【倶樂部余話】 No.220 紳士服の「基本のキ」 (2007.5.4)


 算数の九九、楽器のチューニング、ゴルフのグリップなど、習得の大前提となる「基本のキ」が紳士服にもあるとしたら…。私は最低限のこととして、まずは次の二つを挙げたいと思います。

 最初のチェックは、着ている服のサイズ。とりわけ、上着の着丈と袖丈、トラウザーズ(スラックス)の股下(裾丈)、という縦方向の寸法の三か所です。見ていると、これらが合っていない(長すぎる)人が実に多いです。ここが合ってなかったならば、どんなにしなやかなsuper180’sのスーツも、すばらしい光沢のカシミアのジャケットも、それは調律の合っていないストラディバリの如しなのです。(注1)

 二つ目は、靴やベルトの色合わせについての基本事項です。黒なら黒、茶なら茶、と必ず同じ色に統一します。そんなの当たり前だろ、と思われる方が多いとは思いますが、意外にこの基本が徹底されていないことが道行く人を観察するとお分かりになることと思います。これができたら次に鞄の色も合わせていきましょう。できれば、財布、名刺入れや時計ベルトも同色に統一したいものです。ピカピカに磨いた流行最先端・ハンドメイドの自慢の薄茶の靴も、お腹に黒いベルトを巻いてたんじゃすっかり幻滅なのです。グリップもろくにできていないのに名門コースを回りたがるビギナー・ゴルファーと同然です。(注2)

 トレンドやコーディネート、その人らしい個性の演出、などを語るのはそこから後の話。基本を知った上で崩すのは上級なお洒落ですが、基本を知らずに格好だけつけているのは恥ずべき我流に過ぎません。
 今更何でそんな基本中の基本をもう一度話すのか、と思われる方もいらっしゃるでしょう。でも、何十年経っても当たり前の「基本のキ」を店は忘れずに伝え続けなければいけないと思うのです。と言うよりもむしろ、店でなければ伝え続けることができないと近頃は感じているのです。そして、紳士服というのは、ルールがあるからこそ面白い、そのルールを楽しむのが紳士服なのだ、と感じていただければ、と思うのです。(弥)

(注1)もちろん、肩幅、胴回りなどの横方向の寸法も大切なのですが、一般的に横寸法に気を使うほどに縦寸法への気使いが足りないのではないか、という思いから、ここではあえてこの三か所の縦寸法だけを取り上げました。

(注2)この先に言及すべきこととしては、金属部分の色の統一があります。すなわち、金色なら金色に、銀色なら銀色に、ということですが、「基本のキ」という観点から外れてきてしまうので本文では割愛しました。また、ドレスコードが段々と甘くなってきている現代では、焦げ茶や濃紺など、暗がりでは黒と見間違えるくらいの濃い色に関しては、黒と同義と見なしても良いように考えられているのが現状です。このことも前述と同じ理由から本文では触れませんでした。

【倶樂部余話】 No.219 この長いシッポは誇りです。 (2007.4.12)


 二十年も経つとお客様の名簿も増えて、累積すると今では恐らく三千名を超えているのではないかと思います。なぜ正確な数を掴んでいないかというと、原則として二年以上のブランクが空いたお客様のデータは別のファイルに移し替えて保管しているためで、手元の名簿は常に「動いている」お客様だけのフレッシュな状態を保つようにしているからなのです。
 その中から、地元の静岡に在住のお客様を中心に、当店の頼もしい親衛隊となっていただきたい方々にこちらからお呼び掛けをして、毎月一回メンバーズ通信のハガキをお送りしています。
 ですので、メンバーズの皆様へ毎月の通信を発送するハガキの枚数というのは大体いつも数百枚程度でして、実は二十年で一度も千枚を超えたことがありません。(ただ、ご夫婦でご登録のお客様(当店では過半を占めます)にはお二人で一通の発送となりますから、実際の人数という点では千名を超えています。)
 二十周年を期に、この数百通分のお客様の在籍年数を調べてみました。五年ごとに四分割すると、まず顧客歴「五年未満」の新しいお客様の割合が41%と出ました。実際に「動いている」名簿で、眠ったままのお客様は含まれていませんから、ここが最大比率を占めるのは当然でして、常に新しいお客様を取り込んでいて、店の新陳代謝は健全に進んでいると解釈しています。
 当店らしさが現れるのはここからで、次の「五年から十年」が33%、「十年から十五年」が14%、そして「十五年から二十年」の方が今も12%のウェイトを占めているのでした。現代風に言うと正に顧客層のロングテール現象でして、実に顧客の四人に一人が十年選手という実態が明らかになったわけです。
 どうぞ十年以上経ってもFA宣言したり引退したりなんかしないで、ずっとうちのチームのメンバーで居続けて欲しいと願っています。もちろん、そのための新たな楽しさの提供は常に続けてまいりますので。(弥)

【倶樂部余話】 No.218 春は名のみ? (2007.3.7)


 ♪春は名のみの、風の寒さよ~♪(「早春賦」吉丸一昌・詞)との歌がうそのように思えるほど、異様に暖かい今年の春です。例年以上に日々の寒暖の差が大きいので、「今日はいったい何を着ればいいの?」と毎朝悩んでいる方も多いことでしょう。
 初夏の日あり真冬の日あり、の春のこの時期は、もちろん春という季節感を出すことに留意はしつつも、春夏秋冬の四季にわたる手持ちの服をすべて総動員して掛からないと毎日の気候の変化に対応しきれません。洋服ダンスの前にいると、奥にしまっておける服がなくて、すべての服が手前側にどんどん溢れてくる、という感覚です。だから、春の装いには、その人がいかに系統立てて四季のワードローブを効率的に買い揃えているか、はたまた季節ごとにてんでバラバラに刹那的な服の買い方をしてしまっているか、の差が、真価として現れることになるのです。ひとつのコツは、秋のうちから春に必要なものまで視野に入れながら手を着けておくことのように思います。
 これも要は気の持ちようで、この四季の服の総動員を「面倒臭い」と思わず、前向きに「楽しみ」と考えましょう。春は季節の中で一番いろんなコーディネートが試せる楽しい季節なのだ、と積極的に思い込んでしまうしかないのです。
 これはオーダーメイドを注文する心持ちに近いものがあります。なんだかんだと決めることが多いから面倒だ、と躊躇していたらそれは苦痛以外の何者でもありませんが、あれこれ悩めることこそオーダーの醍醐味、とすれば、これほどに楽しいことはないのです。(そういう私は、実はレストランや居酒屋でメニューを決めるのが大の苦手で、これを楽しいと感じることはあまりありません。)
 春の装いもオーダーメイドも、苦痛にすぎないかそれとも楽しみと感じられるか、そこに関与できるのが私たちの役割でしょう。ご相談には乗れることと思いますよ、メニューのこと以外でしたら…。(弥)

【倶樂部余話】 No.217 伊愛英、出張報告です (2007.2.7)


  欧州とんぼ返り二往復の出張報告をいたします。

●伊フィレンツェ、紳士服の祭典「ピッティ・ウォモ」へ、積年の望みがかない初の視察に三泊五日、実質丸二日間だけのイタリア行。

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世界のメンズブランドが何百社と出展しているし、来場者ももちろん世界中から来ているので、もしテロリストがこの会場を一網打尽に全滅させてしまったら、世界のメンズファッション業界は一瞬にして停滞してしまうことだろう、とさえ感じさせる。当店が現在扱っているところだけでも十五社、過去に当社で扱い実績のあったところを数えたら三十五社もあり、これを合わせると五十社になった。これがひとつの会場で一日か二日で見て回れるのだから、展示会のデパートといった状態で、バイヤーにとってこんなに便利な場所はない。

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日本のバイヤーの数も、多いだろうことはある程度想像はしていたが、それにしても異常な多さで、正直「世界のいろんなブランドを多種揃えています、というような店構えをしていても、なーんだ、みんなココで買い付けしてたのね。」という気持ちも感じざるを得なかった。これだけの規模になると、この場所で、誰もまだ知らない自店だけの逸品を発掘する、という業は不可能に近く、むしろ私がアイルランドあたりで足で探してくる商品の方がレア度は高いかもしれないな、との思いも強く持ったのだった。

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毎年行きたい行きたいと思いながら売り場を持つ身としてはその日程からなかなか渡欧がかなわなかったピッティに、今回「行くぞ」と決心したのは、ふたつのことに背中を押されたからだった。ひとつは、この二年ほどバイイングしていて仲良しになっているミラノ在住の船橋さんご夫妻が初めてピッティに出展されると聞いたこと、そして、もうひとつが、今回これに合わせて同時期に特別展「ザ・ロンドン・カット/セヴィル・ロウ・ビスポーク・テイラーリング」がピッティ宮殿の王宮の間で開催される、と聞いたからであった。

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ロンドン・セヴィルロウのビスポーク・テイラーたちが二百年の間、いかに世界の歴史や文化と密接に関わってきたのか、そして現代の紳士服にいかに大きな影響を与えているか。数々の紳士服の複製や写真が昔のままの王宮の間に美しく陳列され、大変興味深く鑑賞した。

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何でも見たがり出たがりの私は、今回この展覧会のオープニングにあたってカクテルレセプションがあることを聞きつけ、つてを頼ってこれに参加潜入することに成功した。実は、日本のアパレルや百貨店、ジャーナリズムなどもきっと大勢いるのだろうと思ってのことだったのだが、行ってみると日本人は私を含めてたったの二人しかいなかった。こんな素晴らしい機会にどうして…、と思うと、優越感になど浸ってもいられず、このエキジビションをちゃんと日本に紹介しなければ、という使命感にかられてしまった。私もジャーナリストではないのでうまく取材できたわけではないのだが、別項にレポートをまとめたので、ご覧いただければ幸いである。

一晩ぐらいトスカーナの伝統料理を贅沢にしっかり食ってやるぞ、と事前調査のレストラン・リストを片手に街歩き。満席だよ、と三軒断られて、四軒目、一人だったら空いてるよ、と案内されると、偶然にも隣りのテーブルではネクタイのドレイク氏一行六人が食事中ではないか。誘われるままにパーティに混ぜてもらい、結局飲み食いは楽しく深夜まで及んだ。食したリボリータ(パンのスープ)とビスティカ(ステーキ)が美味であったのは言うまでもない。
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●一週間を挟んで、今度は四泊六日、実質丸三日の仕事に渡欧。まずはダブリン。数えたら今回が十二回目で、もう慣れたもんだ。

例年の業務に加え、ツイードのシャツジャケットや帽子などにも新しいメニューを加えられそうだ。また、ニコラス・モスには開店二十周年の当店限定柄の製作も依頼し、ニックがデザインを起こしてくれて夏には実現できそうな見通しとなった。2177

クレオにも二年振りの新作となるハンドニットのジャケットを頼むことができて、ほぼ満足な成果を上げられた。小腹が空いたと、定宿の近くのタイ料理屋に入ったら、アイルランド政府商務庁のKさんとばったり。同席となり、トム・ヤム・ガイ(鶏肉スープ)とパッタイ(焼きそば)を「ごちそうさま」になりました。美味でした。

●未明のダブリンから五ユーロの飛行機で英マンチェスターへ飛ぶ。うっすらと雪化粧の山々を見せる西ヨークシャー、ハダースフィールドへ列車は走る。今日は一日で四ヶ所を回る紳士服地の工場巡りの旅だ。

最初はスコフィールド&スミス。シルク使いのジャケット生地などが得意なところだ。駅に迎えに来てくれたマネージャーで後継者と目されているサイクス氏は、幹線を走らずわざわざ景色の良い田舎道を遠回りしてくれて、小高い丘にある工場まで案内してくれた。
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近年ハダースフィールドでは、古い服地工場をリストアして賃貸住宅に転用することが市の政策となっているらしいのだが、昨年になってこの工場にもその話がやってきたそうだ。となると、これから事業を継承していく彼にとっては、工場の移転や従業員のリストラ、という難題を解決しなければならず、きっとひとりでかなり悩んでいるんだろうな、という様子がうかがえた。

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二軒目は、テイラー&ロッヂ。百を超えるハダースフィールド周辺の服地工場の中でも恐らく最も高い知名度を持つブランド服地だと言えよう。スーパー120’s&カシミアなどの細番手のスーツ生地はイタリアや日本でもファンが多い。

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案内してくれたのはマネージャーのヘイグ氏。ウィスキーと同じこの名前はもともとフランスからの移民の姓だという。ここで私は彼を質問責めにした。「数ある英国の毛織物産地の中で、なぜハダースフィールドはこれほどに繁栄したのでしょうか。ある人は水質の違いだと言っていますが…。」「ニッポンの客人よ、とてもいい質問だ。確かに水の違いはあるがそれだけではない。ハダースフィールドには、産業革命のずっと以前からフランス人が移り住んでいたのだ、つまり私の先祖だがね。要は(アングロサクソンが持ち合わせていなかった)フランス人の織物への造詣の深さとセンスの良さがこの土地にだけはあった、ということなのだよ。えっへん。」
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「それでは、次の質問。数多あるこのエリアの紳士服地の中で、なぜテイラー&ロッヂは一番優れているという評価をもらっているのでしょうか。」「富士山の住人よ、それはさらにいい質問だ。服地の製造というのは、機織りのようなドライな作業と洗浄のように水を使うウェットな作業に分かれている。かつてはどこの工場でもその両方を一貫して行っていたのだが、近年はウェットな作業は外注へ出すところがほとんどとなってきた。じめじめと寒いところでの仕事だから、労働環境が厳しく、また設備のメンテナンスにも費用が掛かるからだ。しかし、当社は未だに洗浄や縮絨などフィニッシングといわれるウェット作業まで一貫して社内で行っている。木製の洗濯機は未だに現役だし、ペーパープレスという紙で服地を挟み押さえて仕上げる伝統技法を行っているのはもう当社ぐらいだろう。服地に掛けるそのプライドが、違いと言えば違いだろうかね。えへんえへん。」私の質問は彼をいたくいい心持ちにさせたようだった。

三番目は、エドウィン・ウッドハウス。ヨークシャーの丘陵を小一時間ドライブした、リーズ市の郊外にある。
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ここはブランド力こそないが、マーケットに即したトレンディな服地をタイムリーかつリーズナブルに供給することで定評がある。当店でも「エアウール」は夏の定番服地として人気が高い。糸を撚る段階からのスピニングの設備まで自前で持っている。若き後継者ウィリアム・ゴーント氏は、例えばイタリアと日本と中東では好まれる色合いが全く違うのだが、当社はその世界各国のマーケットに細かく適応した商品開発にいつも心を砕いているのだ、と熱っぽく語ってくれた。

最後は、リーズにあるアームレイ・ミルズ産業博物館。ここは運河沿いにある古い織物工場跡を再生し、織機や蒸気機関などの産業遺産を展示し体験学習する施設として近年オープンしたところ。冬の平日の夕方では客は私だけだったが、普段はきっと近隣の小学生などが体験授業に多く訪れているところなのだろう。自分たちの街の歴史や遺産を後世に語り継ぐことが郷土愛をはぐくむ上でどれほどに大切なことか、欧州の人たちは当たり前のように意識しているように感じる。
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夜ホテルに戻ったら、S&S社のサイクス氏がロビーで待っていた。「地球の裏からはるばるうちの工場を訪ねてくれたんだ、晩飯ぐらいおごるよ」と。ポテトとリークのスープ、ススギのベーコン巻き、どちらも(英国のレストランにしては)うまかったっすよ。

●ひとりで七泊したにもかかわらず、ひとりぼっちの夕食はたったの二夜、あとの五夜のうち四夜が「ゴチ」という、とても食事運に恵まれた旅でありました。当然帰ったときには体重増となっておりました。(弥)

【倶樂部余話】 No.216 二十周年です (2007.1.1)


 明けましておめでとうございます。
 1987年秋に開店した当店は、今年二十周年、成人式を迎える運びとなりました。
 二十年経ったら、普通はもっと立派で大きな店になってるもんだろ、とても誉められたもんじゃないよ、という恥ずかしい思いもありますが、ともかく言えることは、二十周年は二十年掛からないと達成できない、という当たり前の事実でありまして、この事実を自ら祝いたいと感じております。
 今振り返ると、始めたときはまさにバブルがその絶頂へ向かって突き進んでいた頃でした。その時代のムードとまだ当時二十代だった私の無謀なまでの憧れから、こんなヘンテコな店は産ぶ声を上げたのでした。よくぞまあ二十年も生き残ったものだ、私のわがままに長いこと付き合っていただいてきたお客様にひたすら感謝、というのが偽らざる正直な実感です。
 そんなわけで、今年は一年をかけて、二十周年限定企画品をいろいろとご提案します。と言っても、私自身はモノ売りモノ語りはできてもモノ作りの才はないので、各方面その道のプロにお願いし、わがままに自分が欲しかったモノを作ってもらうことにしています。一年間の様々な提案にお付き合いいただければありがたいです。
 二十年目の本年も、お引立ての程、何卒よろしくお願い申し上げます。(弥)   

【倶樂部余話】 No.215 服もアルバム (2006.12.2)


 服もアルバム、と私は店内でよく言います。これは、着なくなった服をどうするか、という話題になると出るネタ話です。
 古い写真を、昔のものだから、まずもう見ないから、といって捨てる人はいないでしょう。また、古いレコードを、もう聞かないからと処分してしまった人も少ないと思います。嬉しかったこと悲しかったこと、数々の思い出が詰まっているのですから、あっさりと捨てられるはずはありません。
 服だって同じです。思い出のある服はそう簡単に捨てられませんよ。写真もレコードもどちらもアルバムと言いますよね、ならば「服もアルバム」でいいじゃないですか、と言うのが冒頭の言なのです。
 ところで、ユニクロさんが、リサイクル運動の一環として、フリース衣料を始めとする自社製品の回収を呼び掛けたところ、戻って来るは戻って来るは、予想を大きく超える回収量に大慌てだったと聞きました。これには仕掛けた方も嬉しいやら悲しいやら、きっと複雑な心境だったのでは、と思います。もし自分が仕入れて自分で熱心に売った服がその後何の愛着もなく使い捨てにされるとしたら、私なら悲しすぎて涙が出てくるかもしれません。
 賢明な読者はもうお分かりだと思いますが、将来に捨ててもいいと思うだろうような服は極力買わないこと、そして自分のクローゼットを美しい思い出のアルバムとして整然と作り上げていくこと、これがどんなリサイクルにも勝る何よりの資源保護への道だということを。この点では、英国人の姿勢というのはひとつのお手本になり得ます。
 そう、だから服は捨てられない…。(弥)    

倶樂部裏話[12]禁煙しました(2006.11.19)


 私の禁煙の話です。ですから、もともと吸わない人で禁煙になんかまるで興味のない方には全くつまらない話だと思います。どうかご勘弁願います。でも、吸う人で、やめようかな、と少しでも考えている方、または回りにそういう人がいる方にはちょっとはお役に立てるかもしれません。

 自分自身それほど意志の強い人間とは思えないので、私がタバコをやめるのには、きっと医師の助力とニコチンパッチの使用が必要だろうな、とずっと思い込んでいました。(今思うと、それは未知なる禁断症状への恐怖感にほかならなかったのです。) 長らくそれらは保険適用外で、「タバコをやめるのにタバコ代以上のお金が掛かるというのは何だか納得がいかない」と変な理屈を付けて、家族の非難の目を浴びながらも吸い続けていたものでした。
 それが、四月には医師の診察が、そして六月からはニコチンパッチと、どちらも健康保険の適用が利くことが決まり、遂に禁煙代はタバコ代よりも安くなってしまうことになりました。おまけにいよいよ七月には大幅な値上げが決定と、段々と外堀が埋められてきた、という雰囲気で、そろそろ潮時かなぁ、と感じ始めたのが五月頃でした。

 そこで、以前にある人から「知人のヘビースモーカーが読んだだけでやめられた、すごい禁煙の本があるよ」と聞いていたので、それを一冊買いました。アレン・カー著「禁煙セラピー」(KKロングセラーズ刊)という本です。現実に一番売れている禁煙本らしいので書店で平積みになっているのを目にした方も多いと思います。それが六月始めのことでした。そして、半信半疑な心持ちのまま、のんぴりペラペラとそのページをめくり始めたのです。
 結論から先に言いますと、私は見事にこの本の術中にはまってしまい、医師やニコチンパッチの手助けを一切借りることもなく、わずか九百四十五円の本一冊で禁煙を決断したのです。その日その時は六月三十日の午後七時。約一ヶ月の間プカプカ吸いながらだらだらと読み進んでいた件の本を読了したその瞬間、ポケットからタバコを取り出して「よし、やめた!」とゴミ箱にドスンと投げ捨ててしまったのですから、脇で見ていた相川は目を丸くして驚いていました。ちょうど、まさにあと五時間後にはタバコが一斉に値上げになるという寸前のタイミングでの出来事でした。きっとそのまま何もせずに一晩明けていたら、私は値上がりしたタバコを今も吸い続けていたかもしれません。その本を読み終えたタイミングが絶妙に良かったのでしょう。
 ニコチンパッチこそ使うことはありませんでしたが、しかし禁断症状を緩和させる「気休め」にはいろいろお世話になりました。中でも、「禁煙パイポ」と「エビオス」のふたつは、何よりも有効で、感謝状を差し上げたいぐらいです。

 さて、禁煙して良かったこと、となると、これは枚挙に暇がないほどで、しかも書いたところで当たり前のことばかりなので、ここでは触れませんが、当然いいことばかりではなく、禁煙したことの弊害というのも少なからず発生するのです。
 その一は、まず、太りました。タバコやめて四ヶ月で五キロ増ですからかなりのもんです。そして体重増を支えきれず膝を痛めました。
 その二は、これが困ったことに、とても遅筆になったことです。私が一番タバコを吸うのが、ワープロで文章を打っているときでした。「文章を考える」という仕事と「タバコを吸う」という所作は、私の習慣として一体化していたのです。これを切り離すのが結構大変でして、パイポ、エビオス、そしてコンビニの百円袋菓子などを総動員してパソコンの前に向かうのですが、それでも文章は進まず、全くまとまっていかないのです。正直申し上げると、七月から九月あたりまでに書いたものを今読み直すと、一体自分で何を書いていたのか、と思うほどに集中を欠いた出来となっていて、情けない気持ちになります。この裏話のWEBへの掲載も予告より遅れてしまいましたし…。

 まあ、吸ってた期間が三十五年に対して、やめてからはたったの四ヶ月余りですから、まだまだいつまた吸い始めることやら、というところで、言うなれば禁煙初心者であります。未だに夢の中では普通に吸っている自分が出てきますから、これも禁断症状のひとつなのでしょうね。ただ、ありがたいことに、やめなきゃ良かった、と思ったことはこの四ヶ月で一度もないのですね。やめられてホント良かったなぁ、と、かの本の著者アレン・カーさんには感謝の限りであります。
 ひとつ不満は、結構大変な決意でやめたにもかかわらず、家族からの評価が低いこと。なので、これからタバコをやめようとする人が回りにいる方へお願いしておきます。見事に禁煙に成功したなら、うんと誉めてあげて下さい。それだけでその人の禁煙の決意はより確固たるものになっていくのですから。(弥)

※追記
 この原稿を書いてから、わずか十日後の11月29日に、アレン・カーさんが、肺ガンで亡くなりました。享年七十二才。ヘビースモーカーだったのに四十九才で禁煙し、その経験から「禁煙セラピー」を著し、世界で二千五百万人以上を禁煙に導いたそうです。そして彼と同じ四十九才で禁煙した私もその二千五百万人の一人となったのでした。つまり、私もここで禁煙したのですから、たとえ将来肺ガンになるとしたとしても、それでも七十二才まであと二十三年は生きられるというわけですよね。
 あらためて深く感謝するとともにご冥福を心よりお祈りいたします。(弥)

【倶樂部余話】 No.214 店舗優先主義ではいけないのか? (2006.11.12)


 ホームページに次々と商品を載せていますが、だからと言って私たちは決してネット通販への参入に積極的なわけではありません。むしろホームページを設けている目的は「この店に行きたい」と感じてもらうことであり、あくまでも来店促進を主眼に置いているのです。
 確かにウェブの技術革新はめざましくて、動画の処理も日進月歩、近ごろは携帯電話の小さい画面でも服が買えます。でも、どれだけITが進化しようとも、服というのは、最適な店舗環境の中で、見て、触って、試着して、できれば店員とも充分に会話もして、そうやって扱ってあげるのが本来の姿なのだと私たちは考えます。服を売るという場合に関して言うと、ネットに実店舗の代役が完全に務まりきれるとは到底思えないのです。
 そのうえで「忙しくて」とか「遠いので」などの様々な理由からどうしてもご来店いただくことが困難な場合にも対処するために、ご来店なしでも商品販売ができるように決済体系を整えておき、顧客の便宜を図る、というのが私たちの通販に対する考え方なのです。
 このスタンスは、一度でも実際に店舗でお相手した方には割とたやすく分かっていただけるのですが、時として理解してもらえない場合もあります。テレビなら地域別に提供情報を区別するのが普通ですが、ネットは当然ながら全国いや世界中に同時配信です。これが善し悪しで、たまに「静岡なんてそんな遠いところに行けるわけがないだろ!」と「それって店のせいなの?」と、筋違いに怒られたりします。
 時代に逆らっているように聞こえるかもしれませんが、開き直って声高に言います。当店は何よりも店舗での接客販売を優先します。通販はそれを補完するひとつの手段であって、目的ではないのです。(弥)

【倶樂部余話】 No.213 品格のため行き過ぎに注意しましょう (2006.10.12)


 「小さめに着ましょう」という流れはほぼ定着したと言っていいでしょう。さすがにツータックのスラックスが欲しい、というお客様も見受けられなくなりました。自分の体型と寸法を正しく把握する、という意味ではこの傾向は決して悪いことではないと思っています。
 ただ、これも中庸がなによりであって、近頃はちょっと行き過ぎじゃないの、と感じています。どうしてもファッションの常で、ひとつのトレンドは必ず極端に度を超すほどに一気に突き進んでから揺り戻しがあって落ち着きを見せるものなので、まあやむを得ないところもあるのですが、前ボタンも留まらないほどパツンパツンのジャケットやコート、お尻の山がクッキリのパンツやスカート…、これはもう、ジャストフィットを通り越して、ただサイズの合わない小さいサイズを着ているにすぎず、もう見苦しいだけです。
 それから、メーカーが作るサイズ設定も必要以上に小さくなりすぎているように感じます。これは売上データを瞬時にコンピュータで分析するPOSシステムの悪影響かもしれません。つまり流行に敏感な若い人ほど早く買いますから、当然小さいサイズの方が早く売れ始めます。分析データは、早く売れるものほど良い評価で、遅くまで売れないものはダメな商品と、と判断しますから、どうしても大きいサイズは不利なのですね。
 さて、当店もそして当店のお客様も、ある意味で大変流行に敏感であります。というのは、流行ってきたぞと感じると早めに「引き」の姿勢を見せる、ということなのです。お客様からはこんな声が聞かれます。「そりゃ小さめに着ろっいうのは分かるけどね、あんまりピタピタじゃお腹もあたるし、無理に若ぶったように見られるのもシャクだろ。それに、近頃じゃ、そうやって『ちょいワルおやぢ』してまだ女にモテたいのかい、って思われちゃうしねぇ……。」
 こういった声が最も顕著に出てくるのがスーツではないでしょうか。と言うのも、ちょっと前までぼろぼろ&だぼだぼのスタイルを好んでいた若い人たちの間で、スーツを着るのがひとつの流行りになってきたようなのです。例外なく誰もがイタリア系のサラサラで黒っぽい生地でまるでウエットスーツかボディタイツのような極細のシルエット。馬子にも衣装のたとえの如く、誰でもスーツを着るとちょっとはお上品に見えるのが普通なのですが、なぜかそういう品格を感じない。ピタッと着ているのだからだらしないはずはないのですが、どうしてなんでしょうか、(チンピラアンチャン風)なんですね、失礼ながら。
 というわけで、他のアイテムはともかく、スーツに関しては、そろそろ大人と若者の一線を画さねばならない時期に来たか、と感じます。さらにもう二歩三歩ほど流行から遠ざかって俯瞰する必要があるようです。当店に求められているスーツは、流行の最先端ではなくて、十年着ても時代遅れにならず堂々と着ることのできるスーツであるはず。手仕事を多用した構築的で立体的な高い縫製技術、打ち込みのしっかりした重厚感としなやかさを兼ね備えた英国服地、頑固過ぎずトレンド過ぎずの普遍的なパターン、この三位一体で「最初に出来上がった時はまだツボミ、しばらく着ていくとそこで花が咲く」という英国服の持ち味をよりハッキリと目指したいと思っています。(弥)

【倶樂部余話】 No.212 「何も考えていない客」とは (2006.9.3)


 全国紙に全面広告を出すような著名ブランドと当店が扱うようなブランド、どんな違いがあるのでしょうか。
 確かに、イタリアのインコテックスのパンツ工場やスコットランドのウィリアム・ロッキーのニット工場では、聞けば誰でも知っているような有名ブランドの製品をも作っていますし、ネクタイのドレイク氏やドゥエ・ビランチェの多田氏は大手アパレルの仕事も手伝っています。だから、我々のブランドの方がはるかに生産者との距離が近い、と言えますが、違いはもちろんそれだけではありません。
 私は、あちこちのメゾンブランドの外国人経営者が常々口にしている「日本の客は世界のどこよりもモノの良さが分かり目が肥えていて評価の厳しい、最高に素晴らしい客」といったようなコメントを「そりゃリップサービスでしょ」と感じていましたが、私のその印象が間違いなかったことが分かりました。あるシンクタンクが「有名ブランドを買っている人はどういう考えでそれを買うのか」という深層心理を調査したのです。(「第三の消費スタイル/日本人独自の"利便性消費"を解くマーケティング戦略」野村総合研究所) そこで、案の定というか、仰天な結果が出たのです。『何も考えていない客ばかり』と。
 つまり「みんなが持ってて安心」「品質さえ良ければあとは大してこだわらない」「悩んで回るのは面倒くさい」という利便性を重視したコンビニ的な消費性向が強く現れていて、従来ならブランド消費に付きものの「そのブランドがどこよりも大好きだから」「そのデザイナーの生き様に憧れて」といった付加価値に重きを置く思考はわりに少なかったのでした。
 批判を恐れず極論するならば、ビッグな著名ブランドになればなるほど何も考えていない客に支えられている、という構図となり、ブランドイメージを訴えるだけの一面広告が多いのもそりゃ道理だわぃ、と、私は溜飲を下げたのでした。
 私どもの店で「面倒くさいからコレでいいよ」という動機のお客様はまず存在しませんから、冒頭の違いはこのあたりの思い入れ具合の差にあるように思えるのです。(弥)