倶樂部余話【400】14ジェネレーションズ・フロム・カワナカジマ(1561)(2022年2月1日)



 112年前、21歳の野澤彌輔は静岡呉服町のとある洋品店に小僧として奉公に入りました。生家は現在の山梨県笛吹市一宮町の末木という集落、中農の貧家で9人兄弟の5男でした。なんでも当家の初代は信州・野沢温泉の出でしたが、川中島の戦いで武田側に付いたことから甲府に移り野沢の名字を冠した、という話を親戚の誰かから聞いたことがあります。私の世代で14代を数えるらしく、割り算してみるとだいたい計算が合いますから、川中島説はまんざら間違いでもないようです。

 調べてみると、野沢という名字には大きく2系統あって、一つは栃木県宇都宮市野沢町を発祥とする北関東周辺の系統、もう一つが長野県佐久市野沢に由来する甲信越に広がる系統です。当家は当然に後者に属するわけです。また新潟福島の県境近くにはJR磐越西線の野沢という駅(福島県西会津町)があります。私はこの駅の入場券を大量に購入し自分の結婚披露宴の演出に使いました。37年前の思い出です。静岡県で野沢という名字が最も多いのは浜松市ですが、おそらく信州と遠州を結ぶ天竜川での交易がその理由ではないかと思います。静岡市など県中部には祖父のように山梨県から移り住んだ人は多いのですが、当家の他に同姓の家はあまり聞きません。

 英国やアイルランドで発行される海外向けの観光雑誌をめくると「先祖詣でツアー」の広告がよく載っています。アメリカやカナダ、オーストラリアなど移民の子孫が多いところにはそういうジャンルが存在するんです。私も実際にエジンバラの観光ショーで突然号泣し始めた米国人婦人に遭遇し感動を覚えたことがあります。このことは倶樂部余話第90話(1996年) に書きましたので、読んでいただけたらと思います。
 私、今までファミリーヒストリー的なことにあんまり興味を持たなかったので、先祖ゆかりの地を訪れたことはないのですが、百周年のこの機会に、笛吹市から川中島経由で野沢温泉までの先祖詣でツアーをやらないといけないですね。Go toトラベルが再開したら考えてみましょう。(弥)

倶樂部余話【399】NZ100+JN50、始動です。(2022年1月1日)


 年が明けました。おめでとうございます。2022年、一つの節目と思い励みにしてきたこの年をようやく迎えることになりました。

 1922年(大正11年)11月20日、静岡・呉服町通りの横道、玄南通りにわずか2坪の小さな洋品店、野澤屋を開店した祖父・野澤彌輔。1972年(昭和47年)12月1日、野澤屋を兄弟3人で分社、メンズ部門を継承しジャック野澤屋を設立した父、野澤武良男。野澤屋100年とジャック野澤屋50年、略してNZ100+JN50と称することにします、今年は一年掛けて100年&50年の特別年といたします。

 ただ、大変お恥ずかしい百周年でして、普通よくある百周年は、こんなに立派に大きな会社になりました、と新聞広告なんか出してとても誇らしげなんですが、こっちは最初が裏通りの2坪の店なら今もビルの5階の2坪のシェアオフィス、百年経ってもこの有様です、と自嘲せざるを得ないほどの情けなさで、栄枯盛衰の百年、栄や盛はほんの僅かで枯と衰ばかりの百年です。50年前に父たち兄弟で3つに分割したと言いましたけれど、父は三男でしたので、昔の言い方をすれば分家筋ということになります。生業である衣料品小売業を未だに営んでいるのが当社だけになっているので、分家筋だけど百周年を謳いますよ、と、念の為本家にお伺いを立てたところ、こんなんで百周年なんて恥ずかしすぎてあんまり知られたたくないのが本音なんだよ、と言われたほどであります。

 でも、百年は百年、当たり前ですがそれには百年かかるんです。どんなに優れた企業でも五年で百周年はできないんだから、どんな百年でも単純に百年続けられたことを祝ったっていいじゃないですか。とりわけこの十年ほどは生業を保てるかどうかの瀬戸際の連続で、そのたびに、なんとか百周年までは、と、大きな目標点にしてきたので、今日元日を迎えて、ようやく、という思いひとしおなんです。曲がりなりにも百年企業の末席を汚して仲間入りです。

 呉服町のど真ん中、県下一の専門店と持ち上げられた繁栄の昭和30年代、慢心から一転経営難に陥り分割を余儀なくされたS40年代、VANを掴んで笑いのとまらなかったS50年代、三代目が食いつぶすの格言通りに縮小の連続が私の30年。そのへんのこと、今年は機会のあるときにもう少し詳しくお話することがあるでしょう。

 ともかく、NZ100+JN50、今日が初日です。(弥)