倶樂部余話【十七】「いただきます」の喜び(一九九〇年二月十四日)


小売業ですから、物をお渡しすることは生業として当然ですが、時として、お客様から物をいただくことがあります。

郷土のお菓子だったり、出張みやげの海産物だったり、また自家製の果物やパイであったり、あるいは旅先で見つけた絵や版画であったり。

情報をいただくこともあります。本・雑誌や映画をご紹介いただいたり、更に、コピーを取ってお持ち下さったり。

遠隔地への転居のお知らせは寂しいものですが、出来る限り当店のテーストに近い最寄りのお店をご紹介するようにしています。また、私信の年賀状には、思いがけない驚きで恐縮してしまいます。

更に、いただくものといえば、お客様のご紹介。ご同僚ご友人を伴ってのご来店や、近ごろはお父様をお連れいただく方も目立っています。

こう思い巡らすと、私たちは商品代金以外にもいろいろなものをお客様から頂戴していることに気が付きます。そして、そのほとんどは決して高価なものではありませんが、「セヴィルロウなら分かってもらえる」「野沢なら喜ぶだろう」といった、いわば「相手の顔の見えるもの」ばかりです。「お客様の顔の見える商売を」と心掛けてきたことへの、ささやかなる返礼ではないか、と幾分自惚れた気にもなるひとときです。

しかも、私たちの場合、これは仕事ですから、どうしてもどこかで「売上につながって欲しい」と見返りを期待する色気が出てしまうのですが、お客様の場合は、これは全くと言っていいほど掛け値なし、気持ちのみのものであるだけに、本当に心の励みになります。

店員と客という立場を踏まえて、なおその枠にとどまらないコミュニケーション。私たちにとって、かけがえのない財産なのです。

 

 

※今読んでもこれは名文だよなぁ、と自画自賛。

 

この号は、いろんなご案内を別紙で添えた複合ものでした。かいつまんで紹介すると、

 

★第三回「カシミア・ファイナルフェア」…季節の終わりのメーカー残品を集めた特集でした。

 

★「ホワイトディ・パック」の予約販売…当時はまだホワイトデイが定着してませんでしたので、男性客にオリジナルパッケージを用意しました。英国製のレースのハンカチと札幌の銘菓「白い恋人」をセットにして申し込みを受け付けました。これは皆様に喜ばれた大ヒット企画で、百二十個も売れました。

 

★第二回「カクテル・パーティ」~春のラム~の受付開始…二回目からはご婦人の同伴も積極的に呼び掛けました。シニア世代十一名(うち女性二名)、ジュニア世代十八名(うち女性六名)、計二十九名で成功裏に開催。このカクテル・パーティは日経新聞でも取り上げられました。

 

※なお、私事ですが、この号発行の二日後に、第一子の長女が生まれました。

倶樂部余話【十六】REDUCTIONって何だ!?(一九九〇年一月十日)


新年おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

さて、昨秋予告しました通り、この度開店三年目にして初の「リダクション」を開催いたします。

「リダクション(=reduction)」。(図面や軍備の)縮小、削減、という意味もありますが、ここでは「割引」と訳して下さい。主に英国の高級専門店で使われている言葉です。

当店がバーゲンとかセールとか称さずに、あえて馴染みの薄いリダクションという言い方をするのには、当然それなりに理由があるからなのです。

何でリダクションなんかするのか、と憤りの方もおられるかも知れませんが、お客様に支持され喜んでいただける店であるためには、まずその店を「繁盛させる」ということが店側の最低の責任ではないかと思うのです。「繁盛させる」ことから生まれる効用が顧客サービスに与える好影響は計り知れないものがあると考えます。

但し、顧客を裏切るような苦しまぎれのディスカウントであってはなりません。店にとって最も大切なお客様は、決してバーゲンハンターの一見客ではなく、心から店を愛して下さるファン客の皆様なのですから。

幸い、当店も多くの素晴らしいお客様に恵まれ、この二年余で店の信用も徐々についてきたと判断し、初のリダクションに踏み切った次第です。

そこで、リダクションのルールを次のように決めました。

①最大の特徴として、リダクション一ヶ月以内にお買い求めの品と同じもの(同色同サイズ)がリダクションになっていたときには、その差額の半分を返金いたします。

②リダクション実施前の予約取り置き品に関しては対象外とします。つまりリダクションを見越したお取り置きはできませんので、確実に正価で買っておくか、リダクションまで売れないことを祈るかは、一種のギャンブルです。

③必ず顧客限定期間を一般公開の前に設けます。そのご案内は過去一年間に正価でお買い上げのあった方に限って発送いたします。

④来ていただきたい方には③のようにご案内が届きますので、マスコミを含め一般の方からの、電話等による期日などのお問い合わせにはお答えいたしません。

⑤リダクション価格は同じ型でも、色・サイズによって異なることがあります。

⑥リダクション商品の工料は、実費ご負担いただきます。

⑦通常スーツ等にお付けしているハンガーやカバーもリダクションの際にはご勘弁願いします。

⑧いつものことながら、混雑時の応対は「先客優先」を原則とします。ただし、ご来店時刻の予約を事前にいただいている場合にはその限りではありません。

ともかくも初めてのことで、いろいろと反省点も出るでしょうが、ほとんどの冬物商品がリダクションの対象となりますので、何卒ご来店の程お願い申し上げます。

 

※在庫処分の値下げ販売はこの業界では避けて通れない宿命です。この仕事に就いて以来、いつもシーズン末期になると、そのことと通常時の商売との整合性を摺り合わせるのに腐心していました。そのひとつの結論がこの「リダクションのルール」でした。そして、その基本姿勢は、時を経ても、変わりなく現在に至っています。

 

 なお、①については、ほとんどが一点モノの仕入のため、該当するケースが滅多になかったので、その後謳うのをやめました。また、⑥⑦は、値段を下げるのは店の都合、客のせいじゃない、という観点から、取り止めました。

倶樂部余話【十五】いいワインは小さな樽から(一九八九年十二月七日)


今年の世の中の傾向として、消費の高級化指向と空前の人材難ということが挙げられます。この二つが一緒になると、どんなことになってくるか。モノはだんだん高級化し、高度な知識やアドバイスが必要とされてくるのに、それができるヒトはますます少なくなってしまい、「モノは高レベルなのに、ヒトは低レベル」というアンバランスが生じてきています。

近ごろ、どうも大型店の高級衣料路線にかげりが見えてきた、といった話を聞きます。さもありなん、何十万もの決して安価とは思われないスーツを、朝刊のトップニュースも知らないような販売員から買いたいとは思わないでしょうから。昨今、大型店は例外なく「視覚に訴える売り場づくり(ビジュアル・マーチャンダイジング)」に力を入れ、確かにディスプレーや設備・レイアウトにお金を掛けていますが、そのことまでもが「知覚に訴える」ことのできない販売員のレベル低下を補うためではないか、と思いたくもなります。友人のある百貨店関係者は、「最近は、取り扱い注意から商品説明、コーディネートのアドバイスから、果てはクレームの連絡先まで、商品にぶら下げるタグをやたらに増やして、販売員の勉強不足をカバーしている。」と言っています。これでは通信販売と大して変わらないのではないか、と感じてしまうのです。

思うに、店というのは、モノを売っているように見えて、実は、モノを買うコト、モノを買う場面(シーン)、モノを買う空間、モノを買う気分を販売しているのだと言えるのではないでしょうか。物不足の時代と違って、単なる所有欲だけでモノを買う人は減っています。「いいモノを、いい店で、いいヒトから、いい気分で」買えなければ満足できない世の中になってきています。

欧州の小さな専門店がおしなべて魅力的であるのは、その店格にふさわしいだけのヒトが配されているからではないでしょうか。この道ひと筋といったような年配の販売員の顔は、プロであることの誇りに満ち、大型店ではできないパーソナルできめ細かく高度な接客サービスは本当に心地よいものです。時には、もっと商品を丁寧に使え、と客に注意したりもします。そして「いいワイン(商品)は、小さな樽(店)から生まれる。」と、彼らは胸を張って言います。

そういった、ふさわしいヒトに近づけるよう、更に自己を磨き、小さいながらも、皆様の「かかりつけの洋服屋」としていただけるよう、一層の努力を重ねたいと思っております。

「商売は総合芸術である。」と松下幸之助氏は言いました。全くその通りだと感じています。決して奇を衒うことなく、先人の例を踏みながら、一歩ずつ総合芸術を創っていきたいのです。

末筆になりましたが、今年一年の皆様のご愛顧に厚く感謝申し上げますとともに、明年も変わらぬお引立てを賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

 皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さい。

 

  

※この回から「ですます」文調が基本になってきています。気負いがだいぶ取れてきたんですね。

 

 記事より。「カクテル・パーティへのお礼」「クリスマスギフトはお早めに」「ジョン・レノンの九回目の命日」「二月のカシミアフェアの予告」など。

 

第一回「カクテル・パーティ」~冬のジン~


第一回「カクテル・パーティ」~冬のジン~

 

一九八九年十二月三日(日)午後七時より九時

於「セヴィルロウ倶樂部」 会費…三千五百円(税込)

 

 第一回目ですので、こんなパーティをやりたいのだ、ということをお伝えいたします。

どんなパーティなのか?

 ただ集まって騒ぐだけのパーティならばどこにでもあります。あえて当店でやるからには、「セヴィルロウ倶樂部」らしいものにしたいと思い、行き着いたのがこの「カクテル・パーティ」です。カクテルの種類はスタンダードなものだけでも二百種とも三百種とも言われ、そのそれぞれに名前の由来や逸話が二つや三つは語られてます。当店では、毎回その中から三種類を体系的に選んで、ひとつずつを極めてみようと思います。

従って、一般のパーティのような女性の接待や唄、ダンス、ゲームのようなアトラクションは一切ありません。かなり「勉強会」的な要素を含んだパーティで、ちょうど女性たちがワインの試飲会をやるのにも似ているかと思います。

ゆくゆくは、年に四回、四季折々のカクテルを取り上げたパーティを恒例化したいと考えています。まずは、第一回目、「冬のジン」の特集です。

当分は男性オンリーです。

 女性の方には大変申し訳ないのですが、当分の間は男性のみの参加に限らせていただきます。ご出席の方にはバーでの会話のネタをご披露しますので、実際の酒場で個人的にご伝授下さい。

服装はどうしたらいい?

 一番多い質問なのですが、まず最初に一言。このパーティのために当店で一式買い揃えるなどということはしないでいただきたいのです。

 服装については、貴方自身に最も相応しいドレスアップをしてお越し下さい。日曜の夜を選んだのは、貴方にわざわざ着替えて来ていただきたいからなのです。

 もちろんタキシードをお持ちの方は、ぜひタキシードをお召し下さい。ちなみに今回は、当店の社長(=父)はタキシード姿ですが、私は着用しませんので、タキシードをお持ちでない方も、どうぞ安心してご出席下さい。ドレスアップは誰のためでもなく、貴方自身の気分の昂揚のためなのですから。

 コーディネートのご相談については、出来る限りのアドバイスをいたしますので、どうぞ遠慮なくお問い合わせ下さい。

ホテルのバーが協力です。

 この企画は、静岡ステーションホテルさんの協力がなければ実現しませんでした。バーではこの度の私たちのパーティのために、わざわざ新たに九十個ものカクテルグラスを購入しました。また、継続するという前提で、費用も特別に押さえていただきました。当日は、派遣される二名のバーテンダーが、皆様に一流のカクテルをサービスしてくれるものと確信しています。

メモリアルグッズを検討中です。

 パーティの記念になるようなメモリアルグッズを差し上げたいと考えています。できれば、何回か参加すると一揃いになるようなものを、と現在検討中です。

成功するかどうかは貴方の参加次第です。

 パーティをやるからには、楽しく二時間を過ごしたいものです。そのためには、ぜひ貴方に参加していただきたいのです。ぜひご出席の意思をお知らせ下さい。

 

※(補足)バブル末期に咲いたあだ花?、カクテルパーティのご案内文です。当時は店内の在庫も少なく、今では信じられないぐらいすっきりとしていたので、商品をササッとフィッティングルームに押し込んでしまえば、パーティ会場に早変わりできたんです。

 

 手元に残っている参加者名簿を見てみると、二十五名の顧客が参加していますが、二十五才から六十三才まで、実に幅広いですね。開店当初は顧客に父の知己が多かったことから、父の知り合いのお客様と開店以降ご贔屓いただいた若い顧客層がちょうど半々というような構成になっています。この二十五名のうち、十六年後の現在、物故者が二名、今でもメンバーズの方が七名おいでです。

 

 当日の写真も残っていて、男ばかり約三十人、片手にカクテルグラス、片手にテキストを持ち、赤い顔をして、真剣にバーテンダーの話に耳を傾けている、というおかしな光景になっています。

倶樂部余話【十四】ロイヤル・ウェディング担当の栄誉(一九八九年十一月十日)


ロイヤル・ウェディング。いうまでもなく、英国王室の婚礼の儀であり、その権威を世に知らしめる最大の儀式のひとつである。一九八一年のチャールズ皇太子とダイアナ・スペンサー嬢との婚礼は、記憶に新しいところだろう。つい、関心はダイアナ妃に集中してしまうのだが、今回の話は新郎の方の衣装についてである。ロイヤル・ウェディングの際の、新郎始め男性側の婚礼衣装全般を永年に渡り担当しているのが、ギーブス&ホークス(G&H)なのである。

G&Hは、ロンドン・セヴィルロウ一番地に本店を置く、創業二百年を越える老舗の紳士服店だが、元来は陸軍服御用達のギーブス社と海軍服担当のホークス社が合併したもの。それこそ、その軍服にまつわるエピソードは数多く、とてもこの紙面でご紹介しきれるものではない。

かつて七つの海を支配した大英帝国の名残りなのか、今でも英国陸海軍の要職のいくつかは皇太子が務めており、このことが婚礼衣装担当の栄誉につながったのだと言える。そして、エリザベス女王からは陸軍服の、夫君エジンバラ公からは海軍儀礼服の、チャールズ皇太子からはスーツ全般の、それぞれ御用達の指定を受けている。その証しである「ロイヤル・ワラント(各王室の紋章)」を三つ掲げる紳士服店は、ロンドン広しといえども、G&Hただ一社である。

背広のルーツが軍服であるように、古い企業には特定の儀礼服がいまだに存在するらしく、私が訪ねたときも、金ボタンに「バンク・オブ・イングランド」と刻まれたピンク色のモーニングがずらり十着ほど、ちょうど仮縫いの最中だった。女王陛下との謁見の際にでも使われるのだろうか。

英国のあらゆる儀式を知り尽くしたG&Hのフォーマルウェアが今年日本でもデビューした。数少ない真の「意味ある」フォーマルブランドを、ぜひご覧の上、お役立ていただきたい。

 

 

※余話【六】に続いて、ここでもG&Hのヨイショ話です。文中のロイヤル・ワラントですが、これは法人ではなくてあくまでもオーナー個人与えられるものなのです。なので、G&Hも創業家から香港系企業に経営が移った時点で、三つのワラントは剥奪されたようで、現在のG&Hのロゴには栄光の三つの紋章は消えています。

 

なお、その後のダイアナ妃の悲劇の死については、余話【※】に後述しています。

 

記事より。「いよいよ、第一回『カクテル・パーティ』を開催します。」とあります。次はその時の案内状をご紹介します。

倶樂部余話【十三】一年の三分の一はお休みです(一九八九年十月十日)


週休二日制もかなり定着したようです。いいことばかりではないようで、飲み屋の主人は「土曜日が一番暇になった。」と嘆いているし、ビジネスマンは六日分の仕事量を五日間でこなすため、かえって多忙になり、当店では昼間に会社を抜けて立ち寄ってくれる方が少なくなったようにも感じます。

この週末に祝日と盆暮れ正月の休暇などを合わせると、年間休日は百二十日を超えます。一年の三分の一が休み(オフタイム)ともなると、このオフタイムの服装にも三分の一の力を注いで良いのではないでしょうか。しかもオフとはいえ、取引先とのゴルフや社員研修旅行、得意先からご紹介のレストランなど、ビジネス(オンタイム)に影響のある場面は割と多いものです。街を歩けば部下にも会います。スーツと同様、オフの服装も意外に人から見られているのです。

だからといって、単に高価なブランドものを身に付けていれば良いというものでもなく、要は、オンのときにもオフのときにも共通する、その人なりの一貫した「テースト(味わい)」のあることが肝心なのだと思います。もっと言えば、オフのテーストがオンに反映されているということが、一番自然な姿であると言えましょう。(実は、「変わらない一貫したテーストで衣食住をくくる」ということは、最も無駄のない効率的なことでもあるのです。)

当店でいえば、「英国の伝統的な生活様式への憧れ」というひとつのテーストが、オンウェアにもオフウェアにも常に流れています。色や素材は年ごとに「トレンド」で変化しても、この「テースト」は決して変わることはないのです。

ということで、今回のイベントは、オフタイムのジャケットを特集しました。深まる秋、より心豊かなオフタイムを楽しみたいものです。

 

 

 

 

※はい、これも結局、イベント「オフタイム・ジャケット・コレクション」の宣伝文なのですね。文体が「ですます」調になっているのは、そんな遠慮がちな気持ちの現れだったのかもしれません。

 

記事より。「顧客数の増加に伴い、今回より宛名書きを、手書きからタックシール式に変更させていただきました。一枚一枚お届けする気持ちにいささかの変化もございませんので、何卒ご了解下さい。」という言い訳あり。

 

倶樂部余話【十二】老人と海とアランセーター(一九八九年九月十九日)


アイルランド・ダブリン市のパードリィグ・オーシォコン翁は今年八十三才。白いあご髭とメノウのような大きな石のペンダントがトレードマークだ。私が初めて会ったのが四年前、最近は年三回来日している。この老人こそが、本物のアランセーターの伝統を守り続けている「ゴルウェイ・ベイ」社の会長なのである。

アランセーターの産地は、アイルランド西岸に浮かぶ極寒の小島「アラン島」。一本の喬木もない草と岩だけの島で、羊は貴重な自給自足の資源だ。その未脱脂の生成色のウールで、女たちはセーターを編み、漁へ出る男たちに着せる。夫の無事と豊漁を祈り、魚や波、ロープなどの模様を編み込んだその柄は家ごとに微妙に違い、万一遭難した際には着ているセーターの柄でどこの誰かを判別したという。

漁を続けるうちに、海水に濡れて縮み、次第にフェルト化して、まるでウェットスーツのようになり、防水防寒の機能を更に高めながら、何十年と着続けられるのだ。

俗に言う「フィッシャーマンセーター」のルーツであり、多くの会社が流行に合わせた物を量産しているが、アラン島の女将さんが一針一針編んだ本物のアランセーターとなると、今ではオーシォコン翁の会社ぐらいしかなくなってしまったという。

当社では、この貴重なアランセーターを、アイルランド政府輸出庁の協力により、全国十二社の協同仕入で直輸入している。そして、色・方・サイズを一同にお見せできるように、各社二週間ずつの期間限定販売の形式をとり、巡回イベントとしている。今年の入荷はセーター約五十枚を始め、マフラー・手袋・ソックスなど。アラン島を紹介したビデオや写真パネルも展示する。

一枚五万円前後する高価なものだが、どこでも買えるといったものではなく、世界の逸品として、その価値は充分にあるだろう。また、今年は無理だが来年は必ず、という方は、毎年の入荷量に限りがあるため、ぜひ予約を入れておくことをお勧めする。

聞くところ、今年はアラン風のハンド(手編み)ニットが流行だとか。しかし、このセーターだけは決して流行やトレンドで捉えていただきたくはない。アランセーターに由来される歴史や伝統、物語が伝わった方だけにお売りしたい一枚なのだから。

 

 

※まさかこのとき、将来アランセーターが当店の一大看板商品になることを、誰が想像できたでしょうか。でも、最初はこんな感じで始まったのです。全国十二社とは、当時岩国の藤田雄之助氏を信奉していた専門店の勉強会のメンバーで、藤田氏の声掛かりで共同購入をしたもの。バブルの時代だからこそできたテストケースでした。

 

今からしてみると、文章もうわべだけの受け売り的な記述の域を出てないので、恥ずかしい思いです。でもこの催しには地元のテレビ局の取材などもあって、結果としては我々の予想以上に売れたイベントになったのです。そして、私自身もこの店とアランセーターとは大変相性の良い組み合わせだと気づかされたのでした。だから、このときにもし売れてなかったら、今の当店はなかったかもしれません。

倶樂部余話【十一】二十七人の米大統領が愛した靴(一九八九年八月十四日)


残暑お見舞い申し上げます。

今回は、今月より当店で本格的な販売を開始する靴のお話です。

導入するブランドは「ジョンストン&マーフィー(J&M)」。イギリスの有能な靴職人達がアメリカに渡り、以来百五十年の間、歴代二十七人の米大統領に愛され続けているメーカーです。モットーは「アンミステイクブリィ」つまり「ミスのないこと」、少しも手を抜かない完璧な靴作りを続け、「材料以上の靴はできない」という信念から、世界中から最高の革だけを厳選して使用。製法は、手間と経費はかかるが、足と歩行のために最も良いとされるグッドイヤー・ウェルト方式が大半です。そして販売以来廃番がないという事実が、完成されたデザインの息の長さを物語ります。

現在は、日本人向けに足入れを改良してある以外は、本国と全く同じ製品が日本工場で製造されています。革から靴紐までパーツはほとんどを米国から輸入し、いわゆるお名前頂戴のライセンス品とは違い、日本で最もモノ作りにこだわった靴と言えます。

「J&M」には、製品の出来以外にも多くのメリットがあります。まず、価格がニューヨークとほとんど違わないこと(輸入靴は概ね現地の三倍の値が付くのが通常です)。足入れが日本人向きに改良されていること。サイズ切れの取り寄せがすぐにできること。そして何よりも、革底交換・ヒール交換などの修理が、製造した工場へ戻して、純正パーツで、何度でもできることです。

洋服屋が売るのですから、靴も服と同じ売り方をしたいのです。まず、足のサイズを専用のメジャーで計測します。(この用具を手に入れるのに意外に苦労しました。いかに靴屋さんが足の計測をしていないか。服と違い、靴は人の健康を左右するものであるのに。)そして、デザインよりも、その足型に合う靴かどうかを重視してお勧めします。さらに、アフターケアは、昨年から、英王室御用達「メルトニアン」のケア用品を中心に靴屋顔負けの種類を揃え、修行を積んできました。また、修理は前述の通り、純正パーツの永久保証をいたします。文字通り「大事に履けば一生もつ靴」を、大事な履き方と一生のもたせ方を保証して販売したいと思います。(本来当たり前のことで、それも値段の内だと思うのですが。)

欧米の一流紳士服店には例外なく立派なシューズコーナーがあります。それに少しでも近づければ、と願っています。

「J&M」試足キャンペーン、「ケネディの履いた靴」も展示します。ぜひご来店下さい。

 

 

 

※この頃のJ&Mは、本当にいい靴でした。新潟県加茂市の製造工場にも見学に行きましたが、社長以下、みんながいい靴を作ろうとしている姿勢がうかがえました。手元に当時その社長が手書きで原稿用紙にびっしりと書いた分厚い商品解説書が残っていますが、クラフトマンシップに溢れる真摯な態度が感じられます。しかしながら、残念なことに、その真面目さが功奏しなかったようで、その後経営難に陥り、大手靴メーカーに吸収合併されてしまいました。それを契機にJ&Mブランドも大手メーカーの戦略のひとつとしての位置づけを余儀なくされ、従前とは全く違う商品になっていってしまいましたので、その時点で当店は取引を止めました。

 

今この文章を読み返すと、この当時から、現在当店が取り組んでいる「靴のパターンオーダー」というシステムの出現を期待していたような感がありますね。

倶樂部余話【十】リネンって麻のことじゃないの?(一九八九年七月十日)


今回は特に女性の方にもお読みいただきたいのです。

テーブルクロスやナプキン、シーツなどを「リネン類」と呼びます。元来、これらのものがリネン(亜麻)でできていたためで、今でも一部の高級ホテルではリネンが使用されています。

リネンが最高と言うのにはもちろん理由があります。他の繊維にはない、リネンの何よりの特徴は、汚れ(醤油、ソース、油、汗、血など)が普通の家庭洗濯で簡単に落ちてしまい、更に、黄ばむことなく洗うごとに白さが増すという点にあります。しかも吸水力は抜群で丈夫ときているので、「汚れやすいが絶対に汚れてはいけないもの」に最適なのです。

ふつう、カシミアやシルクなどは高価なものほど耐久性に乏しく、慎重な取り扱いを要しますが、この点でもリネンは逆で、グレードが上がるほどに機能性も優れてきます。だから、何千円もするハンカチも何万円もするテーブルクロスも惜しみなく実用できるのです。最高級のリネンの産地は北アイルランドで、特に「アイリッシュリネン」と呼ばれ珍重されています。

エジプトのミイラを包んでいる布がリネンであること、「自分のリネンは自分の家で洗え(=身内の恥をさらすな)」という古い諺、花嫁を祝福し友人が集まってリネン製品を贈り合う「リネン・シャワー」という習慣、ランジェリー、ライニング(裏地)、リノニューム(床敷き)の語源が「リネン」であること、など、いかにリネンがヨーロッパの家庭生活の中で深く関わり愛用されてきたかを物語るものです。

最近は良いテーブル良い食器にこだわる方が増えてきましたが、良いテーブルクロスや良い布巾となるとまだまだ情報不足のようです。そして、これだけ世の中が天然素材志向に戻っているのに、いまだキッチンは化学繊維で溢れています。

リネンの特性を最大に引き出すのは、衣類よりもむしろこれらのテーブルウェアですので、今回はテーブルシーンを演出するリネン製品を特集します。各種パネルや貴重なリネン原糸サンプルなども展示しますので、ぜひご来店いただき、リネンの清涼感に心爽やかなひとときをお過ごし下さい。

さて、表題の問いの答えです。確かにリネンは二十何種類ある麻の一種ですが、「麻」に相当する英語はなく、麻の八割以上が南方系のラミーで、リネンとは別のもの。従って、すべての麻をリネンと呼ぶのは誤りです。詳しくはご来店の際に。

 

 

※このとき、「アイリッシュ・リネン・ミュージアム」というイベントをやりまして、その告知です。余話【八】のところで触れた大阪のリネン問屋さんから得た知識、横浜のスカーフメーカーが経営されていたリネン製品の専門店から学んだ展示方法、更に地元で馴染みだったフランス料理屋から本物の洋食器を借りて、この三者の協力で、二週間ほど一階のスペースで行いました。

 

宮中晩餐会に使われる二重ダマスク織の菊柄のテーブルクロスなど、いろいろ貴重なものもお借りして、高級レストラン並のテーブルセッティングを展示しました。

 

懐かしい思いがありますが、横浜のリネンショップも今はなくなりましたし、協力してもらった静岡のレストランもご主人の体調不良からお店を閉めてしまいました。

倶樂部余話【九】愛着の一枚と永くつきあう方法(一九八九年六月十日)


良い物を愛着を持って永く大切に使う。英国人の気質のひとつである。彼らは家の家具を指し、以下に古いものを何台も永いこと使い続けているか、を誇り合っている。反面、新規買い替え需要を喚起しにくく、これが英国経済の停滞の一因ともされているようだ。

ともかくも、英国気質を謳う当店としては、愛着の持てる商品の充実とそのメンテナンスやリペアに最善の協力を、と考えている。今回はシャツのリペアについてお話ししたい。

腕時計をすると、どうしてもシャツの袖口が片方だけ擦り切れてきてしまう。こうなったら、袖口(カフ)を取り換えればよい。白無地のものであればカフの交換だけで済むが、色柄物などは衿も一緒に換えて、よりドレッシーなクレリック(衿と袖だけが白いシャツ)にしてしまう。ちなみに、クレリックとは牧師の意。その服装が黒の上着に白衿の立っているところから由来している。一九二〇年代にロンドンの株式仲買人たちが着始めたと言われている。

また、これからの季節なら、半袖にチョン切ってしまう、という手もある。あるいは、衿を外してしまい、スタンドカラー風にする。とたんにカジュアルな感じになり、これは女性にも人気が高い。

いよいよダメになったら、最後はハンカチに加工する。白蝶貝などの高級ボタンなら、取り外して保管しておくと、後々役に立つ。

ここまでやればシャツも本望だろう。ケチくさいとお思いだろうか。しかし、リペアを重ねれば新しいシャツを一枚買うよりかえって高くつくこともあるのだ。気に入った愛着のある一枚であればこそ、大切に着てもらいたいのである。

店側にも問題がある。リペアの方法も教えずに、買い替えましょう、と新しいものを売りつけてきたのだから。モノを売るばかりが店ではないとも思うのだが。

シャツのリペア、どうぞ遠慮なく、お持ち込みいただきたい。

 

 

※パンツの直しは、ウェストやら丈やら幅やら、わりと持ち込まれる方が多いのに、シャツのリペアを持ち込まれる方は少ないです。このように衿や袖を交換できるということをご存じない方が多いのでしょうね。