倶樂部余話【336】ノーラさんの息子が亡くなると…(2016年10月1日)


「ノーラの長男が急死したのよ」とアイルランドのアンからメールが。それは一大事です。どう一大事かというと、ノーラおばさんは当社のために毎年十数枚のアランセーターを編んでもらっている大切な編み手なんです。今年もすでに数枚が届いていますが、残りの分がなかなか届かないので催促のメールを入れまして、その返信が冒頭の知らせでした。「残りは彼女の気分が良くなってから引き取りに行ってくるから、そしたら送るわね」とアンが書き添えています。ああ、待ってる人も結構いるのに困ったなぁ、しかし無理を承知で頼んでいるセーターです、待つよりほか仕方ありません。

そんな時シェットランド島のピーターからもメール。「今年は熟練の編み手がみんな引退しちゃって、作業が全然はかどらないよ」との言い訳です。

多分他人からはよくそんなんで商売になりますね、と言われることでしょう。確かに全くビジネスライクではないです。仕上がってくる品物にもばらつきがありますから、売るのだってひと苦労です。

でも、だから愛おしい、だから魅力がある、だからやめられない。しかし一人の編み手の子供が亡くなっただけで急に当てが外れてしまう、そんな脆弱な基盤の上でかろうじて成り立っている、というのもこれまた事実。こりゃもう意地というか信念というか、はい、ビジネスを超越した心持ちであります。(弥)
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倶樂部余話【335】スーツ生誕350周年(2016年9月1日)


スーツにも誕生日があるらしい。服飾史家の中野香織さんによるとそれは1666年10月7日。つまり今年は350周年です。400年には生きてないので、ここは盛大にお祝いしましょうよ、と中野さんは呼び掛けています(註1)。中野さんにはかつてそのエッセイの中でアランセーターの話題で拙著をご紹介いただいた(註2)という恩義がありますので、ここは微力ながら一役買いたいと思う所存。

時の英国王はチャールズ2世。クロムウェルの独裁の後に王位に就き、数多くの愛人を持つ艶福家として知られた国王ですが、紳士服の歴史では大きな役割を果たしてくれていたのです。ペストやロンドン大火などの災いを一新し、また倹約のために、とこの日に男性宮廷服の改革宣言を発したのです。それまでは男性も女性のようにリボンやレースのフリフリを多用したダボついた格好をしていたのですが、ここから、上着(コート)+ベスト+下衣+シャツ+タイ、という五つの組み合わせの服装が誕生したのです。
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と言っても、当時の絵図を見ると、上着の丈はうんと長く、下半身は半ズボン。長髪のカツラにハイヒール、と、現代のビジネススーツとは全く異なっているのですが、これが原型となり次第に洗練されて、現代のスーツのスタイルに進化していくわけです。

特にこの時に新登場したアイテムがベストでした。ところが現代この五つの組み合わせで一番省略されるのもまたベストなのです。だからスーツ生誕350年を祝うにはどうしようか、と考えたとき、こりゃスリーピース、三つ揃えの復活、を訴えることが最適だろう、と考えたわけです。
はい、ですので、当店のこの秋、スーツ生誕350周年記念キャンペーン、三つ揃えを作ろう、の始まりです。(弥)
スーツ生誕350周年

註1…中野香織「祝:スーツ生誕350周年」BLOG/FITSGERALD BY FAIRFAX/Apr.08.2016
註2…中野香織「愛されるモード」(中央公論新社・2009年) P.169

 

倶樂部余話【334】英EU離脱(2016年8月1日)


 「英EU離脱」。まさかの事態に、これほどに英国が話題になることもかつてなく、こうなると私もここに何らかの感想を書かないといかんかな、と感じています。
 偉そうなことは言えませんが、恐らく外交では、お得意ののらりくらり作戦で、今後も独や仏を翻弄し、時にはお家芸の二枚舌戦略も繰り出して、結局のところカタチは離脱するもその実はなるべく現状維持の「いいとこ取り」を目論むことになるのでしょう。
 英政府の交渉相手はEU諸国という外向きだけではありません。ご存じのように、英国は、支配するアングロサクソンのイングランドと、支配されるケルト系のスコットランド、ウェールズ、北アイルランド、この四つの連合王国ですが、今回のイングランドの失態からこの連合のたががガタガタに緩んでいて、内政的交渉も大変です。先日(7/22)も、ウェールズにスコットランド、北アイルランド、そしてアイルランドの首脳が集まり、団結して英政府に働きかけようという方針で一致しました。私には外交よりもこちらの方が興味があります。
 当の英国自身を含めて喜んでいる人が誰もいないのではないかとも思える英EU離脱。その中で、ひょっとしたらこりゃチャンスかも、とちょっと微笑んでいるのが八十年前の世界恐慌のさ中に英国から独立を果たしたアイルランドです。これでEU諸国の中でただ一つの英語の国になり、しかも通貨はすでにユーロ、島国にして英国との国境を持つ(だからシェンゲン協定には非加盟)、というのは、英国の避難港として捉えるには確かに好条件です。実際、移動の自由を求めてアイルランドのパスポートを二重申請するアイルランド系英国人は後を絶たないようですし、何しろ、悲願である北アイルランド併合の好機が思いがけずやってきたのです。あわよくばスコットランドとも連合する可能性もなくはない。英独仏の困惑を尻目に、一番利益を享受するのはアイルランドかもしれません。 (弥)

倶樂部余話【333】英式ナマケモノの靴(2016年6月26日)


「履きやすい靴」というのは、二つの意味があります。ひとつは履くときや脱ぐときに足入れの楽な靴ということ。もうひとつは文字通り、履いていて快適な靴、です。この二つの意味の「履きやすい靴」、時として矛盾することがあります。例えばレースアップのロングブーツ、何より快適ですが、脱ぎ履きの面倒さと言ったら…。

その反対の典型例がローファーではないでしょうか。アメリカントラッドの代表選手であるモカシン縫いのローファーは、脱ぎ履きは大変に楽チンですが履き心地の快適さを求めると皆さんかなり苦労してます。そもそもローファーというのが「怠け者」という意味の言葉ですので、靴ヒモも靴べらも面倒くさい人たちにつっかけやすいという理由で主に大学生から愛用された靴だったのだと思います。とはいえ、ローファーはそのデザインからもとても魅力のある靴でして、私の中でも長年履きたくても履けない靴の王座を占めています。

片や、この二つの「履きやすい」を矛盾なく両立できる靴というとなんでしょうか。これにはもちろん人それぞれに意見があるとは思いますが、私はまずグッドイヤー式のサイドゴアブーツを挙げます。両サイドに伸縮するゴア(ゴム)を配したブーツで、実は坂本竜馬の靴も福澤諭吉の靴もこれでした。しかしブーツというだけで現代人には抵抗感もありますから、そうなるとそれを短靴にアレンジした、サイドエラスティックシューズ、これが第一です。ご記憶の方も多いと思いますが、当店の開店20周年記念モデルとして皆様にお勧めしたデザインでして、当時も今も大変好評です。が、これはロンドンのジョージ・クレバリーをリスペクトとした、つまりいかにも英国的な靴だったとも言えます。
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あれから10年たち、今度は30周年記念モデルとして何を提案しようかと考えたとき、頭に浮かんだのは、長年の懸案だったローファー的なモノでした。ローファーのイメージを持ちながらも、二つの意味の「履きやすさ」を妥協なく両立させる、という命題から、↑このような靴を作りました。英国にも怠け者はいるんだよ、と語る靴の言葉が聞こえてくるような気がしませんか。私のサイズの最初の一足が予定よりちょっと遅れて届きました。思った通りにうまく仕上がったので、賛同者を強く募ります。ぜひあなたも。(弥)

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倶樂部余話【332】ネタにもならないガンの話(2016年6月1日)


 両親もそのまた両親もみんなガンでしたので、私にもいつかは必ずその時がやってくる、そう思っていました。しかしそれは意外なほどあっけなくやってきてあっさりとなくなりました。見逃されそうなほどの小さな異変が胃カメラで見つかったのが三月のこと、そして内視鏡で2㎝ほどの悪者を取り除いて釈放。その間わずか三ヵ月。術後三日間絶食した以外はほぼ日常通りの生活で、もし日本中のガン患者何万人を順に並べたとしてきっと私はブービー賞が取れるかもしれません。こんな簡単にガン経験者のレッテルを貼ってもらってはガンと懸命に闘っている人たちに申し訳ないという思いです。痛がりで怖がりの私ですので、多分いつもよりもビクビクした顔つきになっていたことでしょうが、面持ほどのことはなかったのでした。

 と同時に、知りたがりで教えたがりの私としては、ちょっとだけ「ちぇ残念」と感じていることもあります。不遜とのそしりを受けることを恐れず言うならば、ですね、「これじゃ、闘病記も書けないし、余話のネタにもならないじゃないか」ということ。家族からはバカヤローと怒られそうですが。

 たくさんの方からお見舞いの言葉を掛けていただきました。おかげで大事に至らずにすみました。私は幸せ者です。ありがとうございました。(弥)

倶樂部余話【331】続・ゴールデンウィーク考(2016年5月1日)


 ゴールデンウィーク(GW)なんて嫌いだ、と言い続けている私ですが、さだまさしさんもGWについて首をひねっています。先日新聞に載っていた短いエッセイに曰く。GWは本当にめでたいのか。すでにちゃんと休めているのだから、もっと働きたいと感じている人も多いのでは。働かずに稼ぐ者が憧れの対象となる風潮はおかしくないか。国は休めというが休めばお金は入ってこないのが当たり前だ。休むことはとても大切だが、働かないことは決して正しいことではない。というような趣旨でした。これには溜飲が下がりました。そうでしょ、GWなんていらないでしょ、不便ばかりでしょ。GWに疑問に感じているのは私だけじゃないんだ、と確信を持ちました。
 そんな折、環境省は今年のクールビズを五月から九月までと終わりを一ヶ月早めるというニュースが入りました。服装規定を環境省がどうのこうの言うこと自体おかしなことなんですが、ともかく十月にノーネクタイはどうにもだらしなく映るということにようやく気がついたようです。ネクタイは付けるのが基本で、外すのは例外です。来年からはぜひ七~九月の三か月ぐらいに短縮してもらいたいものです。
 どうやら世の中、ちゃんと働こう、きちんと着よう、丁寧に過ごそう、という風に染まってきているような気がします。いやいや、こりゃ朝ドラ「とと姉ちゃん」にちょっと感化されているのかもしれませんな。(弥)

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倶樂部余話【330】待機児童って違和感ないですか(2016年4月1日)


何かしっくりこないな、という言葉が時々あります。一つ挙げると、認知症。これ、痴呆症の言い換えだとしたら、非認知症とか認知失調症、など、認知の否定形でないと病名にならないんじゃないでしょうか。
近頃気になるのは、待機児童、という四文字。多分元々はお役所言葉なんでしょうが、待機と言っても、保育園の空きを待っているのは子供じゃなくてお母さんの方ですよね。その赤ちゃんが一番望んでいるのは保育園に預けられることではなくてお母さんとずっと一緒にいたいという願いだと思うのです。それに児童って言うと普通は小学生ぐらいのことなんですが、今の問題は就学前の乳幼児、特に二歳までの子供をどう預けるかが関心事ですから、例えば、未預園乳幼児、みたいな表現はできないものなんでしょうか。
待機児童はきっと今年の流行語大賞の有力候補になるでしょう、何しろニュースで耳にしない日はありません。昨今も緊急対策なんて発表があり、何か待機児童ゼロだけに躍起になって、緊急「選挙」対策をしているみたいですが、この問題のそもそもの根本は少子化対策です。古くからの鍵っ子問題やアグネス論争も含めて、子育て女性が働ける社会環境づくりを検討しないといけません。保育所を増やしたり保育士の給料を上乗せするくらいでは何にも解決しないと思うのです。
あ、もう一つ、気に障る言葉、それはね「日本死ね」。これは絶対にダメ、許せません。 (弥)

倶樂部余話【329】イースター・ライジング(2016年3月1日)


 イースターは、キリスト教にとってはクリスマスよりも大切な最重要行事ですが、日本ではハロウィンやバレンタインディに比べても今一つなじみが薄いものです。「春分の後の満月の次の日曜日」と日付が一定しないのが大きな理由でしょう。昨年が4/5、今年3/27、来年は4/16ですから、これでは商業イベントには使えませんね。
 よく知られるように、イェスが十字架に掛けられた三日後に復活(rising)を遂げたのを祝う祭事がイースター(復活祭)ですが、この一月に訪れたアイルランドの首都ダブリンでは、今年のイースターは特別だよ、と大いに盛り上がっていたのです。1916年のイースターの日に起きたイースター・ライジング(復活祭蜂起)。長く英国の植民地であったアイルランドが独立に立ち上がった首都でのクーデターで、歴史的英雄も数多く傑出し、その後延々と続く独立運動の発端となった重大事件です。risingは復活と蜂起の二重の意味を持っていたのですね。今年はその百周年に当たり、聖パトリックの日(3/17)にも近いので、数々の記念行事が企画されているのでした。
 こうして今年アイルランドの人々は英国憎しの気持ちを新たにするのでしょう。その英国、奇しくも今年EU離脱を巡っての国民投票に揺れています。欧州の中での英国の歴史は対立と協調の繰り返しで、実に興味深いです。
そんなことで、今年はいつもと少し違う気持ちでイースターを迎えてみようと思っているのです。(弥)

倶樂部余話【328】店に一番必要なものとは(2016年2月6日)


 4日間店を空けてのダブリン行でしたが、計算してみたら52時間現地に滞在するために往復に掛かった時間が50時間でした。かろうじて目的が手段を上回りましたが、それでもしっかり時差ボケになるのはむしろ健康な証拠なんでしょうか。
 しかし慌ただしい1月でした。店名変更、模様替え、展開ブランドの休止、スタッフの退職、と普段と違う怒涛の睦月。そんな中で以前にも考えたこんなことを思い出していました。店にとって一番欠かせないものは何だろうか、と。
 店舗でしょうか ? いえ、無店舗販売や通販もあります。人か? いや、無人販売や自動販売機だってあります。金?、あればいいけどなくても借りれば何とかなる。商品は? オーダーなどの受注生産なら在庫なしでも売れます。人もモノも金も場所も、実は最も必要なものではないのです。
 それでは、一番欠かせないものとは? お分かりでしょうか、はい、それは客です。店というのはお客様がいないと成り立たないのです。新しい店の様子を心配してきてくれる方、辞める店員を労うだけのために来てくれる方、そんなお客様が次々に来店される様子に、ああ店というのはホントはお客様が作っているものなんだ、とつくづく思った一月なのでした。
 そんなこんなで二月の通信が遅れました。すいません。(弥)

【倶樂部余話】 No.327  あらためてジャックノザワヤです (2016.1.1)


 本日より「セヴィルロウ倶樂部」改め「ジャックノザワヤ」を襲名いたします。そう、前号でのお知らせ以来、皆様から多くの問い合わせやご意見をいただきましたが、この店名変更は「襲名」という表現が一番近いように思います。(ちょっとおこがましいのですが)こぶ平から正蔵へ、みたいなもので、だから、ずっとこぶ平ちゃんのままでいて欲しかった、という人がいるかと思えば、懐かしい名跡を継ぐ新しい正蔵に期待してみたい、という方もいらっしゃるはずです。
 店のマークは野澤屋の創業者・祖父野沢弥輔が60年前に作ったデザインを復活させ、英文ロゴは19世紀末にスコットランドで活躍したデザイナー、チャールズ・レニー・マッキントッシュ考案のフォントを採用しました。どちらも不思議に古さを感じなかったのです。
 商品については追々説明するとして、他に変わったところといえば、まず今日からは新しい店内レイアウトです。きっと、その手があったか、と驚かれることでしょう。音も変えました。よりリラックスできる音楽にします。それから香りも。この場所特有の漢方薬の匂いにうまくかぶさる香りをようやく見つけました。もう一つ大切な変更としては営業時間の短縮があります。閉店時間の繰り上げ、火曜水曜の連休など、一つしかない私の体を有効活用するための術ですのでどうかご理解下さい。
 逆に言うと、それ以外は変わりません。セヴィルロウ倶樂部の名はオリジナルブランドとして残しますし、英国旗もこの倶楽部余話もそのままです。何よりお客様と店の器は何も変わらないのです。
 そんなゆるい感覚で気負わずおごらず、開店29年目にしての新屋号「ジャックノザワヤ」、仕切り直して新たな船出です。倍旧のお引立てをどうぞよろしくお願いいたします。(弥)