倶樂部余話【八】ハンカチーフの気概(一九八九年五月十日)


背広にある左胸の小さなポケット。勿論これはペンや眼鏡を入れるためではなく、ハンカチーフを入れるために付けられている。では、なぜこの胸元の一番目立つところにハンカチを入れるのだろうか。諸説の中で最もロマンティックな説をご紹介したい。

その昔、舞踏会において、淑女は紳士と踊る際、手が汗ばまぬ様、リネンの白いハンカチを添えて紳士と手を合わせた。踊りの最中、それを落とすことが往々だったが、曲の途中でダンスを中断して床から拾うのではサマにならず、紳士は予備のハンカチをサッと取り出せる胸元に用意するようになったという。これがいわゆるポケットチーフの由来とされている一説。

従って、実用性もあるリネン地が本来であるが、次第に装飾性が強くなり、シルク地のペイズリープリントなどが使われるようになったようだ。ただ、現在でもフォーマルの際は、ピコヘム(端の小さな縫い目)の白いアイリッシュリネンが正式とされている。

ちなみに、ポケットチーフと呼ばずに、ポケットカチーフというべきだろう。カチーフとは元来は頭に巻く布のことで、首に巻くのでネック・カチーフ、手に使うのがハンド・カチーフ、なのだから。

さて、それでは飾りのない実用のハンカチーフはどこに納めるべきなのか。ギーブス&ホークス社のロバート・ギーブ会長によれば、背広の美しいシルエットを保つためにはポケットに何も入れないのが最良であり、ハンカチは左袖の中にクシャクシャに丸めて入れておくのが正しいやり方だとか。実際彼はそうしているのを見せてくれた。そのため、左袖だけ一回り大きくオーダーする紳士もいたという。最も、ティッシュペーパーなどのなかった時代、それこそ鼻をかんだり汚れた手や物を拭いたり、かなりハードな使い方をしたのであろうから、さもありなんと思えなくもない話だ。

これから汗ばむ季節、ハンカチの出番は多い。ゴルフの参加賞だけがハンカチではありませんぞ。そして左胸にもご配慮を。

 

 

※この頃、岩国の藤田雄之助氏から大阪のハンカチ問屋の紹介を受けました。そこの親父さんはリネン博士と呼んでもいいほどの人で、実に素晴らしいリネンのハンカチを扱っておりました。私が紹介を受けた直後に急逝され、残念ながら私は直接にお会いできなかったのですが、昔からいる番頭さんからいろんなリネン話を伺い、勉強させてもらいながら、ハンカチの仕入れをしてました。今はこの問屋さんもリネン製品の扱いをやめ、ブランド物のありきたりのハンカチが中心となってしまったので、もう取引はありません。

倶樂部余話【七】今年は九連休――どうしますか?(一九八九年四月十日)


今年のゴールデンウィーク(GW)は、空前の九連休となる方もいらっしゃるようである。

「忙しくてなかなか休みが取れないょ。」というボヤキも、かつては「仕事の出来る男」のプライドあるセリフであったが、今ではそれも「私は休みも取れない無能力な男です」と告白しているかに聞こえる。(かく申す私自身、いまだに最低の無能男であるが…)時代は確実に変わってきた。カッコよく休むことが美徳となった。

休みの量が確保されると、当然その質を高めることに精を出す。何しろ九日間だ、家でゴロゴロにも限度があろう。もはや「リゾートライフ」という言葉も夢ではなくなり「ビジネスライフ」と同等の価値で考えていかねばならなくなった。そして「リゾート」となると、悲しいかな、まだまだこれは欧米に見習わねばならない部分が大きい。

昼間バードウォッチング風のアウトドアスタイルの中年男性が、ディナーではさりげなく良質のジャケットをはおり、鳥の柄のタイなどで、そのリゾートにふさわしい、趣味のいい小粋な演出をしてたりする。彼等はリゾートの服装に関して、自分たちが気後れせず、かつ周囲の人々に不快感を与えずに、その時その場所を最大限エンジョイする術を体得している。

さて、このGWに海外へお出掛けの方も多いだろうし、またそうでなくとも一度はちょっとしたレストランでご家族と食事ということもあろう。女性の方は気分を昂揚させ、その晩を楽しむのに最もふさわしい服装を、と最大限の関心を払っていることだろう。なのにパートナーの男性が、相変わらずのポロシャツにブルゾン、あるいはビジネスと全く変わりないスーツにネクタイでは、せっかくの雰囲気に水を差しはしまいか。

ということで、この度「リゾートジャケット」の特集を考えた。カジュアル気分のあるジャケットを百着ほど揃える予定。皆様のGW対策にいくばくかでもお役に立てれば幸いである。

 

 

※しっかり読んでいくと、なんだか最終段落でガクッとしますね、「なんだ宣伝かよ」って。この時期は、月一回のミニ・イベントと余話が連動して、一枚のハガキになっていました。

 

でも、ジャケット百着の在庫を借りるフェアなんて、今ではできないイベントですね。確かこのときは三社ぐらいから借り集めたはずですが、その三社はみんな今はもうない会社です。

商品学講座【春】なぜ砂漠の隊商はウールのマントを着ているのだろう (一九八九年三月十日)


「三寒四温の春に着るものが欲しいんだが-。」と言うお客様の声をよく聞く。その割にいわゆる春物が思ったほどに売りにつながらないのは、なにもお客様がウソをついているわけでもなく、いつなにを着たらいいか、が適切にアドバイスされてないからではないだろうか。

通常、春物というと麻や綿を思い浮かべるものだが、私たちはウール素材をお勧めしている。「なぜに-」ということで、ウールの特性について少しばかりお話ししたい。

羊毛には、その特性として、らせん状の縮れ(クリンプ)がある。この縮れは羊毛の構造自体にあるもので、紡績や加工の過程で何度伸ばされても元通りに戻るもの。このクリンプの働きで、ウールの中には約六〇%もの空気が含まれ、外気の暑さ寒さを遮断するため、夏は涼しく冬は暖かく着ることができるわけである。

さらに、羊毛繊維は十九種のアミノ酸が組み合わされたケラチンというタンパク質で出来ており、そのため吸湿率は四〇%と動物性繊維の中でも非常に高く、汗を吸い取り素早く外に発散させる機能があり、梅雨時の着用にも爽快感がある。そもそも「セーター(sweater)」という言葉が、「汗(sweat)を取るもの」という意味であることからもお分かりだろう。

だから、砂漠のように昼夜の寒暖差が四〇度以上もあるところで、ウールは重宝にされるのである。

ただ、一口にウールと言っても、その種類は二百種以上もあり、スコットランドの極寒の島で飼育されるハリスツイードと温暖なオーストラリアで採れるメリノウールとでは、当然にその用途はかなり違ってくる。寒暖双方をカバーしなくてはならない春物でお勧めするのは、もちろん後者の方で、非常に細長くしなやかな繊維を持つメリノウールは、糸自体の伸縮性も適度で、その着用感の良さから最推奨品である。

現在、ウールマークでおなじみの「国際羊毛協会(IWS)」でも、「メリノは糸すずしき王様です」といったコピーでかなりのキャンペーンを打ち、「クールウール」の定着に本腰を入れている。

「暑かったり寒かったりで、なにを着ていいか分からん」、そう感じた時には、どうぞ当店にお越し下さい。

 

※余話【六】と同時に封書形態で発送したのが、このうんちく話です。この春物の話は、以降もこの時期になると毎年のように語っていますね。

倶樂部余話【六】大方の予想どおり倫敦探訪記です (一九八九年三月十日)


 

この二月四日、ロンドンはセヴィル・ロウを訪れた。「背広」の語源と言われ、もちろん当店名の由来ともなっている、二百メートル程の通りだ。目指すはその一番地、二百年の歴史を誇る紳士服店「ギーブス&ホークス」。マネージャーとのアポを取って訪ねたのだが、目の前に現れたのは何とギーブ家の血を継ぐ五代目会長ロバート・ギーブ氏。濃紺ストライプのスリーピースに身を包んだ凛とした姿は、正に「ジェントルマン」という言葉を浮かばせる。

 

見事な吹き抜けと内装のその建物は、かつて王立地理学会館として使われてきたもの。その二階の一角に彼が「我が社の博物館」と呼ぶ部屋がある。そこには古くから英陸海軍の儀礼服仕立ての指定を受けてきた同社の数々の軍礼服や装飾品、過去からの顧客台帳などが展示されていて、彼がひとつひとつを丁寧に説明してくれた。現在の背広が儀礼服の延長線上にあることがうかがえる。

 

更に、オーダーメイドスーツの縫製室を特別に見学させてもらう。職人の数は意外に少なく五人程度で、皆思い思いの姿勢でハサミや針を動かしている。ハンドメイドへのこだわりを象徴するかのように、ミシンは簡素なものがたった一台だけ。部屋の中心には、仮縫い中のスーツはもちろん様々な儀礼服がぎっしりと並び、さながらディズニーランドの衣装部屋の様だ。

 

「服の仕立てだけでなく」とギーブ氏が言う。「当社は百年ほど前から、靴もステッキもシャツも、それこそ男性のおしゃれ用品を統一された趣味で揃えてきました。ハロッズやダンヒルはその真似をしたのです。」と自慢した。

 

まさに、二百年の伝統をこれでもかと見せ付けられた感じがする。二百年前と言えば、日本では老中・田沼意次の時代、その頃からの歴史を語れる店が日本にどれだけあるだろうか。

 

最後に「ギーブス&ホークス」の顧客リストより。古くはウェリントン公やネルソン提督、そしてロイヤルウェディングのチャールズ皇太子の婚礼衣装等、新しくはゴルバチョフ書記長にブッシュ大統領。米ソの両首脳が英国の同じ店のスーツを着て討論しているとはなんとも面白い話ではないか。「彼ら二人は我が社の最も優秀なセールスマンだ。」とギーブ氏は結んだ。

 

 

※当時の当店は、このブランドのライセンス品をパターンオーダースーツのひとつとして取り扱っていました。仕入先のアパレルから手を回してもらい、このような格段の応接を受けることができたのです。

余談ですが、ゴルバチョフ氏にここのスーツを紹介したのは当時の英国首相サッチャー女史だったらしいです。

 

このセヴィル・ロウの老舗も、一時経営難に陥り、現在は香港系企業の傘下に入り再建中とのこと。我々に格別の配慮をしてくれた日本のアパレルもその後倒産したため、日本国内では消えたブランドになってましたが、近々某アパレルが中国のハンドメイド工場を使って、このブランドの日本再上陸を予定していると聞いています。

 

記事には「まもなく消費税が導入になります。お買い物はぜひ三月までに」とあります。

 
 

倶樂部余話【五】気分欲の時代に向けて (一九八九年一月十一日)


正月の新聞テレビの特集でも、今年はことのほか「日本」や「日本人」を取り上げたものが多かったように思う。以前の経済大国自画自賛は消え、「金満ジャパン」への自省を促すのが主な論調であり、思いやりや正義感の欠如が指摘されている。「平成」の始まりが「金の余っているだけの腐った国のとき」と後世に残らぬようにしたい。

「贅沢」「高級化」「ニューリッチ」などという言葉がもてはやされるように、もはやモノがいいのは当たり前の時代になり、それだけでは大した売り言葉にはなり得ない。もちろん我々はプロとして、いいモノを選びこだわって揃えるという姿勢が大前提であることはもちろんだが、加えて重要なことは、「気分」とか「手間ひま」「もてなし」とか、要はただ札束を積むだけでは手に入れられないメンタルな部分であろう。物欲よりも「気分欲」を求められる時代になった。

いい人・いい雰囲気・いいサービスを買う。その気分欲が満たされた結果で、モノは売れるのだ。

こうなるとその期待は、物の豊かさや良さを売り物にしてきた百貨店よりも、手間ひまを掛けてパーソナルな演出のできる専門店にこそ大きいのではなかろうか。今後の専門店とは、単に一業種を取り扱う店のことではなく、「人・モノ・場所・知識・サービスのすべてが、ふさわしい専門的なものである店」と定義されていかねばなるまい。価格はモノに付いてはいるが、実際にはこの五つの総合評価が代価という形に表れるのだ。

私たちの店の役割は、服馬鹿のためのマニアショップになることではなく、洋服を一つの媒介にして、ブリティッシュスタイルという視点から、少しでも生活コーディネートの手助けをし、「いい気分」を味わっていただくことにあろう。

言うほどに実践が伴っているかと問われれば、いささかも自信はないが、そのためのなによりのテキストはお客様との会話の中にあるものと考える。本年も当店をせいぜいご利用し尽くしていただきたい。

 

 

※このときから年号が「平成」に変わりました。そういえば、「自粛ムード」なんていうのが何ヶ月かありましたね。

 

 この頃はまだワープロ機の性能が低く、段組みやレイアウト編集の機能もなかったので、原稿も手書きで下書きしてから、ワープロ打ちしていたし、一枚のハガキの中にうまくレイアウトすることにかなりの時間を費やしていました。

 

 記事には、カシミア製品のファイナル・フェアの案内や、私のロンドン行きの予告などが載っています。

倶樂部余話【四】近ごろ嬉しかったこと 二題 (一九八八年十二月六日)


其ノ一。「静岡百選」という小冊子がある。昭和四十二年に「静岡でも『銀座百点』のようなものができないだろうか」という私の祖父、故野澤彌輔らの提案から創刊され、現在掲載店舗が三百三十店を数える、静岡で最も歴史ある月刊のミニコミ誌である。発行部数は三万部。ちょっとしたお店では店頭配布されているので、ご存じの方も多いのではなかろうか。

その表紙は、毎回美しい写真や絵画で飾られている。毎年正月号にはいいお店が集中して掲載されるとのことであるが、このたび、当店の店頭を描いた油絵がその正月号の表紙を飾ることになった。

しかも、この話はこちらから仕向けたことではないのである。いわゆる情報誌の中には広告と抱き合わせのヤラセ宣伝記事も多いのだが、今度の件については、発行者の「この店を取り上げたい」画家の「この店を描きたい」という衝動的な気持ちがきっかけだったといってよいだろう。

「――というお話なのですが、いかがでしょうか。」という発行の方の話を聞きながら、身体が震えてくるのが分かった。とても嬉しかった。老舗の店舗がズラリとある中で、開店一年余でこんな有り難いお話を戴けるとは。しかも私の祖父が創刊当時の仕掛人の一人であったと聞いては、感慨もひとしおである。

仕上がった油絵は店内に展示してある。小ぶりだが大変気に入っている。ぜひご覧いただきたい。また、ポストカード大にも印刷する予定なので、ギフトメッセージなどにも利用してもらえるだろう。

一月に、どこかでこの「静岡百選」を見かけたら、自慢気に話していただきたい。「このお店はね、―――」と。

今回お世話になった、発行者の田中美実さん、画家の大川晴広さんに、この場を借りて深い感謝の意を表したい。

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其ノ二。山口県岩国市に「フジタ・メンズU」というトラッド系の専門店がある。代表は藤田雄之助氏。人口十万、しかも広島市のベッドタウンという条件にありながら、年間三十以上のイベントを打ち、専門店としての独自性の強い歩み方を探求・実践されている。三十五年の間に、すでに岩国の文化育成の一翼を担う役割を果たしている、と言っても過言ではなかろう。

三ヶ月に一度、夜を徹して氏の考えを伺う機会がある。そしていつもこう思うのだ。「こんな楽しい店の客になれるとは、岩国の人はなんて幸せなんだろう。うちの店もいつかはそう思われるようにならなければ。」と。

十月のある日、トラッドファンと思われる一人の同年代の方がふらりと入店された。東京からの出張中だという彼と、三十分ほど話したろうか、帰り際にぽつりと言った。「静岡の人は幸せですね、こんな店があって…。」思いがけない一言に心が躍った。(やった!)と内心叫んでしまった。

 皆様に、当店の顧客であるということを誇りに思っていただけるよう、更に立派な店づくりをしていかねば、と改めて感じさせられる二つの出来事だった。

 

ユニセフのクリスマスカードを封書で送るのに、別紙で添えるかたちで書いたので、スペースに余裕があったためでしょう、文章がくどいですね。なお、記事では「ジョン・レノンの命日」に触れています。

 

 

 

文中の絵画は今も店内に飾っています。まだ窓枠に桟のある頃なので懐かしい。大切な記念です。

岩国の藤田雄之助氏には、その後も何かと師事を仰ぎ、大変お世話になりました。当店の方向性を導いてくれた大恩人でしたが、惜しくも二〇〇五年一月に急逝されました。

倶樂部余話【三】フォーマルの基礎知識 (一九八八年十一月九日)


最近とみに関心の高まっている「フォーマルウェア」について。

まず、一般に礼装と呼ばれるものは、実は、フォーマルウェアとソーシャルウェアに分類される。フォーマルは「フォーム」のある、つまり儀礼の服であり、ソーシャルは「ソサエティ」つまり社交の服である。例えば、教会などでの結婚式はフォーマルで、その後の披露宴はソーシャルと区別できる。(但し、新郎新婦、仲人、両親家族はフォーマル圏内)

ソーシャルはフォーマルの応用であるので、まずフォーマルの基礎知識から。

第一正装。日没を境に(夜の方がより正式である)、夜は「燕尾服」(但し、日本では宮中行事かオーケストラの指揮者ぐらい)、そして、昼がいわゆる「モーニング」である。

略礼装。夜は、黒地で上着に拝絹・下に側章付きの、いわゆる「タキシード」。昼は、黒のシングルの上着にモーニングの縞のスラックス、これが「ディレクターズスーツ」と呼ばれるものである。

ちなみに、四姿すべて昼夜逆の着用はできないのが本来であるが、日本においてはタキシードとディレクターズスーツに関しては寛容である。

また、多くの人が便利に着用している黒のダブルスーツもあくまでも日本だけのもの。国際的に通用するディレクターズスーツをお勧めする。

もし外国のパーティの招待状に、ホワイトタイ着用とあれば燕尾服、ブラックタイとあればタキシードでなければ出席できない。

また結婚式においては、花婿は主役であるからモーニング、仲人は準主役として花婿と同格か一格下を、父親は末席に着く立場であるから控え目にディレクターズというのが望ましい。

葬儀も、喪主家族はモーニング、親類はディレクターズというのがルール。祝儀とはネクタイなどが異なることは言うまでもない。

いずれのスタイルも、シャツやシューズなどにも様々なルールがある。知らずにうっかり間違えてしまうと、後で恥ずかしい思いをすることになる。聞くは一時の恥、どうぞその前にご相談をいただきたい。

 

※バブル期には今では想像もつかないほど、12月にクリスマスパーティが多かったような気がします。そんな需要を当て込んだ一文だったのでしょう。ただ、スペースが足りず、説明の足りない部分もありますね。


 なお、フォーマルについては、後年【一八六】で素晴らしいルールブックを紹介しています。

倶樂部余話【二】拝啓 ヘンリィ・ブルックス様 (一九八八年十月)


拝啓 ヘンリィ・ブルックス様 

 

あなたが一八一八年、母国英国に憧れニューヨークに開店した「ブルックス・ブラザース」は、今日までの百七十年間に、紳士服飾の世界で輝かしい功績と文化を築いてきました。三ッ釦段返りスーツ、ボタンダウンシャツ、シェットランドセーター、世界中のメーカーが分解しては模倣してきました。そして、アメリカのエクゼクティヴエリートの支持を脈々と受け続けてきたのでした。

ところが、昨今のあなたのお店に関する話には、おやっと思ってしまうのです。

数年前、カナダの会社からM&A(合併・買収)に遭い、更に英国の最大手スーパー「マークス&スペンサー」に買収され、その傘下に入りました。英国を手本にアメリカントラッドをつくってきた店が本家英国のスーパーに買収されるとは何とも皮肉な話ではないでしょうか。

そのうえ、アメリカに十九店舗しかないのに、なぜ狭い日本に三十店舗もあるのでしょう。この日本にエクゼクティヴエリートがそれほど多いとは思えませんし、日本の百貨店の売上げ至上主義に同調したのでしょうか。いつでもどこでもだれでも買えるコンビニエンス的「ブルックス」にどういう価値があるというのでしょう。

「あの○○さんもうちのお客です」といった、著名人の顧客を宣伝材料に使うことはしないという、顧客のプライバシーを尊重した、不文律もどこに行ったのでしょう。それが目玉になった日本の新聞チラシをあなたが見たら、なんとおっしゃるでしょう。

いろいろとお家の事情はあるのでしょうが、「ブルックス」をひとつの目標にしてきた者にとっては、とても残念でなりません。築き上げてきた独自の伝統文化を、一時的な売上増進のために、自らの手で摘み取ってしまうのでしょうか。それも仕方のないことなのでしょうか。

しかしもう、こう言わねばなりません。さようなら、と。

「ブルックス・ブラザース」にこよなく憧れていた者の一人より。

 

※官製ハガキとしての最初の号は、やや刺激的な内容です。サザンオールスターズの「吉田拓郎の唄」に触発された気味もありますが、当店が、アメリカじゃなくて英国、デパートでなくて専門店、ブランドじゃなくて品揃え、であるということを端的に主張したいという気持ちもあって、ブルックスをだしに使いました。

 

この第二号から、倶樂部余話とイベント告知をセットにしたハガキDMという形態ができつつあります。

 

当時の記事から。「平日は一時間の昼休みを取ります。」「アランセーターのイベントをやります。」の記載。

 

なお、後年(二〇〇一年)、マークス&スペンサーは、経営不振から、ブルックス・ブラザースをアメリカの婦人服チェーンストア、リテール・ブランド・アライアンスに売却してしまいました。売却額は買収時のわずか三分の一の価格でした。時代の流れはすさまじい。

倶樂部余話【一】正統なるビジネスウェア (一九八八年九月五日)


スーツが流行なのだそうだ。主に若者たちの話ではあるが。

若い人たちがスーツに馴染んでいくことは悪いことではないが、大概がいわゆる「ソフトスーツ」と呼ばれるルーズでフワフワしたスタイルのものだ。

われわれはこのようなスーツを草書体と呼んでいる。元来、楷書体がきちっと書けなければ、見事な草書体など書けるはずはないのだが、どうも作る側も着る側もその辺を理解しているのかちょっと疑わしい。しかもなんと没個性で服に着られた人間の多いことか。

スーツをカジュアルウェアで着ようということそれ自体は自由である。しかし、ビジネスの世界では、決してそうはいかない。われわれは、スーツを「最も正統なる」「最も由緒正しき」ビジネスウェアだととらえている。

何百年もの間あまたのビジネスの場を共に戦ってきた心強き友である。サクセスを助けてくれる道具としてこれほどに自分がどう見られるかを大切にしてきたビジネスウェアはない。それが「背広」である。

そしてその男のインテリジェンスから自然に生まれてくるものが粋(いき)とか洒落(しゃれ)とかいう言葉だろう。それはひけらかす筋のものではなく、もっと内面的なものだ。

本当に洒落ることを知っている男は、決して服バカではない。ブランドの名前など少しも知らなくても粋の心というものを知っている。

伝統ある楷書体の「背広」を、ふさわしい雰囲気とふさわしい方法で、ふさわしい男に。そう考えて開店した「セヴィルロウ倶樂部」。早いものでこの九月五日、満一周年を迎えた。まだまだ真の男たちの協力が必要である。

 

 

※開店一周年に書いた記念すべき第一回ですが、いま読み返すとものすごく気負っていますね。しかも、草書楷書の話は赤峰幸生氏(当時グレンオーヴァー専務、現インコントロ代表)の受け売りだし、「天声人語」風の体裁もまた当時赤峰氏が仕掛けた広告スタイルを真似たものでした。

 

原文には①というナンバーリングを振っていないことからも、このときは毎月の連載物になるなんていうことはあまり強くは意識していなかったのです。

【序】一九八七年九月五日開店!「セヴィルロウ倶樂部」開店に寄せて。 石津謙介 (原文のまま)「こだわる客」と「頑固な店」


「セヴィルロウ倶樂部」開店に寄せて。 石津謙介 (原文のまま)

 

「こだわる客」と「頑固な店」

 

ファッションをリードする人たちの年齢が若くなって、世界中のヤング達がすっかり、お洒落になってしまったような気がする。

ところが、ヨーロッパでも、アメリカでも、若い人のファッションと、大人のそれとがハッキリと分かれていて、お互いがよい形で影響し合いながら、ますます服装の分野を拡げて行く、そんな傾向が強く感じられる。日本のヤング達は、社会の中心人物である中高年層のことなんか、全く知らぬ人が多い。欧米では、ヤング達はそれなりに、自由奔放に青春を楽しんではいても、社会人となる日のことを考えて、ちゃんとそれなりの常識を学び、社会に通用する身ごしらえに徹底しようとする。ところが、日本では、世界の若人たちと変わらぬくらい、ファッショナブルなヤング達がいるのに対して、世の中の中心であるべき中高年層のファッション意識が、なかなか前進してこないのが残念である。

その理由は「服に哲学がない」からである。ただやたらにヤングのファッションにまどわされたり、昔ながらの洋服にこびりついたりする。

服の持つ昔からの傳統、社会人としてのあり方、そして、日本の中の洋服の着方、それこそがオトナのファッションである、それをよく、深く眺めて、自分の着る服に、自分が責任を持つ。そのためには、「服装哲学」を持たねばならぬ。服の持つ傳統と歴史を見つめて、それを自分のものにする。頑固に自分を押し通す。こんな大人が、社会人が早く、そして沢山育ってほしい。

そんな人を育てるための頑固な店を、着る側が育てて行く。そんな心構えの方が、もっともっと大切なことかも知れぬ。