように感じます。なのでこの夏も「靴を作ろう!」のキャンペーンなのであります。腐る宝より使えてこその宝ですから。(弥)

【倶樂部余話】 No.221 3年目のクールビズ  (2007.6.6)


 クールビズも今年で三年目。元々が官主導の取り組みで始まっただけあって、初めての年は、ネクタイは締めてはならぬ、上着も着てはならぬ、とのお上からのお触れに、下々皆の衆「お行儀良く」素直に従ったのでありました。
 しかし、ファッションというのは、お仕着せに反骨する精神から生まれるもの。はい、制服をどうカッコ良く着ようかとアイデアを凝らした中高生の頃を思い出しますね。禁じられるほどに燃えてしまうのが恋とお洒落なのであります。
 「通勤の行き帰りはともかくとしても、やっぱり仕事の時にはちゃんとタイを締めていたいし、できれば上着もしっかりと着ていたい。それで暑いのは仕方ないだろ、クーラー強くしろなんて今更もう言わないしね。自分が我慢すればそれでいいんだから。」という声が今年は聞かれます。そう、着たけりゃ着ればいいし、外したけりゃ外せばいい。誰に指図されるでもなく、誰かと横並びになる必要もない。自らのビジネスに一番有効な手だてを自らがアレンジすればいい。
 これこそ、クールビズの名の下で男性に与えられたフリーハンドな特権だと考えると、三年目のクールビズはようやく押し付け感が消えて、けっこう個性的で幅のある楽しみができる夏になるんじゃないのかな、と感じているのです。(弥)

倶樂部裏話[13]原産国の話 (2007.5.16)


 今回は、Made In ○○○、という「原産国」の話です。この原産国が商品価値に大きく影響するのが食品と衣料品です。食品の方は安全性やおいしさへの信頼度という観点が強いのに対して、衣料品の場合は品質というよりもむしろイメージの問題という側面があり、そういう点では、極論すると、いい品物であれば原産国にはさほど拘泥はしない、というのが私たちの態度ではあります。ただ、どこで作っているか、によって、売れる売れないの違いというのは正直かなりあるわけでして、それがまたファッションというものの面白さだとも言えるでしょう。

★Made In England…かつては「舶来モノ」の代表格だった「英国製」ですが、今はほんとに減りました。不思議な計算方法の最低賃金保証制度や異常なほどの英ポンド高など、輸出には不利な状況が続いています。衣料品製造業全体としては衰退の一途ですが、それでも産業革命当時からの重厚な機械設備が今も活用できる紳士服地の生産やニット産業などはまだまだ健在で「さすが英国ならでは」の素晴らしい品物を作り続けてくれます。が、スーツやコート、シャツなど最新のソーイングマシンと労働力の集約が必要となる縫製業の工場はどんどんなくなっています。紳士の国といわれる英国だから、紳士服の工場もたくさんあるのかと思われるかもしれませんが、実はそんなことはなくて、日本の方がよっぽど良いスーツファクトリーが多いですし、また良い技術を持つ工場は後世に残さなければいけない、という危機感を持っているのも日本の方が上だと感じます。
 英国を起源とするブランドはとても多いのですが、すでに会社も工場も英国にはなくてブランドだけが商標として一人歩きして売り買いされるケースが続いています。おそらく有名英国ブランドの大株主やオーナーのほとんどはすでに英国以外の資本となっているのではないでしょうか。そして当然に生産も英国ではないのです。今では英国製の英国ブランドという方が希有な事例となっている、というのが、Made In Englandの実状です。

★Made In Ireland…アイルランド製のハンドニットというと、その代表格は当店自慢のアランセーターです。ところが近頃ちょっと???と思わせるhand-knitted in Irelandのセーターが出回っているようです。好景気が続いたアイルランドにはこのところ東欧圏からの移住者も増えていて、彼らがとても熱心に手編みの技術を学んでいるらしいのです。技術を習得して何年かしたら自国へ戻ると就職に有利なんでしょうね。つまり編んでる場所は確かにアイルランドなんですが編んでる人はそうじゃない、というセーターが増えているというのです。あ、もちろん、当店のアランセーターは正真正銘アラン諸島在住の婦人による手編みのセーターなので、ご心配なく。

★Made In Italy…島国の英国と違って、欧州の中心に位置していて民族の往来も多いイタリアは生産国の振り分けもとても柔軟です。ユーロ圏内では為替や関税という国境障害が全くないので、あまり他国生産ということを意識していないのかもしれません。当店で仕入れているイタリアブランドでも、ポルトガル、ルーマニア、クロアチア、など、生産国は様々です。モノが良けりゃそれでいいじゃないか、という大らかさを感じます。実際、EU圏内の流通に限っては原産国表記は不要らしいのですね。どうやらイタリア製かどうかに神経質になっているのは日本人だけのようです。

★Made In USA…私は理解しがたいのですが、アメカジのお店や古着屋さんあたりでの「メード・イン・ユーエスエー神話」はちょっと異常じゃないかと思えるときがあります。曰く、コレが最後の米国製の××といったアオリ、ですね。確かに伝統もプライドもそっちのけでホイホイ簡単に生産基地を世界中のあらゆる場所に移動させるのはアメリカ企業の得意技なのでしょうが、でもそれじゃ何が何でもアメリカ製の方がいいのか、というとそうともいえない場合があるようです。ニューヨーク近辺にあるカットソーの工場などは、一つしかないトイレが汚物で溢れているような古いビルの中に低所得層の不法移民者のたぐいを大勢押し込んで劣悪な環境で長時間働かせているという、いわゆるスウェットショップと呼ばれる生産現場が多く見受けられるそうで、これがMade In USAの一つの姿だということを知るべきでしょう。少なくとも憧れる対象ではないですね。もしこのようなUSAモノだとしたら、もしかしたらフェアトレードのアフリカ製の方がまともなものづくりの環境なんじゃないかというケースも少なくないのかもしれません。

★Made In China…否定はしません。事実、実際の生活ではかなりお世話になっていますし、不可欠の生産国でしょう。ただ、どうしてもイメージが悪いんでしょうね、積極的に、コレは中国製でーす、と言うには今も至りません。通販カタログなどは、法律上生産国をちゃんと表示しなければならないので、どんな高いイメージを持っている英国ブランドだとしても中国製云々と記載してありますが、一般のファッション雑誌はイメージばかりでかなりいい加減です。「歴史ある英国ブランドだと書いてあるから英国製だと信じて、雑誌に載っているお店に電話して掲載商品を買ったのに、届いて見たら中国製じゃないですか。ひどいです、詐欺じゃないですか。返品します。」とお客様から言われるのは雑誌社ではなくて店なんです。ファッション雑誌とは言えそれだってひとつの報道媒体でしょう、マイナス情報であったとしても事実をちゃんと記載しなければジャーナリズムの原点に悖るんじゃないか、と思うのです。

★Made In Japan…当店で一番売り上げが多いのが、この「国産」です。生産拠点のアジア移転が相次ぐ中で、国内で淘汰の嵐を生き残ってきた工場にはやはり生き残っただけの理由と意味があります。つまり、値段で勝負というところは全部中国に移ってしまい、高い技術のあるところだけが健在なのです。ところがここにも近頃ちょっと困ったことが起き始めました。時代がデフレからまたインフレ基調に転じ、少しバブル時代と似た現象になりつつある中で、今まで海外生産へシフトすること一辺倒だった大手アパレルがまた国内工場を活用しようという流れになってきたのです。今まで小さな仕事を受けてしのいできた工場にとって、大きな仕事が入れば、それは当然にうれしいことです。工場というのは大きな仕事から優先するというのが常ですから、そのしわ寄せを受けるのが今まで受けてもらっていた小さい仕事ということになります。小さいけれど品質が良くて個性的でもある、といったデザイナーブランドなどから、今まで仕事を出していたいい工場が大手に取られて受けてもらえなくなった、との嘆きがあちこちから聞こえるようになってきました。

 冒頭で、いい品物であれば原産国にはさほど拘泥はしない、と言いました。ただそのことは、材料と機械が同じならどこで作ってもモノは一緒、ということとは全く意味が違うのです。おそらくトヨタ自動車だったら世界のどの工場で作ったカローラもみんな同じカローラが出来上がるのでしょうが、それはトヨタだからであって、我々の分野のようなファッション衣料に当てはまることではないと思います。よく言われることは、水や土や温度といった地理学的な違いですが、なによりもそもそもなぜそのモノづくりはその土地に発祥しそこに根付いたのか、その由来や歴史、伝統、といったそこにいる人間が築き上げてきた要素を意識することが上質な製品を作り出すのに欠かせないものだと考えるからです。
 米国製が中国生産に切り替わって見る影もないほどダメになってしまったところももちろんありますし、逆にベルスタッフやトーマス・メイソンのように、英国製がイタリア生産に変わってかえってクオリティが安定して良くなったところだってあるのです。また、ルーマニア製のインコテックスなど、生産基地を変えたのによくぞここまでイタリア製と同じ履き心地を実現できたものだ、と感心するくらいです。つまり、原産国は判断の一要素ではありますがすべてではない、ということです。それから、今は×××製になっちゃったけど昔の○○○製の頃の方が良かったよなぁ、という懐古的感想もあんまり言わないようにしましょう。私たちは店であって博物館ではないのです。物売りとして今できる最善のことをする以外にはないのですから。

 この話、いつか「倶樂部余話」に書こうとは思っていたのですが、どのくらい長くなってしまうか、予想が付かなかったのでためらい続けていました。案の定、長くなってしまいました。では、この辺で。 (弥)

【倶樂部余話】 No.220 紳士服の「基本のキ」 (2007.5.4)


 算数の九九、楽器のチューニング、ゴルフのグリップなど、習得の大前提となる「基本のキ」が紳士服にもあるとしたら…。私は最低限のこととして、まずは次の二つを挙げたいと思います。

 最初のチェックは、着ている服のサイズ。とりわけ、上着の着丈と袖丈、トラウザーズ(スラックス)の股下(裾丈)、という縦方向の寸法の三か所です。見ていると、これらが合っていない(長すぎる)人が実に多いです。ここが合ってなかったならば、どんなにしなやかなsuper180’sのスーツも、すばらしい光沢のカシミアのジャケットも、それは調律の合っていないストラディバリの如しなのです。(注1)

 二つ目は、靴やベルトの色合わせについての基本事項です。黒なら黒、茶なら茶、と必ず同じ色に統一します。そんなの当たり前だろ、と思われる方が多いとは思いますが、意外にこの基本が徹底されていないことが道行く人を観察するとお分かりになることと思います。これができたら次に鞄の色も合わせていきましょう。できれば、財布、名刺入れや時計ベルトも同色に統一したいものです。ピカピカに磨いた流行最先端・ハンドメイドの自慢の薄茶の靴も、お腹に黒いベルトを巻いてたんじゃすっかり幻滅なのです。グリップもろくにできていないのに名門コースを回りたがるビギナー・ゴルファーと同然です。(注2)

 トレンドやコーディネート、その人らしい個性の演出、などを語るのはそこから後の話。基本を知った上で崩すのは上級なお洒落ですが、基本を知らずに格好だけつけているのは恥ずべき我流に過ぎません。
 今更何でそんな基本中の基本をもう一度話すのか、と思われる方もいらっしゃるでしょう。でも、何十年経っても当たり前の「基本のキ」を店は忘れずに伝え続けなければいけないと思うのです。と言うよりもむしろ、店でなければ伝え続けることができないと近頃は感じているのです。そして、紳士服というのは、ルールがあるからこそ面白い、そのルールを楽しむのが紳士服なのだ、と感じていただければ、と思うのです。(弥)

(注1)もちろん、肩幅、胴回りなどの横方向の寸法も大切なのですが、一般的に横寸法に気を使うほどに縦寸法への気使いが足りないのではないか、という思いから、ここではあえてこの三か所の縦寸法だけを取り上げました。

(注2)この先に言及すべきこととしては、金属部分の色の統一があります。すなわち、金色なら金色に、銀色なら銀色に、ということですが、「基本のキ」という観点から外れてきてしまうので本文では割愛しました。また、ドレスコードが段々と甘くなってきている現代では、焦げ茶や濃紺など、暗がりでは黒と見間違えるくらいの濃い色に関しては、黒と同義と見なしても良いように考えられているのが現状です。このことも前述と同じ理由から本文では触れませんでした。

【倶樂部余話】 No.219 この長いシッポは誇りです。 (2007.4.12)


 二十年も経つとお客様の名簿も増えて、累積すると今では恐らく三千名を超えているのではないかと思います。なぜ正確な数を掴んでいないかというと、原則として二年以上のブランクが空いたお客様のデータは別のファイルに移し替えて保管しているためで、手元の名簿は常に「動いている」お客様だけのフレッシュな状態を保つようにしているからなのです。
 その中から、地元の静岡に在住のお客様を中心に、当店の頼もしい親衛隊となっていただきたい方々にこちらからお呼び掛けをして、毎月一回メンバーズ通信のハガキをお送りしています。
 ですので、メンバーズの皆様へ毎月の通信を発送するハガキの枚数というのは大体いつも数百枚程度でして、実は二十年で一度も千枚を超えたことがありません。(ただ、ご夫婦でご登録のお客様(当店では過半を占めます)にはお二人で一通の発送となりますから、実際の人数という点では千名を超えています。)
 二十周年を期に、この数百通分のお客様の在籍年数を調べてみました。五年ごとに四分割すると、まず顧客歴「五年未満」の新しいお客様の割合が41%と出ました。実際に「動いている」名簿で、眠ったままのお客様は含まれていませんから、ここが最大比率を占めるのは当然でして、常に新しいお客様を取り込んでいて、店の新陳代謝は健全に進んでいると解釈しています。
 当店らしさが現れるのはここからで、次の「五年から十年」が33%、「十年から十五年」が14%、そして「十五年から二十年」の方が今も12%のウェイトを占めているのでした。現代風に言うと正に顧客層のロングテール現象でして、実に顧客の四人に一人が十年選手という実態が明らかになったわけです。
 どうぞ十年以上経ってもFA宣言したり引退したりなんかしないで、ずっとうちのチームのメンバーで居続けて欲しいと願っています。もちろん、そのための新たな楽しさの提供は常に続けてまいりますので。(弥)

【倶樂部余話】 No.218 春は名のみ? (2007.3.7)


 ♪春は名のみの、風の寒さよ~♪(「早春賦」吉丸一昌・詞)との歌がうそのように思えるほど、異様に暖かい今年の春です。例年以上に日々の寒暖の差が大きいので、「今日はいったい何を着ればいいの?」と毎朝悩んでいる方も多いことでしょう。
 初夏の日あり真冬の日あり、の春のこの時期は、もちろん春という季節感を出すことに留意はしつつも、春夏秋冬の四季にわたる手持ちの服をすべて総動員して掛からないと毎日の気候の変化に対応しきれません。洋服ダンスの前にいると、奥にしまっておける服がなくて、すべての服が手前側にどんどん溢れてくる、という感覚です。だから、春の装いには、その人がいかに系統立てて四季のワードローブを効率的に買い揃えているか、はたまた季節ごとにてんでバラバラに刹那的な服の買い方をしてしまっているか、の差が、真価として現れることになるのです。ひとつのコツは、秋のうちから春に必要なものまで視野に入れながら手を着けておくことのように思います。
 これも要は気の持ちようで、この四季の服の総動員を「面倒臭い」と思わず、前向きに「楽しみ」と考えましょう。春は季節の中で一番いろんなコーディネートが試せる楽しい季節なのだ、と積極的に思い込んでしまうしかないのです。
 これはオーダーメイドを注文する心持ちに近いものがあります。なんだかんだと決めることが多いから面倒だ、と躊躇していたらそれは苦痛以外の何者でもありませんが、あれこれ悩めることこそオーダーの醍醐味、とすれば、これほどに楽しいことはないのです。(そういう私は、実はレストランや居酒屋でメニューを決めるのが大の苦手で、これを楽しいと感じることはあまりありません。)
 春の装いもオーダーメイドも、苦痛にすぎないかそれとも楽しみと感じられるか、そこに関与できるのが私たちの役割でしょう。ご相談には乗れることと思いますよ、メニューのこと以外でしたら…。(弥)

【倶樂部余話】 No.217 伊愛英、出張報告です (2007.2.7)


  欧州とんぼ返り二往復の出張報告をいたします。

●伊フィレンツェ、紳士服の祭典「ピッティ・ウォモ」へ、積年の望みがかない初の視察に三泊五日、実質丸二日間だけのイタリア行。

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世界のメンズブランドが何百社と出展しているし、来場者ももちろん世界中から来ているので、もしテロリストがこの会場を一網打尽に全滅させてしまったら、世界のメンズファッション業界は一瞬にして停滞してしまうことだろう、とさえ感じさせる。当店が現在扱っているところだけでも十五社、過去に当社で扱い実績のあったところを数えたら三十五社もあり、これを合わせると五十社になった。これがひとつの会場で一日か二日で見て回れるのだから、展示会のデパートといった状態で、バイヤーにとってこんなに便利な場所はない。

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日本のバイヤーの数も、多いだろうことはある程度想像はしていたが、それにしても異常な多さで、正直「世界のいろんなブランドを多種揃えています、というような店構えをしていても、なーんだ、みんなココで買い付けしてたのね。」という気持ちも感じざるを得なかった。これだけの規模になると、この場所で、誰もまだ知らない自店だけの逸品を発掘する、という業は不可能に近く、むしろ私がアイルランドあたりで足で探してくる商品の方がレア度は高いかもしれないな、との思いも強く持ったのだった。

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毎年行きたい行きたいと思いながら売り場を持つ身としてはその日程からなかなか渡欧がかなわなかったピッティに、今回「行くぞ」と決心したのは、ふたつのことに背中を押されたからだった。ひとつは、この二年ほどバイイングしていて仲良しになっているミラノ在住の船橋さんご夫妻が初めてピッティに出展されると聞いたこと、そして、もうひとつが、今回これに合わせて同時期に特別展「ザ・ロンドン・カット/セヴィル・ロウ・ビスポーク・テイラーリング」がピッティ宮殿の王宮の間で開催される、と聞いたからであった。

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ロンドン・セヴィルロウのビスポーク・テイラーたちが二百年の間、いかに世界の歴史や文化と密接に関わってきたのか、そして現代の紳士服にいかに大きな影響を与えているか。数々の紳士服の複製や写真が昔のままの王宮の間に美しく陳列され、大変興味深く鑑賞した。

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何でも見たがり出たがりの私は、今回この展覧会のオープニングにあたってカクテルレセプションがあることを聞きつけ、つてを頼ってこれに参加潜入することに成功した。実は、日本のアパレルや百貨店、ジャーナリズムなどもきっと大勢いるのだろうと思ってのことだったのだが、行ってみると日本人は私を含めてたったの二人しかいなかった。こんな素晴らしい機会にどうして…、と思うと、優越感になど浸ってもいられず、このエキジビションをちゃんと日本に紹介しなければ、という使命感にかられてしまった。私もジャーナリストではないのでうまく取材できたわけではないのだが、別項にレポートをまとめたので、ご覧いただければ幸いである。

一晩ぐらいトスカーナの伝統料理を贅沢にしっかり食ってやるぞ、と事前調査のレストラン・リストを片手に街歩き。満席だよ、と三軒断られて、四軒目、一人だったら空いてるよ、と案内されると、偶然にも隣りのテーブルではネクタイのドレイク氏一行六人が食事中ではないか。誘われるままにパーティに混ぜてもらい、結局飲み食いは楽しく深夜まで及んだ。食したリボリータ(パンのスープ)とビスティカ(ステーキ)が美味であったのは言うまでもない。
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●一週間を挟んで、今度は四泊六日、実質丸三日の仕事に渡欧。まずはダブリン。数えたら今回が十二回目で、もう慣れたもんだ。

例年の業務に加え、ツイードのシャツジャケットや帽子などにも新しいメニューを加えられそうだ。また、ニコラス・モスには開店二十周年の当店限定柄の製作も依頼し、ニックがデザインを起こしてくれて夏には実現できそうな見通しとなった。2177

クレオにも二年振りの新作となるハンドニットのジャケットを頼むことができて、ほぼ満足な成果を上げられた。小腹が空いたと、定宿の近くのタイ料理屋に入ったら、アイルランド政府商務庁のKさんとばったり。同席となり、トム・ヤム・ガイ(鶏肉スープ)とパッタイ(焼きそば)を「ごちそうさま」になりました。美味でした。

●未明のダブリンから五ユーロの飛行機で英マンチェスターへ飛ぶ。うっすらと雪化粧の山々を見せる西ヨークシャー、ハダースフィールドへ列車は走る。今日は一日で四ヶ所を回る紳士服地の工場巡りの旅だ。

最初はスコフィールド&スミス。シルク使いのジャケット生地などが得意なところだ。駅に迎えに来てくれたマネージャーで後継者と目されているサイクス氏は、幹線を走らずわざわざ景色の良い田舎道を遠回りしてくれて、小高い丘にある工場まで案内してくれた。
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近年ハダースフィールドでは、古い服地工場をリストアして賃貸住宅に転用することが市の政策となっているらしいのだが、昨年になってこの工場にもその話がやってきたそうだ。となると、これから事業を継承していく彼にとっては、工場の移転や従業員のリストラ、という難題を解決しなければならず、きっとひとりでかなり悩んでいるんだろうな、という様子がうかがえた。

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二軒目は、テイラー&ロッヂ。百を超えるハダースフィールド周辺の服地工場の中でも恐らく最も高い知名度を持つブランド服地だと言えよう。スーパー120’s&カシミアなどの細番手のスーツ生地はイタリアや日本でもファンが多い。

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案内してくれたのはマネージャーのヘイグ氏。ウィスキーと同じこの名前はもともとフランスからの移民の姓だという。ここで私は彼を質問責めにした。「数ある英国の毛織物産地の中で、なぜハダースフィールドはこれほどに繁栄したのでしょうか。ある人は水質の違いだと言っていますが…。」「ニッポンの客人よ、とてもいい質問だ。確かに水の違いはあるがそれだけではない。ハダースフィールドには、産業革命のずっと以前からフランス人が移り住んでいたのだ、つまり私の先祖だがね。要は(アングロサクソンが持ち合わせていなかった)フランス人の織物への造詣の深さとセンスの良さがこの土地にだけはあった、ということなのだよ。えっへん。」
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「それでは、次の質問。数多あるこのエリアの紳士服地の中で、なぜテイラー&ロッヂは一番優れているという評価をもらっているのでしょうか。」「富士山の住人よ、それはさらにいい質問だ。服地の製造というのは、機織りのようなドライな作業と洗浄のように水を使うウェットな作業に分かれている。かつてはどこの工場でもその両方を一貫して行っていたのだが、近年はウェットな作業は外注へ出すところがほとんどとなってきた。じめじめと寒いところでの仕事だから、労働環境が厳しく、また設備のメンテナンスにも費用が掛かるからだ。しかし、当社は未だに洗浄や縮絨などフィニッシングといわれるウェット作業まで一貫して社内で行っている。木製の洗濯機は未だに現役だし、ペーパープレスという紙で服地を挟み押さえて仕上げる伝統技法を行っているのはもう当社ぐらいだろう。服地に掛けるそのプライドが、違いと言えば違いだろうかね。えへんえへん。」私の質問は彼をいたくいい心持ちにさせたようだった。

三番目は、エドウィン・ウッドハウス。ヨークシャーの丘陵を小一時間ドライブした、リーズ市の郊外にある。
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ここはブランド力こそないが、マーケットに即したトレンディな服地をタイムリーかつリーズナブルに供給することで定評がある。当店でも「エアウール」は夏の定番服地として人気が高い。糸を撚る段階からのスピニングの設備まで自前で持っている。若き後継者ウィリアム・ゴーント氏は、例えばイタリアと日本と中東では好まれる色合いが全く違うのだが、当社はその世界各国のマーケットに細かく適応した商品開発にいつも心を砕いているのだ、と熱っぽく語ってくれた。

最後は、リーズにあるアームレイ・ミルズ産業博物館。ここは運河沿いにある古い織物工場跡を再生し、織機や蒸気機関などの産業遺産を展示し体験学習する施設として近年オープンしたところ。冬の平日の夕方では客は私だけだったが、普段はきっと近隣の小学生などが体験授業に多く訪れているところなのだろう。自分たちの街の歴史や遺産を後世に語り継ぐことが郷土愛をはぐくむ上でどれほどに大切なことか、欧州の人たちは当たり前のように意識しているように感じる。
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夜ホテルに戻ったら、S&S社のサイクス氏がロビーで待っていた。「地球の裏からはるばるうちの工場を訪ねてくれたんだ、晩飯ぐらいおごるよ」と。ポテトとリークのスープ、ススギのベーコン巻き、どちらも(英国のレストランにしては)うまかったっすよ。

●ひとりで七泊したにもかかわらず、ひとりぼっちの夕食はたったの二夜、あとの五夜のうち四夜が「ゴチ」という、とても食事運に恵まれた旅でありました。当然帰ったときには体重増となっておりました。(弥)