倶樂部余話【一〇八】アイリッシュ・ドレスデンを売るということ(一九九八年六月一日)


紳士服店で婦人服を併売することに違和感を覚えることは少ないでしょう。しかし、その逆はかなり難しいことです。さらに、ブラシ屋で紅茶は売れませんし、傘屋に石鹸は置いてません。ギネスビールの飲める下着屋があるでしょうか。このように当店は様々なものを飲み込んできました。

しかしその中でも今回の企画はかなり異色です。実用品でない美術宝飾品を扱うのは初めてですし、概ね女性しか関心を示さないという点でも異例です。

私自身、この精緻なる芸術品の魅力を完全に把握しているという自信はありませんが、私も一緒になってここ数年日本の各地で開催する「アイルランド・フェア」で、アイルランドを代表する工芸品として、アランセーターと並び称されるアイリッシュ・ドレスデンのレース磁器人形を、いつかは当店の皆様にご紹介したいと、ずっと願っていた企画なのです。

「ひとつも売れないかもしれませんよ」との念押しにもかかわらず、アイリッシュ・ドレスデン・ジャパン社の宮城央江社長は快く開催を引き受けてくれました。だから見に来ていただけるだけで結構です。一万円から二〇〇万円まで多種を一堂に展示します。世の中にこういう美術品があるのだと体感して下さい。

倶樂部余話【一〇七】ミレニアム(一九九八年五月四日)


世紀末である。辞書で「世紀末(decadant)」を引くと、退廃的、病的、との意味もあるが、これは一九世紀末に欧州、特にフランスで起きた「世も末だね」といった風潮を表現したもので、今二十世紀末に関しては少しニュアンスが違うようだ。

何しろ半端な世紀末ではない。千年祭(ミレニアム)なのだ。英国はロンドン・グリニッヂ近郊に巨大なミレニアムドームを建設中だし、西暦二千年には欧米の各地で記念イベントの計画がある。(面白いことに、二十一世紀の幕開けとなる二〇〇一年には何のプランもないらしい。) 千年前といえば、我が国では平安の世、源氏物語が出来た頃。史上二回目の千年祭という貴重な瞬間に巡り会えるとは、私たちは運がいい。

「二〇世紀/百の人・こと・発見」といった特集をよく目にするように、とにかく二〇世紀の総決算、いや源氏以来千年の一大総決算という流れが近頃はっきりと見えてきた。時代のキーワードは、リバイバル・懐古・焼き直し・復刻・パクリ・歴史・メモリーなどで、逆に今は、最先端・最新鋭・独創的などが隅に追いやられている。

時代傾向はファッションにも当然強く現れる。私はこの二〇世紀総決算ブームのピークこそが今年の秋冬だと予想している。しからば具体的には、というお話はまた秋口に触れることにしたい。



倶樂部余話【一〇六】北アイルランド(一九九八年四月八日)


プロ野球開幕です。我が横浜ベイスターズも今年こそ三十八年振りの悲願の優勝をと、幸先の良い三連勝のスタートを切りました。

さて、野球もさることながら、目下の関心事は、北アイルランド和平です。アメリカを仲裁役にしての英愛両国による円卓会議の和平合意期限が四月九日と目前に迫っており、この日までに合意案がまとまらないと、一二日のイースター(復活祭)のパレードで暴動が起きる危険も予想されています。自己破滅的に直進するアイルランド、二枚舌的外交術に長けた英国、四千万人のアイルランド系住民(クリントン家も)を抱えるアメリカ、この三者のせめぎ合いが連日続いています。長年の紛争に平和的解決の糸口が見いだせるよう、祈るばかりです。

そんな思いの中、映画「タイタニック」を観ました。単純な展開だけに、特撮モノとみるか恋愛モノとみるか、いろんな見方があると思います。私としては、一九一二年当時を忠実に考証した英国の紳士淑女の衣装は大変興味深いものでしたし、ケルトの調べやアイリッシュパブミュージックを効果的に使った音楽にも心震えました。支配するイングランドと支配される側のアイルランドという視点からも充分楽しめました。そう、この悲劇の豪華客船が造られた場所こそが、北アイルランド・ベルファストでありました。



倶樂部余話【一〇五】季節麻痺(一九九八年三月一〇日)


花粉症で、目薬とアイリッシュリネンのハンカチが欠かせない毎日です。変なことを言うようですが、実は私、この花粉症なるもの、結構好きなのです。

私の仕事上、秋の頃にはもう翌年の冬の仕掛けを考え始めるわけですから、常に一年先の四季が頭の中で混在しています。ときどき一体今が何月なのか一瞬忘れてしまうようなこともあります。そんな「季節麻痺」している私なのに、私の身体は春の訪れという微妙な季節の変化に明快な反応を示してくれます。自分も草木と同じひとつの生物なんだ、と言う感慨とでも言いましょうか。これほどに顕著に季節の変わり目を味わわせてくれる花粉症、私は嫌いになれないのです。

こんな気持ちにさせるもうひとつの要因として、冬の商いが終わり、ひと山超えたという安堵感があります。お陰様で秋冬の商いは二ケタ増の売上を記録し、あまり良い話の聞かれない今の時世で、この伸びは少しばかり誇れるのではないかと思います。しかも客数の伸びが著しく、この半年で約百名の新しいメンバーズのご登録をいただきました。もちろん数々の反省点はあるにせよ、ほぼ満足のいく半年だったと言えます。支えていただいた多くの方々に感謝いたします。

数字の小さくなる春夏期は、逆に遊ぶことのできる時期でもあります。スイスの下着、尾鷲の傘から、ニコラス・モスの陶器、アイリッシュドレスデン人形まで、春夏期ならではのゆとりある売場を楽しんでいただけると思います。もちろん、大好評でした「十周年企画」は春バージョンも提案いたします。

売上のバランスから言えば、確かに当店は冬の店でしょう。でも春夏のセヴィルロウ倶樂部もひと癖違ったいい味が出せるんですよ。

 

※開店十周年記念特別号・春の巻



倶樂部余話【一〇四】初めての東京展示会(一九九八年二月五日)


アイルランド出張から、今年は足止めもなく、無事帰国しました。

五回目の訪愛となった今回は、郊外の工場廻りに時間を割き、美しい緑の大地の中をレンタカーで走り回ってきました。最新のコンピュータ編み機を導入しているところもあれば、時代に取り残されたような田舎町で昔ながらの小さな紡績織物工場を六世代も守り続けているオヤジもいました。陶器の工房にも行きましたし、六年振りにアラン諸島を眺めることもできました。夜ともなれば地元のパブで夜な夜な名演奏に浸っておりました。

アイリッシュは生まれ育った土地への愛着がとても強く、故郷の自慢話を聞く度に,果たして日本人はこんなに気高く自分の故郷を誇れるものだろうか、と思うと、とても羨ましい気持ちがしました。

五十キロを超える持ち帰りの荷物の、半分は皆様への特別提供品(トランク・セール)、残りの半分が今月東京で催す展示会用のサンプルで、現在その準備に追われています。

この初の試みは、私が現地アイルランドで発掘や開発をしてきた日本未紹介の品々に興味を示してくれる同業者のために、アイルランド政府商務庁の支援を受けて実施するものです。

ただでさえ忙しそうなのに、東京の一流ホテルで展示会なんて、そんなでっかい事を始めて大丈夫なの、という危惧の声も正直あります。しかし、扱う品物はこの一年間当店でご紹介したものばかりですし、もちろん売り言葉も同じです。同じものを違う時期に違う相手に販売する、いわば二期作商法で、常に当店の方が1シーズン先行して動いていますから、何も全てに新しい事業を始めるわけではなく、「いいモノを発見してきて、それを紹介し、喜んでもらおう」という基本姿勢はまったく同じです。

つまり店をないがしろにして違うステップへ進もうとしているのではなく、あくまでも、始めに店ありき、の延長線上の仕事だと考えています。そして、必ず当店のお客様にいい効果がフィードバックされると確信しています。

とは言え、二月の入れ替え時期に三日間もスタッフごと店を空けるのは少し心苦しいものがあります。どうかご理解下さい。お江戸で一旗揚げてまいります。



倶樂部余話【一〇三】向かい風ですが(一九九八年一月一三日)


年が明けました。元旦、私は大厄の厄除けに行きました。

明るい希望に溢れる新年のはずが、世の中のムードはとても悪い。確かに昨年後半の衣料品消費は最悪ともいえる状況です。その中で当店は、開店十周年、倶樂部余話百号という節目を弾みに、何とかほぼ計画通りに推移ができました。

「いいモノをやっててよかったな」とつくづく思います。いいモノを集めることでいいお客様と出会うことができたのですから。

よく皆「モノが売れない」と言います。確かに「何を」売るかは重要ですが、情報の飛び交う今時、安いモノは安いモノなりに、高額品は高額品なりに、モノが値に見合ったいいモノであることはもう当たり前です。モノの良い悪いに昔ほどの差はないように思います。むしろ、人の関心は「いつ」「どこで」「誰から」「どのように」「なぜ」買うか、その「買い方」に比重が移っているような気がしてなりません。インターネットでの買い方、コンビニでの買い方、通販での買い方、百貨店での買い方、それぞれの買い方に決して妥協することなく、充分な満足を感じられなければ、モノを買おうというところにまで到達しないのです。モノが売れないとは、言い換えれば、それだけ充分に満足な「売り方」を与えていける店やサービスが少なくなっているということではないでしょうか。

「売り方」は、モノと違って、一朝一夕には変えることはできません。無愛想な態度で不評の店が、いきなり「サービス一番店を目指します」なんてバッヂを付けたところで誰が信じるでしょう。

いくら楽観的な私でも、今年の商売の厳しさは並大抵のことではないように感じます。おまけに円安の加速は、価格をバブル時代に戻さないければやっていけない事態になっています。そんな中で、何より頼りになる強い味方、それが私たちの「売り方」を指示して下さるお客様の一人一人なのです。

追い風のとき、船は速く進みますが、舵がふらつき不安定になります。むしろ向かい風の方が、進みは遅くとも安定した舵がとれるものです。今年も一年、よろしくお付き合い下さい。

倶樂部余話【一〇一】子供が憧れる大人の服装(一九九七年一一月六日)


近ごろこんなお客様が増えていて嬉しい限りです。

其の壱。事前にご来店のアポを電話していただける方が増えました。あらかじめ購買履歴をお調べしておけますし、一日の予定も立てやすくなりますので大変助かります。アポというより、私の在店確認といった感が多いようですが、お知らせしている不在日以外はまずほとんど居りますのでご安心を。

其の弐。百貨店などで服飾販売に従事している、いわゆる同業者のお買い物が増えています。自店で買えば様々な商品をいろいろと安く買える手段もあるだろうし、当然に選択眼にも厳しい「玄人」の皆さんですから、とてもありがたく思います。私自身、他店を見学する機会は多くても、自分の服を他人の店で買うということは滅多にないので、これは評価に値する現象だろう、と誇れます。

其の参。五〇歳代後半から六〇歳代のお客様がカジュアルウェアに意欲的です。聞けば皆様リタイア前後で、今後の二十年をどう楽しく謳歌するか、奥様と共に懸命に模索されている様子が伺えます。お話の中に出てくるのは「ライカのカメラ」「鉄道廃線跡」「日本百名山」「ジパング倶楽部」「日本野鳥の会」などなど、一様に生き生きと目を輝かせて話されます。長年着慣れた背広姿からの変身願望を満たすのは、歴史に裏付けられた本場本物のアウトドアウェアやセーター、ジャケットであって、決して奥さんにその辺で買ってきてもらうまがい物であってはならないのでしょう。

このような「ラピタおじさん」(小学館の「大人の少年誌」ラピタに因んで)は今後確実に増えてきます。あと五年すると、団塊世代はリタイアという関門に差し掛かるのです。リタイアした元みゆき族は、どんなカジュアルウェアを望むのでしょうか。

戦後の高度経済成長を支えてきた企業戦士が、粋な「ラピタおじさん」を志す。そんな現象はとても微笑ましく、私は心から拍手を捧げたい気持ちになります。ようやく我が国でも「子供が憧れる大人の服装」といった欧州型の構図へ進む時代の到来を予感させる期待が持てるのです。

倶樂部余話【一〇〇】祝・第百話(一九九七年一〇月七日)


記念すべき百話目です。「店頭では伝えきれない思いを聞いてもらいたい」「来店頻度の低いお客様にも疎外感を感じて欲しくない」という気持ちからスタートして九年間、英知の限りを絞りきって?書き続けました。

初期の頃のワープロはレベルも低く、文章を生む苦労もさることながら、ハガキに割り付けるのに時間が掛かり、宛名も手書きでしたので、一回の発行に一週間は掛かっていました。今ではワープロも四代目、原稿書きからほぼ一日半でポストに投函できます。ただ、宛名のラベル貼りはできる限り私が貼るようにしており、私がお客様のお名前をフルネームで覚えられるのは月一回のこの確認作業のおかげです。

様々な事柄を取り上げましたが、巨人と自民党とトヨタがダメな私らしく、大きなもの強いものに牙をむいた話も多かったような気がします。怒りネタはいつもウケが良くて、そのたびに小さいながらも自分の考えを存分にぶつけられる自前のメディアを持てたことを幸せに思っています。

実は、怒りや批判の話に比べて、より書きづらかったのは嬉しい話でした。単なる自慢話に聞こえてはいけないし、より自分の言葉で書く必要があったからだと思います。

「百号続いたら四〇歳の記念に自費出版でもしようか」などと冗談も言っていましたが、自費もなくまだ振り返るほどの歳でもないので、これは当分お預けです。

最初は「たれに書いてもらってるの?」とよく聞かれました。次第に「朝礼の話題に使ったよ」「あの話には溜飲が下がったね」などと、お褒めも頂戴するようになり、業界誌の名物DM特集でも何度か取り上げられました。いつも手帳に挟んでいてくれる方、届くとすぐに電話をくれる方、誤字脱字を校正してくれる方…、みんなすみずみまで読んでくれてるんだな、と実感します。「会社の掲示板に小さな字ばかりが印刷されたハガキが貼ってあって、なんだか面白そうな店だなぁと思って来てみました」という声には感激しました。

店とお客様との信頼関係、これが百話のジャブを打ち続けて得た最大の財産だと心から痛感します。継続は力なり、ですかね。



倶樂部余話【九十九】プリンセス・オブ・ウェールズの悲報(一九九七年九月九日)


ダイアナさんにあれほどの人気があったとは、正直驚いている。

おかげで、英国王室に話題が集中した一週間だった。事の性格上、故人を非難する発言が出ないのは仕方ないことだが、それにしても日本のテレビ局のステレオタイプな報道には、どうも分かってないなぁ、という思いが強い。

しばしば「頑固で保守的な英国王室が世論に譲歩した」と言われたが、英国ほど柔軟な王室は世界でも少ない。でなければ立憲君主制など生まれるはずもない。以前も触れたように、もともと「八方美人」「二枚舌」「日和見」は、いわば英国の伝統的お家芸なのだ。二十五億人がテレビの前で注目する一大事に、その譲歩はいかにも英国らしい対応だと思えた。

気になったのは、日本の報道ではすべて「元皇太子妃」と呼ばれていたことだ。彼女の正式呼称は現職の「ウェールズ妃」(Princess of Wales)で、在日英国大使館の日本語の記者発表でもそう報じられているにもかかわらず、外務省あたりの指示だろうか。

一六世紀にイングランドのウェールズ統合の際、ウェールズの怒りを和らげるため、国王の王子を人質に差し出し、ウェールズ王(Prince of wales)としたことから、英国皇太子をプリンスと呼ぶ習慣が付いたのであって、本来プリンスやプリンセスは領主の意味で、皇太子や皇太子妃と同義ではない。そしてダイアナは、王室の一員であり続けるためにこの称号をそのまま保持することを離婚容認の条件にしたと言われているのだ。そこまで固執したこの由緒ある称号をぜひ使って欲しかった。

同様に、イングランドと英国、イギリス(=Britain=UK(United Kingdom=連合王国)との混同も未だ目立っていた。通訳や字幕の多くが、イングランドを英国やイギリスと訳していた。

昨今英国では王室不要論がしばしば浮上してきた。しかしこの事件は皮肉にも王室があるがゆえの出来事。図らずも、今でも王室を拠り所とせざるを得ないこの国の本質を露呈させてしまったようだ。

ともかくも、弱き者小さき者を慈しんだイングランド女性、ダイアナ・ウェールズ妃の活動は国際的評価に値するものなのだろう。冥福を祈りたい。

倶樂部余話【九十八】三つ釦のスーツは、トレンドか?/開店十周年記念号(一九九七年八月二〇日)


三つ釦のスーツは、トレンドか、定番か?

ハーディ・エイミス著「イギリスの紳士服(原題”The Englishman’s Suit”)(大修館書店)は、十七世紀後半から現代まで、スーツがどのようにして今の姿を形作っていったのか、を、歴代の国王や皇太子の服装が与えた大きな影響力を中心に、つぶさな考証を重ねている。著者は、五十年来ロンドン・セヴィルロウに店を構え、エリザベス女王のお抱えデザイナーとしても名高い米寿の「子爵」で、いわば英国服飾界のご意見番ともいえる人であるから、その信頼度は非常に高いと考えてよい。

乗馬服やフロックコートの時代から、十九世紀末、いよいよスーツの原型が登場する。五つ釦、四つ釦を経て、以来この百年の間で最長寿を保っているのが三つ釦なのである。著者はその理由を、英国服の特徴である「ドレープ」が最も効果的に引き出せるからだろう、と推測している。

戦後、スーツは既製服の大量販売の時代へ。そして、1970年代始め、二つ釦が、人種のるつぼ、アメリカで流行した。ゆったりとした深いVゾーンは、様々な体型に合わせることができたのである。あのアイビー系ズンドウ三つ釦の流行りも恐らく理由は同じだったろう。日本人が二つ釦が基準と考えてしまった原因はここにある。

このように、紳士服の世界において、英国以外の国では、英国的でないものを新たな付加価値として訴え、トレンドを引っ張ってこようとする。十年前にはそのベクトルがイタリアに向いたので、ダブルのソフトスーツの大流行が見られたわけだ。

そして今、ベクトルは久しぶりに英国を指して内側に向いている。だから三つ釦が流行のように思われている。しかし、少なくとも当店に限っては、十年前も十年後も、そのベクトルの向きは変わるはずもない。強弱はあろうが。

つまり当店では三つ釦はスタンダード(基準)なのである。

 

※これが十周年記念特別号・秋の巻。ここでスタッフに相川が加わった。