【倶樂部余話】 No.211 シャツを直そう (2006.8.1)


 スーツやパンツは、リペア(お直し)の依頼の多い代表選手です。靴の修理の持ち込みも増えました。それらに比べて「まだまだ少ないな」と感じるのが、シャツのリペアです。オーダーで作ったシャツに限ることなのですが、衿や袖口が擦り切れてきたらそこだけ新しく作り替えることができる、というのは、案外知られていないことなのかもしれませんね。
 ただし、運良く同じ生地の在庫がまだ残っているということは稀で、大概の場合には白無地の生地で代用することになります。つまり衿と袖口だけが白いという変わったシャツは、もともとはリペアを好む英国の倹約家のシャツとして登場したものなのです。このシャツ、見掛けが牧師(cleric)っぽいことから「クレリックシャツ」と呼ばれていますが、これは全くの和製英語でして、実際の聖職者の衣装とは無関係な造語なのです。まあ、要は英国紳士にはケチが多いということでしょうか、エルボーバッチ(ひじあて)と同様に、これも英国的倹約主義が生んだファッションのひとつなのだと言えるでしょう。
 一年で一番暇な月の八月はリペアを積極的に受けることにしました。修繕や寸法直しだけでなく大改造も相談に乗ります。面倒がらずにどうかご持参下さい。(弥)

【倶樂部余話】 No.210 六十の手習い (2006.7.1)


 「六十代男性をお洒落に見せる秘訣があったら教えて下さい。」と問われた故石津謙介氏は、「そんな魔法はないよ。六十年の間どういう興味を持ってきたかが自然に現れてくるのがお洒落な六十代の服飾なんだ。六十になるまで服装に何にも関心のなかった男に今さら周囲がいくら言ったところでもうどうこうしようがないだろう。」と一蹴されたそうです。
 このことは、今の国会議員たちのクールビズを見れば、誰の目にも一目瞭然のことと思います。
 ところが、六十の手習いというか、突然変異のようにある日から突然にお洒落に目覚める、というケースも時にはあるのです。イタリアへ家族旅行へ行ったのがきっかけだったという方もいれば、今まで服を自分で選んだことのなかった方がご家族に当店まで無理矢理連れてこられて、それ以来お一人でぶらりとお越しになってお買い物を楽しんでいかれるようになった方など、そんな実例も私は今まで数多く見ています。
 何も皆が皆、雑誌が煽るようなちょいワルおやじを気取る必要は全くと言っていいほどないのですが、ファッションが若者や女性だけのものではなく、大人の男の服飾だってずっとずっと奥が深く楽しいものだという、欧米では半ば常識になっているような認識が、日本でも定着しつつある風潮は、とても嬉しく思っています。なぜなら、それこそが当店が開店以来十九年の間変わらずに主張し続けてきたことに他ならないからです。(弥)

【倶樂部余話】 No.209 夜行バス朝湯付きの工場訪問 (2006.6.1)


 五月、明け方の山形・赤湯温泉のバス停。夜行バスが一時停車しそして立ち去る。そこには、ジャケットを着たチビで丸メガネの40代男性・野沢。そして、胸と背中と両手に大きなバッグを抱えたひげ面で長身のフランス人青年・ジロー。二人がぼんやりとたたずみ、顔を見合わす……
 まるでアマチュア・ロードムービーのファーストシーンのような光景。聞けば、彼は靴のゴム底材の営業で台湾、日本、韓国、とセールス行脚中、これから、この地の靴工場へ商談に向かうと言う。なんだ、私も同じ。じゃ一緒に行こう。でもまだ朝早いし…、と共同浴場で共に朝風呂を浸かり、コンビニのベンチに二人並んで朝食を取る。そこへ、気のいい果樹園の親父登場。乗せてってやるよー、の一声。ワゴンにちゃっかり同乗して、三人で田舎道をドライブ…… 何だかまだ映画のシーンみたいだった。

 二年振りの宮城興業へ。工場では地元の熟練者に混じって、若い人たちの姿が目立つ。全国からの研修生が十人近くに増え、昼は皆と一緒に仕事をし、夜は遅くまで思い思いに靴の勉強をしている。さながら、全寮制の職業訓練校といった雰囲気だ。地方の町村がどこも過疎と高齢化に悩む中で、この東北の小さな町は若年層の人口流入をかなえているわけで、彼らは地域にも新しい活気を吹き込んでくれることだろう。
 当店がいち早く取り扱いの名乗りを挙げたここの誂え靴のシステムはこの二年でさらに進化を果たし、この秋には遂にニューヨークの名店での扱いも決まった。日本だけでなく世界でもどこも真似のできない独自の境地を開拓しつつあり、ますますの勢いを感じる。
 ここと縁を持つことができ、当店が微力ながらも彼らの繁栄と成長の一助となっていることに自信と誇りを高めた。

 土地の手打ち蕎麦を堪能し、午後は福島市へ移動。七年前から当店のオーダースーツをお願いしている小さな工場を訪問。ここは生産のほとんどがオーダースーツの上着の縫製で、九州のデパートからの年配向け重厚なフラノのスーツの次に代官山のセレクトショップが受けたコットン一枚仕立てのペラペラ・ジャケットが続く、といったように、テーストも型紙も素材も仕様もすべて一着一着異なるオーダースーツを流れ作業の中で一日二百着、正確かつ短納期で製造する。これを可能にしているのが独自に開発したプログラム・ソフトで、逆説的な言い方だが、「人間は必ず間違いをする動物である」という前提から、何重にもチェックを掛けて完璧を期している。
 昨年訪れた岩手のスーツ工場では人間の感や熟練という職人的な秘技をラインの中に当たり前に組み入れていることに驚きを感じたが、ここにはまたもうひとつ別の感動があった。どちらに優劣があるというのではなく、同じスーツ工場でもいろんな特色があるものだと思い知る。
 注文通りの間違いない仕上がり、というのは客にすれば当然のことのように考えてしまうが、実はそれは高い技術を要する人間の知恵の賜物なのだ。

 今回の出張で知ったのは、この靴とスーツの二つの工場が知り合いだったということと、双方とも取引先や親会社の倒産から一度は閉鎖の危機を迎えながらもそれを乗り越えてきた、という事実。生産の海外移転が進み、国内製造業の空洞化が深刻化する中で、生き残ってきた工場というのは、やはりそれだけの価値と意味があるものだ。
 我々商店の最大の弱点は、自分ではものを作ることができない、ということ。いいものを売りたかったら誰かに作ってもらうしかない。その製造拠点は、どこでもできる、代わりはいくらでもある、というものでは決してないのである。
 たった一日だけの強行日程であったが、とても有意義な二工場への訪問だった。(弥)


注)上記後半部に記しました福島の縫製工場との契約は2007年12月にて休止しました。

倶樂部裏話[11]どら焼き(2006.5.12)


 私が、死ぬ前にどうしても食べたいものに挙げるほど、大好きなのが、宮ヶ崎・浅間通り「かWちや」のどらやき。今回はこのどらやき屋さんの話。
 と言っても、私はこの店と個人的に親しいわけでもなく、ゆっくりとお話をしたこともないので、以下はすべて私の推測だということをまずお断りして、話を進めます。
Kawachiya

 初めて食べたときにまだよちよち歩きだった上の娘の手を引いていましたから、今から15年ほど前でしょうか。私と同世代ぐらいのご夫婦二人でやられているので、それほどに古いお店ではなさそうで、もしかしたら脱サラでどらやき屋を始めたのかな、などと勝手に想像を巡らせていました。目の前で皮が焼けるのを待っていたら、無愛想なご主人が
「はい、これ、おまけ」と余った生地で作った焼きたてのミニミニどらやきを娘に渡してくれて、いたく嬉しく感じました。味は、というと、もう絶品、ほっぺたが落ちそうな美味で、こんだけうまくてでっかくてたったの100円、は感激の体験でした。

 私の自転車通勤の通り道でもあり、閉店後の夜も遅くまで、また開店前の朝早くから、お店の前を通ると、シャッターはいつも半開きで、恐らくずっと餡や生地の仕込みをしているのでしょう。この店が評判にならないはずはなく、お客さんは増え続け、時にはかなりの行列ができるほどになって、私は長年のファンの一人として嬉しく眺めていたのです。
 ところが、ある時、店先にこんなコメントが。
 「ひとり五個までです」そうだよね、一日に作れる数が限られてるんだもん、一人で買い占められたら欲しい人が困るもんね、当然だよ。
 それがです、そのうち、それに「並び直してもダメです」さらに「子供連れでもひとりです」と書き加えられていったのです。そしてなんと「車の中からは注文できません」とまで書かれるようになってきました。
 「書いてあるってことは、こんなお客さんが実際にいるということなの?」私が驚いて奥さんに尋ねると「ええ、たまになんですけど、分かってもらえなくて…」と悲しそうな表情を浮かべました。
 きっといくつかのいさかいが店先であったことが想像できます。自分だけ良ければと並び直す人、子供がいるから二人分いいわよねとゴネる人、車の中からお構いなしに叫ぶ人…、そのたびにこのご夫婦は、心ない客から「客が欲しいと言ってんだから、つべこべ言わずに売れよ。」と批判や罵声を浴びるのを覚悟の上で、これらを書かざるを得なかったに違いありません。

 コンサルタントや学者さんだったらこう言うでしょう。値段を倍にすれば客数が半減しても売上は取れますよ。人を雇って設備も大きくして生産量を増やしてデパ地下にも進出しなさい。成長を目指す企業だったら当然そうしたでしょう。でもこのお店は、一個100円で焼きたての温かいどらやきを地元のお年寄りや子供たちにもひとつから気軽に食べてもらいたい、人も増やさずお金も掛けず、家族が暮らせるだけの売上で充分、という道を進むことを選択したのです。成長するだけが商売じゃない、細く長く続けるのもまた商売のひとつの姿です。こう言うと簡単ですが、繁盛を維持し続けながらそして奢ることなくその姿勢を守り続けるというのはなかなかできることではありません。それをこの店は実践しているのです。
 先日はこんな光景にも当たりました。行列を前にして休みなく皮を焼いているご主人「ダメだ、失敗。やりなおし!」、焼き方に不満があったのでしょう、せっかく焼けた皮をサッとよけてしまいました。先頭に並んでいた人が「それ、いらないんだったら頂戴よ!」と言っても「ダメ」と言ったきり、ひたすらに作り直す。ようやく出来上がってまずその先頭のうるさい人が買っていなくなるやいなや、奥さんに「さっきのアレ、出してやって」と声を掛ける。奥さん、失敗した皮にバターをちょっと塗って行列の人に配り始める。ご主人「ずいぶんお待たせしてすいませんでした。おまけです。」とはにかむ。じっと待ってた人たち大喜び。あっぱれでした。

 近頃は、お店で手作りと言いながらレンジで暖めているだけだったり、わざと席数を減らしたり入り口で待たせたりして意図的に行列ができるように仕向けていたり、個店のように見せかけておいて実は全国チェーンだったり、と、ウソっぽい仕掛けが見え見えのところが増えていて辟易するほどですが、このどらやき屋は正真正銘リアルなんです。子供が運動会だから、と、半日休みにしちゃうところなんか、大好きです。

 なぜ裏話に書いたのか、というと、ここを開けられるのは当店のわずかなメンバーズだけで、不特定多数の人たちには読まれることがないから。リンク貼ったりしない下さいね、私もこれ以上行列を長くすることに加担するつもりはないのですから。
 ぜひご賞味あれ。なんなら差し入れも歓迎します。(弥)

【倶樂部余話】 No.208(2006.5.5) よくあるQ&A


 よくあるQへ、よく言うAです。

★Q:綿パンの丈が縮むのは仕方がないの?
A:綿パンのウェストって洗ったあとに履くとキツいけれど、じきに元に戻りますよね。つまり縮んでもお腹の力でまた伸びるんです。丈が縮んでしまうのは、ウェストのように戻す力が働かないからなのです、なので、洗ったあとにパンツの裾をかかとで踏みつけたまま屈伸運動を十回ぐらいやって、強制的に戻す力を縦方向に加えてやるのです。単純なことですが、こうすると丈の縮みが少なくなりますよ。

★Q:タートルネックや帽子の前後はどうやって見分けるのですか?
A:タートルセーターの首の縫い目や帽子の飾りは必ず左側に来るのが決まりです。その昔の騎士は剣を持ち命懸けで戦いました。だから右手の剣の動きを邪魔するような装飾はすべて左側に付いているのです。小銭や懐中時計を取り出す利便性から考案された上着のチェンジポケットやパンツのウォッチポケットは後生考えられたもので、右側に付いている例外的なものです。

★Q:濃紺のスーツにこのネクタイは合いますか?
A:ネクタイがスーツやシャツと合っているかどうか、というのは色や柄だけのことではないのです。私たちが気にする大事なポイントは、むしろ幅なのです。上着の衿幅とタイの幅は同じ、というのが鉄則です。またシャツの衿の空間とタイの結びの大きさやカタチとの納まり具合の相性も大切です。ネクタイはスーツやシャツに比べて自分の趣味嗜好を最も主張しやすいアイテムですから、自分の好きな色柄を自信を持って選べばそう大きくはずれることはないのですが、お洒落をよく分かっている人というのは、どんな色柄のネクタイをしたとしても今述べたようなこういう鉄則をはずさないものなのです。

……と、雑誌やウェブではなかなか教えてくれないだろうこんな話が、店内では日々交わされているのです。こちらから自慢げに知識の押し売りをすることはしたくはありませんが、突っ込んでいただければ答えられることは割とたくさんあるものなのです。(弥) 

【倶樂部余話】 No.207(2006.4.12) 真実の瞬間


 サービスや顧客満足などに関する用語に「真実の瞬間」(Moments of Truth)という有名な言葉があります。二十年も前に北欧のある航空会社の社長が唱えた言葉で、大変粗っぽく要約すると「顧客は接遇を受ける最初の十五秒でその企業の善し悪しを判断する。それこそが真実の瞬間であり、だからその短い十五秒で最大の顧客満足を与えられるように努めなさい。」という意味で、今では略してMOTと呼ばれるほど古典的なマーケティング用語となっています。
 最初のたった十五秒で店のいい悪いが決められてしまうのですから、ちゃんとした教育を受けた店員であれば(おこがましくも、私たちもその中に入れさせていただきますが)、何気なさそうに「いらっしゃいませ」とお客様を出迎えている最初の十五秒の間に、(このお客様にはどういう接客をすれば最も喜んでもらえるのだろうか。)を考え、そのため同時に(お馴染みさんか一見客か、年齢層は、服装の好みはどうか、急いでいるのかゆっくりしたいのか、目的はあるのか冷やかしなのか、愛想はいいか無愛想か、店員と目を合わせるかそらしたままか、気取り屋さんカッコつけ屋さんか否か)などなど、実は思考回路をフル回転させて入店客を観察しているものなのです。だから、目深に帽子をかぶって濃いサングラスおまけにマスク、といった表情が全く読みとれないお客様だと、私たちは大変苦慮するのです。
 時としてこの十五秒がうまくいかないことがあります。例えば、目の合う寸前に電話が鳴ってしまう、見送り客と入店客がかぶってしまう、十五秒経たぬうちに次の入店客が続いてしまう、どうしても手が離せない作業の真っ最中でおかしな姿勢でお迎えしてしまう、など、俗に言う「間が悪い」という事態です。こういうときは間が悪かったことが真実の瞬間なのですから、信頼の修復はかなり困難で、接客は失敗に終わることが多くなります。
 言えることは、たった十五秒で店が判断されてしまうのと同じくらいに、店も十五秒で客を判断しがちだということです。「真実の瞬間」はいいサービスをするためのキーワードですから店の側はかなり意識をしていますが、逆にお客様がこれを積極的に意識してみたらどうなるでしょう。今度はこれがいいサービスを受ける極意になると思うのです。他の人と接遇がダブりそうになったら少し待って間を空ける、とか、どんなときでも穏やかな表情で目を合わせる、とか、一瞬でも帽子やサングラスは外す、とか、始めぐらいはちゃんと敬語を使う、とか、ちょっとだけ同伴者とのおしゃべりを中断する、とか、最初の十五秒だけでいいんです、それだけであなたはいいサービスを受けやすくなるのですから、意識して決して損なことではないと思うのです。当店でも(この人、うまい客だなぁ)と思わせるお客様は、概して「真実の瞬間」が自然のこととして身についていらっしゃる方のように感じます。
 さて、近頃私たちを悩ますのが、花粉用の大きな立体マスク。鼻と口を大きく隠し、しかもあのカラス天狗のような形状はどんな人の顔もむっつりと無表情にしてしまいがちです。花粉防止の効果は抜群なんでしょうが、私たちには花粉以上に大敵なんですね。まさか「ちょっとはずして下さい」とも頼めないし……。(弥)

【倶樂部余話】 No.206(2006.3.4) ないモノ売り


仕入れて売る、というのが普通の商店ですが、当店では、売ってから仕入れる、つまり「ないモノ売り」の比率が年間売上の四分の一を占めます。
 スーツ、ジャケット、シャツ、シューズ、の「誂えモノ」には、日々何かしらのご注文が入りますし、セーターやコートなどの次冬物の長期予約、限定受注の陶器、と、当店の「ないモノ売り」はかなり日常的です。
 目の前にモノがないので、その接客風景は、物販というよりもむしろ、医院の診察室か旅行業者のカウンターあたりに近いものがあります。「ないモノ売り」は売り逃しがないのだから「あるモノ売り」よりも楽なんじゃないの、と言う方もいますが、決してそんなことはありません。まず受注の材料を揃える下準備と受注したあとの事後処理には相当の時間と手間が掛かりますし、ないモノをわざわざ買おうと決断してくれるお客様の購買意思決定のハードルは「あるモノ買い」よりも数段高いので、「この店なら、ないモノを頼んでも大丈夫に違いない」と思っていただけるだけの信頼を勝ち得ていなければお話になりません。何より、仕上がって届いたモノに間違いがあっては許されませんから、発注と検品には慎重にも慎重を要します。私は、「あるモノ売り」だけの方がよっぽど楽な商売だと思います。
 でも「ないモノ売り」には楽しさもたくさんあります。眼前のモノを「コレください」「はいどうぞ」とはいかない売り方ですから、お客様との対話は否応なく存分に楽しめますし、その人だけのためのモノが待ちに待った末に仕上がったときのお客様の喜ぶ笑顔は格別のものがあるんですね。「ないモノ売り」は間違いなく当店のウリなんだと思います。(弥)

【倶樂部余話】 No.205 海外出張報告 (2006.2.2)


恒例一月の海外出張の帰国報告を簡単に。

●十一回目のダブリン(アイルランド)は毎年同じ時期に同じ場所へ行くので、定点観測の如しです。土地の価格は相変わらず上昇の一途のようで、今まさにバブルの絶頂期という感じがします。日本よりもずっと長い期間を堪え忍んできたアイリッシュたちは、ここぞとばかりに好景気を謳歌していますが、一足早くバブル崩壊後の怖さを知る我々には、少々危ういものも感じざるを得ません。
 仕事としては、ヘンリー・ホワイト、ジミー・ホリハン、フィッシャーマン、マッキントッシュ・オブ・アイルランド、オニール、ニコラス・モス、クレオ、そしてアランセーター、と常連のアイルランドのサプライヤーの他、スコットランドからやって来ていたエベレストやジェイミソン、また新たにイングランドの帽子メーカー・オルネイ、と二日半の間に多くの商談をこなしました。
2051
ニコラス・モス30周年限定モデル。5月に予約を受け付けます。

●わずか1ユーロという激安航空券(空港利用料などの付帯費用を含めても三千円以下!)でエジンバラ(スコットランド)へ渡り、さらにバスに揺られること南へ二時間、田舎町ホーウィックへ。イングランドとスコットランドの国境に位置することからボーダーズ地方と呼ばれるこの一帯は、
  2052
わずか1ユーロのフライトはシートは自由席で、タラップまでケチる?

小川と丘陵に羊が群れるのどかなところで、ゴルフが羊飼いの暇つぶしから生まれたということを実感できる風景がバスの車窓に延々と拡がります。
 英国のカシミアセーターの約九割はこのホーウィックで作られていて、この町はまさにニットの町。二十以上のニット工場が町中に点在していますが、近年は中国製に押され衰退気味で、有名ブランドの工場の閉鎖が相次いでいます。グレンマック、マックジョージ、ブレイモアの三つは同じ経営グループのバリーの工場に統合されましたし、プリングルは大幅に規模を縮小、N・ピールも閉鎖、そして昨年秋にはジョン・レインとダグラスのふたつが操業を停止しました。
 しかし、創業百三十年のウィリアム・ロッキーの小さな工場(従業員百十人)を訪れ、話を聞くうちに、どっこいこの町の彼らは生き延びる術をちゃんと分かっているな、と少し嬉しく思いました。どこかがどこかを出し抜くという発想はなく、資源や人材を互いに融通しあいながらこの小さな町全体を共存共栄させていこうというコミュニティ意識の強さが感じられます。
 工場もつぶさに見学させてもらいました。同じ糸と同じ機械を使えば世界中どこで作っても同じセーターができる、と思ったら大間違いなんですね。もちろんこの工場にもコンピューター制御の日本製最新鋭の編み機が何台も導入されていますが、サンプルづくりは未だに昔ながらの古い編み機で行ってました。
  この古い編み機でのサンプルを新しい機械での本生産に置き換える作業に、長年の経験値が役立っているのです。また、どんなに機械化が進んでも最後にセーターのカタチに形成するリンキング(縫合)作業は人の手によるものですが、この段階でこの町の女性たちに代々引き継がれている熟練技がモノを言うのです。
2053
リンキングは熟練技の見せどころ

なかんずく、何よりの違いは、水でしょう。すぐ近くを流れるテビオット川は極度の軟水で、私も手を洗ったときにほんの少しの石鹸を付けただけで凄い泡立ちをしたのには驚きました。この水が「ツボミの状態で出荷される(着込んだときに花開く)セーター」を生むんですね。風土、歴史、伝統、経験、これらがホーウィックのセーターの宝なのだと、この目で確かめることができたのは、大変有意義でした。
2054
町の中心を流れるテビオット川 

●旅の最後はグラスゴーへ移動。産業革命に繁栄した街は、今また芸術創作の都市として魅力に溢れていました。昼は、この街が産んだ偉大な芸術家チャールズ・レニー・マッキントッシュの足跡をたどり、彼の建築やデザインを堪能。夜はと言えば、「ケルティック・コネクション」というグラスゴー名物の音楽祭がちょうどこの時期に開催されていて、方々でケルト音楽のライブをハシゴして回りました。本場モノのギリー・シューズ(スコットランドの伝統的民族靴でウィングチップの原型になったもの)も手に入れることができましたし、短くも楽しいホリディでした。
2055
古い教会跡を使ってのアコースティック・ライブ

●今回の缶詰ですか。スコットランドのシチューやスープの缶詰をまたまた買い込んで帰りました。(弥)

【倶樂部余話】 No.204(2006.1.1) 追い風に注意


 謹んで新年のお慶びを申し上げます。
 「追い風は早く進むが舵がふらつき不安定になる。むしろ向かい風の方が歩みは遅くとも安定した舵が取れるものだ」と、向かい風の時代に自らを鼓舞するつもりで当報に書いたのは八年前のことでした。
 そして、ようやく昨年あたりから風向きは確実に変わって、どうやらメンズ服飾業界には追い風が吹き始めたようです。その風を享受できるこのときまで淘汰を受けることなく生き残れたことはとても嬉しく感じていますが、そう手放しに喜んでばかりもいられないことでしょう。
 まず、追い風市場には参入者が群がりますから、競争は激しくなるはずです。が、うちの店、他と競い合うようなスタイルの商売は決して得手とは言えないのです。「うちはうち、人の店のことには口を挟まないから、その代わり、うちの店のこともとやかく言わないで」という姿勢をどこまで貫くことができるでしょうか。それから、追い風になると客層が拡大し、店に対する期待度がより高くなってくるので、その期待を失望させないだけの多様な品揃えが必要になりますが、ここで軸がぶれないようにしっかりと舵取りをしなければなりません。
 何よりも、追い風の時に留意すべきは、慢心でしょう。風のおかげを自分の力量と勘違いしてしまう過信です。そして「これでいいんだ」と納得してしまうと、常に新しい商品を探し続ける姿勢も怠慢になりがちとなるので、これにも要注意です。
 おごらず謙虚に、しかし攻めることを忘れずに、この追い風を自らの帆いっぱいに受け入れて進みたいと思います。
 本年もどうぞごひいきにお願いいたします。(弥)

【倶樂部余話】 No.203 吸って吐くのが深呼吸 (2005.12.2)


 吸って吐くのが深呼吸(アルゴリズム体操/NHK教育「ピタゴラスイッチ」)、という言葉が口をついたのは、ダビンチ展(六本木)と北斎展(上野)を立て続けに見たときでした。二人とも長寿で、老いてもなお、とてつもなく膨大な才能を吐き出し続けていました。明らかに吸ったものよりも吐いたものの方がはるかに多く、そこがまさに狂気に紙一重の天才とまで言われる所以なのでしょうが、果たして彼らが、当時とは比較にならないほどに溢れ満ちる情報量を吸うことができる現代においても、その才能をすべて吐き出せたかと思うと、疑問に感じてしまったのです。
 今の世の中、情報は欲しいだけ手に入ります。ひねもすネット検索に費やせば、吸ってばかりの一日も過ごせますから、現代人はどうしても過呼吸というか吸いすぎの状態に陥りがちです。吸った分だけ吐こうとするにはかなりの創造力が必要で、我々凡人にはもはやほとんど不可能とさえ思えます。何しろダビンチの時代と比べて、吸える量は数百倍かに増えているのに、吐き出せる寿命はほんの少し延びただけなのですから。
 無尽蔵な情報の洪水を吸うことに自らの意思で制約をかけ、そしてちゃんと意識をして吐くことを心掛けないと、だらだら吸うばかりの一生で終わりかねないぞ、と、秋の上野公園を歩きながら凡人は思ったのでした。(弥)