ノーベル物理学賞受賞式のニュース、天野浩名大教授の姿を見て驚きました。
スーツスタイルに橙色のウェストポーチ。初めて見た時は怒りを覚えました。これは装いに対する冒とくだよ、これが日本人の服装感覚なのかと国際的に疑われてしまうじゃないか、と感じたのです。ところが三日ほど経って、彼が長年これを自分のスタイルとして貫き続けていてすでにその姿が周囲にも定着していると聞くに及び、彼に限ってはそれもアリなのかな、と思えるように気持ちが緩やかに変化してきたのです。
かつて英国のプリンス、ウインザー公は、泥道でトラウザーズが汚れるのがいやでその裾口を折り返してしまいました。これが裾ダブルの始まりだと言われています。そのほか、紺のスーツに茶色の靴を合わせることも、フェアアイルのセーターをツイードのジャケットの中に着ることも、みんなウインザー公がアリにしてしまったものです。このように、ファッションのおきて破りは、それを犯す人によって○か×かが分かれます。だから、もしスーツにウェストポーチを例えばラルフ・ローレンやポール・スミスがやったら、即OKが出るでしょう。天野教授も今回のノーベル賞で著名人の仲間入りを果たしたわけですから、これはアリでもいいのだろうかと思い至ったのです。
いやいやとんでもない、そうではなかった。帰国後の教授の記者会見を見てまた驚きました。シャツの袖から白い下着が5㎝もはみ出しているではありませんか。なーんだこの人何の頓着もないだけの人だったのか。見方が甘かったな。(弥)
「2014年(304-315)」カテゴリーアーカイブ
【倶樂部余話】 No.314 それ、自分で言っちゃダメでしょ (2014.12.1)
かつて「紳士服の名門・○○屋」と宣伝に謳っていた地元の同業者がいました。とうの昔にすでに廃業しましたが、当時から私はこの表現に違和感を覚えていました。自分で自分のことを名門と名乗ることに恥ずかしさを感じないのだろうか、「名門」かどうかはまわりが評価するものだろう、と。
「うちは創業百余年の老舗で…」という表現も変ですよね。確かに百年続いたのは事実としても、だからって自分のほうから老舗だとのたまうもんじゃない。老舗というのは他人から敬意を込めて呼ばれる尊称だと思うのです。
「当家は鎌倉時代から続く名家でして」。同じくこれもおかしいです。名家を自称するような鼻高々なお家の方を私は名家とは呼びたくないです。
こういう文言は人から言われて謙遜しているのが美徳であって、自分から言ったらとたんに不遜な発言に映ります。何でこんなことを思い出したかというと「アベノミクス」です。安倍首相は今回の衆議院解散を自ら「アベノミクス解散」と命名しました。これ自画自賛じゃないでしょうか。語源となったレーガノミクスはもともと記者がジョークで付けたものでレーガン大統領が自ら言いふらしたものではなかったはずです。他に解散理由の言いようがない苦し紛れとはいうものの、我こそは名宰相なり、の過剰な自意識が垣間見えてしまうのは私だけでしょうか。
それにしても困ったのは、この急激な円安。コツコツ貯めてきた利益の元があっという間に吹っ飛んでしまいました。円安は景気を良くしない、円安を止めよう、と言ってくれるところに一票を投じるぞ、と思っています。(弥)
【倶樂部余話】 No.313 北海油田に屈しました(2014.11.1)
朝ドラ「マッサン」が目標にするスコッチウィスキー。それは、原料、製法、風土、どれもが代わりのきかないスコットランド独特のモノです。我々の世界で代わりのきかないスコットランド物といえばその一つにシェットランド島で編まれるエベレストのセーターが挙げられます。ピュアシェットランドシープの柔らかな産毛、縫い目のない独特な細身の丸胴編み、1953年のエベレスト初登頂に用いられたことからその名が付いて以来70年、ずっと変わらずに作り続けられていた無地のセーターです。
そのエベレストからもう生産ができないとの連絡が入りました。昨冬に第303話で触れたとおり、原因は北海油田。編み立てのできる熟練のおばちゃんたちを油田関係の仕事に取られてしまいました。現オーナーのノーマンとイブリンのリースク夫妻には私はダブリンで何度か会ったことがあり「そりゃ売れる時もありゃ売れない時もあったさ。同じものを70年も続けられたのは、小さな島ゆえに競争や淘汰から免れてこれたからだろう。幸運だよ」と語っていましたが、今回の事態は皮肉にも小さい島ゆえに起こった不幸です。日本からの多くの注文も宙に浮いたままでの休業で、決して売り上げ不振で閉めるわけではない、それが残念でなりません。
今までも、そしてこれからも、世界のあちこちで様々な伝統的ロングセラーがこうして消えていくのでしょう。それにいちいち感傷的になっていてはやってはいけない、それはよく分かります。しかし今回はあまりに身近であったためちょっとショックなのでした。(弥)
【倶樂部余話】 No.312 スコットランド独立の住民投票に思う(2014.10.1)
セーターの産地として名高いスコットランドのホーウィック。あるファクトリーの販売担当をしているアーサーにアイルランド・ダブリンの展示会で出会ったのはこの一月。タータンキルトの伝統衣装に身を包んだバリバリ生粋のスコッツマンに映りました。私とは初めての取引となった商談も無事に進み、雑談になりました。
私「ホーウィックは僕も訪れたことがある。ハギスのうまい美しい田舎町だよね。かつてはたくさんあったセーターのファクトリーも今は廃業したり買収されたりで、いろいろと大変らしいね」
アーサー「今のうちのファクトリーのオーナーはインド系の人なんだが、そういった外資のおかげでスコットランドのセーターが続けられるんだから、ありがたいことなんだよ」
私「そうなんだ。おや、君のところのラベルはMade in Great Britainかい…。スコットランド人なら誇らしげにMade in Scotlandって謳いたいもんじゃないのか?」
ア「だって分りやすいほうがいいだろ」
私「しかしスコットランドは独立したいって言ってるんだろ。確か秋には住民投票があるって聞いてるけど…」
ア「ああ、だけど誰も本気で独立できるなんて思っちゃいないよ」
私「でもそのいでたちの君だから、当然君は独立にyesなんだよね?」
ア「いや僕はnoだ。今更独立したってメリットはないよ」
私「へぇ、ちょっと意外だな」
ア「(自分の胸と頭を交互に指して)此の地アイルランドの人は心が熱いと頭まで熱くなっちまうだろ。でも、同じケルト人でもスコットランドの人間は心は熱くても頭は冷静なんだよ。300年前からずっとそうなんだ」
さて、投票の様子は知ってのとおり。僅差でnoが上回ったという結果は、恐らくスコットランドにとって、この上ない最高の大勝利をもたらしました。UK(連合王国=英国政府)も、かなりの譲歩を余儀なくされましたが、何とか顔をつぶされずに済みました。仮にもしyesが勝ってしまっていたら、今度は逆にスコットランドがUKにペコペコ頭を下げなければいけない事態になっていたでしょう。それから今回の結果は将来必ずやってくる北アイルランドがUKから離脱するのか帰属するのかの決断への道のりを確実に一歩進めました。
さすがブレーブハートなスコットランド、あっぱれです。今度アーサーに会ったら極上のスコッチで祝杯を挙げてやりましょう。(弥)
【倶樂部余話】 No.311 フィナンシャル・ストライプ (2014.8.28)
作ってしまいました「フィナンシャル・ストライプ」のスーツ生地です。
「ロンドンの金融街シティを闊歩するビジネスマンたち。彼らがこぞって小脇に抱えているサーモンピンクの新聞、それがフィナンシャル・タイムズ(FT)である。中には、あたかもFTとコーディネートをするかのごとく、サーモンピンクを差し色にしたストライプのスーツを着ている者までいるという。そんなスーツの柄を人はいつしかフィナンシャル・ストライプと呼ぶようになった」
面白い話なのでずっと気になっていたのですが、誰から聞いたのかも思い出せず、調べてみてもこれという確証がありません。もしかしたら、ロンドンの地下鉄の入り口には傘巻き屋がいるらしい、というのと同じ類の都市伝説なのかもしれません。
英国人は意外に紺のスーツを着ません。ましてやシティの人々ですからまずベースは黒に近いチャコールグレーでしょう。そこにサーモンピンクのストライプ。これを数多くの英国生地の見本帳から探してみましたが、あるのは紺地にパープル系ピンクの差し色ばかりなのです。
あり物で見つからないなら、作るしかない。こんな無理を聞いてくれるのは葛利毛織だけで、早速四月に一宮へ駆け込みました。スーパー120のふわりとした霜降りチャコールにFTを再現したサーモンピンク、葛利ならではのスローなションヘル織機によるビンテージな味わい。理想的なフィナンシャル・ストライプが織り上がり、いよいよ販売開始となります。(弥)
※Financial Times は、英国ではファイナンシャル・タイムズと発音しますが、日本では、同紙と提携している日本経済新聞をはじめとして、もっぱらフィナンシャル・タイムズと呼ばれているのが常ですので、ここでは日本の慣例に倣いました。
【倶樂部余話】 No.310 お椀ひと型だけというブランド (2014.8.1)
この夏に店で売り始めた異色の3アイテム、脚立、ビスケット、漆のお椀。その共通点、まずどれもが洋服屋とはまず無縁だということは自明でしょう。これらを洋服屋で売るから異色なのですから。次に、どれも自家用が高じて販売に至っているとの共通点があります。自分で使っているうちどうしても人にも勧めたくなったという動機です。さらにもう一つの共通点、それはどれも一本勝負の商品だということです。
小さな個展から総合大展示会まで、服飾や雑貨インテリア、国内モノ海外モノ、恐らく一年を通すと年間で何千というブースを見て回ります。そういった展示の多くはコレがありますアレもあります、といった総花的な見せ方がほとんどです。もちろんそこに貫かれた企業方針やブランドコンセプトが実に見事であったり、自分自身と共感を持つことがあればそこに興味を示していくわけですが、そんな中にあって、うちはこれだけ、というとてもシンプルな出店をしている小さなところも割とあります。私はこの潔い態度にこそ惹かれるのです。長谷川工業は脚立だけの専業だし、北陸製菓はハードビスケット一筋に五十年の会社です。
中でも「お椀や・うちだ」の一本勝負ぶりには感服しました。福井県は鯖江に二百年続いた老舗漆器屋の八代目が新たなマーケットを狙っての新ブランドですが、商品はお椀ひと型だけで色違いが数色、という簡潔さ。始めたばかりだからかなぁ、と思っていたら、翌年もその次の年に会っても相変わらずこのひと型だけで、何度尋ねても別のカタチを増やすつもりはないと言います。一ブランドがひとモデルだけ、なんて聞いたことがありません。よほどの自信に違いありません。φ12㎝高さ7㎝のなんてことないお椀ですが、持っても重ねても確かにしっくりときます。これが二百年の歴史の中からたどり着いた末のこれ以上もう変えようのないほどに完成されたカタチなんだろうなぁ、と思うと、なんだかほだされてしまったのでした。(弥)
「お椀や うちだ」webサイトはこちらです。http://owanya-uchida.jp/
【倶樂部余話】 No.309 敷居が高くて後ろに倒れる (2014.6.25)
「お店の敷居が高くて…」と時々言われますが、このほとんどの場合が誤用です。役不足(力不足と混同)、確信犯(思想犯政治犯など罪意なき犯罪のこと)と並ぶ三大誤用なんだそうです。本来「敷居が高い」は、不義理をしていたり負い目があったりで先方を訪問しづらいことを指すので、高級店や上流品であることが理由で入りづらいということならば、ハードルが高い、などと言うほうがいいのかもしれません。
目の保養。これは誤用ではないのですが、ご来店早々にいきなり「目の保養に来ました」と言われるのは実はあまりいい気持ちがしないのですね。店は美術館ではなく物を売ることで成り立っている場所ですので、たとえもしも結果的に冷やかしだけで帰られることになってもそれはそれで全く構わないし、買う気のない人をその気にさせてしまうのもまた店の力ではあるわけですが、しかし、はなっから購買意思ゼロを高らかに宣言してくれなくとも、と思います。ご本人はご謙遜のつもりでおっしゃられているのでしょうが。
さて、今のようなセールの時期になるといつもとても気になっているのが「後ろ倒し」という表現。すでに辞書にも載っているそうで、間違った日本語ではないのでしょうが、これどうなんでしょう。もちろん前倒しの反対の意味だとはわかりますが、何か言葉としてかっこ悪くないですか。前のめりに倒れるのは、たとえ気持ちだけが急いて足が空回りしているとしても、前へ行こうという強い意志が感じられるの対して、後ろに仰向けでばったりと倒れるっていうのは全く様にならないでしょ。背中を押されるのと胸を突かれるのとではイメージが全然違います。わざわざ後ろ倒しなどと言わなくても、後送りとか先延ばしとか、日程を遅らせました、など、ほかの言い方はいくらでもあるはずだろうと思うのです。後ろに倒されるのはごめんです。(弥)
【倶樂部余話】 No.308 そんなにネクタイがお嫌いですか(2014.5.28)
今年も五月から始まったクールビズ。街にはスーツなのにノータイという何ともだらしない姿が蔓延し、いきなり緊張感がなくなりました。何も無理やりネクタイ外さなくってもいいじゃない、とも思うのですが、なんだか法律で禁止されたみたいに徹底してます。このネクタイの嫌われっぷりと言ったら…。どうしてそんなにいじめるのか。かわいそうです。
五月、寒すぎず暑すぎず、本来は一年で一番スーツを着てて気持ちのいい季節なのに、そこにネクタイ禁止令です。先日もあるお客様が嘆いてました。「ちゃんとスーツにタイでクライアントのオフィスまで商談に伺ったら、担当がすっ飛んできて『だめですよ。社長にプレゼンするならタイを外してくれ』っていうんですよ」「とある宴席で、案内状にわざわざノータイでって書いておいて、会場はクーラーがギンギンなんです」確かにクールビズを履き違えてますね。
クールビズ=ノーネクタイ、になってませんか。それ違いますよ、クールビズの目的は省電力、弱冷房。そもそもネクタイそのものは1ワットも電力を使いません。スーツにタイは不可欠なハーモニーですが、服装簡略化の勧奨はやむを得ない緊急避難的例外として目をつぶろう、というのがクールビズ。だらしなくてもいいよ、って言ってるわけじゃないんです。校則のような強制的ノータイ令は見直しすべきでしょう。真夏になれば話は別ですが、まだまだ涼しい今のうちなら、暑けりゃ上着を脱ぐ、首元を緩める、腕まくりをする、これでいいんじゃないのかなぁ。ネクタイを締められる人は締めましょうよ、ぜひ。(弥)
【倶樂部余話】 No.307 初恋の味の思い出は苦い(2014.4.21)
新しいドラマが目白押しなのになぜだかこの春は観たいドラマがどうにもなかなか見当たりません。その心持ちは、例えば本屋へ入っても欲しい本が一冊も選べないとか、映画を観ようと新聞の一覧を見渡しても観たい演目が一つもない、というのと似ています。その道のプロたちが当たると読んで売り出しているモノばかりだろうに、それが自分に引っ掛からないのは、きっと自らの感性のアンテナが鈍くなっているからだろう、当たるモノ当たらないモノをかぎ分ける自らの嗅覚に自信がぐらつきます。そんなときに思い出すのです、あのカルピスの思い出を。
それは1991年、私33歳のとき。発売されたのがカルピスウォーターでした。ちなみにカルピスソーダはそのずっと前の73年に発売されていてすでに市場に定着していました。私、このカルピスウォーター、こんなモノ絶対売れない、と周囲に断言したのです。炭酸水ならともかく、ただ水で薄めただけのモノに誰が100円も払うものか、と。ところが結果はその年の流行番付・東の横綱という空前の大ヒット、今でもロングセラーの定番品となっています。ただ薄めただけじゃなくて粒子レベルの大変な開発の努力があったことはかなり経ってから知りましたが、当時の私はこの大当たりが全く予見できなかったことがものすごいショックでした。俺には売れ筋を見分ける力がないのか、時代の流れも読めないのか、と。売れると思ったものが売れなかった、というのは割とよくあることですが、売れないとドロップしたモノの中に売れ筋が潜んでいた、それを知った時のバイヤーの悔しさと言ったらありません。
初恋の味、甘いカルピスは、私を戒める苦い思い出なのです。(弥)
【倶樂部余話】 No.306 日欧消費税談義 (2014.3.19)
アイルランドから古い友人が静岡へやってきた。おでんをつつきながらの話題は、なぜか消費税(欧州では付加価値税Value Added Tax、略してVAT)に。
―欧州のVATは大体20%台で、アイルランドではいっとき35%なんていう時期もあったんだ。税率はしょっちゅう少しずつ変わる。上がるばかりじゃなくて下がるときだってある。一年足らずで変わることも珍しくないから、時々今何%だったか忘れてしまうこともあるくらい。値札? もちろん税込表示。実際に払う額と2割以上も違ってたら値札の意味がないじゃないか。税率が変わったって普通はそのままだよ。適当なときに変えやすいものから都合よく好きなように変えてるんじゃないかな。日本は違うの?
+日本は17年振りに5%から一時的に8%を経て一気に10%と倍になる。みんな徹夜で値札を変えるんだよ。しかも税抜き表示も例外的にアリときてる。
―17年も変えなかったのにいきなり倍とは、ずいぶん大胆だな。一晩で値札を全部書き換えるなんて信じられない。それはやらなきゃいけない義務なのか。
+日本では定価(希望小売価格。recommended retail price、略してRRP)の決まっている商品が多いから、それに等しく税額を乗せて表示しないといけない、と考えているんだろうね。昔の物品税に近い感覚かな。欧州は20%以上もあると税というより経費の一部という感覚になっているんじゃないだろうか。
―なんだか日本人はクレイジーだよ。日本語で何て言うんだ?
+んー、マジメ…ってことかな…。
―ところでコレうまいね、何だろ?
+あ、それ、黒はんぺん。静岡名物ね。
(弥)