【倶樂部余話】 No.256  季節に追い越されないように注意しましょう(2010.4.1)


 今年の三月は冷たい雨の日が多くて、春が遅いのかなぁ、と感じていたのですが、なぜか桜は平年よりも早く咲いて、何だか自分の季節感覚が狂ってしまったのかと不安になります。
 毎年言っていることなのですが、三月と九月は実は三月の方がずっと寒いのに、三月の売場には麻の半袖までも入荷し、九月はまだ真夏日があるというのにウールのセーターが堂々と並びます。季節の先取りがこの商売の宿命なんだから当たり前じゃないか、と言われれば確かにそれまでなのですが、ともかく買う服(=売る服)と着る服が全く一致しないのが三月と九月なのです。
 それじゃ三月に着る服はいつ買えばいいの、と考えてみると、これが意外にも九月に買った服だったりします。荒っぽく言うと、秋に暖の取れる春色の服を買っておいてそれを春に着る、というのはひとつのコツなのかもしれません。ただ服を寝かすことになる買い方を洋服屋が積極的に勧めてもいいのか、ということは感じますが。
 人間の季節感とは不思議なもので、九月にこれからだんだん寒くなるのだということは割と容易に思い至れるのに、三月にあと一カ月も経つとすっかり暖かくなっているということは想像しにくいようです。まだまだ寒いから、と、もたもたしてるといつの間にか季節に追い越されて、「あれ、今年もまた買い損なっちゃった」とタイミングを逃してしまうのもまた春の特徴です。「どうしてあの時もっと頑と勧めてくれなかったの」とお客様に言われるのが一番つらいのです。なので、春のこの時期はついついお勧めする押しがいつもよりも強くなってしまうことがあります。
 特にオーダーの商品などは、注文から仕上がりまでに3-4週間掛かるので、春夏期は季節感を先読みする感度を高くしておかないと対応できなくなります。うかうかしてると、すぐに季節に追い付かれ、追い越されてしまいますから。(弥)

【倶樂部余話】 No.255  ラジオ体操のススメ(2010.3.1)


 昔は、年寄りのやることだ、と鼻で笑っていた、ラジオ体操と犬の散歩。これを毎朝続けてそろそろ半年が経ちます。ラジオ体操の、第一はしっかり体の中に染みついていたのですが、第二は当初まるでさっぱりだったので、YouTubeで何度も繰り返してようやく身に付けました。第一第二と続けて真剣にやるとちょっとしたエクササイズになります。
 毎朝同じ時刻に同じコースを歩くので同じ人と挨拶をします。でも風景は季節ごと少しずつ微妙に表情を変えます。公園の広場は曜日によってソフトボールやサッカーなど朝早くからメンバーが集まってきてます。空を見上げると羽田からの一番機が朝日を浴びて西へと向かう姿が見えます。静岡上空のこのあたりは空の銀座通りらしくて、幾筋もの飛行機雲が同時に描かれる朝もあります。
 「どうせ三日坊主でしょ」と高をくくっていた家人でしたが、どんな雨の日もお正月も、一日たりとも途切れることなく続いているので、「よく毎朝その気になるわねぇ。」と漏らします。犬がせかすから、ということもありますが、それだけではありません。「うん、確かにやる気がなけりゃ体は起きないわけだけど、逆の場合があるってことに気が付いた。起きたくない朝でもともかくまず先に体を動かす。心が体を動かすんじゃなくて、体を動かして心を起こすってこともあるんだね。」毎朝体操や散歩などを続けている人は、きっと誰でも同じことを感じているのではないか、と思うのです。
 ラジオ体操80年、これはもう立派なニッポンの伝統です。(弥)

【倶樂部余話】 No.254  「引っ越し通知」の届く店(2010.2.1)


 あなたの家にはひと月にどのくらいのダイレクトメール(DM)が届くでしょうか。封も開けずにゴミ箱行き、というものもあれば、もしかしたら一生を左右するような大きな出会いになるものまで、きっと様々でしょう。その中で、もしあなたが転居したとして、こちらから新住所を知らせておきたいな、と思える先がいくつあるでしょうか。あるいは、お店などから来た商的な年賀状に対して返信を出したことがあるでしょうか。残念ながら私の家に届くDMには一つも思い当たる先がありません。
 ところが、です。当店には「引っ越しました」というお客様からのお知らせが頻繁に届くのです。また正月には多くのお客様から年賀状を頂戴します。これらのことは結構自慢できることなんじゃないか、と感じています。
 言うまでもないことですが、お客様には転居通知や年賀状を私たちに出さねばいけない義理も義務も責任も、何もありません。なのにどうして…。自惚れて言うなら、きっとこの静岡の小さな店を、そして毎月発信する黒い小さな文字ばかりが並んだこの官製ハガキを、「顔の見える店、私のハガキ」として大事にしてくれているからなのでしょう。
 お客様から貰うもの、それは商品代金だけではありません。催促しているわけではありませんが、でも、転居通知や年賀状、店であるがゆえに、実は本当に嬉しくてたまらないものなのです。(弥)  

2542_2

【倶樂部余話】 No.253  野澤屋創業88周年(2010.1.8)


 新年おめでとうございます。元日の静岡は、寒風が強く吹き荒れましたが空は快晴で、今年は風にめげずに晴れやかであれ、と何だか天気に励まされているような思いがしました。
 年頭はいろんなところで今年はこうなるという予想が書かれていますので、私もここで誰もまだ言ってくれない予測を一つ述べたいと思います。それは「トラディショナル」の復権であります。トラディショナル、トラディション、略してトラッド、一般には伝統と訳されています。またファッション業界では’70年代に流行したある分野の商品ジャンルを指すこともあります。
 もしトラッドが時代のキーワードとして復活したとすると、きっとまた様々に曖昧な解釈が生まれるでしょうが、私が考えるトラッドの意味は、と例えるならそれは「轍(わだち)」なのです。轍(てつ)を踏む、と言うとあまりいい意味ではありませんが、しかし多くの先人たちが付けてきた轍をなぞらえる姿勢を持つこと、そういう態度で臨むこと、これがトラディショナルと言うことなのだと考えます。決してタータンチェックやボタンダウンシャツを着ることがトラッドなのだとは思わないで欲しいのです。

2521_4

このところあちこちで創業○○周年とか生誕○○年というイベントがとても多いとは思いませんか。これはとてもトラッドな現
象のひとつだといえます。そして、かくいう当社も、今年は創業88周年を迎えます。大正11年(1922年)に祖父が静岡・呉服町の横丁、玄南通りでわず
か二坪の「野澤屋」を始めて88年になります。ですので、今年一年間は88や8にちなんだ商品や企画を次々に提案していこうと考えております。お楽しみいただけましたら幸いです。
今年もお引立てのほどをよろしくお願い申し上げます。(弥)

2522


上のマークはスコットランド・グラスゴーのとあるストリート88番地にあるレストラン"Two Fat Ladies"のロゴです。とても美味でもてなしも素晴らしくいい思い出の残っている店なので、当社88周年キャンペーンのシンボルマークとして使いたいと拝借をいたしました。

【倶樂部余話】 No.252  及ばざるもまた過ぎたるが如し?(2009.12.15)


 反省文を書きます。実は今年ほど不安な気持ちで過ごした一年はなかったのです。新店舗へ引っ越して最初の年ということもありましたが、それ以上にここまでデフレが進んで消費マインドが冷え込むとは思ってもみませんでした。
 そんな中で今年売れたモノと売れなかったモノを、三つの商品群に分けて考えました。まず、新店舗に新しい風を、と意気込んで導入した新規の取引先の商品ですが、ベルトのようにヒットしたアイテムもあったものの、残念ながら全体にもう一歩というところで、多くが予想を下回りました。次に、例年一定の売上げがあり、今年もこのくらい入れておけば、という、俗に言う安全牌(あんぱい)の商品群ですが、これもまた力及ばず今ひとつの成績でした。最後は、ずっと売れ続けているけれど年々販売量が減ってきていて、これは既にほぼ行き渡ったようなのでさらに発注数を手控えておこう、と抑えめにした商品群。ところが実際にはこれがよく売れて数が足りなくなったのでした。
 つまり、ふたを開けてみれば一番自信のある当店らしいモノが一番良く売れた、という、至極当たり前のことなのですが、この結果は、今までの自らの積み重ねを自分自身でちょっと軽んじてしまっていたからではないか、と反省をしているのです。不安の中で自信を失うことも多かったのですが、(なぁんだ、もっと自分に自信を持ってやってても良かったんだ)と今になって痛切に感じています。もちろん過去の伝統や名声にばかり頼って自信過剰になるようでは最低ですが、伝統を自信過小するというのもこれまた考えなけりゃいけません。過ぎたるは及ばざるが如し、と人は言いますが、でも反対に、及ばざるもまた過ぎたるが如し、とも言えるのではないでしょうか。
 皆様の今年のご愛顧に感謝します。どうぞ良いお年をお迎え下さい。(弥)

【倶樂部余話】 No.251  「スーツは肩で着る」んじゃなくて… (2009.12.1)


 チョイキズでタダ同然で格安に譲ってもらったカシミア&ミンク入りの上質なジャケット生地を、どうせ貰い物だし、と普段はあまり使わない工賃の安い工場に作らせてみました。新パターンができたというので試してみようか、と思いまして。しかし、これがどうにも着心地が悪くて仕方がない。動くたび服が身体から離れて動いてしまうし、生地は軽いのに肩が凝ってしまいます。一方、同じ頃に、普及品よりもさらに重たく織ってもらったハリスツイードの生地を今度はいつもお願いしている工場で仕立てたのですが、これは身体にしっかり吸い付いて実に動きやすく肩も凝らない。この違いをどう話せばいいだろう、と考えたのが今回のお話です。
 「スーツは肩で着る」とよく言われます。私も長くそう思っていました。ところがさらに上のレベルに行くと、そうじゃなかったのです。それを知ったときには私も目からウロコの驚きでしたが、しからばどこで着るのか、というと「首廻りで着る」のです。首廻りにピタッと吸い付くように背骨のぐりぐりの一点に全重量が掛かるようになっているのです。重たい頭を常に支えている背骨(脊髄)は重量をほとんど感じないところなのですね。首廻りに重力(=下向きの力)が作用するようにクセを付けるので、相対的に肩には上への力が働き、肩は浮き気味に触れるようにふんわりと乗るというのが理想的な肩回りだということなのです。
 口で言うだけなら簡単ですが、これを技術で表現するのは大変なことでして、ここで「純正鎌衿ごろし」という熟練の秘技が登場するのですが、これがどこの縫製工場でもできるわけではないのです。そして、当店がいつもスーツの製造をお願いしている二つのファクトリーは、どちらも同じルーツの指導者によって技術の伝達がなされていて、どのスーツにも当然のようにこの匠の技が施されているということなのです。
 いいスーツの見分け方はいろいろ言われますが、「首廻りで着る」は確実にひとつの判断基準となるはずです。(弥)

倶樂部裏話[15]ユニクロにピークは来るのか (2009.11.6)


 過去最高の好決算を出したユニクロ(会社名ファーストリテイリング)の柳井社長が、記者会見でこんな発言をしています。(「日経MJ」2009年10月12日付記事より)
 「(低価格でいうとファストリ傘下のジーユーが)990円のジーンズを発売したときは新しい価値創造があった。(他社が出した)880円や850円の商品は価値を生んでおらず(そんな状況だと)最後は無料になるのでは」
 つまり、ジーユーの990円ジーンズはちゃんと利益の出る「商品」だけど、他から出ている安いジーンズは、利益を無視した客寄せの目玉品に過ぎないから、そんなことなら最後はタダになっちゃうよね、ということだろう。安くて価値あるモノを作らせたら、我々に敵うところはそうそうないのだから、うちに戦いを挑むような無駄なことはしないで、それぞれの得意な分野で得意な価値創造に努めた方がいいんじゃないですか、というような、なんと自信にあふれた発言ではないか、と私は受け取りました。
 続く発言はさらに刺激的で
――デフレについてどうみるか。
 「消費者は毎日990円のジーンズばかり履いても楽しくない。日によって3,990円のジーンズも1万円を超えるジーンズも履きたいだろう。990円に集約されるわけではない。」
 ファッションジャーナリストが言うなら当たり前ですが、これがユニクロの社長自身の言葉なのですから、なんと自虐的と、驚きました。そして、同時にこの人はファッションというものを分かってらっしゃるとも感じました。きっと近い将来、何万円もするジーンズも自ら手掛けることだろう、という予感がします。
 将来の売上げ目標は今の6倍以上の5兆円、日本で1兆円海外で4兆円取るつもりだそうです。そんなに売ってどうすんの、とも思いますが、そうしないと海外の他社との競争に負けてしまうという考えなのでしょう。これからいろんな会社を買収して規模を拡大していくのでしょうが、実は国内外のファッション業界で、限りなく拡大をし続けているという企業というのは滅多にありません。多くのファッション企業は、平家物語のごとく、盛者必衰ですし、また、生き残っている会社は拡大期を過ぎたところで衰退させずにうまく安定軌道に乗せることに成功した企業です。
 こんな言い方は大変失礼なのですが、私はここがどれだけ売上げを拡大するかと言うことにも興味がありますが、ピークを迎えた後にどう収れんさせていくのか、それはいつ頃なのか、ということにも感心があるのです。果たして私が生きているうちにそのときがおとずれるのかは分かりませんが、そんなことを楽しみにしているなんて、そりゃひがみ根性だよ、と言われても仕方ないことなんでしょうかね。 (弥)

【倶樂部余話】 No.250  一生モノって何だろう (2009.11.1)


 「こだわる」という表現はあまり好きじゃない、と五年ほど前に書きました(余話No.183 2004.2.26)が、もう一つ、やたらに使って欲しくはないな、と思うのが「一生モノ」という言葉です。
 一生モノの財布が欲しいんです、とか、このダウンは一生モノですよね、などと二十代の若い人から言われると、確かにそれらはロングセラーだし長持ちもしますから、大事に愛着を持って使ってもらえると嬉しいです、と願う反面で、だけど君の一生は多分あと五十年はある、その五十年ずっとこれを使い続けて買い換えもしないというわけではないだろう、と、言いたくなってしまうのです。
 自分の身の回りで若い頃から30年以上使い続けているモノを見渡してみると、ホチキスや定規などの何でもない文房具だったり、服ならダンガリーのシャツとかブランドも忘れてしまったスウェットパンツだったりなど、単に継続の結果としてこれからも一生付き合うんだろうなぁ、という他愛のないモノばかりです。死ぬまで使うぞ、など気負った意識で買ったモノなど残っちゃいません。体型も生活環境も流行も、みんな変わっていくのですから。もちろん使わないけど思い出や資料として保管してあるモノはあります。でも、モノは使ってなんぼ、でしょ。 どうも今の「一生モノ」という言葉には、「これ以上のモノはないよ」と他人が言うのなら、という他力本願的な依存心や、「もうこれで打ち止めにしてモノは買わないぞ」という消費への消極性が見えるような気がするのです。長く使いたい、という気持ちはとっても嬉しいのですけれどね。
 かつて、これは間違いなく一生モノだろうと思い、我がアランセーターの恩師故パドレイグ・オシォコン氏にこう尋ねたことがありました。「アランセーターは一生涯死ぬまで使えますよね」 その答えはなんと「ノー」。続く言葉に私は驚きました。「三世代は着られるよ」(弥)

【倶樂部余話】 No.249  選択肢の多寡 (2009.10.1)


 私は食べ物屋でメニューを選ぶのが大の苦手。ランチ選びはせいぜい五種類が限界で、十種以上になるともうお手上げです。また、こういう仕事をしているのにデパートでモノを選ぶことができません。よくあんなたくさんの中から自分の一着を探すことができるものだ、とデパートで洋服を買える人に私は尊敬の念を抱きます。 選択肢は多い方がいいのか、少ない方がいいのか。売る側は、販売機会のロスを防ぐためには選択肢は多いにこしたことはない、とつい考えがちですが、買う方から言うと、選択肢が少ない方が簡単に選べて後悔もしないのでより幸福感が味わえる、という心理学者の説に軍配を上げたくなります。
 モノが溢れて豊かな時代になり、ネットも普及すると、選択肢は無限に広がり、そこから何を選ぶかはもう自分一人では手に負えず、何かの力に頼らざるを得ません。だからアマゾンの「この商品を買った人はこんな商品も買っています」という誘い言葉に、余計なお節介すんなよ、と文句言いながらも、それに頼ってしまいます。自分だけのために選択肢を絞る手助けをしてくれる(機械的でなく)リアルな人や店が存在してくれたら、どんなにありがたいことか、と思います。
 店のお客様には、常連もいれば新参の人もいて、職業も様々。年輩の方も若い方も、大きい人も小さい人も見えます。だから店はいろんな選択肢を用意しますが、決して多ければ多いほどいいのが当然、と思っているのではないのです。たとえどんなに多くの品数があったとしても、お客様は自分の欲しい最小の選択肢がありさえすればそれでいいのですから。最大限の顧客に向けて最小限の選択肢を提案する、これが品揃えの理想でしょう。
 秋冬物が入荷しました。今年の品揃え、あなたにとっての選択肢は、さて多いでしょうか少ないでしょうか。(弥)

【倶樂部余話】 No.248  全部踏破 (2009.9.1)


 今から約40年前のこと、中学生だった私は大阪の万博に一週間通い詰めて、全パビリオンのスタンプを集めました。また同じ頃、鎌倉のあらゆる寺社や史跡を日曜日ごとに一年以上掛けてすべて回るというようなことをしていました。
 こういう「全部踏破」は人によってジャンルに偏りがあるものです。日本百名山を踏破中という方もいらっしゃるでしょう。文学や映画で、ある人の全作品の踏破というのは女性にも多いようです。音楽の「全部踏破」は比較的楽なのではないでしょうか。ビートルズのイントロクイズなら私だってもしかしたら全問正解できるかもしれません。
 50年経ってもまだ達成できないのが、47都道府県の全部踏破です。現在44で愛媛、高知、沖縄の3県が未踏なんですが、これは慌てて達成してしまうとつまらなくなりそうで、老後のためにとっておこうと思っています。意外にも47全部踏破したという人にお目に掛かったことがないのは不思議です。
 「全部踏破」の欲望をにわかに抑え難くなってしまうのが、食のジャンル。特に困るのがバイキングというやつです。浅ましく、つい全部に挑戦してしまい、いつも胃薬の世話になる羽目に陥ります。
 この「すべてをチェックしたい」という心理はどんな人間にもある欲のようで、どういう人がどんな全部踏破の経験を持っているか、きっとその人の隠れた一面が発見できるような気がしますので、これからいろいろと聞いてみたいと思っています。あなたの全部踏破はなんですか。(弥)