倶樂部余話【一一七】ユニバーサル・デザインってなに?(一九九九年三月一五日)


この春の新商品を眺めると、新しい時代の流れが少し見えてきたような気がします。

ひとつは、クラシックとハイテクとエコロジーの融合です。二十世紀に滅びずに生き残った古典的「伝統」、二十世紀に生まれた最新の「技術」、二十一世紀の最大の関心事になるであろう「環境」、この三つがうまく溶け合って取り入れられている商品は、今かなり魅力です。例えばコンランや無印良品のインテリアや文具など。ナチュラルなコルク材とメタリックグレーのスチールとの組み合わせはとても心地好く感じます。

逆にどれかひとつに固執し続けているとダメになっていくでしょう。ロールスロイスがフォルクスワーゲンに買収されたように。

あわせて「カッコいい」という意味が変わってきているように思えます。「ユニバーサル・デザイン」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。最近では「バリア・フリー」と共に主に福祉や介護の分野で語られていますが、荒っぽく言うと、一昔前はハンディキャップト(障碍者やお年寄り)には一般とは違う特殊な商品を開発していましたが、今後はそうではなくて、どんな人にも区別なく共通な(=ユニバーサル)同じ仕様(=デザイン)のモノで対応できることを目指すべきではないか、という考え方を「ユニバーサル・デザイン」と呼んでいるようです。つまりハンディキャップトに良いモノはそうでない人にも良いはずだ、という発想が大きな流れになったのです。うがった見方をすれば、ジッパーやマジックテープを多用した服や靴が流行るのも、年寄りに良いモノを若い者が使うのがカッコいいんだよ、ということでしょうか。今、竹下通りでは五本指のソックスが売れているそうですが、若い連中はこの流れを本能的に嗅ぎ取っているのでしょうか。

さて、この手の話を大上段に語ると、いつも妻にたしなめられます。「あなたがそんな話をエラそうにしても、全然説得力ないわよ」「どうして?」「だって、あなた、一向にタバコ止めないじゃないの」いや、耳が痛い。

倶樂部余話【一一六】身の危険を感じた瞬間(一九九九年二月一〇日)


 

恒例?の出張報告です。

 
【アイルランド編】

四年連続のアイルランド。今回は通例の来冬物の仕入れ発注業務の他、服地だけの直輸入の交渉、英著名ブランドを生産するファクトリー(靴とシャツ)との直接取引などが目的で、成果は上々、この秋も乞うご期待です。

シャツの工場がアイルランドの最北端(ここがまた美しい!)にあり、初めて英領北アイルランドへ足を踏み入れました。六年前に同じルートをたどった人が、国境には鉄条網と検問所、街角には装甲車、と話していましたが、今はどれも見当たらず、以前ほどの緊張感はないようです。ただ少し大きな町へ入ると、英国系住民(ユニオニスト)とアイルランド系住民(ナショナリスト)との居住エリアは明確に区別されていて、前者は中心街にあり、電柱や縁石が赤白青(英国旗の配色)のストライプ模様で塗ってあります。後者は町はずれで緑白橙(アイルランド国旗の配色)に塗り分けられていますので、外来者でもすぐに分かります。

私は、レンタカーで、主街道から外れて風景のいい田舎道を走り、そのままある町の裏側から侵入してしまったのです。異様な雰囲気を感じました。すれ違う人々の視線がいつものフレンドリーな目ではなく、異邦人に怯えているような眼差しなのです。見渡すとあちこちにIRA万歳の看板が。そこはティロン州というIRA過激派を最も多く輩出している、一番抗争の絶えない地域なのでした。どっからか撃たれるんじゃないか、生まれて初めて身の危険を感じた瞬間でした。四世紀以上に渡るいざこざで、街に漂う疲弊感は何とも言い表しようもないほどに哀しく、まだまだ平和への道は長いのだろうなと感じました。

北はちょっと怖い、でも風景は最高、人は暖かい。デリーのパブでおっさんが歌ってくれた本場の正調「ダニーボーイ(ロンドンデリーの唄)」は実に心に染み入りました。

【ロンドン編】

意外と思うかもしれませんが、ロンドンの滞在は六年振り。というのも、アイルランドものと違って、英国モノの仕入れは概ね国内で発注できるからですが。

目的は二つ。ひとつは、ビクトリア・アルバート博物館(V&A)で開催中の展覧会にて、四百年の英国服飾の歴史をつぶさに鑑賞するため。こんな貴重な資料室を身近に備えている英国のデザイナーたちをとても羨ましく思いました。

いまひとつは「セヴィルロウが最近すごくいいんだよ」という噂をこの目で確かめるために。百年経っても変わらないかと思っていたこの小さな仕立屋横丁は、確かに熱を帯びていました。二百年以上の伝統に裏付けられた自信が、それに憧れる新しい世代を寛容に受け入れ、更にそれに刺激を受けて自らも成長を志している、そういう勢いがこのとおりには感じられました。新進の店舗が増えただけでなく、老舗も負けじと改装を重ね、競い合っています。人通りもまばらだったのが、今では素晴らしいメンズファッションの通りに変わりつつあります。

セヴィルロウの名は、我が国の背広の語源ということのほか、恐らく今後、老舗の看板にあぐらをかいたような高級注文服小路というかつてのイメージから脱却し、もっと広義に英国メンズファッションの代名詞として再注目されることでしょう。当然に、これを店名に掲げる者として、この変革は大変嬉しい励みであり、「止まっていたらダメだったんだ。やはりいつも進み続けなければ」との思いを強く感じたのでした。

倶樂部余話【一一五】うろたえない(一九九九年一月一二日)


新年おめでとうございます。

一年前の当報で、私は「追い風は早く進むが舵が不安定になる。むしろ向かい風の方が進みは遅くとも安定した舵が取れるものだ」と自らを鼓舞しました。実際、想像以上の向かい風でした。昨対比3%贈にて年間目標もかろうじて1%上回ることができ、ベイスターズ優勝という神風にも乗り、大厄の一年を何とか満足に無事終えることができました。

年頭に際し改めたことがひとつ。「最近どう?」「良くないね」の日常会話をやめました。謙遜は美徳なりとばかり、日本中の街角でなされる何千何万のこの会話は、現状あんまりいい効果がないと思いまして。翻って、米国の好調には、彼らの楽天的国民性が少なからず寄与しているはずだと感じます。

さて九九年。二千年紀最後の年です。誰しもお正月は純真で無垢な気分に浸るものですが、次は千年分のお正月です。新時代を迎えるには千年分のまっさらな状態に向かっていきたいと願います。だから今年のキーワードは「リセット・トゥ・バージン」です。惰性的な過去の経験を「ご破算で願いましては」とリセットして、何にも染まっていないバージンな心持ちで、新しい変化を柔軟に受け入れたいと感じます。

誰もが初めて経験する世紀末ですから、じたばたしたくなるのかもしれませんが、こういう混沌の時代に恐らく一番どっしりと静観するのが英国(イングランド)ではないでしょうか。ユーロへの参加を見送ったのも英国らしい判断です。英国紳士たるもの、狼狽は泥酔並みの失態なり、で、この「うろたえない」という国民性は、ときに我が強いとか日和見とか言われても、私は数ある英国気質の中でも最も尊敬できる気質だと感じています。きっと歴史が育んできた処世術なのでしょう。自分も含めて、どうも社会全体がうろたえがちになっているようで、ここは英国を範に自らを戒めたいと思います。

その英国の経済学者曰く「好景気の唯一の原因は不景気である」どうか本年もよろしくお付き合い下さいませ。



倶樂部余話【一一四】九八年の語録(一九九八年一二月一日)


永六輔的「語録」で今年の余話を締めくくってみます。

◎商品試験や作業場見学など、お世話になっているクリーニング業のオヤジさんI氏。
 
「いいかい、クリーニング屋の仕事ってのは、服の汚れを完璧に落としてキレイにするのが第一なんだ。それを新品同様に戻してくれる仕事だと勘違いしてる客が多すぎるよ。誰もそんな魔法は持っちゃいないよ」(これは、目からウロコでした)

◎大磯在住の文筆業S氏は乗物愛好家で全国の都市を駆け回るシティウォッチャー。雑誌の取材が縁で、以来しばしば家族で当店を訪れてくれる。
 
「静岡の街はとっても楽しい。少し横道に入ると、古い店新しい店、ユニークな小さい個店がたくさん発見できる。こんなエキサイティングな街はちょっとないね」(この街、もっと自慢してもいいのかも)
 
◎私が第三の父と慕う、福岡でハンドニット会社を営むE氏。今年、阿蘇の山中に自作のセーターを制作販売する、念願のニット工房を開設した。
 
「今の世の中、作り手の思いが伝わる商品が少なすぎます。お客さんはもっとそれを知りたがっているはずなのに。でも、あなたのハガキの小さな文字からはそれが伝わるんです」(ありがとうございます)
 
◎これも九州・福岡のメンズ専門店バイヤーT氏。商品選択の卓越した目利きは業界屈指との評判。私の仲介で、幻と思われていた本物のアランセーターを取り扱うことになったとき、ぼそっと囁いた。
 
「願いって、願い続けると叶うものなんですね」(嬉しかった。彼のモノへの執念がそれを可能にしたのです)
 
◎先日のしし座流星群を百八十個観測した小三の我が長女。算数と国語の二科目同時満点という快挙?を成し遂げ、教壇に向かって思わず、
 
「先生、これって夢ですか?」(流れ星への祈りが通じたのか。親バカでした)

メリー・クリスマス!



倶樂部余話【一一三】季節性とトレンド性(一九九八年一一月一日)


九月にお話しした世紀末的な予測に、景気と天気の要因が加わり、顕著になってきたのが、売れているものは季節性の弱いモノとトレンド性の弱いモノ、という傾向です。この傾向が今後も増してくると次のようなことが想像できます。

まず、セールが変化します。店がセールをするのは、季節性とトレンド性の強いモノを利益を削っても早く処分したいという思惑からですが、買う側からすると、そういうモノはいくら値が下がっても魅力がない。むしろセール除外品の方に注目が集まり、セールになるようなモノは買わない。となると、店も客もセールに頼ることができなくなり、いずれはセール不要ということも考えられます。当然、店が今以上に適時適価に努めなければならないのは言うまでもありません。

次に、トレンドのない良質なモノは長く使えますから、買い替えるというよりも買い足すという発想となり、一人当たりの購買額は減少します。理論上、新しいお客様が増えないと売上げの維持ができなくなります。これにはもう、顧客からの口コミが最善策なのです。お陰様でメンバーズの皆様には、今でもこの期待に充分に応えていただいていますので、感謝に堪えませんが、しかし更に更に「当店を会話のネタに」をお願いする次第です。

倶樂部余話【一一二】横浜ベイスターズ優勝セール(一九九八年一〇月一日)


一九七八年、二十歳のとき。その年の正月に私は静岡の洋服屋の跡継ぎになることを決めました。そのことは同時に住み続けた湘南の地をいずれは去らねばならないということを意味していました。四月キャンディーズ解散、六月に郷土の新星サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」で鮮烈デビュー、八月には初めて三週間のアメリカ横断の旅に出ました。

その春、遊び慣れた横浜の平和公園に三角形の照明灯を配した青々としたスタジアムが完成、大洋ホエールズ(現・横浜ベイスターズ)が川崎から移ってきて、横浜大洋ホエールズが誕生しました。いずれは後にする青春の思い出の地との繋がりを探っていた私の思いはこの目にも鮮やかなマリンブルーのユニフォームに注がれました。

以来二十年、監督は十一人を数え、最下位も四回。万年Bクラスで横浜大洋銀行などと嘲笑されても、私はハマのクジラたちに一喜一憂し続けてきました。

そして、いよいよ今月、悲願の三十八年振りの優勝に手が掛かりました。私の二十年来の夢がまもなく叶います。もう嬉しくて嬉しくて、公私混同は承知なのにどうしようもなくて、この熱い思いを本号で伝えてしまうことにしました。

YOKOHAMA、バンザ~イ!

 

※ということで、オーナー独裁で、リーグ優勝の翌日一〇月九日に一日限りで全品15%オフの優勝セールをやりました。大賑わいでした。

 

倶樂部余話【一一一】ドゥーリンのパブにて(一九九八年九月一日)


アイルランド西岸クレア。アラン諸島を対岸間近に臨むこの一帯は、今でも古いケルトの風習が残る、ハート・オブ・アイルランドともいえる地域だ。

去る一月、夏になればアラン諸島イニシイアへの渡し船も出るドゥーリンという田舎町のパブを訪れたときの忘れられない出来事である。

土地の人たちが奏でる伝統音楽の名演にドップリと浸かっていると、一人の青年が声を掛けてきた。地元の観光局に勤める彼は、当然アラン諸島のこと、もちろんアランセーターのことにもやたら詳しい。亡くなったオシォコン翁の思い出話や名編み手モーリン・ニ・ドゥンネルの逸話など、アラン・マニアならではの会話が弾み、私はしばし有頂天の気分だった。

突然、彼は私の着ている自慢のアランセーターを指差し、「あんたの着ているのは本物じゃないな」と言い放った。何をヌかすか、と一瞬ムッとしたが、彼曰く「もともとアランセーターは二種類の柄を編み込むものだ。君のには三種類入っている」

さらに彼は続ける。「アランセーターもあと五年ぐらいでスタれるだろうね」この野郎、もう許せネー!しかし彼の言い分には一理あった。「まず、編める婆さんがどんどん減ってるだろ。それに何より、地元で着ている者すら少ないじゃないか。この音楽のように地元の生活に根付いて生き残っていかなきゃ伝統なんかまもれやしないのさ!

私は猛然と反駁した。島を去った娘を呼び戻してまで編み手を確保していること、コンスタントな生産体制を維持するため毎年一定量の注文を出し続けていること、などなど。多分滅茶苦茶な英語だったと思う。

 

ここまで私が食い下がってくるとは、彼も予想外だったに違いない。しかし、はるか極東の片隅で、アランの伝統を守るために奮闘している奴がいる、ということは、彼にもいささかの驚きと感動を与えたようだった。「楽しかったよ。また来いよ」さわやかな笑顔だった。

ロマンだけでは語れぬ厳しい現実を彼は言いたかったのだろう。満天の星空、海を渡る冷たい風にギネスの酔いは格別心地好かった。



倶樂部余話【一一〇】手提げ袋の一考察(一九九八年七月二〇日)


お店から持ち帰る様々な紙袋、どこのお宅でも溜まる一方ではないでしょうか。何かのためにと取っておいても、例えば、伊勢丹に行くのに松坂屋の袋は持てないとか、食べ物を靴屋の袋には入れたくないとか、結構その使い道には気を遣います。

一般的には、手提げ袋は宣伝物として考えられていて、売る側はお客様に「歩く広告塔」の工作員を演じてもらうことを期待しているわけですが、かえってそれが紙袋の再利用を阻害しているとも言えます。

ならばいっそ、ということで、当店では、新たに追加する手提げ袋から、大きな店マークの印刷を外してしまうことにしました。店名は目立たない箇所に小さく印刷するにとどめてます。丈夫な素材を使った原価二百円以上するしっかりした作りの袋ですので、どうか気遣いすることなくいろいろな用途にどんどん再利用していただきたいと願っています。

近ごろ目にする「この○○には再生紙を使用しています」という文言、これに私は企業の偽善者的姿勢を感じてしまって、実はあまり好きになれません。わざわざ書く必要がどこにあるのか分かりません。商人にとって一番身近なエコロジーは、無駄になるようなものをお客様に提供しない、ということではないでしょうか。商品にせよ、手提げ袋にせよ。

倶樂部余話【一〇八】アイリッシュ・ドレスデンを売るということ(一九九八年六月一日)


紳士服店で婦人服を併売することに違和感を覚えることは少ないでしょう。しかし、その逆はかなり難しいことです。さらに、ブラシ屋で紅茶は売れませんし、傘屋に石鹸は置いてません。ギネスビールの飲める下着屋があるでしょうか。このように当店は様々なものを飲み込んできました。

しかしその中でも今回の企画はかなり異色です。実用品でない美術宝飾品を扱うのは初めてですし、概ね女性しか関心を示さないという点でも異例です。

私自身、この精緻なる芸術品の魅力を完全に把握しているという自信はありませんが、私も一緒になってここ数年日本の各地で開催する「アイルランド・フェア」で、アイルランドを代表する工芸品として、アランセーターと並び称されるアイリッシュ・ドレスデンのレース磁器人形を、いつかは当店の皆様にご紹介したいと、ずっと願っていた企画なのです。

「ひとつも売れないかもしれませんよ」との念押しにもかかわらず、アイリッシュ・ドレスデン・ジャパン社の宮城央江社長は快く開催を引き受けてくれました。だから見に来ていただけるだけで結構です。一万円から二〇〇万円まで多種を一堂に展示します。世の中にこういう美術品があるのだと体感して下さい。

倶樂部余話【一〇七】ミレニアム(一九九八年五月四日)


世紀末である。辞書で「世紀末(decadant)」を引くと、退廃的、病的、との意味もあるが、これは一九世紀末に欧州、特にフランスで起きた「世も末だね」といった風潮を表現したもので、今二十世紀末に関しては少しニュアンスが違うようだ。

何しろ半端な世紀末ではない。千年祭(ミレニアム)なのだ。英国はロンドン・グリニッヂ近郊に巨大なミレニアムドームを建設中だし、西暦二千年には欧米の各地で記念イベントの計画がある。(面白いことに、二十一世紀の幕開けとなる二〇〇一年には何のプランもないらしい。) 千年前といえば、我が国では平安の世、源氏物語が出来た頃。史上二回目の千年祭という貴重な瞬間に巡り会えるとは、私たちは運がいい。

「二〇世紀/百の人・こと・発見」といった特集をよく目にするように、とにかく二〇世紀の総決算、いや源氏以来千年の一大総決算という流れが近頃はっきりと見えてきた。時代のキーワードは、リバイバル・懐古・焼き直し・復刻・パクリ・歴史・メモリーなどで、逆に今は、最先端・最新鋭・独創的などが隅に追いやられている。

時代傾向はファッションにも当然強く現れる。私はこの二〇世紀総決算ブームのピークこそが今年の秋冬だと予想している。しからば具体的には、というお話はまた秋口に触れることにしたい。