【倶樂部余話】 No.260  再び「スーツは年収の1%」説を… (2010.7.18)


 「スーツは年収の1%」(余話【194】05年3月)は紛れもなく私が言い出しっぺの持論ですが、そう自らが唱える当店のスーツの裾値は約八万円です。しからば当店のお客様はすべからく年収八百万円以上なのかというともちろん決してそんなはずはなく、年収五百万円から七百万円のお客様には1%以上の負担を強いざるを得なかったわけです。仕立て代の安い某工場を知ってはいましたが、そのクオリティは合格点を付けるにはいささか疑問が多く、結局のところ、五~七万円台のスーツ提案の必要性を感じてはいながらも、私はそれを怠っていたのです。
 しかしようやくそれが実現することになりました。第三のファクトリーとしてM社との取引を約十年振りに再開することにしたのです。このM社のことは事情があり詳しく書けないのですが、現在当店でメインのA社のレベルには及ばないものの、私は一応の合格点を与えました。81点といったところでしょうか。かつては百貨店向けのお堅い高級ブランドスーツを中心に縫っていましたが、近年は関連企業で首都圏を中心に全国で約三十店舗を展開するオーダースーツのチェーンストア(ここで名前を明かせないのがツラい…)からの注文をほぼ一手に引き受け、技術力に加え「感性」度が飛躍的に上がってきているのです。当店ではこのM社の縫製を「バジェット・ライン」として導入を決めました。
 年収一千万円以上の方にはお勧めしません。しかしバジェット(予算)の限られた方には五~七万円台のスーツもご用意できるようになり、ようやく「年収1%」の持論に現実味を付与することができたということであります。(弥)

【倶樂部余話】 No.259  ジョージ・クレバリーでの出来事 (2010.6.23)


 何かの機会に書こうと思っていたネタです。おととし一月ロンドン探訪のときの出来事。立ち寄ったのはオールド・ボンド・ストリートのロイヤル・アーケードにある小さな店構えの靴店「ジョージ・クレバリー(以下GC)」。

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GCと言えば、チゼルトゥという鑿(ノミ=チゼル)で削ったような独特の美しいつま先を考案したところとして世界に知られる名店です。さて、その日私が履いていたのは当店開店20周年の記念モデルとして作ったチゼルトゥの靴で、これはGCをかなり意識して考えた作品でした。つまり、弟子の模倣品を履いて元祖の師匠の店に入っていったようなものですから、随分と果敢というか無謀というか、思えば私も大胆なことをしたものでした。
 狭い店内にスタッフが二人、年輩の人は他の客と応接中で、私の相手は若い方の人でした。気に入った靴があったので試足することに…。そのとき彼が言ったのです。「今日あなたが履いてるその靴はウチのですよね。」私は心の中で(やった!)とガッツポーズを取りながら「ノー、これは日本でパターンオーダーで作ったものなんです。」
彼、私の靴をじっと眺め「へぇ良い出来ですね、間違えちゃいましたよ。このSavile Row Club というのがブランドですか。」「いや洋服屋の店名なんだけど…」なんて会話が続きました。
 私はこのロンドンでのことをすぐに製造元の宮城興業へ土産話に伝えたところ、彼らも大喜びしてくれました。きっと師匠に誉めてもらった弟子のような心持ちで小躍りしたことでしょう。
  あ、間違ってもらっては困るのですが、何も私は宮城興業にそっくりさんを作ることを賞賛したり奨励しているのではありません。本家取りをしながら、しかも履く人のサイズや要望に併せて一足ずつハイレベルの靴を作ることができる、という、世界でココにしかできない宮城興業の仕事の価値を評価してのコメントであることをご理解下さい。
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【倶樂部余話】 No.258  はじめの一歩 (2010.5.24)


 当店、いろんなものを誂え(あつらえ=オーダー)で扱っていますが、例えば、セーターやジーンズ、ベルトなどは、既製品の中から気に入ったものを探し当てられれば、必ずしもオーダーじゃなくても、というアイテム群でしょう。しかし、シャツと靴、このふたつは、自信を持って言えます、オーダーの方がいいです。既製品をあちこち回って探し歩くよりも、最初から作っちゃった方がラクだし、しかも楽しいものですよ、と。
 シャツと靴にはいくつかの共通点があります。まずサイズの個人差がものすごい。シャツは首と腕と肩と胸と胴、靴だと長さと幅と高さ、これが皆さんバラバラで、しかもどちらも肌への密着度がスーツやパンツよりも高いので、ぴったり目とかゆったり目の個人の好みも随分とまちまちなのです。どんなに優れたモノもサイズが合わなきゃ意味がない、というのはすべてのものに言えることなのですが、特にシャツと靴についてはその要素が大きいものなのです。また、傷んだらリペアできる、とか、分不相応に高価すぎるものを持つとかえって使わなくなって結局宝の持ち腐れになってしまう、などということも共通点に挙げられます。さらに、凝ったオーダーをしたければ徹底的に凝れるけれど普通のシンプルなものならばほとんど店に丸投げ・お任せでいける、という関与度の振れ幅の大きさも共通してます。そして、何よりも、他のアイテムよりもリピーター比率がずば抜けて高い、というのが、シャツと靴の特徴でして、これこそ一度作った人がオーダーの優位性を実感してくれている、という確かな証拠でしょう。
 しかし、そうは言っても、オーダーは「はじめの一歩」のハードルがどうしても高いもの。ないものを買うのですし、何からどう進めたらいいのかも不安でしょう。既製品のように「思わず衝動買いしちゃって…」などと自分に言い訳もしにくいですし、ちょっと知的な創造行為を楽しもう、という気持ちになってもらわないと、面倒くさいよ、の一言でオシマイになってしまいます。
  だから店は考えるのです、どうやって「はじめの一歩」のハードルを低くするか、を。そして今月に企画したふたつの連続イベントが、初めての方にとってその絶好の機会となって欲しい、と、お勧めする次第なのです。(弥)

【倶樂部余話】 No.257  気が付けば最古参 (2010.4.21)


 「ニコラス・モス」で検索すると、近頃当店は常にほぼ最上位に登場します。門外漢の洋服屋が陶器を扱って気が付けば16年、いつの間にか日本で最古参にして随一の輸入扱い者になっていたのです。
 専門業者から見れば取るに足らないほどの片手間な扱いですが、この片手間がかえって長続きの秘訣だったのかもしれません。そもそもは客寄せの催事として始めたのが発端でしたが、現在のオーダー会の形態になったのも、まず自分たち自身が愛好家としてそのコレクションを増やしたくてどうせなら相乗りしてくれる人を募ろう、という動機からでした。何しろ、在庫を持っての現品販売はしません、年に一度私物の見本を並べますからそれを参考に注文をして下さい、というわがままな売り方ですから、不便に感じる方もいたと思います。
 でも、決して不便なことばかりではなくて、限られた在庫から選ぶのではなく全コレクションの中から自分の好きなものを好きなだけ、マグカップ一個からでもはたまた日本ではめったに使わないようなでっかいお皿だって好きに頼めるという自由さ、しかもどこよりも低い価格設定(現地販売価格の約1.4倍)は、きっとよそにはないメリットだったことでしょう。
 入る注文も様々。もちろん毎年少しずつ買い足していかれるリピーターの方が最も多いのですが、アイルランドで見た陶器が忘れられなくて、とか、アメリカのインテリア雑誌で興味を持って、など、全国の見知らぬ方から、ネットを経由して舞い込む問い合わせが年々増えてきました。
 でも16年も続いた何よりの理由、そう、それはニックのこの陶器にそれだけの魅力があり、私たちが大好きだったからに他なりません。今年もオーダー会の始まりです。お待ちしてます。 (弥)

【倶樂部余話】 No.256  季節に追い越されないように注意しましょう(2010.4.1)


 今年の三月は冷たい雨の日が多くて、春が遅いのかなぁ、と感じていたのですが、なぜか桜は平年よりも早く咲いて、何だか自分の季節感覚が狂ってしまったのかと不安になります。
 毎年言っていることなのですが、三月と九月は実は三月の方がずっと寒いのに、三月の売場には麻の半袖までも入荷し、九月はまだ真夏日があるというのにウールのセーターが堂々と並びます。季節の先取りがこの商売の宿命なんだから当たり前じゃないか、と言われれば確かにそれまでなのですが、ともかく買う服(=売る服)と着る服が全く一致しないのが三月と九月なのです。
 それじゃ三月に着る服はいつ買えばいいの、と考えてみると、これが意外にも九月に買った服だったりします。荒っぽく言うと、秋に暖の取れる春色の服を買っておいてそれを春に着る、というのはひとつのコツなのかもしれません。ただ服を寝かすことになる買い方を洋服屋が積極的に勧めてもいいのか、ということは感じますが。
 人間の季節感とは不思議なもので、九月にこれからだんだん寒くなるのだということは割と容易に思い至れるのに、三月にあと一カ月も経つとすっかり暖かくなっているということは想像しにくいようです。まだまだ寒いから、と、もたもたしてるといつの間にか季節に追い越されて、「あれ、今年もまた買い損なっちゃった」とタイミングを逃してしまうのもまた春の特徴です。「どうしてあの時もっと頑と勧めてくれなかったの」とお客様に言われるのが一番つらいのです。なので、春のこの時期はついついお勧めする押しがいつもよりも強くなってしまうことがあります。
 特にオーダーの商品などは、注文から仕上がりまでに3-4週間掛かるので、春夏期は季節感を先読みする感度を高くしておかないと対応できなくなります。うかうかしてると、すぐに季節に追い付かれ、追い越されてしまいますから。(弥)

【倶樂部余話】 No.255  ラジオ体操のススメ(2010.3.1)


 昔は、年寄りのやることだ、と鼻で笑っていた、ラジオ体操と犬の散歩。これを毎朝続けてそろそろ半年が経ちます。ラジオ体操の、第一はしっかり体の中に染みついていたのですが、第二は当初まるでさっぱりだったので、YouTubeで何度も繰り返してようやく身に付けました。第一第二と続けて真剣にやるとちょっとしたエクササイズになります。
 毎朝同じ時刻に同じコースを歩くので同じ人と挨拶をします。でも風景は季節ごと少しずつ微妙に表情を変えます。公園の広場は曜日によってソフトボールやサッカーなど朝早くからメンバーが集まってきてます。空を見上げると羽田からの一番機が朝日を浴びて西へと向かう姿が見えます。静岡上空のこのあたりは空の銀座通りらしくて、幾筋もの飛行機雲が同時に描かれる朝もあります。
 「どうせ三日坊主でしょ」と高をくくっていた家人でしたが、どんな雨の日もお正月も、一日たりとも途切れることなく続いているので、「よく毎朝その気になるわねぇ。」と漏らします。犬がせかすから、ということもありますが、それだけではありません。「うん、確かにやる気がなけりゃ体は起きないわけだけど、逆の場合があるってことに気が付いた。起きたくない朝でもともかくまず先に体を動かす。心が体を動かすんじゃなくて、体を動かして心を起こすってこともあるんだね。」毎朝体操や散歩などを続けている人は、きっと誰でも同じことを感じているのではないか、と思うのです。
 ラジオ体操80年、これはもう立派なニッポンの伝統です。(弥)

【倶樂部余話】 No.254  「引っ越し通知」の届く店(2010.2.1)


 あなたの家にはひと月にどのくらいのダイレクトメール(DM)が届くでしょうか。封も開けずにゴミ箱行き、というものもあれば、もしかしたら一生を左右するような大きな出会いになるものまで、きっと様々でしょう。その中で、もしあなたが転居したとして、こちらから新住所を知らせておきたいな、と思える先がいくつあるでしょうか。あるいは、お店などから来た商的な年賀状に対して返信を出したことがあるでしょうか。残念ながら私の家に届くDMには一つも思い当たる先がありません。
 ところが、です。当店には「引っ越しました」というお客様からのお知らせが頻繁に届くのです。また正月には多くのお客様から年賀状を頂戴します。これらのことは結構自慢できることなんじゃないか、と感じています。
 言うまでもないことですが、お客様には転居通知や年賀状を私たちに出さねばいけない義理も義務も責任も、何もありません。なのにどうして…。自惚れて言うなら、きっとこの静岡の小さな店を、そして毎月発信する黒い小さな文字ばかりが並んだこの官製ハガキを、「顔の見える店、私のハガキ」として大事にしてくれているからなのでしょう。
 お客様から貰うもの、それは商品代金だけではありません。催促しているわけではありませんが、でも、転居通知や年賀状、店であるがゆえに、実は本当に嬉しくてたまらないものなのです。(弥)  

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【倶樂部余話】 No.253  野澤屋創業88周年(2010.1.8)


 新年おめでとうございます。元日の静岡は、寒風が強く吹き荒れましたが空は快晴で、今年は風にめげずに晴れやかであれ、と何だか天気に励まされているような思いがしました。
 年頭はいろんなところで今年はこうなるという予想が書かれていますので、私もここで誰もまだ言ってくれない予測を一つ述べたいと思います。それは「トラディショナル」の復権であります。トラディショナル、トラディション、略してトラッド、一般には伝統と訳されています。またファッション業界では’70年代に流行したある分野の商品ジャンルを指すこともあります。
 もしトラッドが時代のキーワードとして復活したとすると、きっとまた様々に曖昧な解釈が生まれるでしょうが、私が考えるトラッドの意味は、と例えるならそれは「轍(わだち)」なのです。轍(てつ)を踏む、と言うとあまりいい意味ではありませんが、しかし多くの先人たちが付けてきた轍をなぞらえる姿勢を持つこと、そういう態度で臨むこと、これがトラディショナルと言うことなのだと考えます。決してタータンチェックやボタンダウンシャツを着ることがトラッドなのだとは思わないで欲しいのです。

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このところあちこちで創業○○周年とか生誕○○年というイベントがとても多いとは思いませんか。これはとてもトラッドな現
象のひとつだといえます。そして、かくいう当社も、今年は創業88周年を迎えます。大正11年(1922年)に祖父が静岡・呉服町の横丁、玄南通りでわず
か二坪の「野澤屋」を始めて88年になります。ですので、今年一年間は88や8にちなんだ商品や企画を次々に提案していこうと考えております。お楽しみいただけましたら幸いです。
今年もお引立てのほどをよろしくお願い申し上げます。(弥)

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上のマークはスコットランド・グラスゴーのとあるストリート88番地にあるレストラン"Two Fat Ladies"のロゴです。とても美味でもてなしも素晴らしくいい思い出の残っている店なので、当社88周年キャンペーンのシンボルマークとして使いたいと拝借をいたしました。

【倶樂部余話】 No.252  及ばざるもまた過ぎたるが如し?(2009.12.15)


 反省文を書きます。実は今年ほど不安な気持ちで過ごした一年はなかったのです。新店舗へ引っ越して最初の年ということもありましたが、それ以上にここまでデフレが進んで消費マインドが冷え込むとは思ってもみませんでした。
 そんな中で今年売れたモノと売れなかったモノを、三つの商品群に分けて考えました。まず、新店舗に新しい風を、と意気込んで導入した新規の取引先の商品ですが、ベルトのようにヒットしたアイテムもあったものの、残念ながら全体にもう一歩というところで、多くが予想を下回りました。次に、例年一定の売上げがあり、今年もこのくらい入れておけば、という、俗に言う安全牌(あんぱい)の商品群ですが、これもまた力及ばず今ひとつの成績でした。最後は、ずっと売れ続けているけれど年々販売量が減ってきていて、これは既にほぼ行き渡ったようなのでさらに発注数を手控えておこう、と抑えめにした商品群。ところが実際にはこれがよく売れて数が足りなくなったのでした。
 つまり、ふたを開けてみれば一番自信のある当店らしいモノが一番良く売れた、という、至極当たり前のことなのですが、この結果は、今までの自らの積み重ねを自分自身でちょっと軽んじてしまっていたからではないか、と反省をしているのです。不安の中で自信を失うことも多かったのですが、(なぁんだ、もっと自分に自信を持ってやってても良かったんだ)と今になって痛切に感じています。もちろん過去の伝統や名声にばかり頼って自信過剰になるようでは最低ですが、伝統を自信過小するというのもこれまた考えなけりゃいけません。過ぎたるは及ばざるが如し、と人は言いますが、でも反対に、及ばざるもまた過ぎたるが如し、とも言えるのではないでしょうか。
 皆様の今年のご愛顧に感謝します。どうぞ良いお年をお迎え下さい。(弥)

【倶樂部余話】 No.251  「スーツは肩で着る」んじゃなくて… (2009.12.1)


 チョイキズでタダ同然で格安に譲ってもらったカシミア&ミンク入りの上質なジャケット生地を、どうせ貰い物だし、と普段はあまり使わない工賃の安い工場に作らせてみました。新パターンができたというので試してみようか、と思いまして。しかし、これがどうにも着心地が悪くて仕方がない。動くたび服が身体から離れて動いてしまうし、生地は軽いのに肩が凝ってしまいます。一方、同じ頃に、普及品よりもさらに重たく織ってもらったハリスツイードの生地を今度はいつもお願いしている工場で仕立てたのですが、これは身体にしっかり吸い付いて実に動きやすく肩も凝らない。この違いをどう話せばいいだろう、と考えたのが今回のお話です。
 「スーツは肩で着る」とよく言われます。私も長くそう思っていました。ところがさらに上のレベルに行くと、そうじゃなかったのです。それを知ったときには私も目からウロコの驚きでしたが、しからばどこで着るのか、というと「首廻りで着る」のです。首廻りにピタッと吸い付くように背骨のぐりぐりの一点に全重量が掛かるようになっているのです。重たい頭を常に支えている背骨(脊髄)は重量をほとんど感じないところなのですね。首廻りに重力(=下向きの力)が作用するようにクセを付けるので、相対的に肩には上への力が働き、肩は浮き気味に触れるようにふんわりと乗るというのが理想的な肩回りだということなのです。
 口で言うだけなら簡単ですが、これを技術で表現するのは大変なことでして、ここで「純正鎌衿ごろし」という熟練の秘技が登場するのですが、これがどこの縫製工場でもできるわけではないのです。そして、当店がいつもスーツの製造をお願いしている二つのファクトリーは、どちらも同じルーツの指導者によって技術の伝達がなされていて、どのスーツにも当然のようにこの匠の技が施されているということなのです。
 いいスーツの見分け方はいろいろ言われますが、「首廻りで着る」は確実にひとつの判断基準となるはずです。(弥)