【倶樂部余話】 No.273 アランセーターの新局面 (2011.8.1)


 四半世紀ずっと変わらずに売り続けている当店のアランセーターですが、今年から新しい局面を迎えます。簡単に言うと、仲介者が変わるのです。
 私は2002年に「アイルランド/アランセーターの伝説」を著しましたが、それはアランセーターを世に広めた一人のアイルランド人オシォコン翁が1995年に逝去したことが執筆を始めた動機でした。その恩人の死は、私に本を書くきっかけを与えてくれたのですが、同時に、皮肉にも今まで彼が築いてきたアランセーターの供給システムの支柱を失ってしまったことをも意味していました。実は、拙著の出版が決まったのと同じ頃、彼がアイルランドで備蓄していた数百枚の古いアランセーターの在庫を私がすべて引き取ることにして、日本に送らせたのでした。それを十年掛けて選り分けながら少しずつ販売してきたのですが、しかしそれもそろそろ底が見え始めていたのでした。
  この十年、アイルランドは空前のバブル景気から一転してどん底へ、その割にアラン諸島への観光客は減ることもなく、つまり、セーターを編んでもいいという人もそのセーターを欲しいという人もいなくならなくて、もうきっと消滅するに違いないと思っていた本物のアランセーターは、意外にもしっかり生き延びてある店に集まっていました。そのキーパーソンはアン・オモーリャ夫人。彼女に会うためにこの一月、私はアイルランド西岸の街ゴルウェイに飛びました。
 彼女はニューヨークでのニットフェアに参加中でしたが帰国を急遽一日早めてくれて、私の方もフライトを無理矢理一日遅らせて、ようやく実現した数時間だけのランデブー。12年振りの再会でしたが、そのミーティングは、それはそれはディープなアランセーター談義となり、彼女は快く私の願いを聞き入れてくれたのです。
 そして、何年振りかで新しいアランセーターが入ってきます。到着は九月半ばの予定。早く来い来い秋の風。(弥)

【倶樂部余話】 No.272 年表に載る年 (2011.7.1)


 子供の頃、うちのトイレには歴史年表が貼ってありました。その年と出来事を眺めながら「実際に当時に暮らしている市井の人々は、自分の今生きてるこの年が将来の年表に載るなんて、きっと思ってもみなかっただろうなぁ」と漠然と感じたものです。その感想は、645年でも1192年でもいいのですが、例えば1945年ならば、朝ドラの「おひさま」を視ているとやはり同じ思いを抱くのです。
 しかし、はっきりと分かってしまったことがあります。2011。この数字は間違いなく将来の歴史年表に載ることになるでしょう。しかもそれは日本史だけではなく、世界中の世界史年表にフクシマの文字とともに残るのです。今、私たちの生きているこのときが、です。私たちは年表に載るような瞬間に立ち会うことになってしまった。そんなふうに思うのは私だけでしょうか。
 そして、2011年の夏は、今までとは全く違う未経験の夏、となることでしょう。電力以外にも過去の実績がまるで役に立たないようなさまざまな事態がまだいろいろと起きるのだろうと思います。
 でも、でもですね、それでも私たちはその中で仕事をするのです。「どこもセールセールって、洋服屋は値下げしか能がないのか」と言われそうですが、この夏については悔しくもそれは否めない部分があります。なんのかんの言っても、やることちゃんとやらないと。
 かくして、夏物処分、です。8月から7月に決算を変えたというこちら側の事情もあって、今年は時期早めかつ値下げ幅大きめ、です。どうかご協力を、とお願いする次第であります。(弥)

【倶樂部余話】 No.271 靴もベルトも服のうち? (2011.6.15)


 店で扱う品を素材の順にすると、毛、綿、の次は、麻でも絹でもなくて、「革」なのです。レザーは思いのほか重要なウェイトを占めているのです。
 靴を「履く」、ベルトを「締める」、手袋を「填(は)める」。日本語の表現は実に豊かですが、英語ではすべて動詞はwearです。あと、帽子を「被(かぶ)る」、もやはりwearです。ですから、靴もベルトも手袋も帽子も、西洋風には広義にみなwear(=衣類)と総称してもよいのでしょう。洋服屋がこれらを一緒に扱うことに違和感がないのは、そんな理由からかもしれませんね。
 洋服も革靴も、日本ではともに明治の文明開化からその歴史が始まりました。洋服は誂え(オーダー)から大正昭和と経て徐々に既製服への流れを歩みましたが、靴の方は比較的早くから既製品化が進み、そのため足に靴を合わせるのではなくて、逆に靴に足を合わせる、ということが普通の感覚に思えるようになってしまったのでしょう。これは、江戸時代からもともと和服も誂えることが珍しくなかったのに対して、下駄・草履・足袋などの履物はとっくに既製品として存在していたことも関係しているのではないかと思われます。
 だからでしょうか、スーツを作ろう!シャツを作ろう!という呼び掛けに抵抗を示す方は少ないのですが、靴を作ろう!との誘いには「何もわざわざ誂えなくっても…」と、かなり珍しいことのように躊躇される方が多いのも仕方ないことなのかもしれません。服では当たり前の「一点流しのパターンオーダー」を革靴の世界で実現した宮城興業の仕組みは世界でも類を見ない「コロンブスの卵」的な快挙であって(ついに特許申請をするらしいですね)、思ったよりも簡単に自分に合った靴ができるのに、悔しいかな、靴を作るのはどうも服を作るよりも気持ちのハードルが高いようなのです。
 なので、服の売上が一段落する夏のこの時期は、毎年誂え靴のキャンペーンを張ることにしています。特に「はじめの一足」の方を大優遇します。「とにかくまず一足作っていただければ」の思いが強いので。実際それほど面倒なことではありません。ぜひお気軽にお出掛けいただければと願っています。(弥)

【倶樂部余話】 No.270 スーパークールビズって何じゃらほい? (2011.5.22)


 近所の学生服店の看板には「服装の乱れは心の赤信号」とあります。また、人は見掛けによらない、ともよく言われます。そう、見掛けってとても大切です。沖縄の人がかりゆしを仕事着にできるのは、その見掛けが伝統文化のアピールになるから、であって、単に涼しいから着ているわけではないのですよね。
 何を言いたいか、もうお分かりでしょう。クールビズです。前後一カ月ずつの期間延長で五月から十月までの半年間ですって。十月なんてもう冬物商戦真っ盛りだというのにまだ残暑気分を引っ張れというのでしょうか。まあ、今年の特殊事情を考えればそれもある程度は仕方ないとしても、呆れ果てたのは環境省が言い出した「スーパー・クールビズ」であります。アロハもTシャツもジーンズもサンダルも「何でもあり」なんて、これはもう話題作りだけの愚挙としか思えません。「装う」という文化を一体何だとお考えなのか。
 こう言うと、じゃ君は節電に協力しないのか、とお叱りを受けそうですが、そうじゃないんです。例えば勤務の曜日や時間帯をずらす施策は直接に電力需要を左右するのに対して、ネクタイを外しても短パンを履いても、そのこと自体は何も電力のセーブにはつながらないのですよ。クールビズとは「微弱冷房下でも快適に過ごせるように職場のルールを甘くしましょう」という間接的な啓蒙なんですが、悲しいかなそこがニッポン、一度決めたら「右へ倣え」なんですね。で、本来はネクタイを「してもしなくてもいい」なのが、あっけなく「ネクタイはダメ」になってしまうのですね。
 かつて自由と解放の象徴だったTシャツにジーンズがクールビズでOKになり、逆に管理社会のシンボルのようなネクタイはご法度とは。この夏はネクタイを締めることのできる人こそが自由な精神の持ち主のように見えてしまうのかもしれませんね。 (弥)

【倶樂部余話】 No.269 ロイヤルウェディング (2011.4.25)


 今年のオスカーを獲った映画「英国王のスピーチ」を観ました。ジョージ6世の吃音を巡る実話で、リーダーに必要な資質とは何なのか、を考えさせられました。もうひとつの私の関心は、主役の兄で、人妻との恋のために王位を捨てた、エドワード8世(ウインザー公)の方にもあり、今もメンズファッションに大きな影響を残している彼の服装をじっくりと観察することでした。グレンチェックの柄がプリンス・オブ・ウェールズ(=皇太子)の別名で呼ばれているのもなるほどと納得。紳士服飾界では、稀代の大先生として、数え切れないほど多くのお手本を示してくれた彼ですが、国王という立場ではちょっと困ったお方だったんですね。
 さて、この映画の主人公のひ孫にあたるのがウイリアム王子。彼とケイト嬢の挙式が目前に迫りました。彼の両親、チャールズとダイアナのあの時から三十年振りのロイヤルウェディングに、国内外から注目が集まっています。時節を得たように礼装の知識についての特集も多く目にするようになりました。仕事柄、近刊の本や雑誌には大体目を通しましたが、私が皆様に長年アドバイスし続けているフォーマルの知識にほぼ間違いはなく、ひと安心しています。皆様が完璧に覚えておく必要はありませんので、困ったらどうぞ私に聞いて下さい。
 婚礼の映像に、きっと世界中の視聴者の目は花嫁衣装にばかり注がれるのでしょうが、私は新郎始め男たちの服装を目を皿のようにしてチェックすることになるでしょう。楽しみです。(弥)

【倶樂部余話】 No.268 東日本大震災にあたり (2011.3.25)


 信じられない大災害が起こりました。戦争を知らない私たちにとって、五十年生きてきてこんな惨事は初めてです。被災された方々を悼む気持ちで一杯です。
 この大震災で、全国各地のいろんなイベントや祭りが中止になっています。もちろん交通や設備などの諸問題で現実的に開催ができないという催しもあるのでしょうが、中には「不謹慎との批判を恐れて自粛」というものも多いようです。これは何か違うと思います。誰が不謹慎だと非難するというのでしょうか。自粛すればそれは謹慎なのかなぁ、と思います。「こんなときに遊んでる場合か」と言う人はいるかもしれません。でも「遊ぶ」仕事をしている人は、真剣に真面目にその仕事をしているのです、決して遊びながらふざけて仕事をしているわけではないのは当然です。自らの仕事を果たすことと哀悼の思いとは全く別のことです。
 大きな言い方をすると、経済を回すこと、が大切です。消費を止めない、小さくしないことです。お金は流れることでその節目節目に利潤を生み、その利益の中から社会の復興原資が賄われていくのです。義援金はどれだけ集まっても一時金です。
 東北地方には紳士服、婦人服、ニット、シャツ、靴などのファッション製品の製造工場がたくさんあります。それらのファクトリーにこれからもたくさんいい仕事をしてもらう、それが私たちの産業ができるささやかな復興支援です。しばらくはできるだけ日本製を優先して売ることにします。日本国内でお金が回るように心掛けることも大切でしょう。(弥)

【倶樂部余話】 No.267 三年振りのアイルランド (2011.2.21)


 三年振りにアイルランドへ行くんです、と話すと、皆さんから一様に「財政破綻で大変なんでしょ」との心配をいただきました。問題が顕在化した直後なので、私もそんな思いを持って飛びました。
 陽気なアイリッシュもさすがに少しは落ち込むのかな、との予想は見事ハズレ。「先祖たちが英国から長年にわたり受けてきた圧政や貧しさを思えば、これくらい大したことないさ。ケルティック・タイガーとまで称されたあの好景気だってそもそも政策主導で、あれ自体は正しい選択だったし、まあそれなりにいい思いもしたよ。消費税や水道代はこないだいきなり上がったし、公務員は減給、年金も減額になったけど、仕方ないね、また我慢の暮らしさ。でもユーロから仲間外れにされたらそれこそ大変だから。ただ、バブルを思いっ切り享受してきた若年層は、急速な冷え込みに対処のすべがなく、戸惑っている感じだね。」
 逆に日本をよく知るあるアイリッシュからはこう励まされました。「仕事はどう、と聞くと日本人は誰もが『悪いよ、良くないね』と答える。日本人の謙虚さというか、みんな一緒に、という性格の現れなんだけど、あれは良くない。たとえ虚勢でも『他は悪いかもしれないがウチはいいよ』と言おうよ。じゃないと中国にすぐ取って代わられちゃうよ。」
 さて、今回の主たる用件は、今後も現レベルのアランセーターの扱いが続けられるか、という大きな交渉だったのですが、直談判の末、何とか供給を受けられる目処が立ち、一安心です。他にもダブリンで新旧十社ほどの買い付けを滞りなく済ませ、早朝に帰国。羽田発着欧州便は実に便利でした。 (弥)

【倶樂部余話】 No.266   ツイッターが紡ぐアランセーター (2011.1.20)


 「アランセーターができて百年か、キリがいいから久しぶりに特集しよう」とここに書いたのが昨年の九月末。知己のライターがこの話をツイッターで紹介、それがある編集者の目に留まり、彼は男のセーターの特集を着想、急いで企画を練り、私のところへやって来ました。そして十二月中旬にムック本が発売、巻頭8ページにわたり当店とアランセーターがデカデカと載ったこの本が書店の男性ファッション雑誌の棚に並びました。
 同業者からは「どんだけ払ったんか?」と冷やかされましたが、こちとら静岡までの交通費はおろかお茶の一杯も出してないのですけれども、これだけ取り上げられれば反応が少ないわけはありません。このところ毎日のようにメールや電話での問い合わせが続き、嬉しい悲鳴を上げています。
 私が書いたアランセーターの本も絶版となって久しく、著者分の手持ち在庫も完売し、アマゾンの中古本で三倍もの値が付いている状態でしたので、モノクロだった写真を全部カラーに入れ替えて、データをPDF化してCDに焼き、パソコンで本のように読めるカタチで安価に頒布することにしました。実際iPadでペラペラとめくれる電子ブックになった拙著を初めて見たときは何だか自分の本とは思えない新鮮さがありました。
 アランセーターは百年の間ずっと変わらずに続いてきたものです。それが最先端の情報ツールであるツイッターが契機となって再び火が付くことになりました。 これももうひとつ別の意味の「温故知新」と言えるのかなぁ、などと思っています。(弥)

【倶樂部余話】 No.265   未来予測なんて当てにならないな (2010.12.23)


 先日電器店に依頼し、二十年以上前に撮った8㎜とベータのビデオ十数本をDVDに移してもらいました。「カビが出てるとダメかもなぁ」と心配げにつぶやいた店主のおじさんが私には神様に見えました。
 撮ってた当時はまさか8㎜やベータがなくなるとは思ってもみなかったことで、同様にレコードもカセットテープも消えていきました。DVDにしたってきっとそのうち過去のものとなり、いずれはすべてをネット上の倉庫に格納するような時代がやって来るのかもしれません。
 他にも、よもやこんなモノが消えるなんて思いもしなかった、というモノ、いろいろあります。ブラウン管テレビも白熱電球もまもなく消える運命にあります。
 逆に、私が十代の頃、これは将来なくなるだろう、と思っていたモノがあります。それが、演歌、歌舞伎、相撲、百貨店でした。きっと自分たちが大人になったとき、我々の世代はこれらに興味を持たないだろう、と思っていたのです。でも私の予測ははずれて、どれも残りました。
 そして、実は、私のなくなる予測リストには、もうひとつ、背広、というのがあったのです。笑ってしまいます。未来予測なんてホントに当てにならないもんですね。
 メリー・クリスマス。今年一年のご愛顧に感謝いたします。皆さま良いお年をお迎え下さい。(弥)  

【倶樂部余話】 No.264  ジョン・レノン、没後三十年 (2010.11.23)


 アランセーターと同じぐらい長く続けているのが、12月8日9日のジョン・レノンのメモリアルイベントです。この店ができる前から始めたので、もう26年続きました。といっても、当店は飲食店でも音楽屋でもありませんから、宣伝販促的な意味合いはまったくなく、何をしているかと言うと、額縁に入れたジョンの顔写真を掲げ、キャンドルを灯し、店内に二日間ジョンの歌声ばかりをずっと流す、といった、ほとんど私の自己満足的なことを毎年やっているに過ぎませんが。
 1980年12月8日(日本時間では9日)、22歳だったあの日あの時に感じた悲しさは不思議によく覚えています。この世に起きるはずのない、起きてはいけないことが起きたのだ、という信じられない気持ちで、「イマジン」のLPレコードを一晩中泣きながら聞いていました。何がそんなに悲しかったのか、今でもちゃんと言葉にできない、もやもやしたものなのですが、きっとこの気持ちを忘れてはいけない、という思いが強くあったのでしょう、こうやって続けてきたのは。
 今年は没後30年、そしてもし生きていれば70歳、と節目の年に当たり、例年にも増して数々の企画が出ているようです。それらの「あやかりイベント」を否定はしませんが、でもなぜか手放しで喜べる気持ちを持てない私がいます。きっと、暗殺されたことを商売に使うことに抵抗感があるのではないかと思います。自分も商人なのに、変でしょうか。
 今年も私はいつもどおりにやります。12月8日9日の二日間、お心のある方はどうぞご来店いただき、一言声を掛けてくれると嬉しいです。(弥)