倶樂部余話【一五七】八度目のアイルランド(二〇〇二年二月八日)


アイルランドから無事帰国。馴染みのモノ、新しいモノ、いろいろ発注。

そして、北の外れのツイードの手織り工房を訪ねたり、山間に忽然と建つ小さなニット工場へ行ったり、八度目ならではの辺境の旅も楽しんだ。

西部の田舎町に昨秋開館したカントリーライフ博物館へ寄るのも今回の目的。現存する最古のアランセーターがあるのだ。拝見を熱望していた三年越しの思いがようやくかなった。写真を撮りたいのなら閉館日にどうぞ、と提言してくれた学芸員は館内貸切り状態で私を案内してくれ、さらに非公開の貯庫保管のセーターまで見せてくれた。

当然アラン諸島へも渡る。今回は過去二年とは違う一番大きく賑やかな島の方を九年振りに訪ねたが、今や一大観光地と化していた。 急増する観光客と激減する編み手。この反比例に、アランセーターの将来はかなり悲観的と言わざるを得ない。

日本がバブル崩壊にあえいだこの十年、この国は劇的な経済成長を遂げ、その中では伝統的産業は急速に淘汰されてしまう。永年付き合ってきたストーンサークルの廃業はその典型。この旅はその事後処理のためでもあった。

新通貨ユーロも新鮮だった。ドイツやスペインの人は「違う言葉の国に来て同じお金が使えるとは不思議な感覚だ」と感激していた。

乗継の合間に初めてスウェーデンへも半日だけ寄る。バリアフリーとはこういうことか、と実感。

かくして、レンタカーの積算距離計は千百キロを越えていた。よくもこれだけ走ったものだ。

【倶樂部余話【一五六】わくわく(二〇〇二年一月一一日)


謹んで新春のお慶びを申し上げます。

たくさんのお客様から年賀状を戴き、ありがとうございます。その中で、「今年もわくわくさせて下さいね。」という添え書きが妙に多く、私たちに期待されるこの「わくわく」とは何だろう、と考えてみました。

★我々はつい、去年これだけ売れたから今年もこのぐらい仕入れる、と考えがちだが、去年と同じものではわくわくするはずがない。前年比主義に陥らないよう、より自戒せねばなるまい。

★とはいえ、変わらぬものを長く売り続けたいという姿勢も捨てたくない。要はわくわくの陳腐化をどう防ぐかだが、手持ち駒の引出しを時々は閉めておいてしばしお休み中という展開手法があっても良いのかも。

ITの普及で、手に入れられる情報量は加速度的に増えている。なのに我々の小さな発信にわくわくしてくれる。「情報」と一口に言われるが、大量の報(data)に迷い悩むばかりの中で、出所の確かな情(information)は、今では貴重なのだろう。報が北風なら、情は太陽なのかもしれない。

★お客様がわくわくするのは、我々が感じたわくわくをお客様に伝えられたからに他ならない。では我々は何にわくわくするのか。この一年を思い返すと、決してモノだけをとらえて感動したのではなく、モノを作る「職人」、職人と商人の間の通訳をする「仕掛人」、時代を嗅ぎ分けられる「目利き人」、そういったヒトたちとの様々な出会いが我々をわくわくさせてくれた。 そう、モノには必ずヒトが携わっている。その携わり様にわくわくするのだ。

 今年も、いっぱいわくわくしましょう。よろしくお付き合い下さい。



倶樂部裏話[3]Thank you, anyway (2002.4.27)


 我が娘たちは、小さい頃、「お父さんは、仕事をしないで、いつもお店でお客さんと遊んでばかりいる。」と見ていたようです。

 我々小売業などの接客商売は、他のビジネスと違って、一般の消費者を相手にする仕事です。今風にいえば、B to Bではなくて、B to C だということですが、このB to C の特徴は、Bのこちら側はビジネスであるのに対して、Cのお客様側はレジャーだという点です。ビジネスにはいろいろなルールがあります。挨拶、身なり、納期、支払い、などなど。しかし、相手方はビジネスではなくレジャーであるのですから、同じルールを相手方には求められない、という性格を持っているわけです。
 同じ接客業の中でも、利用したら必ず代金をいただける飲食業や宿泊業などと違って、物販業というのは、成功報酬型です。モノが売れて始めてその労働の報酬を頂戴できるわけで、遊園地や美術館のように入場料を徴収することもなければ入場者を制限することもできませんし、弁護士のように相談料をいただくでもなく、医師のように初診料を徴収することもないのですから、どれだけお客様にお努めしても、モノが売れなければ全く対価はいただけないということになります。つまり、空振りがあるのが当然、というのが、物販業の宿命だともいえます。

 そう、何も改めて言うこともなく、当たり前のことです。お客様は遊びに来ているのだから、挨拶ができなくても普通のことだし、モノが売れなかったときだって、それはなにもお客様のせいではない、欲しいモノをご用意できなかった私どもが悪いのだから、むしろ、店からお客様に謝らねばいけないのだ。分かっている、分かっているが、しかし、私たちも人間、どこかで求めているのです、「Thank you, anyway.」を。

 Thank you, anyway. という英語。たとえば、道に迷って通りがかりの人に尋ねたのに、運悪くその人では分からなかった、というようなときに、「(結果、私の役には立たなかったけれど、私のために尽くしてくれて) ともかく、ありがとう。」という気持ちで使われます。「役に立てず、済まない。」と感じている相手を慮って発せられるこの言葉に、相手はどれだけ救われることでしょう。

 私たちがお相手するお客様は、店頭だけではありません。電話やファックスの時もあり、これらも接客の一種です。そして、最近多いのが、電子メールでの問い合わせです。メールでの問い合わせには、ある特徴があって、それは、問いが短ければ短いほど、答えが長くなる、ということです。  例えば、「○○について教えて下さい。」というだけのメールですと、「○○というのは、………という商品で、色は……、サイズは……、使い方は……、価格は……、」と返信は延々と長くなり、必要によっては写真を添付することもありますが、「私は、性別は…、年齢は…、職業は…、サイズは…、です。御店のホームページに載っていた○○を検討しています。」という問い合わせなら、「今ご用意できるのは……です。……をお奨めします。購入方法は……」と簡潔にお答えできます。
 確かに、メールでの応答は、ほかの方法に比べて、極めて便利ですし、格段に説明が伝わりやすく、ご購入につながる可能性も高いのですが、その分私どもが返信に費やす手間と労力も、正直、店頭の接客以上にかかることが間々あります。 たった一行の問い合わせに、一時間以上掛けて返信を出し、更なる問い合わせを期待したのに、それきり何の返答もない、としたら……。私たちの落胆ぶりは想像していただけるでしょうか。せめて、「Thank you, anyway.」の一言さえあれば、と思ってしまうのです。

 この文章を読める方は、インターネットを利用できるメンバーズの方に限られています。そして、当店に限らず、様々な問い合わせにメールを利用されることも多いのではないかと思います。様々な問い合わせに返信するほうの立場から、どうか、少しだけでも「Thank you, anyway. 」を気に掛けていただきたい、と、思うのです。

 そして、いろんなお店で、接客を受けたときは、たとえ欲しいモノがなかった場合でも、「Thank you, anyway.」。労をねぎらわれたその一言で、販売員は生き生きと蘇り、次への活力が生まれます。接客業に携わる人間というのは、人と関わることの大好きな人種ばかりです。だからとても単純に、落ち込んだり喜んだり、してしまうものなのです。(弥)  

倶樂部余話【一五五】紳士服と婦人服(二〇〇一年一二月一日)


紳士物だけでスタートした当店ですが、徐々に増やしてきた婦人物との比率が、この冬で半々になりました。

同じ洋服でも、紳士と婦人ではかなり性格を異にします。婦人服出身で紳士に進出した同業者からは「どうして男ってのは、こんなにノロいのか。」とよく言われます。確かに、流行、入り方、売れ方、どれをとっても男の動きはかなりスローですし、物心ともに我慢強さがないとやっていけないのは事実でしょう。

それでは、逆に紳士から婦人へ進んでいる私はどうかというと、まず、婦人の市場にはあまりにも意味のない服が溢れている、と感じます。と言うのも、男の服というのはそれぞれに何らかの意味を持っているものだし、その意味を的確に伝えていくことこそ販売という仕事だと考えているからで、自然と婦人にもそれを求めてしまいます。 そしてその「意味のある女の服」が当店の特徴になったのではないかと思うのです。

男の方について厳しく言えば、どれでもあります、いつでもあります、の商売に店も客も今までいかに甘えてきたか、を実感します。 動きがスローでしかもサイズが多い、とあれば、キャッシュ&フロー重視の時代に生き残るのは大変です。

悔しがる男性もいれば、喜んでいる女性もいるでしょうが、婦人の市場規模は紳士の四~五倍あるのですから、半々というのは未だ紳士が健闘しているともいえますし、カップル客の多い当店にとっては、理想的状態だろうと思います。

例えばギフト需要など、紳士も婦人も両方あるからこそ対応できるという要素は随分とあり、それが現在の当店の最大の強みではないかと感じています。

 

倶樂部余話【一五四】化石な人(二〇〇一年一一月一日)


私が「化石」と呼ぶものがあります。

例えば、IYドーが販売権を持つケント、洋服のAが商標を獲得したエーボンハウス、あるいは、雑誌のメンズクラブ。かつての栄光は認めますが…。

化石な人、という人種もいます。分かりやすくするため極端に言いますが、ノータックに固執し遂に2タックのパンツをはきえなかった人。過去の知識だけをひけらかせて、揚げ句に、欲しいモノがない、と怒ってしまう人。

メンズのファッションの流れはゆったりとはしていますが、今大きな変化の時期を迎えているところです。そして、それは再びノータックに向かって動いているのです。ここであなたは、その流れを吸収できる柔軟さを持てるか、それとも、流れに乗れず頑固に2タックを貫くか。ここが若さと年寄りの、進化と化石の分かれ目になります。

もっとも、当店は流れの最先端にいる訳でもなく、何も明日からすぐにノータックだけ、などとは言いません。 ただ、そういう流れにあるのだな、と踏まえていてくれればよいのです。

「買いたくても買えないんだよ」という男性諸氏の悲鳴が聞こえてきそうな昨今の経済情勢です。でも興味や関心までなくして欲しくはない。化石な人を増やしたくはないのです。 

倶樂部余話【一五三】ドレスシャツのついての一考察(二〇〇一年一〇月五日)


ネクタイなしのスーツ姿と言うと、どうしても汚職で逮捕された代議士を思い浮かべてしまいます。(自殺防止のため、タイとベルトを没収されるらしい。)イタリア人はそう見られないための免罪符を考えつきました。タイなしで衿元が目立つのを逆手に取り、そこにもうひとつのボタンを付けてしまったのです。Due Buttoni(二つの釦)と呼ばれています。

これと良く似た現象が実は約百八十年前に起きています。ポロ競技の際、シャツの衿元が動くのを邪魔に感じたアメリカ人、ヘンリー・ブルックスが考案した、ボタンダウンシャツ(ポロカラー)です。

二つの共通点は、本来不必要な箇所に釦を付けるということで、シャツの着こなしの幅を大きく広げたということです。 この余計な釦がマヌケになりそうな衿元を救っています。「タイが嫌で外してるわけじゃない、意識してタイを付けてないのです。」という主張が生まれます。

ただ、ボタンダウンが今では完全にカジュアル化したのに対し、Dueの場合、まだカジュアルというよりもドレスダウンと言った方がふさわしく、ヨレヨレクタクタのシャツではサマになりません。ドレスシャツとしての上質さが必要です。

そこで、上質なシャツを見分ける一つのコツを伝授しましょう。背中を見て下さい。スプリットヨークといってヨークの真ん中に縦の縫い目のあるシャツ、こう縫ってあるシャツは間違いなくいいシャツです。但し、こうなっていないものでもいいシャツはあります。逆は真ではないのでご注意を。

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倶樂部余話【一五二】クラシコ・イタリア(二〇〇一年一〇月五日)


「質問です。クラシコ・イタリアとセヴィルロウは矛盾しないのですか?」

クラシコ・イタリアとは、元来、伊の有力紳士ブランド19社の加盟する「クラシコ・イタリア協会」を指すのが狭義ですが、要はイタリアン・クラシックのこと。紳士服業界で、クラシックとかトラディショナルという言葉はブリティッシュと同義であり、言わば、伊から見た英です。20年ほど前、アメリカン・トラッドが席巻しましたが、その頃英米で出稼ぎしていた伊の熟練職人が今母国へ戻って活躍しているのです。 また、すでに英米独では消えつつある手仕事の技が、工業化の遅れた伊では最後まで残ったという事情もあります。正直、私は伊にはそんなに詳しくはありませんが、伊の英好きは想像以上らしく、「英国気質」な店が数多く見受けられるそうです。

つまり、英から伊へ軸が動いたわけではなく、一つの円を内側から見るか外側から見るか、ということです。

対して、本家セヴィルロウも大きく変わりつつあります。旧態依然とした店は淘汰され、伊の良いところを拒絶せずに取り込んでいく店が増えてきました。一昨年訪れた時には、外れに、「サルトリア」(伊語で仕立て屋)という名の伊料理店までできていて、私も驚きました。 英が伊っぽくなっているという実例です。

こうして、伊は英よりも英的なスーツを目指し、英は伊に負けじと革新を進めている、この切磋琢磨の中で、結果、両者のモノ作りがとても近いものになっているという、やや分かりにくい状況が、現在のクラシコ・ブームだと言えます。

当店は「英国かぶれ」ではなく、「英国気質」を標榜する店。答えは是です。

 

倶樂部余話【一五一】アランセーターの誕生秘話(二〇〇一年一〇月五日)


「アランセーターは、アイルランドのアラン島で、六世紀の昔から編まれている白いフィッシャーマンセーターで、編み柄には 祈りを込めた意味があり、その組み合せは家々によって家紋のように異なったため、それで溺死者の身元が判別できた。」これが従来言われている「アランセーター伝説」です。が、私の研究調査によって分かった真実はこうでした。

今から百年程前の19世紀末、政府はアラン諸島に漁業振興政策を施し、島には多くのスコットランド人漁師の家族が出入りしました。島の女たちは、彼らが着ていたガンジーセーターの編み方を教わり、更に独特の美的感覚から、その模様編みは次第に装飾を増していきました。

同じ頃、島からボストンに出稼ぎに行った一人の女性が、どういう理由か島に戻ってきます。彼女は編み物の天才で、ボストンで見た様々なセーターの編み柄を全て習得していました。島の女たちは、彼女からも貪欲に編み物を教わりました。

普段編むのは紺色でしたが、教会の元服式に際し、母親は息子のために飛びっ切りの白いセーターを編んだのでした。ここに白いアランが誕生したのです。

一九三五年、ある民俗品収集家が島にやってきて白いアランを見つけ、ダブリンの自らの店に置きます。翌年、その店を訪れた英国の服飾評論家がこれを発見し、英国服飾業界に大きく紹介しました。「アラン島では豪華な模様入りの白いセーターが昔々から編まれています。」と。

そして、戦後、アランセーターは米国で大ブレークするのですが、その話はいずれまた。もしくは店頭で。

倶樂部余話【一五〇】十五年目の秋(二〇〇一年九月一日)


九月です。暦を知らない蝉法師や向日葵が心なしか気の毒に思えます。

ところで、三月と九月はどちらが暑いかお分かりですよね。なのに、洋服屋は、三月に暖房を入れ夏物を売り、九月に冷房を効かせ冬物を薦めます。 季節の先取りは当然としてもあまりの行き過ぎもどうか、と少し考えを改めました。従来は、九月中にできるだけ真冬物まで仕込んでしまって、さぁどこからでも掛かって来い、という姿勢でしたが、 今年は冬物の仕込みを意識的に遅らせようと考えています。

具体的に言うと、レディスはふた月先に着るものまで、メンズはひと月先のものまで、というのを入荷スケジュールの基本としました。つまり、メンズの展開はレディスよりひと月遅れとなるわけですね。 これは経験則から適性な時差だと思います。

言い方を変えれば、今までよりも秋物をしっかり見ていただきたいと言うことでもあります。従前から得意のセーターやジャケット、アウターばかりに偏重せず、シャツやボトムスにもオススメはたくさんあるのです。

余話第百五十号、当店十五年目の秋は、いつもより少しスローにスタートいたします。



倶樂部余話【一四九】本の原稿を書き上げました(二〇〇一年八月一日)


「アランセーターの本を書いてるんですよ。」と、事あるごとに言い続けてきましたが、とうとうその原稿が出来上がりました。執筆を思い立ってから約四年、 原稿書きに着手して一年半、ようやくの完成です。

私の十四年前のアランセーターとの運命的な出会いから始まり、このセーターがいかにして世界中に知られるようになっていったのか、またよく言われる伝説についての真偽、そして、産地であるアラン諸島における 現状と将来など、「あらん限り」を書き尽くしたら、四百字詰原稿用紙にして三百枚近い量になりました。

恐らくこの完成に一番安堵しているのは、ワープロ打ちに没頭のあまりおろそかになる私の業務を幾度となくフォローせねばならなかった相川嬢ではないでしょうか。

現在、何人かの方に試読をお願いしている段階で、いつ、どこから、どのようなかたちで発表するのかは、まだ全く未定ですが、壮大な自由研究をやっとこさ仕上げられたことを、悦に入っている自分なのです。

本の中身について、もっと知りたい方はお尋ね下さい。但し、かなり長くなるのは覚悟していて下さいね。