倶樂部余話【一九四】スーツは年収の1%(二〇〇五年三月九日)


スーツに関して、私の独断的な私見を述べます。

【スーツ・年収1%の法則】

スーツほど、ピンからキリまで、価格の幅のある商品もないと思います。下は5,000円から上は500,000円とすると、その違いは100倍にもなります。いったい自分はいくらのスーツを買ったらいいんだろう、という疑問があってもおかしくはないはずです。まあ、何にいくら使おうが個人の自由ですから、本来余計なお世話であることは承知の上で、規範付けが好きな日本男性のために何らかの法則性はないものか、と考えてみました。

かつて背広がすべて誂え物であった時代には、背広一着は大卒初任給の何ヶ月分、というように言われていました。それに倣って、こんな目安はどうでしょうか。

多少とも自らの装いへの興味を自負する男性であるならば、「スーツの価格は、年収の1%を基準に、かつ2%が上限」とするのです。例えば、年収800万円の方とすると、8万円は掛けて欲しいし、と言って、掛けても16万円まで、となります。(2%を越えると、生活にアンバランスが生じる恐れ大です!)

この法則、何の根拠もなく、いまだ誰一人言い出したこともないのですが、経験上、割と的を得ているラインだと思っています。いかがでしょうか。もちろん、使用頻度や関心の強弱によっての個人差も大きいものですから、あくまでも目安ということですが…。

なお、ご注文時に当方への確定申告は一切不要ですので、念のため。

【そのスーツ、何年着たいですか?】

何年持つかという耐久性の話ではありません。その気になれば、20年でも30年でも着られるのがスーツですから。ここで言うのは、向こう何年間ぐらい着ることを想定するか、ということです。これにはふたつの要因があり、流行やトレンドをどのくらい取り込んでいくか、と、今後の体型変化の可能性、このふたつの兼ね合いなのです。

30代後半までは、幾分は流行の要素も取り入れて、また体型の変化も予測されますから、5年ぐらいを目途に考えたいものです。40歳を過ぎたら、徐々にトレンドとは距離感を離しつつ、その分、品質に重きを傾け、「10年スーツ」を目指していって良いのではないでしょうか。

これも、職業や趣向によって差があって当然で、一概には言えませんが、まあ、トレンドてんこ盛りスーツを着た「50代・行き過ぎオヤジ」も、何の挑戦心も若さも感じられない「20代・トッチャンボーヤ」も、どちらも、あまり好ましいものではないなぁ、と、私は感じているのです。

倶樂部余話【一九三】アイルランドとフィンランド(二〇〇五年二月一一日)


 恒例の、海外出張報告をいたします。

 今回は、10度目のアイルランド(3)と初めてのフィンランド(3)という旅程でしたが、この二つの国、割と共通点が多いように感じます。

 ヨーロッパの西端と北端に位置し、ともにヨーロッパではフリンジ(辺境)に当たりますし、人種も、アイルランドは旧東独あたりを発祥とし西に移動して英仏海峡を越えたケルト族、フィンランドはハンガリー周辺から北に移動しエストニアを経てバルト海を渡ったフィン族、と、ゲルマンでもラテンでもスラブでもないヨーロッパの少数派です。また、アイルランドはイングランドに、フィンランドはスウェーデンとソビエトに、長く支配され続け、どちらも散々辛酸を味わった末にようやくの独立を果たした共和国ですし、かつては貧しい農林水産国だったのが、教育重視の政策によって先端のIT工業国に変貌を遂げつつあるユーロ圏の優等生、という点も同じです。

文化的に見ても、クリスマスはもともと古代ケルトの冬至祭がルーツで、そのクリスマスに登場するサンタクロースの故郷はフィンランドです。岩や森など自然物への崇拝意識も強く(岩盤を掘り下げたヘルシンキのテンペリアウキオ教会はアイルランドの古代遺跡ニューグレンジにそっくりでした)、そこには今も妖精が宿っていると信じられています(ムーミンはカバじゃなくてトロルという妖精の一種です)。何より、両国の伝統音楽の調べがとてもよく似ているのには驚きました。

 

さて、アイルランドでの主な仕事は、例年と同じく、ダブリンで年に一度開催される一大展示会(700社が出展)でいろんな商材を探すことでした。この展示会、従来はアイルランドの業者が国内や英米に向けて販売する、という姿勢が強かったのですが、今年目立ったのは、アイルランド国内へ向けて売り込みに来ている英国企業がとても増えているということでした。恐らく、アイルランドの国内消費がかなりの活況を呈しているということの現れだと思います。消費が伸びていると、人はいいモノを買いたがるようになります。だからでしょう、かつては野暮ったさが売り物といった感のあったアイルランド製品も、このところかなりソフィスティケート(洗練化)されてきて、価格ということではないユニークさで、再び国際競争力を取り戻してきているように感じました。

従来から当店と取引のある10数社のアイルランド企業とは概ね満足のいく商談が進められましたし、またいくつかの英国企業とダブリンで商談を済ますことができたことは、大変好都合でした。

 旅慣れたダブリンを後にして、初のヘルシンキへ。フィンランドでの主目的は、ダウン製品(ヨーツェン)の工場を視察することでした。この見学レポートは、今秋の納品時に改めて詳しく述べたいと思いますが、期待を裏切らない素晴らしい現場でした。氷河の雪融け水と電力という豊富な資源、最新技術での徹底した品質管理、そして人間の目と手の力量、この三位一体が見事で、人の手を掛けるべきところと人手を省きテクノロジーを駆使すべきところのメリハリが実に効いている工場でした。ここのダウンを販売できることにますますの喜びを覚えました。

週末は、ヘルシンキの街を散策。ロシアの影響が色濃い街ですが、なにせ零下10℃の凍てつく街角、何度もツルリンしましたし、世界遺産スオメンリンナ島の要塞では腰まで雪に溺れました。「北欧の人はその寒さをも楽しむようにニコニコ元気に街を闊歩している」などとガイドブックにはありましたが、とんでもない、現地の人だって寒いときはやっぱり寒そうな顔をして背中を丸めてましたよ。

フィンランドを始め北欧というと「デザイン」という言葉が浮かびますが、この国には、スプーン一本から巨大な建物に至るまで、人の造作物であれば必ずデザイン(意匠)がある、という意識が根付いているように感じました。人が英知を尽くした技、ということへの評価が高いんです。知的財産権こそは立派に確立されたこの国の誇りなんですね。

食べ物ですか。トナカイの肉に木の実のジャムを掛けて食べる味覚にはいささかついていけませんでしたが、魚介類はどれも新鮮で概ね美味でした。土産には珍しい缶詰をやたらに買い込みました(私、実はちょっと缶詰マニアです)。トナカイの煮込み、熊のシチュー、鰯入りのパン、サンタ印の虹マス……。まだどれも開けてませんが、そのうち闇(やみ)鍋でもやろうかと……。

倶樂部余話【一九二】メンクラ街アイ世代に告ぐ(二〇〇五年一月一〇日)


 45歳以上の男性客のご来店が確実に増え始めました。かつて当社が運営していたJACKKENT当時の顧客であった方も少なくなく、「お帰りなさい」といった感があります。また、こちらとしても仕入れの際に「昔取った杵柄」が役に立つ機会が増えたように思います。
 ただ「なんだか懐かしいなぁ。今どきまだこんな店があったんだねぇ」などと言われると、当方としては、嬉しいやら悲しいやら、ちょっと困惑してしまうのです。

 そもそも、なぜ多くのメンズショップが消滅していったのに、当店は潰れずに存続できているのか、を考えてみて欲しいと思うのです。前者は「待てど暮らせど来ぬ」客を宵待草のごとく待ち続け、あげくに客と心中していってしまったのですけれど、当店は、確かに「英国気質」を軸にしましたが、しかし「トラッドは永遠に変わらない」という狂信的妄想からは抜け出して、運良くその客層を20代後半の男女にまで拡げることができたからだ、と思っています。そう、うちは、遺跡でも博物館でもないんです。ファッションはらせん階段、同じところに戻っているようで実は違う場所にいる、その変化が容認できず「昔と違うじゃないの」と化石の頭脳でノスタルジックに懐古されても、それは筋違いというものです。

 それから、「メンクラ街アイ世代(雑誌「メンズクラブ」の名物企画「街のアイビーリーガーズ」にちなんで)」に相変わらず多いのが、まだ地図帳にソビエトや東独があった頃に学んだカビまみれの服飾知識を話したいだけ話して、それでいて商品はろくに見ないで帰る人。「釈迦に説法」とまでは言いませんが、すでに私はそんな方を暖かく容認する寛容さを持ち合わせなくなりました。消えていった仲間たちの店の轍を踏みたくはありませんし、昨今の「オトナの復権」(あるいは、決して好きな表現ではありませんが、「ちょいワル、モテるオヤジ」のブーム、とも言います)は、その経済力が基盤になっているのですから、若い頃は大目に見てくれただろうそんな冷やかしも、いい大人になればそうそう通用はしないものだと考えていただきたいと思うのです。

 今回はいささか挑発的に書きました。愛すべき兄貴たちにいつまでも素晴らしいお客様であり続けていて欲しいという思いから、発奮を願ってあえて辛口にいたしましたので、どうかご容赦下さい。

倶樂部余話【一九一】コットンとカシミア(二〇〇四年一二月四日)


知っておいて下さい。世界の農薬の約25%が綿栽培のために使用されているということを。綿の三大産地は中米露(この三国で世界の生産量の六割近くを占める)ですが、そこでは、遺伝子組換に始まり、枯葉剤の散布による土壌汚染、漂白剤・蛍光増白剤・界面活性剤・合成のりなどの水質汚染、とまさにクスリ漬けです。コットンというと、ピュアでナチュラル、と思われがちですが、それに払われる犠牲は思いのほか大きいものがあるのです。

知っておいて下さい。モンゴルの高原(といってもその多くは中国領)ではカシミア山羊の飼育頭数がこの数年で急速に増えていて、草原が食べ尽くされしまい、その結果、砂漠化が進んでいるということを。偏西風に乗って日本へ吹く黄砂も増えるでしょうし、将来の異常気象の一因になることは必至でしょう。

しかし、だからといって、私は、綿もカシミアも「買ってはいけない」というほどの、ナチュラリストでもエコロジストでもありません。そもそも文明はピラミッドの太古から自然破壊を伴って進化してきたものですし、また、ファッションの歴史は、高貴なものに抱く庶民の憧れが原動力になってきたのですから。

ただ、お腹に消えていずれは土に帰るという連鎖がある食物と違って、衣類というのは残るものなのです。これがファストフードとファスト衣料の決定的な違いでしょう。地震の被災地に次々と送られてくる救援物資のうちで、分配が一番厄介なのも衣類だそうです。

なので、私はちょっとだけこう思うのです。地球にもっと長生きしてもらうためには、安価な服を使い捨てのように大量に浪費することよりも、いつまでも捨てられることなく長く使えるいい服をひとつずつ買い足していくことの方が、少しばかりは役に立つことなんじゃないのかと。

倶樂部裏話[8]古田クンと堀江クンそして黒田クン(2004.11.15)


 今回書くのは、ヤクルトの古田選手会長とライブドアの堀江社長の話。この二人について私が述べる、とすれば、メンバーズの方なら、ははーん、と感じることでしょう。ハイそのとおり、お題は「スーツの持つパワー」です。

 それにしても、古田クンのスーツ姿は完璧と言っていいほどでした。私も何人かの採寸で経験がありますが、スポーツ選手の上着のサイズ合わせというのは大変難しいものなのです。だから大体は大きなモノを着てごまかしてしまう(他球団の選手会長たちのように…)のですが、彼のスーツはピッタリと身体に合ってました。そのシルエットや色柄も、今の流れを踏まえつつも、行き過ぎないもので、やや高めのコージライン、ラペルの大きさ、パンツの裾幅や丈、すべて合格です。うまいのはVゾーンです。タイはちゃんとディンプルを入れカタチ良く結ばれていますし、シャツのサイズもきつすぎず余りすぎずで、衿の大きさのバランスもスーツと調和がとれていました。まさにみんなのお手本にしてもらいたいようなウェルドレッサー(装い上手)だと感じました。
 始めは、誰か専属のスタイリストが付いているのかなぁ、とも思いましたが、どうもそうではないようで、その後の彼のコメントを聞くと、やはり、彼はスーツを着るのが大変好きな人みたいです。(スーツが好きということでは、NHKの野村正育アナもそうらしく、彼もまたウェルドレッサーと言えるでしょう。)ホント、好きこそモノの上手なれ、なんでしょうね。
 彼のスーツ姿がどういう効果をもたらしたか、それはご存じの通り。スーツをしっかりと味方につけましたね。

 対して、堀江クン。もう、言わずもがな、でしょうが、スーツを完全に敵に回してしまいました。私は密かに(きっと彼は最後の最後のキモの場面でピシッとスーツで登場するんじゃないか。その演出効果を狙ってるのかもしれない。)と期待してましたが、それは思い過ごしだったようです。相手に回った楽天の三木谷社長のスーツ姿が、評するまでもないような極めて無頓着なものだっただけに、もし堀江クンがあの場面で突然変身してスーツを着てたとしたら彼らの評価はまた違っていたかもしれない、と思うのです。
 公の場でタイを締めないということでは、ユニクロの柳井会長もかつてはその一人でしたが、近頃は違いますね。自分の店でビジネスウェアも扱い始めたという事情ももちろんあるのでしょうが、むしろ、以前はアウトサイダーだったユニクロが今や社会的責任を持たねばならない本流企業に成長したということの余裕の現れのように感じます。もう反体制をアピールする必要がなくなったんでしょう。

 スーツにはパワーがあるのです。そのパワーを最大限に引き出した古田クンと、最後まで拒み続けた堀江クン。ホントに対照的でした。

 ところで、昨日(2004年11月14日)、サーヤのお婿さんとしてすっぱ抜かれた黒田クン。日曜日の自宅マンションの玄関先、というのに、ちゃんとスーツ(それもごくごくフツーの…)に着替えて登場してましたね。あれが、トレーナーにジャージ姿だったら……、きっと世間が許さなかったでしょうね。(弥)
 

倶樂部余話【一九〇】イタリアをどう捉えるか(二〇〇四年一一月一五日)


10月、岩手県花巻近郊にある小さなファクトリーを訪問しました。ここは、間違いなく現在の日本で最もいいスーツを作る工場のひとつと言えます。他と何が違うのかを一言で言うと、イタリアはミラノ、カラチェニ派の生み出したスーツ作りの遺伝子がそのままの姿で引き継がれている我が国唯一のファクトリーだということでしょう。

スーツの工場を見学するのは久しぶりのこと。過去に訪れたことのある何カ所かの工場は、皆、最新の米製機械を導入し、いかに効率よく機械化していくか、を競うような気風がありましたが、ここはそれとは正反対で、私でさえ、初めて見る縫製技術が数多くあって、工場というより、ハンドメイドを分業化し、必要最小限の部分を機械で代用しているだけの工房、といった方がふさわしいものでした。

 名だたるブランドが並ぶこのラインにこれからは当店のオーダースーツも流れるのだと思うと、嬉しくて背筋がぞくっと震えました。

ここで、こう思う方もいることでしょう。英国セヴィルロウの名を冠する当店がミラノ直伝の技術と組むことは矛盾しないのか、と。まあ、組みますと言ったからには、当然に、結論としては、矛盾しない、ということなのですが、コレを難しく言うことは割と簡単で、簡単に言うのはとても難しいことなんです。以下、できるだけ平易に書いていくつもりですが、難しいと思ったら読み飛ばして下さい。

確かに、この店の開店当時(1987)はアルマーニのソフトスーツが全盛の頃で、巷が伊の流行なのになぜ今英国なの、とよく言われたこともありましたし、正直、私もしばらくは、英vs伊、という構図で考えていた向きがありました。

しかし、この三年ほど、実際にこの目でロンドンとミラノを眺めてみると、その考えは完全に変化し、英→伊、の図式がはっきり見えてきたのです。ロンドンへ行くと、英を代表するような著名ブランドの多くは、海外資本家にのれん代を切り売りすることに躍起な反面で、そのスーツ自体はほとんどが伊製になっていますし、片や、ミラノへ行くと、伊のお店がどこも大変英国好きだということに驚かされます。英国のスーツ作りの遺伝子が伊へ移って息づいている、というのが実感でした。

とはいえ、いっとき「伊より英でしょ」と言っていた自説をかように翻すにいたるのは、やはりいくつかの「目からウロコ」が私に浴びせられたからでした。

例えば、「我々の仕事は、アメリカから始まって、英国をつぶさに見、そしていいモノを追い求めていった末に今イタリアにたどり着いている。太平洋と大西洋を渡り、いわば東回りでイタリアに来ているわけだ。いきなり日本から西に直行便でイタリアに降り立ったとしたら、今のイタリアの紳士服は理解できないだろう。」(常に私の指南役でもある赤峰幸生氏。信濃屋の白井俊夫氏との対談より)

また、同業の友人からは「パリにオールド・イングランドがあり、ナポリにロンドンハウスがあるように、シズオカにセヴィルロウがある、ってことなんだね。」と呟かれたり。(そりゃちょっとおこがましすぎる、月とスッポンだよ。)

また、「筆者は服飾評論家という職業を生業としているため、いろいろな人から『今はどこの国のスーツが良いのですか?』という質問を受けます。たしかにスーツのルーツは英国にあり、伝統的にみてもサヴィル・ロウは偉大な足跡を残しています。しかし現代にフィットしたスーツ、また未来に生き残るスーツを考えるとき、いまだに英国がスーツ界のトップに君臨しているとはどうしても思えないのです。現在、世界で最も優れたスーツを作っているのはイタリアです。」(遠山周平「背広のプライド」より)と、断言されては、少し悲しくもありますが、確かに事実だろうと感じざるを得ません。

思えば戦後の英米の紳士服職人の手練れの多くはイタリアからの移民でした。戦後復興なった1970年代には彼らはイタリアへ戻り自らの店を持つかたわら、その後も英米の名ファクトリーの指導を手掛けていました。中でも、ドメニコ・カラチェニ氏は、セヴィルロウのスーツスタイルを忠実に踏襲しつつ、自ら産み出したフラットテーラリングという画期的な手法によって、当時のセヴィルロウの鎧のような堅さを取り去り、より軽くナチュラルなスーツへと「進化」させることに成功したのです。彼は「クラシコ・イタリアーノの最大の貢献者」(落合正勝氏)とまで評されています。(ちょうど、日本のメンズ服飾業界がみんなどこかで必ずVANの影響を受けている、というのに似ている、と感じるのは私だけでしょうか。)現在のミラノの紳士服界は、カラチェニの弟子、孫弟子、ひ孫弟子たちによって形成され、隆盛を極めているわけです。

つまり当店がカラチェニ直伝の技術を導入するのは、英が伊に負けた、とか、今のトレンドがいわゆる「クラシコ・イタリア」(この言葉もかなり誤解が大きいようですね。私は、イタリア人が好む英国の味、と捉えると分かりやすいと思いますが…)だからそっちへ流れた、とか、という一時的なシフトではなく、セヴィルロウスタイルの進化の一過程、なのだと言えます。
 
言うまでもありませんが、当店は、決して19世紀英国紳士服の博物館ではありません。21世紀の日本人を顧客に持つショップですから、現代人により良い品を提供するためであれば、進化や革新を怠ってはならないのです。でも、店の軸はいつまでも変わることはないのです。変わらないために変える。その変わらない軸こそが、(パリやナポリのお店と同様に!)「英國氣質」ということなのです。

倶樂部余話【一八九】正しい英国式朝食の食べ方(二〇〇四年一〇月六日)


「英国で良い食事をしたいなら、朝食を三度取ればいい。」と言ったのはサマセット・モームだとか。確かに、英国でのブレックファストは旅の楽しみのひとつである。そしてそれはアイルランドへ行くと、さらに豪華かつ美味になる。田舎のゲストハウスなどでは一皿ずつ順にサーブされることがあるが、近頃は一流ホテルでもほとんどがバイキング方式で、そうなると多くの日本人は、もう食べ方がてんでチグハグになってしまう。で、今回は私が「正しい朝食の食べ方」をご伝授差し上げようという次第。

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まずスターターは、ジュース、フルーツ、そしてヨーグルト。フルーツはシロップ漬けもあるがやはりフレッシュがいい。バナナやリンゴを器用にナイフとフォークで食べている外人さんには目を見張ってしまう。最初に果物を食べるのは栄養学的にも理に適っていると聞いた。ヨーグルトにも、チョコ入りナッツ入りやファッジ(キャラメル)入りなどいろいろあって楽しい。

お次は、シリアル。ケロッグのコーンフレークだけじゃなく、これも種類がライ麦やフスマなど様々で、ミルクで浸し、あとは好みでプルーン、レーズンなどのドライフルーツを入れる。私のお気に入りはあつあつのポリッジ(オートミール)で、これにハチミツをかけて一口すすると、腹の底がじわぁっと暖まってくる。

ようやくメインディッシュ。暖かいお皿の上に所狭しと載っている。まず卵。オムレツもいいが、一度試してもらいたいのがポーチドエッグで、トーストの座布団に載った温泉卵、という感じ。そして、ベーコン、ソーセージ、焼きトマト、マッシュルーム。ハッシュドポテトが付くことも。さらにアイルランドで必須は、ブラックプディングとホワイトプディング。これは決してプリンではなく、豚の臓物に穀物、ハーブ、スパイスを混ぜた腸詰め(ソーセージ)をスライスして焼いたもので、血合い入りがブラック、血抜きがホワイト。濃い味で後でやたら喉が渇くが、でもアイルランドの朝には決して欠かせない美味なのである。

それから、すごいところだと、もひとつコールドプレートもあり、スモークサーモンやキッパー(ニシンの薫製)、各種のハム、なんかが載る。

これらは前夜または着席時に好みを注文するのだが、初老の紳士が「目玉焼きは黄身を潰して半熟で二個。ベーコンはカリカリ。ソーセージは一本。マッシュルームは嫌い。」と真剣に伝えている光景は何とも微笑ましい。

一緒に出てくるのがポット入りの紅茶と数枚のパン。紅茶はミルクたっぷりにし水のように何杯も飲む。薄っぺらなトーストは、焦げているのになぜか冷めていることが多い。英国だとスコーン、アイルランドだとソーダブレッド(重曹パン)も。ホームメードのジャムも添えられる。

仕上げのデザートには、チーズをつまむ。

これでようやくフルコースは終了。軽く小一時間を要する。昼はもうギネスとスープで充分。だって、こんなの一日三回も食べられないでしょ、ね、モームさん。  

倶樂部余話【一八八】素材イジメ(二〇〇四年八月二七日)


一体自分は年間にどれだけの商品を見ているのでしょう。何万点、いや何十万点かもしれません。大きな合同展示会などになると、一日かけて三百社以上見て回ることもありますが、 足を棒にした揚げ句、買付まで至るほどに魅力ある商品に出会えるのはせいぜい一社か二社ぐらいなもの。逆に言うと、99%は自分たちには必要のない商品だということになります。 ファッションというのは多様ですから、きっとどのバイヤーもそんな打率でしょうし、だからこそ、世の中に様々なカタチのお店が生まれるのでしょう。

当然当店とはジャンル違いのモノもたくさんあるわけですが、中でも近頃好感を持ち難くなっているのが、特にメンズカジュアルの分野に、極度に素材を痛め付けるような服が増えていることです。 決して製品染めや洗い加工がダメだと言ってるのではなく、素材の持ち味をより引き出すための加工ならばいいのですが、これでもかと素材をイジメつけることにサディズムな快感を覚えているだけに思える服も見受けられます。そして、多くが素材のデリケートな違いに鈍感な 「素材オンチ」に陥っています。激しいイジメに耐えられるかどうかが、素材選びの基準になってしまっているのです。

職人ならば誰でも、いい材料を前にしたら自然にいいモノを作りたいと思うでしょう。服もしかりで、いい素材に出会うとその素材に敬意を払ったいい服を作ろうと励んでしまうものなのです。 だから、いい素材を見抜けない「素材オンチ」には、いい服を作ろう、という意欲が徐々に欠落してくるのではないでしょうか。

しからば、いい素材を見抜く目はどのように養われるのか、と言うと、これはもう訓練しかありません。永年いい素材に触れ続け、時には失敗を繰り返しながら自然に身に付いていくものでしょう。 この私だって20年この仕事をしているからこそ、目をつぶっても服地の善し悪しが判断できるのです。

平気で地べたに座れるような綿やナイロンばかり着ていると、彼らはそのうち素材オンチになってしまいます。10年着倒した風に加工した素材ではなく、10年後でも着続けたいようないい素材の服がこの世にはあるということ。 素材をイジメるのではなく、素材を「めでる」服があるということ。それに気付けば、その人は将来ずっと大人になっても、服を愛し続けてくれることでしょう。

倶樂部余話【一八七】靴を再開します(二〇〇四年七月一四日)


紳士靴の展開休止という苦渋の決断をしたのは二年前(余話【164】」参照)。昨今は「紳士靴バブル」と揶揄されるほどの空前の高級靴ブームで、それに踊らされずに済んでいる幸いに、自らの判断の正しさを確信しつつも、やはり正直、多少の悔しい思いは感じていたのでした。

実は、休止した当時から、紳士靴を再開するなら「(スーツと同じように)自店ブランドによる国内工場でのパターンオーダー」以外にはあり得ないだろう、と考えていました。洋服屋として、格好良さもさることながら、まずサイズを合わせる、というのが絶対に譲れないことだったからです。それを目指して、つてを頼ってはいくつかの靴工場に「服でできることがなぜ靴でできないんだ」と掛け合いましたが、どこも「そんなこと、できっこない」と本気で取り合ってはくれませんでした。「俺の考えは空論なのか」と、半ば諦観を抱いてもいました。

しかし、天啓あり。この不可能を可能にしたファクトリーがあったのです。その情報を得るやいなや、私は山形県赤湯(南陽市)の宮城興業へ飛んでいきました。70年の歴史を持ち、某大手トラッドブランドから新進の個性派デザイナーものまで、英国ノーザンプトン・バーカー社仕込みのグッドイヤー製法の技術を駆使し、製造の名黒子役であったこの工場が、将来への生き残りを懸けて、二年間の試行錯誤と職人達の意識改革の末に、ついに完成させた注文靴のシステム。これはまさに私の求めていたそのもの、いや、その期待を遥かに越えるレベルのものでした。静かにしかし熱く語る高橋社長と会談していくうち、私はうれし涙がこみ上げてくるのを感じていました。(自分と同じ思いを抱いていた人間がここにいたじゃないか。ようやく出会えたよ。)

 溢るる自信と喜びを持って、紳士靴、二年ぶりに堂々の当店再開です。

倶樂部余話【一八六】書籍紹介(二〇〇四年六月三日)


近ごろ読んで、元気の出た本を3冊ご案内します。

①「横浜ゴールドラッシュ」(北原照久・著、一季出版・1,260円)…先日、湘南・佐島の北原邸でのパーティに参加した折、(当日の模様のレポートはこちらを見て下さい!) 北原さんのサイン欲しさに買い求めたものだが、無一文の彼がいかに運を味方につけてきたか、が小気味よく描かれている。 彼から直接聞いた、運をつける10ヶ条の10番目「運は、自分は運のいい奴だ、と思い続けている人のところにやって来るものだ。」には大いに感動。何しろ元気になった。だから私もみんなを元気にしてあげよう、と思った次第。 (この本、版元ではすでに絶版のようですが、横浜や清水(エスパルス・ドリームプラザ)などの北原さん関係の施設には常備在庫があるようです。)

②「紳士礼装の『かたち』と『こころ』」(川淵勉・著、繊研新聞社・1,800円)…フォーマルウェアのルールを我々業界人向けに書いた本。決して自分に自信がなかったわけではないが、今まで皆様に説明し続けている内容に間違いがないことの確証を得て、ホッと一安心。 フォーマルの着こなしは決して難しいものではない。原則は3つだけ。まず時ありき、礼装は2種類しかない、みんなが同じ装いを。 フォーマルを「かたち」良く着こなすコツは、これで間違いない、これでいいんだという自信の「こころ」を持つことだ。 (一般書ではないので、これも書店にはまず置いてません。ご購入はこちらへ。)

③「なぜ通販で買うのですか」(斎藤駿・著、集英社新書・735円)…筆者は、「通販生活」を出版する(株)カタログハウスの社長。そのルーツがかのルームランナーだったとは知らなかった。 その記事的広告の手法が経費節約の必要から生まれたものだったというくだりも面白いが、大変感銘を受けたのは、彼の主張する「小売りジャーナリズム」論。 「消費者に代って小売りが商品を選ぶ。消費者はその選ばれた最終商品(小売り側の結論)に対して賛成するか反対するかを選ぶだけである。」とか、 「それぞれの小売りがそれぞれの自己表現で競い合う。それぞれの自己表現が消費者における商品選択の標識になっていく。そうなるといいなあ、と思う。」という思いに、学生の頃の一時期に新聞記者を志したこともある私は、いたく感動してしまい、自らの目指す店づくりに一光が差したような気にさせてくれた。 巻末、拙著と同義のあとがきには、思わず失笑。 (これは新刊新書なので書店ですぐ手に入ります。)


※まだアマゾンがなかったころに書いた文だということがわかりますね。